beautiful world.


あの日、野ばらが目覚めた。


月日は流れ、野ばらが目覚めてから五年が経った。すっかり少女が抜けて青年らしくなった野ばらは、娯楽として手作りしたチェスをしている。

相手は勿論ナンバー147だ。


「今日って、何日?」

「12月25日だ」

「私が、ナンバー147に、出会った日。お祝い、しなくちゃ」

「去年もしたが、今年もするのか?」

「去年も、したから、今年もする」


負けそうだったチェスを横に置き、野ばらは近くにかけていた上着を羽織った。どこかへ行くつもりらしい。ナンバー147も立ち上がり、その後ろへ続く。

野ばらが眠っている間はずっと、その寝顔だけを見ていられれば良いと思っていた。なかなかどうして、動いていると構いたくなるし、遠くへ行こうとすれば抱き上げて連れて行きたくなる。目覚めたばかりの野ばらはそれを甘受していたが、最近は滅法嫌がる。


「どこへ行く?」

「裏の、湧き水のところ、まで」

「あそこは凍って危ない」

「この前、美味しい、柑橘があった、の!」

「じゃあ俺が取りに行く」

「ナンバー147は、私の、ママですか?」


このやり取りは恒例となっている。以前間違った受け答えをして野ばらが怒ったので、ナンバー147はここで黙る。黙ると、野ばらはすたすたと行ってしまう。薄暗い洞窟にも慣れて、野ばらは外へと出た。

ここ数年、ロボットたちの戦争は終結を迎えつつあるらしく、殆どミサイルの音もギシギシと動く車輪の音もしない。空気が落ち着いた頃、入れ替わるようにして植物たちが根を張り始めた。

洞窟の裏には元々湧き水が湧いており、そこから緑があっという間に増えた。春までは低かった樹がもう野ばらの背丈を越えている。ナンバー147はこの五年で野ばらの伸びた身長を目測で計算した。


「10センチほどか……」

「見て! オレンジ!」

「野ばら、危ない」


ぴょん、と飛び跳ねた野ばらの腕を掴む。いや、掴み損ねた。するりとナンバー147の腕を離れて、野ばらの身体が傾く。ずるりと地面から足が外れ、そのまま凍った湖へと吸い込まれるようにして落ちていく。

コンマ数秒で、反対の手でナンバー147が野ばらの方へと伸ばす。手首が曲がる角度を大きく越えて曲がった。ぶちぶち、とコードが切れる音。

野ばらの身体と共にそれは湖へと放り込まれる。


「野ばら!」


湖は浅く、ナンバー147が抱き上げる前に野ばらは立って「冷たい……」と言いながら陸に上がる。寒いからと着てきた上着が水を含み、重くなっている。がちがちと歯を震わせて野ばらは息を吐いた。


「大丈夫か?」


傍にしゃがみ、顔を覗く。青白い顔を見て、ナンバー147は野ばらを抱き上げようとした。


「ナンバー147、手が……!」

「ああ、さっき落ちた」


野ばらはそれを聞いて、割れた氷の向こうへと視線をやる。底に落ちたナンバー147の手を見つけて、冷たい水の中へと手を突っ込む。


「……どうしよう……」


泣きそうな顔をしてそれを抱く。ナンバー147は手を受け取ってエプロンのポケットに入れた。それから野ばらを今度こそ抱き上げた。


「泣く程どこか痛いのか?」

「違う、ナンバー147の、手が」

「これはすぐに修理すれば戻る」

「でも、前みたいに、動かない、かったら」


ナンバー147はふと立ち止まり、湖の方へ戻った。嗚咽を漏らしながら野ばらは湖の方を見る。

野ばらの見つけたオレンジの実に近づく。


「取ってくれ。俺は出来ない」

「……うん」


オレンジへと野ばらが手を伸ばして取る。それを確認して、ナンバー147は再度動き始めた。

洞窟に戻って野ばらは着ているものを脱いだ。すぐにナンバー147にタオルと毛布でぐるぐる巻きにされて、ソファーの上に乗せられた。毛布の中から顔を出す。


「しばらくそうしていてくれ」

「ナンバー147の、手は?」

「修理する」


エプロンから出された手からは水が滴っている。野ばらはそれをどきどきしながら見つめた。ぞんざいにそれを振って、ナンバー147は近くの箱から工具を取り出してコードを繋ぎ始める。


