我が自由と闘争 三十と一夜の短篇第32回

白川津 中々

第1話

 新居を建て半年が経った。

 駅から徒歩30分。会社からは約60分。通退勤は確かに長く足を動かすのも嫌になる距離で毎朝毎晩鬱々となるのだが、せっかく建てたマイホームである。多少の労は瑣末な問題。帰宅すれば暖かいリビングにボーナス一括で買った70インチの有機ELテレビが待っている。これだけで1日の疲れも労われるというもの。実に働き甲斐がある。そして本日は珍しくの定時帰宅。素晴らしいではないか。只今の時刻は19時過ぎ。いつもより2時間も早い。この分ならば、妻と共にワインを飲み、そのまま映画を観る至福の時間が過ごせるであろう。否が応でも心踊り早足となる。さぁ、目の前はもう我が家だ。いざ帰宅!





 ……



 なんだこれは……


 玄関には、知らない、薄汚いスニーカーがあった。土が付いた、品のない安物のスニーカーがバルステインのタイルを汚していた。

 


 ……まさかな。



 脳内にて浮かぶ疑念はただ一つ。だがそれは、決してあってはならぬ禁忌である。

 俺は生まれて初めて神に祈った。どうぞこの予感が外れてくれますようにと。あの下品で低俗な安スニーカーは、エアコンの修理業者か何かのものでありますようにと信じてもいない主に縋った。だが、やはり神はいないのか、はたまた信仰の薄さからか、俺は天に裏切られた。忍び足で廊下を進めば聞こえてくる。紛れも無い、妻の嬌声が!



 ……なるほど。



 俺は外に出て持っていたライターで新居に火をつけ踊り歌い、驚き勢いよく出てくる間男と女を殴り殺した。拳からは二匹の人間のものとは別に俺自身の血と骨が見えていたが不思議と痛みはなかった。いや、なかったのではない。忘れていたのだ。忿怒と失望のあまり、俺の魂が痛みの苦痛を排除したのだ!


「ウンザリだ! 何がマイホームだ! テレビだ! 映画だ! ワインだ! 馬鹿馬鹿しい! 俺はいったい何をしていたのだ! クソほどに価値のないものに何を拘っていたのだ!」



 

 燃えゆく建材を見ながら俺は吠えた。頭に血は上っていたが、僅かに残った理性がこれからどうしたものかと悩みを与えた。だが。


 知るかそんなもの。


 何処いずこへ消えようが俺の勝手だ。風の吹くままに飛んでやる。



 何もかもがどうでもよかったし、何もかもが楽しかった。きっと俺は狂ってしまったのだろうが、それすらも自由が寵愛の証として俺に与えてくれた珠玉のように思えた。



 帰る場所などどこにもない。

 人間に帰るべき家など、元よりないのだ。

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