一章 お嬢様、逆転劇を演じる(5)

 先ほどのやり取りについて考えていたら、彼の妻であるメルリス・レゼ・アルメリアが入って来た。

「……貴方あなた。アイリスは、やっぱり……?」

 まだ、メルリスは彼が娘に領主代行をするように言いつけたことを知らなかったのだろう。

 娘の今後を心配し、彼に伺うように問いかけてきた。

「……いや、教会に送ることは止めた。領地に戻し、領主代行を任せる事にした」

「……まあ! でも、あの子には大任では……?」

 アイリスが教会に幽閉ではない事を聞き及んで、うれしそうに声をあげた。

 けれども、すぐにまた別の事で心配そうにしていた。

「まあ、試してみるのも一興かと思わせるような様子だった故な……」

「そう? 今回の件で、あの子が真っ直ぐ過ぎるという事が良く分かりましたから……領主代行なんて務まるのか私には心配だわ」

 ……今回の、件。

 それは、あの男爵令嬢とのイザコザと婚約破棄についての事だ。

 アイリスは、それはもう真っ直ぐに男爵令嬢に嫌みを言っていた。

 公爵令嬢としての立ち位置を利用して味方を増やし、地盤を固め、そして周りを利用して立ち回ることだって出来たはずだ。

 それなのに、アイリスときたら馬鹿正直に体当たりな行動に移した。

 その結果、彼女は何の釈明もできないところまで追い込まれてしまった。

 彼女のしていない事にまで。

 ……そう、彼女は逆に利用されたのだ。

 男爵令嬢をよく思わない、他の貴族子息・子女たちに。

 彼らの方が、余程上手くやった。

 あの子が手を下していない事も、さもあの子が仕出かした事に仕立て上げたのだから。

 メルリスの処世術を、少しでも学び取ってくれていればと彼は思わなくもない。

 メルリスは娘息子を甘やかすきらいがあるが、自分には厳しく、夫である彼が口を出す必要がないほどの立ち回りを見せるのだから。

 こうなることが分かっていて、手を下さなかった彼をメルリスは随分と責めていた。

「……今回の件で、何か学んだのだろうか。あの子は、随分変わっていた。第二王子との婚約について、随分と己の立ち位置を理解したような事を言うほどに……な」

「まあ……。ふふふ、それにしては貴方が未だ冷静な様子からすると、まだあの子は貴方の本意を言い当てられなかったのでは?」

 妻の言葉に、彼は苦笑いを浮かべた。

 ただ一つ。彼女が言い当てられなかったことがある。

 それは、第二王子婚約の許可のくだり。

 ……宰相職に就く彼は、もちろん第一王子と婚約させた方が良いと思っていた。

 けれども第二王子との婚約を許可したのは、単に娘がそれを願ったから。

 氷の宰相と呼ばれている彼もしよせん、娘に甘い父の一人ということ。

 最終的に、アイリスが言った通り第二王子の手綱を握るという名目の上に婚約にこぎ着けてしまった。

 そして……娘が婚約を決めてからは中立の立場を捨て王族の動向に心を砕き、調整してきた。

 自分なら何とかできると随分と己の力を過信していたものだ……私も息子のことをとやかく言えぬな。

 そんなことを思いつつ、彼は自らをちようしようするように口角を上げた。

 ……現実には、彼の願いとは裏腹に次期王の座を巡る争いは水面下で激化していた。

 遅かれ早かれ、アイリスは争いの渦中に投げ込まれる。

 彼女に、それを切り抜けられる才覚も期待できず。

 それ故に、ほとぼりが冷めるまで貴族社会から下がらせるしかないと彼は判断した。

 勿論、ゴタゴタが収まったら手元に戻すつもりで。

 けれども今日の彼女は、彼の判断を改めさせた。

 ……あれは最早私が手を引き守るだけにおさまらない、と。

 逆に荒波を自ら越えていけるのではないかという期待すら持てた。

 ……どのような動きをするのか。今後が楽しみだと、そう思いすらした。


          †††

 