「……なおる?」

「ロボットは修理すれば直る。でも人間は死んだら治らない」

「それは、生き返らない、という」


野ばらの指摘に、ナンバー147の手がすこし止まる。


「それに、私は、ナンバー147が、直せない程、壊れてしまう方が、怖い」


人の身体は自然治癒が可能だ。ロボットはそうはいかない。


「私には、治せない、から」

「それはこっちの台詞だ。野ばらが病気になったら、解体して組み合わせても治ることはないだろう」

「それは、仕方ない。私は、人は、いつか死んでしまう」

「俺を残していくのも、仕方のないことだな」


ネジを巻いてナンバー147が言った。ロボットに感情も表情もない。ということは、声色もない。いつもナンバー147の声は平坦で、変わらない。

これから先、絶対に変わらないことに関して怒りを覚えることは馬鹿だと、野ばらは思っていた。きっと先人たちも同じことを考えていただろう。

例えば、太陽が東から昇ること。地球にいる限り、悲しいことに天地がひっくり返らないことにはそれは変わらない。


「でも、ナンバー147が、私を残して、壊れて、しまわない、保障も、ない」


野ばらの泣く気配に、ナンバー147が立ち上がる。ソファーの前に跪き、その顔を覗く。目から零れた涙を、修理が終わった指で掬う。

しかし、その涙の理由をナンバー147は分からない。


「……俺は野ばらが目を覚ましたことが嬉しい。でも時間が経つにつれてそれが嬉しいだけではないと考えていた」

「うん」

「野ばらが目覚めて五年が経った。野ばらだけが年を取る」

「五歳、増えた」

「そうだな。俺と野ばらの年の差は縮まるのに、絶対に追いつくことはない」


毛布の内側から腕を出す。すっかり身体は乾いて温まっていた。

ナンバー147の頬に手を触れる。


「私も、寂しい」

「これは寂しいというのか」

「うん。でもね、私は、目が覚めて、一人じゃなくて、本当に、良かった、と思ってる」

「そうか」

「今、一緒に、生きるのじゃ、だめ?」


台の上に乗せられたオレンジが二人の会話を聞いていた。

ナンバー147が野ばらの手を握る。


「生きる?」

「うん、例えば、今から二人で、お祝いをする」

「野ばらと俺で」

「うん。だってね、ここは二人の、世界でしょ?」


一人と一体、一緒になって初めて世界になる。

ナンバー147は、嬉しいと寂しいを天秤にかける。やはり、嬉しいが勝った。くるくると変わる野ばらが、今まで変わらなかった生活に穴を抉じ開けて光を入れたのだ。

ロボットに光なんて必要はない。植物なら光合成できたかもしれないが、ばらしてしまえば鉄屑には何も意味はない。

意味はない、のに。


「サンタクロースは毎年一回しかやってこないのに、野ばらはどうして」

「どうして?」

「俺に沢山の物を与えてくれるんだ」


野ばらはナンバー147の顔を抱きしめた。未だ平たい胸に、ナンバー147の顔が埋まる。薄い皮膚と骨の感触。下を流れる血管の音を拾って、野ばらの体調がいつも通りだと確認した。


「私、物は、あげられない」

「見えない物だ。サンタクロースには与えられない」

「じゃあ、きっと、私、あげてない」


ゆっくりと首を横に振る。

ナンバー147が顔を上げる。隣に座り、野ばらの肩に毛布をかけ直した。


「ナンバー147、勝手に、貰ってたの」

「勝手に? それなら、返さないとならない」

「ううん、ずっと、持っていて」


野ばらが笑う。それからナンバー147の手を握る。


「分かった。ずっと持っている。俺が壊れるまでずっと」

「約束ね、約束」


その年の聖夜、オレンジを二人で分けた。勿論ナンバー147に消化機能はないので食べることは無かったが、その分は野ばらが食べた。

夜に野ばらが熱を出したので、ナンバー147が隣でずっと介抱していた。野ばらの苦しそうな寝息が聞こえなくなり、ナンバー147はその顔に手を添えた。


「……世界が、こんなに美しいなんて」




世界のはなし

20181202

END.


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世界のはなし 鯵哉 @fly_to_venus

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