HERO

天崎 剣

HERO

 幼い頃、俺のヒーローは、父さんだった。


 科学を結集させた特殊スーツを身に纏い、颯爽と活躍する父さんは、他の誰よりも輝いて見えたし、格好良く見えた。

 平和のために利用すべき科学が、人々の煩悩に支配され、悪用されてしまったこの時代、怪物や怪人が起こす事件を止めるのが、父さんの仕事。道を踏み外したヤツらと人知れず戦う姿に憧れを抱いた。

 ラテン語で《理性》を指す《ラティオ》と名乗った正義の味方は、名の知れたヒーローだった。

 他にもヒーローを名乗るヤツらはそれなりにいたが、メディアではこぞって《ラティオ》の活躍を取り上げた。人命救助から怪物退治まで、何でもかんでもやってくれる《ラティオ》は、最高のヒーローだった。

 父さんが《ラティオ》に変身していることは秘密だった。友だちにも、先生にも、近所の人にも言っちゃダメ。父さんは商社の営業マンだということになっている。出張が続いて家を空けることも多いと言えば、不在を不審がられることもない。

 《ラティオ》は白と青を基調とした特殊スーツで、頭から足の先まで覆っている。誰もその正体を知らない。神出鬼没、どの時間だろうが、どの街だろうが、必要とあらば参上して人々を救う。格好良すぎるヒーローなのだ。

 小学生の頃、将来の夢に「ヒーローになりたい」と書いた。俺だけじゃない、当時の子どもの憧れはみんなそうだ。野球選手やサッカー選手、芸能人になりたいのと同列に、ヒーローになりたいという夢が上位にランクインするくらい、《ラティオ》は皆の憧れの的だった。


 俺が中学生になった年に、《ラティオ》は活動を休止する。

 行方をくらました《ラティオ》を求め、色んな人たちが探し回ったが、見つからない。

 だが、俺は知っていた。

 《ラティオ》はもう動けなかった。

 怪物との戦いで背中に強い衝撃を受けた《ラティオ》は、ベッドから立ち上がることが出来なくなってしまったのだ。

 そのまま、《ラティオ》は人々の記憶から消えていく。

 そうして、正義の味方を失った街は、次第に混沌としていった。



 *



 カーテンがザッと開かれ、朝日が降り注ぐ。

 リビングダイニング脇の洋室に、大きな介護用ベッドがある。ボタンを押すと、枕側が少しずつ上がって寄りかかるのに丁度いい傾斜が出来る。


「今日はデイサービスの日だから、9時頃にお迎えが来るわ。この辺りに荷物は用意してあるから」


 母さんの上ずった声が聞こえる。

 俺は出された朝食を掻き込みながら、見て見ないフリをする。

 動けなくなった父さんの代わりに、母さんがパートに出て家計を支える。障害者年金と蓄えだけじゃ、俺の高校の学費がままならないらしい。


「大丈夫。いつも通り、楽しんでくるよ」


 父さんの力ない声。

 本当に正義のヒーロー《ラティオ》だったのかどうか、今ではそれすら疑わしい。

 ベッドの上で朝食を食べる父さんと、ダイニングテーブルで朝食を食べる俺の間に会話はない。

 腰から下が動かなくなり、左手にも麻痺が残る父さんは、排泄の処理も、着替え、入浴も一人じゃ無理だ。デイサービスに行かない日はヘルパーさんが来て介助してくれるが、介護回数が増えればそれだけ費用もかさむ。俺が手伝っても限界がある。働いても働いても、母さんの稼ぎだけじゃ間に合わない。

 首から上と右手は動くからと、父さんはパソコンや読書で時間を潰す。家では殆どベッドの上。どこかに連れ出すとか、どうにかしてあげたいところは山々だろうが、何を犠牲にするか取捨選択をすると、どうしても出来ることが限られてしまうと、母さんはよく嘆いている。

