Xmath —メルセンヌの呪い—

東埜 昊

Xmath —メルセンヌの呪い—

 2017年12月25日。男はこの日を待ちわびていた。


 男は6時に起床すると顔も洗わずにワンルームの室内に干してある靴下の中に手を突っ込んだ。「よし」と漏らすとその中からくしゃくしゃの紙切れを取り出す。そこには、黒のやや太い字で 77232917 と書かれていた。


 男は急いで机の上にあるコンピューターのスリープを解除し、Mathematicaという数式処理ソフトを立ち上げて


   PrimeQ[2^77232917 − 1]


とタイプし、メモと画面の数字を交互に見比べながら念入りに確認し、満を持して勢いよくリターンキーを押す。なにか重要そうな作業をしているらしいが、画面に変化は見られない。


 壁には、しわだらけの似たような紙が規則正しく何枚も画鋲でめられている。いずれもB7サイズで、黒のサインペンで書かれたような黒い数字が中央にある。左から右に向かって2、3、5、7、13、……と続き、紙を追うごとに数の大きさは単調に増加している。色褪せ具合から、若い数字ほど古いもののようだ。よく見ると、各々の紙の左上には1968、1969、1970、……などの年号らしき4桁の数字、右下には1st、2nd、3rd、……などの序数が書かれており、筆跡は中央の黒数字とは違う。壁に留められている最も大きな黒数字は 74207281 で、左上には 2016、右下には49th と書いてある。


「頼む」


 そう言って男は両手を合わせ念じるような素振りを見せてから立ち上がり、さっき手にした紙切れをやはり壁に留める。49thのすぐ横だ。そして、机のペン立てからボールペンを取り出して、その紙面の左上に2017とだけ書いた。


 ニヤッと一瞬微笑むと男は洗面所に赴き、顔を洗ってから身支度を済ませ、冷や飯と夕べの残りである煮物を冷蔵庫から取り出し、電子レンジで温める。


 起床直後の5分間を除くとなんの変哲もないごく平凡な独身男性の一日の始まりである。クリスマスの朝、自分以外に誰もいないその部屋で男は淡々と朝食を平らげ、コンピューターをそのままの状態にして出勤した。月曜の朝ではあるが、男の足取りは軽やかだった。


 夕方6時に帰宅した男は、わんぱくな子どものように靴を乱雑に脱ぎ捨てて、急いでコンピューターの前に駆け込んだ。しかし、画面に変化は見れらない。


「……まあ、しようがないか」


 男はため息混じりにそう呟いた。男の切り替えは早く、台所に向かっては鼻歌交じりにせっせと夕飯の準備に取り掛かる。


 このようなルーチンを男は合わせて5日ほど繰り返した。


 12月30日土曜日の朝、男はあくびをしながらコンピューターを確認する。すると乱暴に指で目脂を拭い、その目をたちまち丸くさせ、まじまじと画面を見つめる。


 そこには True の4文字が表示されていた。


「やった! し、史上最大の素数の発見だ!」


 男は握り拳を作り、年甲斐もなく両腕を振り上げて鼻息を荒げた。そして男は、この前壁に留めた紙の右下に 50th! と小さく記入する。男はコンピューターの前に座ると、電子メールを打ち始める。宛先はGIMPS(Great Internet Mersenne Prime Search)である。翻訳サイトを利用しながら、不器用に英文をタイプする。


 p を自然数とするとき、 2^p − 1 の形の数をメルセンヌ数といい、その中でも素数であるものをメルセンヌ素数という。例えばメルセンヌ素数を小さい順にいくつか挙げると


   2^2 − 1 = 3

   2^3 − 1 = 7

   2^5 − 1 = 31

   2^7 − 1 = 127

   2^13 − 1 = 8191

   2^17 − 1 = 131071


であり、その一方で、


   2^4 − 1 = 15

   2^6 − 1 = 63

   2^11 − 1 = 2047


などは素数ではない。一般に、 2^p − 1 が素数ならば p も素数であることが知られているが、逆が成り立つとは限らない。また、 p の値が大きくなると 2^p − 1 の桁数は飛躍的に大きくなるので、一般にメルセンヌ数が素数かどうかであることの判定には非常に時間がかかる。事実、 p = 77232917 のとき、 2^p − 1 の桁数は 23249425 であり、それが素数であるかどうかの判定に男はまる5日を要したのであった。そして、このようなメルセンヌ素数は現時点で49個、もとい、50個しか発見されていない。ちなみにメルセンヌ素数が無限にあるかどうかは未解決問題である。


