第2話
彼の負傷部位を確認していると、良くここまで自分に合わせて走ってこられたなと感心するくらいには深手を負っていた。肩と大腿の貫通創を発見した。足を引きづっていると思っていたが、手早く止血帯を巻いていたようで、気が付かなかった。
自分に傷の状態を隠しているような処置の仕方に、少々苛立ちが募る。肩に至っては、放置されていた。
「いいから脱いでください」
「いいって、それより早く帰投しないと」
「あんたの処置をしてからでも、遅くはない。今の状態だったら出血量が多すぎて、帰投するまでにあんたは気を失う」
両肩を掴んでいて、無意識に力が入っていて傷に響いたらしいく男は苦悶の表情をわずかに表した。彼が苦痛を表出するのは珍しいことにその時改めて気が付いた。体調が悪くても、痛みを持っていても、彼は表情に出さないのだ。そういえば、そういえばと、少しずつ彼の欠片を集めていくと、知って理解できないことも多く自己との違いを自覚していく。
服を脱がせて、初めに出血量に驚いた。インナーのシャツは思っていたより彼の血に染まっていたし、彼の顔色も気が付いてしまえばただ白いだけではなく、確実に失血によるものだと分かる。
すぐ横を走っていたのは自分だと思うと、なぜ気が付かなかったんだと自責しながら処置を始めた。彼のように手際よくできないし、傷の状況判断もできない。それでも、止血剤を創部に使用し、清潔なガーゼを押し当てる。大判の止血帯を胴体に巻き付ける。その上から掌を押し当てた。大腿の創は雑とはいえ処置されていたので、肩に使用した止血剤を少し分けて、振りかけるにとどめた。止血し始めているものをわざわざ引き剥がしてまで処置する時間も材料もない。
どちらの創も、貫通創とはいえ浅くはないものだ。それを自分に隠したまま行動しようとしていた相手に苛立ちは消えていかなかった。
人の傷には敏感に気が付いて、早急に処置を施す。それがなんだ。自分の傷に対してはこの対応か。ばかなんじゃないのか。自分よりもいくつも年上の男を考えると、ずきずきと苛立ちが痛みに変わっていくのを感じた。それを本人に言ったところでどうにもならないことなのに、そこまで分かっているからこそ苛立ちは痛みに変化していく。
左の上腕におそろいの止血帯を使用していることを、熊は思い出した。これを素早く使用したのは、目の前で真っ白な顔をしているこの男だ。熊は自身のそれを力任せに握った。
止血帯の固定具を爪が弾いて、がちりと鳴る。
その音に、男はゆっくりと瞼を持ち上げて、視線だけで熊を見上げた。その動作は緩慢で、いつもの彼ではない気がして、酷く落ち着かない。
冷や汗でも流しているんだろうか、彼の肌は白く透き通るようだった。きらきらと少ない光を反射していて、恐ろしく思った。早く帰投しなければと忙しない鼓動を繰り返す心臓を急かす。彼の呼吸が浅く早くなっていくのが、焦燥感をあおる。
「こら、自分にあたるなよ」
彼は気丈に振舞っているつもりなのかもしれない。しかし、彼の唇から出てきたのは乾燥して、弱弱しく震えるような声だ。
けが人や病人を励ましながら、忙しい中を駆け抜けていく普段の彼を知っているから、余計に熊は痛みを感じていた。
熊は自身も冷静さを欠いていることには気が付いていた。それでも、今のこの人をこれ以上見ていたくなかった。早くしないと、そう強く自分を急かす胸がざわざわとしていて、仕方がなかった。
男の力の抜けてしまった体を背負い、肩に担ぎ上げる。両肩に体重が載るように調整するが、ほかの軍人よりもはるかに軽い彼の体に驚愕する。ああだから、この人の無頓着さが嫌いなんだ。なんで自分のことは殊更手を抜くんだろう。しっかり食ってしっかり筋肉をつけてほしい。
「だめだ、おい、そんなことをしたら応戦できない」
苦情は背中から聞こえていたが、熊は無視を決め込んだ。だって、きっと彼はここに置いていけとでも言い出しかねないのだ。その口論の時間すら惜しいというのに。
「……黙っててください」
熊は必死に平静を装って、武器と一緒に彼を担いで廃墟を出て走った。この場所からの自軍の最寄りのキャンプまでの最短ルートは、接敵しうる可能性が低いのは、一番彼に影響の出ないルートを。熊は思考を総動員しながら走った。しかし、場所は敵軍の範囲内だ。いつどこで接敵してもおかしくない場所だった。
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