メリークリスマス。クソったれ!

 昏睡こんすいした泥の底に落ちた夢の中、バイロンは夢を見ていた。

 随分昔、おぼろげな記憶の中でバイロンにも子供がいた。

 妻は流行病で既に死んでしまい、バイロンは冒険者稼業でどうにか子を養う父親になろうと躍起だった。

 だが、その子はバイロンの不注意で河に落ちて死んでしまうのだった。

 バイロンはその時、死のうと思った。

 同業者の冒険者から、お情けで一杯の酒をもらった。

 全てを忘れ許せてしまうほどにその一杯に痺れてしまった。

 バイロンは、飲み干すまでは生きようと思った。

 そして、現在に至るのだった。

 今となっては、バイロンは落ちるところまで落ち、この一杯のために働くのか、働くためにこの一杯を飲むのか分からずじまいの人生だった。

 我ながら、救いようがない男だと悲観し何度か自殺を試みたことも一度や二度ではなかった。しかし、その度に生への執着とそれ以上に生きて酒に酔うことへの強烈な欲求にバイロンは遂に抗えなかった。




「気が付いたかい?」

「ふぉふぉ、一応心配したぞい」

「たっ、大将が気付いたならこれで全員だ」

 何か、随分長い悪夢から覚めた気がする。鈍い痛みを引きずるような自身の唸り声でバイロンは目を、重い瞼を開けた。

「おお、お前らも無事だったかぁ!」

 開口一番、バイロンは自身の顔を覗く仲間たちの無事を素直に喜んだ。

「うえぇぇ、酒臭っさ」

「ホント、最悪だわ」

「酒の匂いは好きでも、飲み助の臭いは勘弁じゃ」

 喋った瞬間これである。

「テメェらお互い様だ!バカヤロー!!」

 バイロンは憎まれ口を叩いて上体を起こす。すぐ脇に、窓があり見慣れた風景が目に入る。どうやら、ここは「アルコール王とその宰相亭」の二階でベッドに寝かされていたのだとバイロンも合点がいった。

「いてて……で、ところでこれはどういうことだ。一体どうなってる?」

 バイロンは改めて痛みに顔を歪ませる。自分の体を確認してみるとそこら中包帯で手当てされているのだった。

 冒険者相手の酒場の二階は、宿屋や病院を兼ねることもある。自分は怪我をしてここに運び込まれた。

 そう、思い出した。旧伯爵家の酒蔵に仲間と共に赴き、そこでアル中を喰らう化け物「アル中イーター」と闘って、それから――――

 そこまでバイロンが思い出して、ドカドカと大人数の足が木でできた階段を軋ませる音が聞こえてくる。

 バイロン以外の仲間たちがバツの悪そうに顔を伏せる。よくよく見れば仲間たちも顔や腕に湿布や包帯で傷の手当てを既に受けている。

 何から何までが夢で現実か、バイロンは歯ぎしりをして腕の付け根の傷を抑えた。

 酒が引いて、寒さと傷の痛みが体にのしかかる。

 これ以上ないくらいに現実的な感覚だった。

「お目覚めですかな……」

 慌ただしい足音が止むと、聞き覚えのある厳かな声がバイロンの頭上に響いた。

「店主か……」

 背筋をピンと伸ばし、バイロンを見下ろす店主の顔は彫像のように固く青みの勝ちすぎた瞳はより冷徹に見えた。

 店主の後ろには、一様にいきり立った同業者である冒険者たちがバイロン達四名を睨みつけている。

「まったく、酒蔵で勝手に酒盛りした挙句に火遊びかよ」

「その上、酔って仲間内での乱闘騒ぎとはな。冒険者の恥さらしめ」

「今夜はめでたいクリスマスだってのに、お前らのせいで消火活動に駆り出されてこっちは踏んだり蹴ったりだよ」

 侮蔑を込めて投げられた言葉のお蔭でバイロンはようやく自らの状況が呑み込めた。

 全て、酒の見せた幻想だったとでもいうのか?

 酒によって仲間同士で乱闘し、酒蔵に火を放ち、挙句火事を聞きつけた冒険者たちにここまで運び込まれた。

 そういうことになるのだろう。つまり、あの死闘も……

「まぁまぁ皆の衆、良いではないか。クリスマスに死人だけは出さなかったのだ」

 店主は後ろに振り向くと、口ぐちにバイロンたちを非難する冒険者をなだめてみせた。

 再び、店主がバイロンに向き直るとやはりそこには冷徹な顔の男がいるのだった。

「もっとも今宵こよい、あなたにメリークリスマスとは言ってあげられないのが、残念ではありますがね……バイロン・バーンズさん」

 店主の横には、黒いローブをまとった怪しげな人物が佇んでいた。バイロンが、つまりこれからどういうことになるのか、陰気そうな顔をバイロンに向けて低く嘲笑う様はまるで死神である。