「このパソコンのスペックも限界かな。賞金の3000ドルは、iMac Proの頭金にでもしよう」


 新たなメルセンヌ素数を発見すると3000ドルが、1億桁の素数を発見すると50000ドルがGIMPSから褒賞されることになっている。GIMPSはメルセンヌ素数の発見を促進するために立ち上がった団体である。


 未発見の素数を求めることに一部の数学フリークは膨大な時間と労力をかける。素数は暗号セキュリティに活用されているから、などととってつけたような理由をつける者もいるが、実際にメルセンヌ素数などの有名な素数がセキュリティに使われることはない。結局のところ、未発見という三文字に人の感覚を狂わす絶大な魔力があるのだ。なんでもかんでも一番風呂を好む野心を持った者は多い。確かに、最初に発見・発明した人がなにかと評価される人間社会の真理がある。


 ところで、男はいかにしてこの新たなメルセンヌ素数を得ることができたのか。信じられないことに、因縁のきっかけは靴下の中である。何者かが、決まって12月24日の夜から25日の朝の間に、男の部屋に干してある靴下の中へ、メルセンヌ素数 2^p − 1 の p に相当する数字を書いた紙を入れるのである。


 一体誰がなんのためにという興味も尽きないが、50年も連続して同じことをされると、当の本人には流石にそのような疑問はほとんどなくなり、来年はいくつの数字が書かれるのかということに興味が注がれているようだ。


 50年と言ったが、それは正確ではないかもしれない。靴下の中に紙切れが入れ込まれていたことを正確に記憶しているのは男が5歳のときである。そこには確かに13と書いてあった。5番目のメルセンヌ素数 2^p − 1 の p である。翌年は17であった。どうやら男が出生してから n 回目のクリスマスに、 n 番目のメルセンヌ素数 2^p − 1 の p が書かれた紙が毎年贈られてくるようなのである。恐らく、1歳から4歳までの間にも贈物はあり、それぞれ2、3、5、7が書いてあったに違いないということは、この不自然極まりない現象のもとで極めて自然な見解であるが、残念なことに紛失してしまっている。ゆえに壁に留めてある最初の4枚は、男が自分で書いたものであり、小さく“(Maybe)”と付け足してある。


 幼少期の頃、当然ながら男はその数の法則に気付いていなかった。中学生になってようやく素数だけが書かれていることには気付いたが、飛ばされている素数もあったので、謎は深まるばかりであった。


 自分の進路も深く考えずに、成り行きで大学の数学科に進学した男は、整数論の講義を経て、どういうわけかメルセンヌ素数 2^p − 1 の p が自分に贈られていることにようやく気付いた。このことを誰かに打ち明けることはせずに、男は自分のことを特別な存在だと思い込んだ。


 男は自分になにか秀でた能力が一切ないことにコンプレックスを抱いている。字や絵が上手いわけでもない。手先が器用なわけでもない。運動神経が良いわけでもない。そんな自分に贈られるクリスマスプレゼントは神からの啓示だと本気で思っているようである。不遇な自分に対する神からの慈悲だと考えるようになったのだ。


 昔から数学は好きな方ではあったが、得意というわけではない。抽象化の進む現代数学の難解さに打ちひしがられた男は、大学生活に馴染むこともなく、目覚ましい結果を残せずに、幾多の就職活動においてもことごとくお祈りを受け、卒業してからはフリーターとして生計を立てることになった。大学まで卒業してこのような進路を辿ることに憂えもしたが、新たなメルセンヌ素数を発見するという野心を内に秘め、大逆転を夢想するようになった。


