第3話


背中で彼の体が自分の走る振動に合わせて跳ねる。そのたびに息が詰まる声にもならない息が漏れる音が聞こえて、自身の呼吸も苦しくなるのを感じていた。共鳴している場合じゃない。そうじゃなくて、早く彼を連れて帰らないと。そう願っていたのに、気が付いた時には地面に突っ込んでいた。背中に彼の重みはない。熱もだんだんと消えて行ってしまう。自分の左足が熱い。素早く確認すると自分の足を撃ち抜かれている事実が見えて、その先に投げ出された彼の体が見えた。腰に回した手がホルスターから拳銃を抜き出すのが見える。その動作は、見慣れたものだった。彼の射撃は流れるように、自然でしかも命中率は高い。狙えば的を射るのだ。吸い込まれるように的の中心に弾を打ち込むことができる。それを知ってはいるが、今の彼の状態を知っていると、それは不安の塊に過ぎなかった。

相手に命中してくれればいいが、そうでない場合は彼に攻撃が及ぶ危険があった。そんなことは彼も承知の上だと分かっている。彼は、人を救う側の人間だ。そして、自分をないがしろにしてしまう。そう、先ほど思い知ったところだって言うのに、自分はいったい何をしているんだろう。

背中に回していたアサルトライフルを前に持ち替えて、彼の狙う先に銃口を向ける。どうか彼の存在よりも先にこっちに気が付いてくれ。今の彼の状態では交戦なんて、無理だ。

どうかどうかと願いながら、敵を探すのは初めてだった。すべて彼のせいだ。だから、どうかどうか――!

その時、背後から銃声の雨が聴こえた。聴きなれた連射音。数人の軍靴の音。それに気が付いたときには、自分も彼も遮蔽物に連れ込まれていた。

事実を理解するよりも早く罵声が飛んでくる。それは自分と彼を心配し、苛立ったものだった。

「ばかやろう! ふたりともズタボロで居場所くらい知らせて移動してくれ、頼むから!」

乱暴に胸ぐらを掴まれて、壁際に押し付けられる。傷が軋むように痛むが、この状況に反論なんてできなかった。

「勝手に楽になれると思うなよ」

味方に保護されて加勢してくれているというのに、飛んでくるのは物騒な言葉ばかりだ。

崩れて朽ち始めた住居の壁に守られながら、彼を見た。するとまっすぐに射抜かれるように、目が合った。彼を何とか守れたことで、言いようのない安堵が胸の真ん中に熱を灯した。普段なら今しがた撃ち抜かれた左足を見て、彼は素早く飛んでくるんだろう。その余力は今の彼にはない。だから、熊はそっと彼に近づいて無事な左の太ももに手を置いて、大きく息を吐いた。

一瞬の間をおいて大きく息を吸う。けが人が2人。増援は6名。武器はある。弾丸も潤沢だ。きっと突破口を開いてくれると確信が持てた。

「こいつらをこのまま連れて帰る。東の市街地は放棄。南西のキャンプへ向かう」

劈くような誰かの指示が飛んで、熊は彼に肩を貸し増援と共に立ち上がる瞬間をうかがっている。肩には確かな体温を再度感じていた。さっき、取りこぼしてしまいそうになった、彼の体温だ。もう、放したくないと思った。

ここは、間違いなく戦場だ。激戦区の真っただ中だ。だから自分も仲間も、必ず生きていられる保証なんてない。いつ死んでも、今この瞬間にも、命を取りこぼしてしまう可能性はとんでもなく大きい。それを忘れることなんてできない。それでも、失くしたくないしできることなら生きていてほしい。自分の手で守ることができるなら、なおさら。自分の中の熱が大きく膨らんでいくのが分かった。

「おい」

触れている肩から聞きなれた声が聴こえた。全神経を戦場に向けていた熊は、現実へと意識を戻した。彼がまだ白い顔で、少しうつろな瞳でこちらを見ている。

「無茶すんな。俺も、お前も生きてるし、一人じゃない。だから無理をするな」

彼は諭すように熊に言い含めた。それは落ち着きのない生徒をたしなめる教師のように、嘆きに暮れる信徒を慰める教祖のように、熊にはそう見えた。熊はちらりと彼を見ると、ふいと視線を戻した。

「無茶も無理もするに決まっているでしょう。あんたも俺も、なんならこいつらの命がかかっているんだから。最後まで抗いますよ」

言い終わる間際、待ちきれないとばかりに走り出す体を熊は抑えられなかった。熊の動きに併せて、味方の援護射撃が始まる。戦場に、道ができる。この時を待っていた。


早く彼をキャンプまで連れて帰って、後回しになろうとする彼を抑えつけてでも治療しよう。きっと少しでも動けるようになったら医療キャンプの中を歩き回るんだろうから、とびきり休んでもらわないと。その間は禁煙にして、彼をたくさん労ってやらないと。熊は彼を半ば担ぎ走りながら、退路をたどっていた。片手にサブマシンガンを持って、自分も無茶苦茶に乱射している。脳内ではきっとアドレナリンが壊れた蛇口からあふれる湯水のように分泌されているだろうと思うと、場違いながら笑いが込み上げた。脳内麻薬が切れたとき、きっと体の重さや痛みが一気に押し寄せてくるのは容易に想像できたが、今は考えないことにした。増援部隊も、もちろん肩に担いだ彼も同じ様だろうから、仲良くベッドに縫い付けられるのも悪くないなと、道連れることを考えた。


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境界線の隔てた先 /肩の熱にしがみつく 明里 好奇 @kouki1328akesato

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