一章 お嬢様、逆転劇を演じる(7)

 結果的に、アイリスに下されたは領地に戻るだけという何とも軽いものだった。

 けれどもあんするよりも早く、それに付随してアイリスが言い渡されたことにターニャはきようがくすることとなる。

 ……お嬢様が、公爵領主代行? だん様も、一体何を考えているのやらと聞いた時には耳を疑った。

 アイリスは、貴族らしく気高くその名に恥ずかしくないような教養を積んでいる。

 けれどもそれが実務につながるのかと言われればそうではないような気がした。

 アイリスの弟が政治経済を学んでいる傍ら、アイリスのスケジュールといえば幼少期はマナーが中心で、学園では算術と詩や文学それから歴史と地理といった一般教養なのだ。

 果たしてそれでどうしろと言うのだ……? と。

 けれども今、アイリスは数字がギッシリと詰まっている小難しい書類を本当に読んでいるのかという早さで目を通していた。

 時折手元の紙の束に何やら書き込みをしているところを見ると、本当に読んでいるのだろう。

 お嬢様は、やはり私ごときには計り知れない……そう彼女は思った。

 そしてそれと同時に、予想のつかない事の連続に、思わず笑みがこぼれる。

 十年前どころか、一年前にだって、まさか自分が領主代行に仕えるようになるとは想像もつかなかった……と。

 ふと時計を見たら、随分と時が経っていた。

 相変わらずアイリスは書類に没頭している。

 紙をめくる音だけが、室内に響いていた。

 どうやら集中し過ぎると周りのことが見えなくなるらしいアイリスに、あまり根を詰め過ぎないように時折様子を見ることを彼女は心に誓った。


          †††


 セバスから資料を貰ってから、一日が経った。

 まだ書類は机の上に山積みとなって存在している。

 本当はそれを確認していたいのだけれども、ターニャに『休憩してください』と訴えられてしまったので、それじゃあと休憩も兼ねて屋敷探索に出ていた。

 久方ぶりに帰って来たけれども、そういえばまだゆっくりと眺めてなかったなあ……と。

 王都にある別邸もそれはごうしやな造りなのだけれども、この本宅はけたが違う。

 まず、何と言っても広さ。……本当に広い。

 どれぐらい広いかと問われると、測ったことはないので分からないのだが……そもそも正門から入って屋敷まで歩いて十五分ぐらいかかるということからして、前世の『ワタシ』には衝撃的だった。

 屋敷につくまでの道すがら、左右には水が湧き出ている噴水やら季節折々の花々が咲き乱れる庭園が広がっていて、訪れた人々の目を楽しませる。

 私も昨晩馬車の中からそれを見た時には、懐かしさも相まって随分癒されたっけ。

 屋敷もそれは広大なのだが、屋敷の裏手は更にその倍以上の広さがあった。

 裏手には芝生が広がっていて、池と呼ぶには大き過ぎ、湖と呼ぶには小さいような……そんな湖があり、屋敷からは見えないのだが遠くには馬屋もある。

 そして、その更に奥には木々の生い茂る林。

 ……広過ぎて、私も端から端まで歩いたことはないかもしれない。

 とりあえず、今日は裏庭に出てみた。

 サラ……と風が?を撫ぜ、草木が揺れる。

 うん、良い天気。

 天気とその光景に癒されつつ、ひとまず馬屋を目指して歩く。

 そっちまで歩くのは小さい頃以来だから、道に迷わないようにしないと……そんなことを思いながら歩くこと十数分。

「……馬屋、こちらであっていたかしら?」

 案の定、迷った。

 あやふやな記憶だよなあ……と思ってはいたけれども、まさか自分の家で迷うとは思わないじゃない?

 まあ……屋敷は見えるから、いざとなれば帰れば良いのだけれども。

 というか、そろそろ業務に戻りたいので、馬屋はあきらめるしかない。

 自分の家だし、気が向いたらまた目指してみよう……そう気持ちを切り替えて、来た道を戻ろうとした、その時だった。

「……あら?」

 視界の端に、見覚えのある金髪が見えた。……ライル、かしら?


 寄り道のつもりで、いつたん道から逸れてそっちに行ってみた。

 ついつい林の中まで来てしまったけれども、ここから屋敷まで戻れるかしら?