 男が22歳で大学を卒業した時点で発見されているメルセンヌ素数は31個。桁数が増えれば当然、今後メルセンヌ素数が発見されることは少なくなるだろう。


 ひとまず10年ほど待てば、自分が32番目のメルセンヌ素数を初めて発見できるかもしれない。


 男はそんなことを思い立って孤独な戦いを始める。


 しかし、思惑通りには行かず、男が25歳のときに32番目が、27歳のときに33番目は発見される。


 毎年1つ発見されるとペースが追いつかないが、2年に1回であれば、いずれ自分の発見が世界に追いつく。時間の問題だ。時間の問題。


 男はそう言い聞かせて天機を持った。


 そうは言っても世の中が思い通りにならないなのは釈迦の時代から分かりきっていた。時代の流れは科学技術、とりわけコンピューターのスペックを飛躍的に向上させ、1996年に立ち上がったGIMPSの影響もあってメルセンヌ素数の発見も加速し、毎年1つのペースになってしまった。


 それでもなお、いずれ未発見のメルセンヌ素数を手にするのは時間の問題である。そのチャンスを逃さなければよいだけだ。


 男はそう思いを馳せながら執念深く、時機を待ちながらルーチンワークを続ける。このような変化のない日々を送るようになってから、かれこれ30年近く経とうとしていた。


 2010年代になると世界は失速し始め、いよいよ男が追いつきそうになる。2017年に50歳になった男は、ようやく未発見である50番目のメルセンヌ素数を手に入れた。この数は桁数が2000万以上におよび、発見されている中で最も大きな素数としても話題性は高い。新たなメルセンヌ素数を発見したところで、3000ドル程度しか得られないが、第一発見者はWikipediaなどに名前を残せる。実は、未だかつて日本人が最初に発見したメルセンヌ素数は存在しない。


 もしそこに自分の名前が載ったらさぞかし愉快だろう。新発見の2000万桁に及ぶメルセンヌ素数だけを印刷した書籍を出版しても話題性ありだ。


 そのような妄想を思い描きながら、男はGIMPSからの返信を待った。


 GIMPSからメールはなかなか来なかった。年末だから無理もない。男はこの大発見を誰かと共有したいのだが、不幸にもそのようなことを話せる間柄の者は周りにおらず、なんとも落ち着かない三ヶ日を迎えた。


 返信が返ってきたのは仕事初めの1月4日のことであった。日本語ではおおよそ次のような内容である。


「とてもビッグなニュースをありがとう! まさか同時期に二人も50番目のメルセンヌ素数を発見する人が現れるとは! 奇しくも、12月26日に君と同じ50番目を発見した人が名乗り出たんだ。君は30日だから2番目ということになる。賞金のことを気にしていたら申し訳ない。3000ドルは彼のものだ。だけど、まだまだメルセンヌ素数の可能性は無限大だ。今後の君の活躍に期待するよ」


 男は額に溝を作りながら翻訳サイトにかけながら何度も何度もメールを読み直したが、“You are 2nd discoverer”の一文が胸の深くに突き刺さる。


 タッチの差か……しようがない。ようやく世界に追いつきそうになったのだ。このペースでいけば来年こそ!


 男は諦めずにそう願ってただ待った。だがしかし、AIやディープラーニングなどのキーワードが飛び交うようになってから、再びコンピューターの進化が、世界が加速し始めた。2018年の秋には51番目のメルセンヌ素数は発見された。2019年には新たな2つが発見された。これで男の野望は早くても再来年までお預けとなる。


 ようやく50番目のメルセンヌ素数で名声を得られるはずが、その栄光はどんどん遠のいていくのであった。60歳近くにもなって派遣労働で食いつないでいるしがない男にとって、今更退くわけにもいかず、この奇妙なクリスマスプレゼントにすがることが彼の生きた証になりつつあった。


 発見されるメルセンヌ素数の桁数も膨大となり、再び世界は失速する。2024年に発見された59番目のメルセンヌ素数を最後に不作の時代が到来したのだ。その一方で、相変わらず男への贈物は等速を保っている。