 何の皮肉か、「アルコール王とその宰相」というこの酒場の看板そのままの風景を、バイロンは目にしている気がした。

 奴隷が欲しい人買いか、生贄いけにえの欲しい黒魔術師か、どちらにしてもバイロン・バーンズの人としての人生は終りを迎えようとしていた。

 仲間たちも、それを知ってかバイロンの顔を直視できずに一様にうなだれている。

「へへっ、ヒデェもんだ……」

 下の階で酒場の戸を勢いよく開ける音がした。かと思うや、またしても慌ただしく階段を駆け上る音が響く。

「いてっ!」

「おい、押すな!」

「いきなりなんだ!」

 よほど急いでいるのか、その人物はやじ馬でひしめいている階段の数人と、ぶつかりその場に混乱が生じた。

「すいません。ぜーはーぜーはーっ」

「おいおい、大丈夫かね。お嬢ちゃん」

 店主が後ろを振り向き、にこやかな笑顔でも浮かべているのだろう、穏やかそうな口調でその人物に立ちはだかっていた。

「ぜーぜー。ちょっと、どいて……どいて、もらえます!」

 乱入者である少女は息を切らし満身創痍まんしんそういながらも、立ちはだかった店主を邪険じゃけんにするような声色でいてもたってもいられないようだった。

 バイロンからは乱入した少女の顔など見えないが、このめでたい時期にこれ以上の訃報ふほうをもたらしそうな剣呑けんのんさが嫌になった。

 少女の態度が余りに不躾ぶしつけなのが気にくわなかったのか、店主は肩をいからせ腕組みして見せ、途端に態度を厳しくしていた。

「どういうことか知らないが、まず要件をうかがおうか。私は、この酒場を経営するメイナード・ホーリスだ」

「こ、ここに……バイロン・バーンズって人がいるって聞いたんですけど?」

 少女は、あらくれ冒険者をまとめるギルド長でもあるこの男を前に臆する様子もなく呼吸を整えながら一字一句はっきりと言葉を伝えた。

 少女の言葉の意味を捉えるのに、その場に居合わせた全員がしばらくの間呆けていた。

「バイロンの豚野郎なら、ここに……」

 僅かな沈黙の後、野次馬冒険者の一人がおずおずと指をさす。

 当のバイロンは、何もかも諦めきった表情で厄介な乱入者を一瞥いちべつする。

 少女もまた冒険者の端くれなのか、厚い皮外套がいとうの旅装に細剣を腰に差していた。

 意志の強そうな青い目、張りのある肌、艶やかな長い金髪を後ろに束ねた健康そうな溌剌はつらつとした少女だった。

 少なくとも、バイロンは他にこの酒場以外でツケや借金なんかした覚えはないので、その手の追手ではないと分かってはいた。

「あの、お嬢ちゃん。一体どういう……」

 先ほどの、威厳などどこかに行ってしまった店主が委縮してたどたどしく少女に問い直す。少女は一呼吸おいて右手を胸に添えるとうやうやしく頭を下げた。

「先ほどは失礼しました。私は、名をエマ・バーンズと言います。バイロン・バーンズは……私の父です」


「へ――――?」


 おそらくは、店主だけではなかった。バイロンと共に戦った仲間たちも同様に、間の抜けた声を発していた。

 当のバイロンは、神妙な面持ちで少女の顔に釘づけになっている。少女は、バイロンを睨み歯を食いしばりながら、その澄んだ瞳に涙をため込んでいた。

「ああ、ようやく分かったぜ。これが大酒飲んだ報いってやつだ」

 まったく、これほどまでに飲んできてようやくこの程度の教訓を得るとは我ながら情けなくなる。バイロンは、むくれた両手で顔を覆った。


 ――――つまり、あれだ。酒とは酔いたい時に限って酔えないものなのだろう。


「俺は、遂に……死んじまったってやつか。しかし、俺みたいな飲んだくれが天国に行けるはずもないし、つまりここは地獄なんだ!」

 バイロンはヤケになって頭を掻きむしった。

「もう、いつまでくだ巻いてんのよ!しまいには本当にシバくわよ!」

 エマは涙を抑えきれず、ベッド上のバイロンに駆け寄ると襟首えりくびを引っ張っては勢いよく揺する。

「うおぉ、痛ぇし……苦しい!分かった、分かったから……これは現実だ。認める。良く生きていてくれたなエマ」

「バカっ、バカ親父!私は……私はずっと忘れてなかったのに……こんなに私に心配かけて……うわあぁぁ!!」

 エマは、遂に今まで封印してきたのであろう涙と感情をロクデナシの父親にぶつけた。


 それから、事態の推移を黙って見守るしかなかったエマとバイロン以外の全員に、二人からことの真相がポツリ、ポツリと話されていった。

 バイロンがまだアル中ではなかった時、立派な淑女と結婚しエマという娘を設けていたこと。

 かつて、エマが幼かったころバイロンが目を離した隙に川に転落してしまったこと。

 そして、バイロンが娘は自分のせいで死んだと酒に逃げていた時も、エマは川の下流の河畔かはんにある女子修道院で育てられ、育ちざかりになってから父親を探すため冒険者になり、流浪の旅を続けていたこと。

