玉蘭消失
何処からともなく沸いて出る邪気・人の煩悩を呑み込み膨れ上がった三太夫の力は洪水のごとくあまりに強大だった。
しかし、守護達は知らなかったのだ。この亀が本当は何をしているのか。
巨大化し村に迫る三太夫に、若く未熟な守護達はやっとの思いで陣を張り、総力を上げて彼を捕らえようと必死になったが、その足を止める事すら出来ずにいた。
玉蘭も今や十八歳になり兄と共に通常一台しか組まない櫓を二台に増やした所へ昇り、大亀を少しでも足止めする為に薙刀を使い、村を護る為に陣幕を強化する為に動いていた。
守警隊を率いて先頭に立ち戦ったが、逆に大亀の中から何か別のモノが人の言葉で彼に喋り掛けてきた。
「これはこれは。あん時のガキだぜ。姿ばっかでかく成りやがって、テメエの心なんぞお見通しなんだよ。薄汚れた哀れな野郎めが。」
嘲笑う様なその皺嗄れ声に、李恩は肩を上下させながらも気を鎮めようと息を整えた。
「もしやあの時の蜘蛛の男か。時を経て禍々しさも増大したか。もう充分だろう。大人しくこの場にて改心し解体するがいい。」
元の姿が分からなくなる程の変貌を遂げた三太夫は、何処か苦しげに口を開けて大きく吼え、地に蠢く無数の小蜘蛛を李恩の眼前に吐き出した。そいつは闇を凝縮したような黒い影を纏って人の形をして立ち上がった。
「 友( だ ち)を蹴落としただけじゃ飽き足らず、その 恋 人( お ん な)も横取りしようなんざ、見上げた野郎だ。テメエの方が余程鰐に近ぇんじゃねえかよ。」
心に醜い刻印を残した見覚えの有る赤い眼光に、李恩は身体の奥から震えが上がって来るのを覚え一瞬にして動けなくなり、気が付くと周りを鰐どもが取り囲んでしまっていた。
現世に降りて別の任に就いていた如月が守警隊からの連絡を受け、応援の為に到着した時には時既に遅く、本部の建物は何かに踏み潰されたように破壊され壊滅状態になっていた。
ただ、現れた大亀は大量の丸石を河原に吐き出しそれ以上は何もせずにその場から忽然と消えたと言うのだ。
捕り物が行われただろう跡に玉蘭の姿を探して走る彼の目に、瓦礫の中から人形の様にぎこちなく何かが立ち上がるのが映った。
片腕をもぎ取られ喘ぐ李恩だった。
駆け寄ろうとした如月を、玉蘭の兄・英淳の必死の叫び声が止めた。
「如月! それはもう李恩じゃない! 魂を喰われて守警隊の仲間を襲った鰐だ!」
改めて彼が見た李恩の目は、既に常軌を逸し、手に握られている物は刀の形すら留めず鮮血を滴らせ、周りに雑多な鰐を従えていた。
「やっとお出ましか。こんな見せ物を逃すなんて。君らし過ぎて笑えやしないよ。」
「貴様、なんたる醜態だ。正気を失い仲間を手に掛けるなど許されんぞ。」
如月の手の中に出現してくる魂刀を見て不敵に笑う李恩。
鰐達も如月を取り囲んだ。
「君に僕を調伏するなんて出来ると思っているの。守護にも成れなかったくせに。まさか、僕に勝てるなんて思ってないよね。」
如月の目に兄の背に力なく負われた玉蘭の姿が映った。
「玉蘭まで……斬ったのか。」
「幾ら強くても迷いは守護にとって命取りだって教えてやったのさ。それと、誤解してもらっては困るけど、僕のモノにならない腹いせなんかじゃない。彼女の事なんてどうでもいいんだよ。僕が憎いのは君なんだからね。」
彼の弱さと言うものに気付いていながら、未熟な自分に何が出来たと言うのだろう。怒りに自らも呑み込まれ、別の存在になってしまうかもしれない危うさを、守護の資格を失効されたその時に悟ったと言うのに。
管理官とは、人の現世にて悪と化した魂を見極め斬り捨て消滅させる。守護はそんな魂さえも慈悲の心で改心させ成仏させる。より難しいのはもちろん守護の役割りである。
「そこまで狂ったか、李恩。私は守護ではない。出来るのはただその魂が地に堕ち果てる前に斬り捨て消滅させてやる事だけだ。」
悲しげにも聞こえる如月の言葉が終わらない内に彼は自らの魂刀を横一閃に一薙ぎした。傀儡のような不規則な動きで彼に襲い掛かろうとしていた李恩も鰐達も、息も吐かぬ間に切り裂かれていた。
復讐は、守護の血筋の者にとってはご法度である。元々霊的に強い力を持つ彼等が恨みに取り付かれればその魂は闇に落ち、少なからず世に災いをもたらす存在に成り得る。彼の師匠・斥宗は、如月にその闇と戦う強さを常に求めていたのだ。父を奪った鰐も、元を正せば幼い友である李恩が山から下して来てしまったモノだったのだから。
如月は感慨を絶つ様に魂刀を納め、栄淳と玉蘭の元に駆け寄った。彼女の傷は見るからに深く、息が有るのが不思議なくらいだった。
「玉蘭、薙刀は使わなかったのか。」
問うまでもなくそれは明白な事だった。
「鰐に呑まれて同化した李恩君を救えなかった。私も守護失格ね。何も出来なかった。」
如月は思わず彼女を抱き締めた。
一瞬戸惑った様に身を硬くした玉蘭だったが、その温もりにやっと願いが叶った様に穏やかに吐息を漏らし、如月の胸に顔を埋めた。
「きっと来てくれるって……信じてた。会いたかった……ユキ。」
腕の中の感覚が不意に曖昧になったのを感じ、如月は慌てて彼女の顔を見た。彼女は苦痛も無い様な穏やかな笑みを浮かべ、静かに最期の息を吐いた。彼女の魂は彼の目の前で光となり、天に静かに昇って行ってしまった。
三太夫の行方
溜め込んでいた物を吐き出し、逃れ出た現世で三太夫は、新しい居場所を求めて彷徨うが、どこも人が増え過ぎたお陰で水は汚れ、彼はたちまちの内に消耗して行った。
ようやく辿り着いた小さな古い泉は、清浄だったが亀が棲むには少し冷たかった。
何かの気配に三太夫が水底を覗き込んだ時、体に残っていた魑魅魍魎の類いが二つ三つ溢れ出たが、悉く泉に吸い込まれて行った。彼はようやく少し軽くなったと目を閉じて泉に沈み長い眠りに就いていった。
それこそが、現世の管理官達が張った、彼を捕らえ池に封印してしまう為の勝興寺の呪縛陣だったとは気付かないままに。
天聖界と現世では時間の流れ方が随分違うようで、彩季が生まれる遥か昔の事である。
霊界観光シャトルステーション 桜木 玲音 @minazuki-ichigo
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