 とうとう60回目のクリスマスがやってくる2027年になった。男は、どうか発見されませんように、と毎日なにかに祈りながら、日々、下らない生活を流してゆく。


 そんな中、還暦を迎えた男を祝う者は誰もおらず、それどころか訃報が訪れる。11月に実母がついに亡くなったのである。享年89であった。


 男には大手企業に勤める弟がいた。もう何十年も会っていない。立場上喪主を務めたのは男であったが、葬儀の段取りや、諸々の費用の工面は当然ながら弟が請け負った。


 葬儀が終わり、二人きりで実家にいるとき、弟は男をこれほどの辱めはないだろうというくらい罵った。言われていることはことごとく正論だから、男は黙って頷くしかなかった。そんなときでも、12月の25日まであと何日、などと雑念が入る自分の思考に、男はどうかなってしまいそうになった。最新である59番目のメルセンヌ素数は8000万桁であり、いよいよ60番目は1億桁ではないのかと予想されているのである。すなわち、50000ドルが男のすぐそこにまでやって来ているのである。


 男はメルセンヌの呪いから逃れることはできなかったが、母の死によってなにかが変わった。いや既存のものに新たなものが加わりより複雑になったというのが正しい。メルセンヌ素数を発見して名声を得ようという下心はあるにはあるのだが、ここに来て他力本願な自分の生き様をよしとするかという思いを拭うことができないのである。


 これまでなにもせず60を迎えた自分に、生きる資格はあるのだろうか。


 禿げ上がった無様な自分の顔を鏡で見るたび、おのれが一体なにをしたいのかが分からなくなり、爪を立てて残り少ない髪をかきむしるようになる。男は自分を見失いそうになりながらも、なんとかクリスマスの贈物にすがることで繋ぎ止めようとする。男の情緒は不安定になっていった。


 2027年12月25日の朝、男は廃人のような顔をしてゆっくりと起き上がり、もはや惰性で靴下の中をまさぐる。メモには9桁の数字が書かれていた。下4桁が1777である。大数学者であるガウスの誕生年でなおかつ素数であったので、少し記憶に残った。男はパソコンを立ち上げ、操り人形のような動きでコードを打つ。


 リターンキーを叩くと、大きな溜息をつき、顔を洗ってから朝食をとり、職場へ向かった。


 その日の昼頃に、大家の三宅から連絡が来た。火事とのことだ。男はすぐに察しがついた。コンピューターの負荷で発火したのだろう、と。男は急いで帰宅したが、アパートは全焼していた。贈物の紙はすべて灰になっていた。しまったと思ったことは、今朝贈られた p の控えをとっていなかったことである。9桁であることと、下4桁の1777までは覚えている。残り5つの数字が一体なんだったかのかはまったく覚えていない。唯一自分を救うことができるかもしれない素数を失ってしまった男は、膝を地面についてうな垂れた。


 出火の原因が自分のコンピューターだと知れれば、保険金が下りるかもかなり怪しい。母親を亡くし、実の弟に罵られ、隣人には多大な迷惑をかけた。男の中で、もうこの世から消え去ってしまいという願望が極大点に達する。


 すべてを失ったかのように思えた男の人生だが、どうも予想外の方向へ因縁は働いたようである。出火の大元は男のコンピューターではなかったらしい。どうやら放火が原因で事件性ありとのことだ。不幸中の幸いであろう。


 警察からは、全焼したアパートから出てきた、天然石の位牌を渡された。母の位牌である。男はすすを布で拭き取りながらその位牌をまじまじと見つめる。すると、菩薩姿の母親のイメージが重なった。


 世にも奇妙な贈物の紙切れとコンピューターが完全に消えてしまったことによって、男は吹っ切れたようだった。自分自身に過失はなく、放火という予測不可能な事態によってこうなった。どう考えても諦めがつくのである。もしかしたら、仏となった母親が、自分の煩悩を吹き消してくれたのかもしれない。男は位牌を強く握ってそう都合よく解釈し、この事件を機にまた新たな人生を歩もうと決心付けたのであった。


 ほとぼりが冷めた頃、男の元に再び大家の三宅から連絡があった。火災保険についてのことだ。


「保険金についてなんですが、正確を期すために保険会社と直接話していただけますか?」


「分かりました」


「今、メモとれます? 電話番号をお伝えするので」


「はい、大丈夫です」


「042の」


「はい」


「XXXの」


「……はい」


「1777です」


「…………はい」


「042XXX1777。いいですか。確かに伝えましたから、絶対に忘れないでくださいよ」


 三宅はそう言って電話を切った。


<Xmath —メルセンヌの呪い— 終>

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