7. The Web
「今回の事件、ポールソン容疑者の動機は何だったんでしょうか」
「はい。警察の発表によりますと、被害者の男子生徒はMCPで実行する殺人へ容疑者の協力を要請したようです。しかし容疑者はそれを断り、激高した被害者が容疑者との交際を学校にばらすと脅したため、かっとなって殺害したと自供しているとのことです」
「はぁ、結局これもMCP絡みだったってことか。ワイドショーの言うことだからどこまで信用できるかわからないけどな」
寒月先輩が視線をテレビから外して、お冷をあおった。外はもう夏の気配を感じる空気になり、太陽の光を反射する街路樹の緑がまぶしいくらいになっていた。でも私たちがいまいる店内は程よく冷房が効いていて暑くはない。
事件から二週間ほど経ったこの日、私は寒月先輩と喫茶店に来ていた。長瀬先輩に教えてもらった例のお店、『パラダイスの針』だ。寒月先輩はあまり外に出そうなタイプではないと思ったので、パフェがおいしいお店だという出まかせで連れ出した。いままでのお礼を兼ねてごちそうすると言って。この喫茶店にパフェがなかったらどうしようと内心戦々恐々だったけど、メニューを見ると結構豊富でよかった。
ちなみに寒月先輩はパフェだけだと釣り切れなかったので、栞に教えてもらった「店員の一人が儚げな美男子ですよ」という情報でダメ押しした。なんなんだ儚げな美男子って思ったけど、先輩はその一言で渋々という雰囲気を装いながら首を縦に振った。千海のことといい、この人結構面食いなんじゃないだろうか。
店内に客は私たちしかいなかった。休日の昼過ぎという、喫茶店が一番込み合いそうな時間帯でこの客入りなので、単純に流行っていない店なのだろう。内装は重厚な雰囲気で、老齢なマスターが経営してそうな純喫茶の趣もあって私は好きだけど、学校帰りの高校生にはいささか敷居が高いかもしれない。
私たちは窓際にあるテーブル席に腰を下ろしていた。木製のテーブルは色が深く年代物だろうと思わせられる。椅子もクッションがふかふかで座り心地はいいけど、重さがあって寒月先輩のために椅子をどかすのはちょっと難儀だった。机の上には手書きのメニュー。メニューの文字は丸っこい文字で書かれていて、その可愛らしさが店内の空気から浮いているようだった。
「あら、ごめんなさい。テレビのチャンネル、ワイドショーになってたわね。趣味じゃなかったら変えましょうか?」
店のカウンターから、背の高い女性が出てきた。艶っぽい黒髪を細く畳んだバンダナで縛ってポニーテールにしている。二十代後半か三十代前半くらいだろうか。深い緑色の生地にデフォルメされたブドウが白く染め抜かれたエプロンをつけている。若々しい外見に老成した中身を無理に詰め込んだみたいなちぐはぐした感じがあった。だけどおっとりした笑顔は綺麗で、女性の私も見とれてしまう。栞が言っていた美人のオーナーさんってこの人のことかな。
寒月先輩は不躾な目線で女性を観察して、首を振った。
「……いやこのままでいい。普段見ないせいかワイドショーも見てて案外楽しい」
「そう。じゃあ、ご注文は決まったかしら」
「私はオリジナルブレンドを」
「じゃああたしはアイスカフェオレとチョコバナナパフェをセットで頼もう」
寒月先輩の声は平静を装いつつ、明らかにテンションが上がっていた。どうかこのお店のパフェが絶品でありますようにと私は心の中で祈る。オーナーさんは注文を取ると再びカウンターの奥へと引っ込んでいった。
壁に設置された、埃まみれのテレビから声が聞こえる。
「しかし学校で教師が殺人事件とは、怖い時代になりましたね」
「学校の安全対策が急がれます」
「はっ、白々しい大人どもだな。その前に起きた三つの事件のときは報道もなかったくせに」
「MCPで発生した事件については緘口令が敷かれているみたいですね。報道が出来ないって……田淵先輩の話ですけど」
「けっ」
先輩は緘口令云々よりも田淵先輩の名前が出たのが気に食わないのか、吐き捨てるように言った。手持無沙汰そうにおしぼりを弄っている。ワイドショーは話題を変えて、東京でパンダの赤ちゃんが生まれたというニュースを伝えていた。名前を募集するらしい。
