9 また会えて嬉しい
「また会えて嬉しい」
あの子が笑うと、ぼくは何だかほっとした気持ちになった。
ショッピングモールのフードコートに来てみたら、運よく出会えたのだ。
ぼくは倫野あやめより彼女のことを信じたのだろうか。自分でもよく分からなかった。ただ、彼女の柔らかい微笑みを前にすると、これでよかったのだという気持ちがわいてくるのだった。
「わたしたち、ずっと一緒だね」
ぼくは告白でもされたみたいな気になってはにかんだ。
「ずっとわたしのこと見ててくれる?」
ぼくは黙ってうなずいた。
「よかった。もう二度とあの女に会わないでね」
ぼくは倫野あやめのことを思って少し心が傷んだが、表情に出さないように努めた。
「あの女、大嫌い。邪魔ばかりするんだから。あの女のせいでゆっくり夢を味わうこともできない」
夢を味わうとはどういう意味だろうと思ったが、せっかくの雰囲気に水を差すようで訊けなかった。
「あなたの夢、ちょうだいね」
彼女は笑顔に戻って言うと、おもむろに口を大きく開けた。
拳が入りそうなほど大きな口だと思って驚いて見ていると、彼女は自分の手で上顎と下顎を掴んで口をさらにこじ開けていった。
口の両端が裂けたかと思うと、顎の骨が砕けるようないやな音を立てながら口が広げられた。
見るみるうちに、人の頭がすっぽり入ってしまうほどのほの暗い穴が現れた。
ぼくは、不思議な力に引き寄せられるようにしてその穴を覗き込んだ。入り口付近は赤黒い内壁が取り囲んでいたが、すぐ奥は暗い闇となっていた。底が見えないくらいの深い穴だった。
じっと見ていると、まるで穴の淵に立っているような気分になった。何か大事なことを思い出したような気がした次の瞬間、ぼくは――。
気がついてみると、ぼくはフードコートにいて、目の前にあの子が座っていた。
「また会えて嬉しい」
彼女の柔らかい微笑みは、ぼくの混乱した気持ちを解きほぐしてくれた。
「ようやく二人きりになれたね」
彼女は潤んだような甘い瞳でぼくを見つめた。
「これでゆっくり夢を味わうことができる」
「夢?」
「あなたはそのまま眠っててくれればいいから」
「ぼくは、寝てるの?」
言われてみるとそんな気がするのだった。
彼女は何も答えずにふふと笑った。ぼくは気が遠くなるのを感じながら、その笑い声を聞いた。頭の片隅で倫野あやめの言葉が思い出された。
あの女、人間じゃないんだからね――。
人の夢を喰べて生きるあやかしなの――。
あれはどういう意味だったのだろう。ぼくは今、夢を見ているのだろうか。ここで何度か彼女に会ったのは現実に起きたことだったのだろうか。
ぼくは、彼女に触れて確かめようとして手を伸ばした。そうしたつもりだったが、実際には指の一本も動いていなかった。まるで自分のものではなくなってしまったみたいに体が言うことをきかなかった。
「どうしたの?」
彼女は面白がるように笑った。
ぼくは何とか動こうともがきながら、何かを思い出しかけていた。
もしかしたら、これがその夢だったのではないか。これこそ、ぼくがずっと苦しめられていた悪夢ではなかったか。
「なんか、お腹空いちゃった」
はっと目を上げると、彼女が鰐のように大きく口を開いていた。口の両端が裂け、喉の奥にあるほの暗い穴が静かにぼくを覗き返していた。
ようやく思い出した。ぼくは化け物に頭を咥えられ、生気を吸われて干からびていくという夢を見ていたのだ。
あれは夢ではなく――。
ぼくは汗をびっしょりかいて目を覚ました。そこはフードコートで、目の前にはあの子がいた。
「また会えて嬉しい」
彼女はそう言って優しく笑った。
了
夢の後始末 つくお @tsukuo
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