 ライルでなかったらどうしよう……なんて不安に思っていたけれども、やはり、そこにいたのはライルだった。……どうやら剣のけいをしていたらしい。

 重そうな剣を振り、汗を流していた。

「……お嬢様でしたか」

 背後から現れた私に気づくなんて、驚きを通してあつにとられてしまう。

「……何故、私だと? ライルの背中には目があるのかしら」

「訓練の賜物、といったところでしょうか。目が見えない暗闇の中でも戦えるよう、気配を読むことができるようになりましたし、ましてや足音や匂いがわずかでもあれば誰かと分かります」

「それでも、凄いわ。……ごめんなさいね、稽古の邪魔をしてしまって」

「いえ。……丁度、終わりにしようと思っていたので」

 言葉通り、ライルは剣を下ろす。

「なら良かったけれども」

「お嬢様は、どうしてこちらに?」

「え? ああ……セバスから渡された資料を見ていたのだけれども、ターニャに休憩してくれとせがまれてしまって。それなら、と散歩も兼ねて馬屋まで歩いていたところよ」

「馬屋ですか? あれは、もう少し西側の方ですよ。恐らく、道を一つ間違えてしまったのでしょう」

「そうだったの……どうりで着かないと思ったわ」

 目の前に広がるのは、木々の生い茂った林……つまり、ほぼ北端まで来てしまっていたということだもの。

 記憶が正しければ、この林の手前に馬屋があった筈だし。

「珍しいですね、お嬢様がこうして庭を歩き回られるのは」

「そう、ね……。久方ぶりの我が家だから、かしら。そういえば、ライル。これからどこかに行くのかしら?」

 私の質問の意図が分かったのか、ライルはクスクスと笑った。

 気恥ずかしくて、思わずにらんでしまう。

「……失礼致しました。私の役目は、お嬢様の護衛でありますので、是非屋敷までの道のりをお供させていただければ」

 ……そう。どうせなら、屋敷まで送って行ってくれないかな……なんて下心がありつつ、どこかに行くのかと問いかけていたのだ。

 まあ、送ってくれるのであればとてもありがたいのだけれども。

 ライルは、私の足元にひざまずいて礼を取っていた。その仰々しさに、驚くよりも笑みがこぼれてしまう。

「ええ、頼みましたわ」

 クスクス笑いながら、差しのべられたその手を取った。

「光栄の至りです」

 そうライルは真面目に返答しつつ、微笑んでいた。

「そういえば、ライルはよくあそこで稽古をしているのかしら?」

 屋敷までの道すがら、私はライルに問う。

「そうですね……まとまって空いた時間があれば、大抵あそこで訓練をしていますね」

「でも護衛役として、皆で訓練もしているのでしょう? ライルは随分熱心なのね」

 館の警備及び一族の護衛として、アルメリア公爵家では少なくない数の人数を、私兵として雇っている。

 ライルとディダは、そこに所属して働いていた。

「……ディダも、どこかでこっそりと訓練していますよ」

「ディダが? 何だか、想像つかないわね」

「あいつは、努力しているところを見られるのを嫌いますから。けれども日毎、着実に強くなっている。……私は、そんなあいつに負けたくないだけなのかもしれませんね」

 そう言って、ライルは苦笑いを浮かべる。

「ふふ、良いじゃない。多分、ディダも同じ事を言うと思うわよ」

「どうでしょうね」

「昔から貴方あなた達、何だかんだで張り合って、よく勝負をしていたじゃない? 良きライバルというところかしら」

 昔っからそう。

 ひようひようとしているディダを、ライルが色々フォローしているのが普段のやり取り。

 けれども、ふとした時に張り合い始めて、けんもとい勝負が始まる。

 大抵はディダが突っかかって勝負が始まるというパターンだったかしら。

 ついでに、決着が付かずにそのまま終わるというのもパターン化していると思うけど。

「……今回の旅でも、貴方達の護衛は期待しているわ」

 稽古をしている理由が何であれ、それで強くなっているのであれば私からしたら言う事なしよね。

 今回の旅行も、安心。

「お任せください」

 その笑みは、誇らしさを感じるようなそれだった。

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