鬼怨

外宮あくと

鬼怨

 これで最後だ。

 美しく鋭く研ぎ上げられた刃を日の光にかざし、輝く切っ先をチロリと舐める。凛と冷えた金属の味に、ゾクリと俺の血が騒いだ。

 今まで一度も勝てなかった――。

 毎度毎度、俺は奴の前に惨めにひれ伏し、辛苦を味わってきたのだ。はらわたの煮えくり返る思いを何度したことか。

 だがそれも今日で終わりだ。終わりにしてやる。

 流した涙を奮起に変えて、この日の為に鍛錬を重ね技を磨いてきたのだ。大枚をはたいて、当代随一の匠が心血を注いだ至高の得物も手に入れた。今度こそ勝てる、その自信もあった。

 胸が躍る。

 再び、手にした得物を見つめた。一本の光の線となった刃を指の腹でツツッとなぞれば、それだけでこれが最高の切れ味を生むことが分かる。

 次は無い、その覚悟で俺は立つ。奴のとの闘いに敗れるならば、俺にはこの得物を持つ資格がないということになる。決して負けられはしない。


 決着の時だ。

 俺は、今、鬼になる。積年の怨みを晴らす鬼となる。

 奴に怨みを抱いている者は、俺だけではないはずだ。どれほど多くの同胞が涙を飲んできたことだろうか。俺はそれらの者たちの苦しみさえも背負って、この戦いに挑んでいるのだ。必ずや勝利してみせる。

 奴を微塵に刻んでやるのだ。

 得物を握った右手に、グッと力を込めた。そして、しっかりとバイザーを降ろす。

 己の唇に笑みが点っていることに気付くと、ますます昂ぶってきた。武者震いに背を震わせて、シュッと短い呼気を吐いた。

 いざっ! 勝負っ!



 ……いや待て。

 奴はいつもの如く自然体だ。憎らしい程に、いつもの顔を俺に見せているのだ。

 チッと舌を打った。俺だけ防御を堅くするというのは、如何なものだろうかと。

 奴は強敵であり、いくら余裕をかましているように見えても、決して油断のならない相手だ。

 しかし男たるもの、真っ向勝負で挑まなければ、真に勝ちを誇ることは出来ないのではないだろうか。得物も防具も俺の自由にしてよいはずなのだが、晴れ晴れとした勝利の美酒に酔うのに、負い目を抱いていては不味かろう。

 数瞬迷ったが、意を決し俺は防具を外した。

 すると、冷や汗がたらりと背を落ちていった。ごくりと唾を飲んだ。嫌な予感がするのだ。これまでの苦い涙の味が、口の中に甦ってきてしまった。

 だが俺は、バシンと自分の頬を張る。この期に及んで気弱になってどうする。己を信じるのだ。

 再び右手を握りしめる。負けはしないと、言い聞かせた。

 グッと腰を落とし、構える。

 初動が肝心だ。

 速さを武器とするのだ。その為に鍛えてきた、俺の右腕を今見せるのだ。

 スタタタタタタタッ

「だあぁーーっ!」



 これほどまでに、華麗に俊敏に動けたことがあっただろうかと思う程に、俺は自在に刃を操っていた。この素早い動きは、決して世人に真似など出来はしまい。今の俺の前では、奴も為す術がないのだ。

 俺は、奴を切った。切ってやった。思う様、切り刻んでやった。

 半ダースの敵を瞬殺し、細切れの山を作ってやった。

 恐ろしい程の速さで腕が動き、心臓が鳴っている。異常なくらいに興奮していた。いける、そう思っていた。

 呼吸を止め、俺は一気に仕留めにかかった。あと少しで、奴の全てを粉々にしてやれる。

 たが気付けば、俺の両の目からは止めどなく涙がこぼれていたのだ。後から後から流れる雫が、頬をぐしゃぐしゃに濡らしているのだ。なんという事だ。

 俺は奴を切った。確かに切ったのだ。

 たが、しかし!!

 俺は成し遂げてはいない。まだ道の中途なのだ。それなのに涙が止まらない。目を開けていられない。これでは駄目なのだ。まだ半分なのだ。

 俺はまた負けてしまったというのか!

 完敗だ!

 ああ、俺はどうしてもお前には敵わぬというのか!



「うおぉぉぉーー! ちくしょーーー! 目ぇ痛てぇじゃねーかぁ! うらぁ!」

「うわぁ、シェフ?! 玉ねぎ投げないで! 包丁振り回さないでぇ!」

「フードプロセッサー、買ってこーい! 粉砕してやるぅ!」

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