命短し恋せよ乙女【文フリ東京サンプル】

六花 ちづる

命短し恋せよ乙女

〔〇一三〕


 愛しい人に届くことのない恋文を、今日もまた書き綴っている。もはや習慣、日記、或いは独白のような、身勝手な欲に塗れた言葉の数々。何に許されたいのかもわからないけれど、とにかく自分の中に溜まりに溜まった想いというものを、どうにかして吐き出さないと、平気な顔してやっていられないほどには。

 渡す勇気なんてないくせに、重い想いを綴った便箋だけが増えてゆく。鍵付きの引き出しにもそろそろ入りきらないかもしれない。なんたって年季の入った想いだった。幼い頃からずっとその背中を追いかけていた、とうとう気付いてはもらえなかったけれど。誰にも教えていない想いを、自分くらいは大切にしていたかった。文字を覚えたての頃に書いたような拙いものだって、ただの一枚も捨ててはいない。伝えることすら憚られるような、膨大な愛。わたしだけがとっくに溺れている。

 自分から何をする勇気もないくせに、こうしてもがいていれば、今にあなたがこの腕を掴んで引き上げてくれるんじゃないかという、幼い頃に見た夢。絵本のお姫様を夢見たわたしに、なれるよって言ってくれたのはあなたでしょう。息が続かなくなる前に、どうか助けに来てください。


――筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる(陽成院)




〔〇三八〕


 大人になったら結婚しようね、だなんて。そんな子供の戯言を、本気で信じていた訳では無かったけれど。年を重ねるにつれて少しずつ開いていく距離を、寂しくないと言ったら嘘になる。心のどこかで信じていたいと願っているのは、最早信じていたのと同じだと気付いてしまったのも、最近のことではない。

 指切りげんまん、嘘をついたつもりなんかじゃなくて。ええと、彼は忘れちゃっただけなんです。きっとあの時は本気で信じていたんです、だから。大人の醜い言い訳を、神様は聞き入れてはくれないだろうか。神様に誓ってしまった可哀想な彼。罰を受けてしまうのだろうか、針を飲まされてしまうのだろうか。

 いつまでも愛してもらえるなんて思ってもいないけれど、彼がもうわたしのことなんて忘れてしまっているのもわかっているけれど、そんなことはどうでもよくて、ああ、神様ごめんなさい、やっぱりわたしも嘘をつきました。子供の頃の戯言に、まだ縋り付いています。まだ彼のことが大好きだ。


――忘らるる 身をば思はず 誓いてし 人の命の 惜しくもあるかな(右近)




〔〇五六〕


 人間、自分の限界というものは、案外きちんとわかるようにできているのだ。自分が他人とは違うということも、もうだいぶ前から理解していて、今更運命を嘆く気にもならない。達観していると言われても、だってそうするしかないだろう、と思う。泣き喚いたところで、神様は待ってくれやしない。

 もう視界はだいぶ霞んでしまっていて、両腕も純白のシーツに縫い付けられたように動かない。あとは最後の来訪者を待つばかり。看護師さんに頼んで代わりに打ち込んでもらった、たった五文字のメッセージ。愛されているという実感を、幸せだと胸を張って言える自信を、そして真っ白な部屋に溢れんばかりの極彩色をくれた彼は、きっと神様より早く到着する。

 ああほら、足音が聞こえる。病院は走っちゃだめだけど、今日だけはどうか彼を咎めないであげてほしい、世界で一番幸せなわたしのために。あと三十メートル、二十メートル、十メートル、五メートル、よん、さん、に、いち、扉の開く音。

 力を振り絞ってなんとか腕を持ち上げる。全てを察して近寄ってくれる大好きな人、指先に触れた柔らかい頬の感触と、骨ばった手にそっと重ねられた震える体温。おやすみ、囁かれた声にゆっくりと目を閉じた。


――あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな(和泉式部)



他 40編

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