 いつだったか、自分がデイサービスで一番年下だと父さんが言っているのを耳にした。そりゃそうだ。働き盛りの中年男があんなていたらく。無理もない。

 虚しいに違いないと、俺だって思う。

 正義の味方なんてクソ仕事してたばっかりに、打ち所が悪くて寝たきりなんて。

 ヒーローって何だ。

 誰かを救うために、自分の命、人生、家族まで犠牲にする生き物なのか。

 俺はいつしか、ヒーローってヤツを、父さんという存在を、嫌うようになっていた。



 *



 正義の味方がいなくなれば、警察が動けば良い。軍が動けば良い。新しいヒーローが生まれれば良い。

 人間の欲望は果てしなく、誰かを傷つけることに対して何の躊躇もなくなった連中は、次から次に悪いことをしでかす。例えば銀行強盗だったり、強姦だったり。テロ、爆破事件、サイバー攻撃。ヒーローなんて存在しなかった時代、専門の部署がその解決に当たった。その時代に戻っただけ。

 《ラティオ》特殊スーツを作った某電子機器メーカーから、時折父さん宛てに文書が届く。A4サイズの茶封筒には、何が詰まっているのか、いつもボコボコしている。ベッドの上の父さんに無言で突き出すと、父さんはやはり無言でそれを受け取る。封筒を見てニッコリと笑い、俺が居なくなってから封を開ける。

 《ラティオ》がメーカーのいい宣伝材料だったことを、俺は知ってる。誰が《ラティオ》なのかは秘密だったが、彼のスーツを作ったのは自分たちだと宣伝していた。技術の粋を見せつけるための道具として、《ラティオ》というヒーローは作られていたのだ。



 *



 要介護いくつだとか、この先何年生きるのかとか、俺の進路はどうなるかとか、家の中はいつもそういう暗い話題で満たされている。

 父さんが仕事をしなくなってもう5年。高校生活も折り返しを過ぎ、将来について考えることも多くなる。


「好きなことをしなさい」


 お金のことは考えなくて良いと母さんは言う。

 それが上辺だけで、本当は働いて欲しいのだと、俺は察していた。

 景気は悪くなる一方で、就職率も進学率も下がりっぱなし。就職氷河期とか、バブルの崩壊とか、そういうことを言っていた時代と比べればマシだと先生たちは言うが、それが本当かどうかなんて誰にも分からない。

 あの頃とは違う。

 まともな人間が肩を竦め、狂ったヤツらが好き勝手に人の命や財産を奪うような世の中だ。

 政治は腐敗してる、まともな人間はテレビに映らない、碌なニュースがない。

 この世界で好きなことをするとはどういう意味か。大人たちはどんな気持ちで俺たちに言うのだろう。



 *



 一緒に家にいるときは、定期的に身体をずらしてやる。オムツを取り替える。身体を拭く、着替えの手伝いをする。

 その間、俺は一言も喋らない。


「修司は上手いな。力もある。介護の仕事はどうだ」


 父さんが言う。それがまた癪に障る。


「誰かを助ける仕事、向いてるんじゃないか」


 そうやって、人の気持ちを考えずに適当なことを言う。

 自分は、ヒーローだなんて格好良い仕事をしてきたクセに、俺には老人の相手をしろと言うわけか。

 思わず舌打ちした。



 *



 父さんとの仲は最悪だ。

 それまで正義の味方として人知れず活躍してきた姿に憧れ続けていた俺にとって、ベッドの上で寝たきりの父さんは、父さんじゃなかった。

 あんなに格好良かったのに。

 怪物との戦いでマンション火災が起きたあの日、父さんは屋上に取り残された子どもを抱きかかえたまま転落した。その子は助かった。父さんは、打ち所が悪かった。特殊スーツでは防ぎきれなかった。