「ところで、千海と栞はどうなったんだ? ちゃんと仲直りしたのか?」
寒月先輩は空になったお冷のコップを、指でこつこつ突きながら聞いてきた。コップの外についていた水滴が、先輩の小さい指を濡らした。
「あぁ……それは、まだ微妙です。栞はもう気にしてないみたいなんですけど、千海の方が相変わらずで」
「そうか。あいつめ、思いのほか小心なところあるよな。あたしたちナンパしたくせに」
「ナンパっていうか、勧誘でしたけど、そうですね」
あのときの立て板に水をする度胸があるなら、栞との仲直りなんて難しくなさそうなんだけど、きっと本人なりに引っかかるところがあるのかもしれない。こればっかりは二人の問題だから、私が外野からどうにかできる問題じゃないだろうけど。
思えば、あの二人も直接ではないにせよMCPに狂わされたのだ。MCPがなかったら千海は栞を疑わずに済んだし、栞もそのことで傷つくことはなかった。
自主性の涵養か。ろくでもない。
「思えば相田の奴もあまり学校で見なくなったしなぁ」
「相田先輩……五月の事件で、金沢先輩と一緒にいた」
「あぁ。同じ部活だし、仲良かったらしいからな。友達が死ぬのも嫌だが、そばで一緒に過ごしてた奴が殺人犯ってのもきついよな」
「そう、ですね……」
殺人事件の最大の被害者は殺された人たちだ。須藤樹里、芽山喜望、坂上翔太、そして安西美亜。だけど死んで終わりというわけでもない。死んだ人の友人も、殺した人の友人も無関係でいられない。
「お待たせしました。オリジナルブレンドとアイスカフェオレ。セットのパフェはもう少し待ってください」
落ち着いた男性がトレイにカップを乗せて運んできた。少しやつれた若い男性。オーナーさんと同じ色のエプロンを着けている。柄はブドウではなくて雪の結晶だった。
この人が栞の言う「儚げな美男子」かな? 確かに儚げではあるけど、美男子というにはちょっと老けているようにも見えた。年齢は私たちと大差なさそうだけど、大きな病気を経験したみたいな、世の中から浮いた空気をまとっている。
私は彼からカップを受け取って、コーヒーにクリームと砂糖を混ぜる。真っ黒だった液体が茶色になり、スプーンでかき回すと香りが広がる。寒月先輩もグラスを受け取ってストローを突っ込み、ずずずと音を立ててカフェオレを吸った。
品物を届けた青年は、さっきのオーナーさんみたいにすぐにカウンターへ帰っていくかなと思ったけど、しかしそうしなかった。寒月先輩がテーブルへ着くためにどけた椅子を持ってきて、私たちのそばに腰かける。先輩は警戒するような目で店員を見つめた。
「……なんか用か?」
「用事があるのは君たちの方だと思ったんだけどね。赤崎高校の寒月縁さんに、エマ・オールドマンさん……でいいよね?」
「えっ、なんで……」
私はカップをおいて、店員を注意深く凝視する。いまの私たちは制服も着ていない。車椅子に金髪といういくら目立つ外見でも、離れたところにある学校の生徒をこの人が知っているとは到底思えなかった。じゃあどうして? 彼は私たちを、古くからの友達みたいな風に眺めていた。こちらへの警戒も、逆にどうにか取り入ろうとする下心も見えない。
よく言えば冷静。悪く言えば投げやりというか自暴自棄というか、そんな印象だった。自分へ向かって何が来てもかわさずにそのまま受け止めて、場合によってはそのまま死んでしまいそうな、どっしり構えているのに頼りない姿勢だ。
「……ナンパじゃないよな」
「残念。僕は既婚者だから」
彼は首にかかっていた細い鎖を指で弄る。その鎖は飾りのない銀色の指輪に通されていた。婚約指輪にしてはいささかチープな見た目でくすんだ色の指輪だ。
私は栞から聞いた話を思い出していた。
「あの、もしかして去年の」
私の言葉で、寒月先輩も察したように目を見開く。店員も軽く頷いた。
「そうだ。僕の名前は
紫崎と名乗った男は、鎖から指を離す。指輪はエプロンの上に落ちた。
「完全犯罪を成し遂げて一億円を手にした男だ」
MCP:クラスメイトを殺して1億円 新橋九段 @kudan9
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