 それから先は、各々紆余曲折おのおのうよきょくせつの冒険があったにせよ二人の関係を語る上では大して重要でもなく、エマが冒険者になって三年目にしてようやく父親と再会した今日のクリスマスに至るということであった。

「あの、借金は必ず返します。だから、こんな救いようのない父でも今は許してやって下さい!」

 ここまで語り終えて、エマは感情の全てを出しきったのかつつましやかに頭を下げて店主にひざまずいたのだった。

「いや、しかしそうは言ってもね……」

「ツケの代金は、必ず私が払いますから。私は父を真人間にするために来たんです」

「ううむ……」

 冒険者ギルドの支部長でもあるメイナード・ホーリスは、冷徹に徹することで荒くれの冒険者たちを束ねてきた。その手前、エマに同情しつつもここで折れては立場上示しがつかないと思案し、眉間に皺を寄せているようだった。

「ギルド長、その……バイロン大将を、今日だけは許してやってくれませんか?」

「同感だね。飲んだくれのバカ親父はともかく、この娘が可哀相かわいそうだよ」

「クリスマス最後の徳積みだと思って、寛容な大赦たいしゃを!じゃよ」

 バイロンの仲間であった三人に続き、先ほどまでバイロンたちを非難していた他の冒険者までが、「そうだ、そうだ」、「バイロンは豚野郎だが、この娘は天使だぁ」などいう、言葉が聞こえるにつれ、メイナードの冷徹な心根も遂に折れつつあった。

「クソッ、神はどうやら……今日と言う日に、救いがたいアル中共にも祝福をお与えになったようだな!」

 盛大にため息を吐いて、店主は精一杯の当てつけのように肩を上下させる。

「バイロンさん。本当に今日がクリスマスだってことに感謝すべきですよ、あなたは……メリークリスマス。クソったれ!」

 メイナードが忌々いまいましく階段を下りて行くと、すでに酒に酔ったお調子者の冒険者たちは「めでてぇ、めでてぇ!」などと、演劇のフィナーレでも喝采するかのようにけたたましい拍手を存分に二人に送ったのだった。

「パパ!」

 エマが、バイロンの胸元に飛び込みきつく抱き着く。

 何がどうあれ、今宵一つの親子が救われた瞬間であった。

 エマが飛びついた衝動で、バイロンの上着の中から小さな塊がこぼれ落ちた。何か小さな文字が書かれた紫水晶の欠片だった。

「ああ、俺としたことが思い出したぜ」

 ようやく、バイロンは暖かい涙を流せた。

 紫水晶はとある異国では「アメジスト」とも呼ばれている。

 そして、アメジストには悪酔いを覚ます以外にもこんな伝承があるのだった。愛の守護者としての伝承も持つ高貴な宝石である、と――――




 後日、焼け残った酒蔵の床下から故伯爵が脱税のため隠し持っていた大量の金貨が見つかったと、この地の年代記作家は記している。

 冒険者ギルドの法に基づき、伯爵の膨大な隠し財産は酒蔵を攻略したバイロン・バーンズ、エヴァン・グリーンウッド、セルマ・アヴァロン、ローランド・ベイツの四名に均等に相続された。バイロンはツケを払い、十二分に有り余った大金を手にして娘のエマとともに故郷へと帰っていった。その他の面々も、概ね人生をやり直すことに決めたようであった。

 このバイロンたちの一件は、この地で起きた「クリスマスの奇跡の幸運」として有名になったことは言うまでもない。

 がそれ以上に、このクリスマスの報酬が数か月後には、四人共に見事に酒で消えていったことは言うまでもない。

 そして、今度という今度は許さないとばかりに激烈なエマの鉄拳制裁と折檻せっかんに根を上げたバイロンは、今度こそ改心すると言って頭を丸め旅の修道僧になってエマから逃げていったそうである。

 書物はそう伝えるが、さすがにこれは物語に悪酔いした年代記作家たちの悪意なき創作であると思われる。

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アル中クエスト あるいはクリスマスの奇跡 紫仙 @sisen55

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