 ……おはようございます。さて、私アイリスはお父様の指示を受けてからアルメリア領に移り、今日がその初日。

 アルメリア公爵領は王都よりも南東に位置する領地。

 だいたい王都まで馬車を使って、片道一週間ぐらいという距離。

 東は海に面していて、西には山々がそびえ立つ。

 王都の次に広大で、自然豊か。そして農耕が盛んということと、港があるため他国との交易があるということが特徴。

 古くから領都の整備に力を入れていた歴代の当主達のおかげで、領都に限って言えば治安も良い。

 学園に入学する前までは私とベルン、それからお母様は社交シーズン以外はここで暮らしていた。

 それが入学してからは、学園の長期休暇でも別邸にいたものだから、随分懐かしさを感じる。

 朝日がまぶしく、領地を照らしていた。

 そんな朝早くから私がやっているのは、ヨガ。

 朝一の運動は目が覚めるし、何より健康に良い。

 ……いや、ね。私の身体、少しポッチャリめなのよ。

 公爵令嬢という大層な地位にいるので、食事が豪華でハイカロリーなものを好きなだけ食べて良いというものだから、そりゃ太りもするわね。

 なので、ダイエットも兼ねて朝から精を出している。

「お嬢様、おはようございます。……って、キャア!」

「あら、ターニャ。おはよう」

 ターニャは、何に驚いているのかしら?

 あ、勿論ターニャも私についてアルメリア領に来ている。

 幽閉コースじゃなかったし、まあ良いかということで。

「おはよう、ではありません。お嬢様、一体そのような恰好で何をしていらっしゃるのですか」

「そのような恰好って……」

 私は自分の姿を見る。

 ……ちょろっと調達してきた下働き用の麻のズボンと上着。

 運動にはピッタリだと思うのだけど?

「私、これから朝は健康の為に運動をしようと思って。動き易い服を選んだのだけれども、ダメかしら?」

「お嬢様が、運動を?」

 ターニャはげんそうな表情を浮かべる。

 確かに、貴族のお嬢様が運動って、あまりイメージないわよね。

「ええ。身体を動かさないと、健康に良くないって本で読んだのよ。これからは毎朝やるつもりだから、驚かないでちょうだいね」

かしこまりました。……失礼致しました」

「良いのよ。……汗をかいたから、湯浴みの支度をして貰える?」

「勿論です」

 それから、ターニャが準備してくれたおに入ってから朝食をいただく。

 ……運動した後なので、朝はガッツリ食べた。

 勿論、バランス良くいただきましたよ。

「……これからのことをセバスと話し合いたいの。約束を取り付けて貰えないかしら」

「畏まりました」

 ターニャは、それからすぐに約束を取り付けてくれて、昼前にセバスとの面談という運びになった。


 セバスは、我が家の家令。

 我が家の使用人のトップにして、領の運営を実質的に任せられている。

 入ってきたセバスは、どこかエルルと同じ雰囲気を漂わせていた。

 ……つまり、えんふくを隙なく着こなし、キビキビとしていてそれでいて見る人に慌てた印象を持たせないれいで無駄がない動き……まさに家令とはこうあるべきと言った姿の白髪が眩しい壮年の男性。

「……忙しい中、呼びつけてしまってごめんなさいね」

「いいえ。私めは、貴女様の手となり足となる者でございます。何時いつでもお呼びつけくださいませ」

「そう? では、早速。ここ三年の領地の収支報告書全てと現状の行政の仕組みを報告書にまとめて持ってきて下さらない?」

「畏まりました。しかし、それをどうするのですか?」

「勿論、全て読むのよ。私は、曲がりなりにもお父様から領主代行を承ったわ。だけど、恥ずかしながら現在領がどのような運営をされているのか、市井がどのような状況なのか詳しく分かっていないの。だから、私に一ヶ月くださらない?」

「一ヶ月ですか」

「ええ。全ての資料を読み、なおかつ視察を行うに当たってそれぐらいの日数が必要なので」

「畏まりました。ですが、視察するには色々と前準備が必要ですので大凡おおよそ一週間くらいお時間が必要かと」

「今回は、現状を把握する為にお忍びで視察をするつもり。だから、最小限の人数で動くわ。その人員は私の方で確保するので、セバスの手を煩わせはしないわ」

「出過ぎた質問、失礼致しました」

「いいえ。これから運営していくに当たって、貴方のことは重用させていただくわ。何なりと、意見なさって」

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