 メーカーが何度も謝罪に来た。慰謝料も貰ったらしい。

 父さんは雇われヒーロー。活躍すれば宣伝になる。その分、メーカーから金も出た。それが、怪我をして動けなくなった途端、ただの人間になった。


――『誰かを助ける仕事、向いてるんじゃないか』


 父さんの言葉を反芻する。

 それは、誰かのために自分を犠牲にする仕事のことか。

 俺は、そんなものにはなりたくない。



 *



 洗面器に熱いお湯を入れ、タオルを浸す。固く絞って、横たわったままの背中を拭く。

 男の背中は、面積が広い。平日の夜、できる限り時間を取って手伝うようにするのは、俺がやらないと母さんが倒れてしまうからだ。

 別に好きでもない父さんの身体。

 デカいだけの、脂肪の付いてきた背中。

 腹回りだって、昔は筋肉が六つに割れていたらしいが、緩んでブニブニだ。

 昔は、仕事から帰ってくるのが嬉しくて真っ先にしがみついた背中だった。肩車をしてくれた。大きい手で頭を撫でて貰えるのが嬉しくて、俺だけのヒーローだってはしゃぎ回った。

 もう、その面影もない。

 ただの、動けなくなった中年の背中。


「なぁ、修司。誰かを助ける仕事、したいとは思わないか」


 父さんは何度か同じことを言った。

 その度に、俺は無言で返した。


「誰かのために生きる。そういう生き方も、あると思わないか」


 黙ったままの俺。

 黙り込む父さん。



 *



 テレビや新聞では、毎日のように色んな事件が報道される。

 特殊スーツを身に纏った何人ものヒーローが現れては消えていく。どのヒーローがいつどこで誰を助けただの、どんな怪物が現れてどのヒーローが倒しただの。

 繰り返し繰り返し、能無しのように毎度毎度ニュースになる。SNSでは人気投票が行われていたり、どいつが一番強いだの格好良いだの、そんなくだらないことで盛り上がる。

 知らないのか。

 一番格好良いのは《ラティオ》だ。

 最高のヒーロー。

 もう二度と戻ってこない、この世で一番の。



 *



「《ラティオ》が今でも好きなのか」


 いつものように、背中を拭く俺に、父さんは言った。


「そ、それは」


 思わず口を開いた。


「……やっと、喋ったな」


 背中越しに、父さんは呟いた。


「最近は、以前にも増して治安が悪くなったと聞く。もしかしたらまた、《ラティオ》が必要になってきたのかもしれないな」


 父さんの過ごすベッドの周辺には、《ラティオ》が活躍していた当時のグッズやファンからの手紙が多く飾られている。色褪せ、埃の付いたそれすら、父さんの宝物に違いない。


「《ラティオ》はもう、帰ってこないだろ」


 俺は何年か振りに、父さんに言葉を返す。

 父さんはフフッと肩を震わして、半分振り返った。


「お前が、《ラティオ》になればいいじゃないか」


「な、何考えてんの。俺未だ高校生だし。そういうの似合わねぇし」


「確かにな、厄介な仕事だと思う。犠牲は付きものだし失うものも多い。けれど、得るものはもっと多い。誰かを助ける仕事、お前なら向いていると思うんだ。こうやって、毎日毎日不満も言わず背中を拭き続けるお前なら。好きなんだろ、《ラティオ》。今度はお前がやってみないか」


 背中を拭き終え、父さんの身体を起こして着替えさせてやる。

 ベッドの側のチェストに、封筒の山があった。《ラティオ》特殊スーツを作ったメーカーからのものだ。たどたどしい字、子どもが描いたイラスト、感謝を綴る長い文面が見える。《ラティオ》宛ての手紙は、今も変わらず届いているらしい。

 父さんは右手を伸ばし、引き出しの中から何かを取り出し、俺に差し出した。

 それは、《ラティオ》特殊スーツと同じデザインがあしらわれた、手のひらサイズの小さな端末。


「《ラティオ》特殊スーツの認証キー。要るか?」


 父さんの顔は、見たことがないくらい清々しかった。

 俺は溜まらず、その小さな端末をギュッと両手で握りしめた。


<終わり>

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