第五話 最終話 図書館ぐらし

 しばらくすると兄様は、意を決したように妾を強く抱きしめてくださいまさした。そして、おっしゃったのです。せめてもの罪滅ぼしに、お前のやりたいようにしてやると。

「本当でございますが! 妾のお願い、聞き届けてくださるのですね……」

 兄様は、力強くうなづかれました。

 退院してからずっと、泣いてばかりの毎日でした。涙などとうに枯れ果てたと思っておりましたが、兄様の優しさに触れて再び涙がにじんでまいりました。

「最後の思い出にどうか、お情けを頂戴できませんでしょうか。兄様に抱かれたまま、旅立ちとうございます……」

 兄様の両手をとり、そっと妾の首へと導きます。

「どうか妾を抱いたまま、天国へ送ってくださいまし。そして妾が事切れたなら、どうか妾を……どうか妾の首を……」

 妾は、この後に続く言葉を、つなぐことが出来ませんでした。こんな願いは、口に出すことすらはばかられます。こんなことを、兄様にお願いしても良いものかどうか……。言いよどんでおりますと兄様に急き立てられ、意を決して申し上げることにいたしました。

「……どうかこの首、切り落としてくださいまし」

 突拍子とっぴょうしもない願いに、さすがの兄様も絶句しておいででした。腕の中に居りましても、困惑の表情が伝わってまいります。

むごいお願いであることは、承知しております。でも、このお顔で旅立つのは嫌でございます。バッグにナイフが入っております。どうか……後生ですから、どうか……」

 煌々と照る月が、返答にきゅうする兄様と、腕に抱かれたままの妾を照らし続けておりました。腕の中から兄様のお顔を見上げますと、声も上げずに流れ出る涙が、月の光にきらめいておりました。


 やがて兄様は涙に濡れたまま、妾の顔の傷ひとつひとつに沢山の口づけをしてくださいました。お言葉はございませんでした。ただただ、沢山の口づけをくださったのです。

 兄様の唇が、あの頃と同じ優しさで妾の唇に重なります。そして耳朶みみたぶを吸い、舌先が首筋へと這い、両手が着衣と素肌の間へ滑り込んで参ります。

 唇を吸われ、躰中をまさぐられ、思わず熱い吐息が漏れてしまいました。欲情のままに互いをこすり合わせ、むさぼり合い、与え合ううちに、妾は此処が図書館であることも忘れ、みだらな声を上げ続けていたのでございます。

 荒らかに突き上げられる快楽に泣きすがり、妾は血がにじむほど強く爪痕を刻むのでございます。それに応えるかのように兄様は、けだもののように激しく妾を突き上げるのでございます。


 高まりゆく快楽の中、兄様の両手を自らの首へと導きました。

 程なくして絶頂を迎え、妾が大きくると同時に、兄様の両手に力がこもります。血流がき止められ、しばらくすると意識が遠のきました。やがて兄様の腕には更なる力がこもり、呼吸までもが堰き止められたのでございます。

 快楽の余韻よいんによるものか、はたまた窒息によるものか……妾の躰が幾度も波打つように痙攣けいれんいたしました。やがて波は収まり、操り人形の糸が切れるかの如く躰中から力が抜け、妾は事切れたのでございます。

 しかし事切れてなお、兄様の両手は妾の首から離れることはございませんでした。なおも強く、首を締め続けいらっしゃったのです。

 どれくらいの時間が経ったでしょうか……。兄様は夢から醒めるかのようにようやく自分を取り戻し、きしむ両手を首から外されました。そしてしばらくの間、温もりを失いゆく妾を見下ろしていらっしゃったのでございます。


 やがて兄様は妾のバッグから、小さなナイフを探り出されました。

 膝立ちに妾の体をまたぎ、ナイフを手に身じろぎもせずにたたずんでおいででした。躊躇ちゅちょしていらっしゃったのだと思います。実の妹をあの世へ送り、あまつさえ首を切り落とそうというのです。ためらいが在って、当然でございます。

 やがて兄様はゆっくりと、妾にナイフを突き立てたのでございます。ナイフの刃先が、静かに妾の首へ沈んでまいります。しかし首を切り落とすには、あまりにも小さいナイフでございました。繰り返し肉を切らねば、成し得ることは叶いません。

 泣き濡れながら肉を裂き……嘔吐しては腱を断ち……口元を拭っては筋を切る……いったい何度繰り返されたことでしょう。ようやく震える両手で骨を外し、兄様はやっとの思いで事を成し遂げてくださったのです。


 切り離した妾のこうべいただきながら兄様は、気がれてしまったかのように笑い続けておられました。まるで月に捧げる供物くもつであるかのように、妾の頭を高くかかげながら……。

 兄様の両手に抱かれた妾の顔は、本当に綺麗でございました。月明かりに照らされた傷だらけの顔は、自らの鮮血と兄様の吐瀉物としゃぶつまみれてヌラヌラと美しく、そして妖艶ようえんに輝いていたのでございます……。


 ……さぁ、これで妾のお話は、お終いでございます。

 此処で事切れて以来ずっと、妾は図書館で暮らしているのです。

 この場所に……専門書立ち並ぶこの一角に、並々ならぬ思い入れがあったせいでございましょうか。天国へ昇ることは叶わず、すっかり此処に囚われてしまいました。


 長いお話しでしたでしょ?

 今日も最後まで聞いてくださって、とても嬉しいわ。


 でも、これをお聞かせするのは、もう何度目になるのかしら……。

 いえ、よろしいのよ。このお話は、妾も大好きなのですから。だってこの話だけは、静かに聞き入ってくださるのですもの……。


「ねぇ、兄様。まだ正気には、お戻りになりませんの?」


 ……やはりお返事は、いただけないのですね。

 狂乱のうちに、妾の願いを聞き遂げてくださった兄様。後を追って一緒に旅立ってくださるだなんて……妾は本当に嬉しかったのよ。


 天国で一緒になることを夢見ておりましたが、二人して此処に囚われてしまいましたね。

 でも、妾は幸せですの。念願叶った思いでございます。だって図書館は大好きですし、何と言っても兄様と、ずっと一緒に居られるのですから。


 どうぞこれからも、一緒に居てくださいまし。

 何処へも行っちゃ嫌よ。

 ずっとよ。これからも、ずっと一緒よ……。


(了)

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図書館ぐらし~または妾は如何にして耐えるのを止めて此処に囚れるようになったか からした火南 @karashitakanan

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