第4話 すべてを流しつくす、雨
その日の雨は、高層階のビルとビルをつなぐ渡り廊下に降っていました。
渡り廊下は全面ガラス張りで、たいへんに見渡しのよい廊下でした。でも雨降りのその日は、グレイに煙った街の様子がぼんやりと見えるだけでした。
西側のビルから彼が。そして東側のビルから彼女が歩いてきました。
ふたりが交際関係を解消してから、半年が経っていました。
ほかに人のいない、その雨に煙るガラス張りの渡り廊下を、ふたりはまっすぐ互いに向き合うように歩いてきました。ふたりはすぐに、たがいに気づきました。そして彼が、書類を持った片手を上げました。彼女も小首をかしげ、彼の挨拶に答えました。
「テンプレートの実装って、終わった?」
「もうすぐよ」
ふたりは今でも同じチームで仕事をし、毎日のように顔を合わせていました。だから、こうしてすれ違っても、そんな風な仕事の会話が出るのは当然でした。
ふたりが交際を始めた頃は、こんな時にはきっと、ふたりだけの会話を交わしたことでしょうに。あるいは人目をはばかって、小さく口づけることだってあったかもしれません。
けれどもいま、ふたりが交わすのは、そんな業務連絡のみ。もうふたりの間にあの頃のような時めきはないのです。
ふたりが関係を終わりにしたとき、どちらともなく約束したわけではないのだけれど、仕事場では何もなかったように振舞うことに決めていました。だって当然です。誰にも内緒でお付き合いをしていたのですから、いまさら感情を
もちろんどちらも、お別れした当初は、そのやりづらさに辟易しました。でも、配置展開願いや部署移動の申請を出せるような大きな会社ではありませんでしたから、彼ら自身のどちらかが会社を辞めない限り、彼らは毎日顔を合わさざるを得なかったのです。そして、それぞれの家庭に住宅ローンだの生命保険だのを抱えていた彼らは、婚外交渉が破綻したからといって、勤めを辞めることなどできなかったのです。
というわけで、彼らは感情を一切表すことなく関係を解消し、もともとの同僚に戻りました。そして心を閉ざして、普通の仕事上の付き合いをつづけました。
最初の違和感は、日々加速していくプロジェクトの進行と責任の重さに、あっという間に消え去り、いまではまるで何事もなかったかのように話のできる、ふたりになりました。
そう。
誰もいない雨の渡り廊下ですれ違っても、振り返ることすらない、軽口を叩いたり、ふたりだけのささやかな冗談を伝え合ったりすらしない関係に。それはまさしく、大人の恋の物語りでした。
誰かに迷惑をかけることなく始まり、そして燃え上がり、やがて消える。消えた後は、当事者にとってさえも、過去のこと。時の波にさらされて、色をなくした記憶。乾燥した、過去の出来事になりました。
大人の恋、って、なになのでしょうか?
このふたりの物語を通して、あなたはなにを感じますか?
あんなにキラキラと輝いた、南の島のあたたかい雨は、やがて、いつもの鬱陶しい都会のありふれた雨に変わりました。
大人とは、恋さえも、そんな風に消費し、整理してしまえるような存在なのでしょうか?
それとも、時めきさえあれば、他の何もかも(たとえばお仕事や家族)を犠牲にしてもよいものなのでしょうか?
雨は、今日もどこかで降り続いています。
想い出も悲しみもすべて流しつくした後に、いったいなにが残るのでしょうか?
それは誰にもわからないのです。
誰にも。
すべてを流しつくす、雨 フカイ @fukai
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