一章 お嬢様、逆転劇を演じる(2)

 ……覚えがあるのだろうか。

 否、主人公に骨抜きになっている彼は、頭の中が恋愛脳になっている。

 というのはアイリスの記憶にあるから、きっと煙に巻かれただとかそんな彼の都合の良い解釈に頭の中で変えられてしまっているだろう。

 ……こんな茶番に、これ以上付き合ってられないわ。

 所詮、これはエド様とその愉快な仲間たちのフラストレーションを吐き出す場。

 そして、彼女を被害者として正当化する為の場。

 こんな場面を迎えてしまえば、最早私の自宅謹慎は免れない。

 ……この場でできることは、もうない。

 後は教会に幽閉されることを免れるかどうか……でもそれは、父との交渉次第。

 重ねて言うが、この場ではもうすることがない。

「……以後、私は皆様にお会いすることはないでしょうから、この場をお借りしてあいさつさせていただきますわ。皆様、今までありがとうございました。同じ学生としてこの学園に通ったこと、皆様に良くしていただいたこと、感謝に堪えません。皆様、御機嫌よう」

 今後、社交界に出ることはないだろうし、この学園に戻ってくることもないだろう。

 そう思って、私は最後の挨拶を皆に向けてした。

「アイリス、待て……!」

 良い感じでしめて、この場を去ろうとしたのにエド様が私を引き止める。

 空気が読めないわね……私ったら、何故なぜこんな男を好きになったのかしら。

「去る前に、ユーリに謝れ」

 本当に、何故こんな男をいつときでも好きだと思ったのかしら? ああ、もう……聞き間違いかと思って思わず変な間を空けちゃったじゃない。

 公爵令嬢たる私が、男爵令嬢に皆の前で謝れと? そう、声を大にして問い詰めてやりたい。

 ……これは、私のプライドだけで憤然としている訳ではない。

 たかが子女、されど子女。

 私の行動は、それ即ち公爵家ひいては貴族社会に大きな影響を示す。

 つまり、私が謝るイコール、アルメリア家が男爵家にこうべを垂れるということ。

 筆頭公爵家が男爵家に頭を垂れるなんて前代未聞、というかそれではウチだけでなく侯爵・伯爵の立つ瀬もなくなってしまう。

 新興貴族が増長して貴族のパワーバランスが崩れる事態だって起こり得るというのに……。

 ああ、本当に頭の中が恋愛脳になってしまっているのか。

 というかそもそも、元婚約者である貴方がそれを言う? 自分の胸に手を当てて良く考えなさい!

 ……というこの思いは、私だけではなくこの場にいる周りの生徒たちも持ったらしく、先ほどまで針のむしろだったのに幾分か視線は和らぎ、むしろ同情の気持ちが向けられているのを感じた。

 ……これを逃す手はないかも。

「……謝りませんわ。私は私のきように従って行いましたもの。たとえ行き着く先が、この身の破滅であろうとも、私は私を曲げません」

 それだけの覚悟をもってやったのよ、と言外にほのめかす。

「……ユーリ様。貴女様は、これ以上私の何を奪うというのでしょうか。私の婚約者、私の地位……」

 ここで、ホロリと涙を流してみた。気分は悲劇のヒロインだ。

 お、良い感じでこの場の流れが私の方に向いてきた。

 さっきまで完全に悪役だったのが、今じゃこちらが被害者になっている。

「……ですが、私を私たらしめるモノは私だけのもの。矜持もその一つ。謝罪をするということは、私が自分で自分を踏みにじることと同義。ですから謝りませんし、これ以上、私は貴女がたに何も奪わせません」

 言い切った……ああ、スッキリした。

 そんな晴れ晴れとした気持ちで、私は食堂を後にした。

 エド様は何だか不満げな表情のままだし、渦中の主人公はキョトンとしているけれども。

 私はその場から離れると、学園の外へと出た。

 ……変なところで準備の良い弟を信用しての行動だったけれども、予想通り弟は家に使いを出して既に迎えを寄越していた。

 豪奢な馬車……ワインレッドの車体に、金でアルメリア公爵家の家紋が描かれたそれに、身一つで乗り込む。

 ……どうせ荷物は、後で家の者がまとめて家に持って帰るなり、処分したりするだろう。

 これで、学園ともお別れか。

 もう、ここに来ることはない。

 それは物語通り私が身分はくだつの上幽閉だった場合は勿論、その他の結果を勝ち取ったとしても。お父様が、私を学園から離すために。

 ふう……とためいきを吐いた。茶番は終わり……。

 ここまでの私は物語に沿ってきただけ。これより先に筋書きはない。

 そして何より、次はいよいよラスボスたるお父様との対面。正直さっきよりも緊張してきた。


気持ちがどんどん重くなる中、馬車はゆっくりと王都にあるアルメリア別邸へと走り出したのだった。


 アルメリア公爵家別邸……王都にある我が家で、宰相という役職上王都を離れることができない父と、それにくっついて来た母が暮らしている。

 赤茶のれん造りで白い柱が美しく彩る、別邸とは思えぬほどの豪奢な造り。

 前世の知識からすると、これでも十分豪邸といえるものなのだが……とは言え、あくまで本宅は領地にある屋敷なので、それと比べると幾分見劣りしてしまう。

 家に入るとエントランスを抜け、赤いじゆうたんを踏みしめながら自分の部屋へと歩を進めた。

 学園から追い出されたのだ……申し訳ないというか、ばつが悪いというか。

 何となく居心地の悪さを感じてしまって、自然と足早に歩く。

 白とピンクを基調とした可愛らしい自分の部屋に着くと、ホッと一息ついた。

 そのままソファーに身を沈め、心を落ち着ける。

 ……なにせ、夜にはラスボスとの対面だ。緊張を和らげたい。

「お嬢様……!」

「あら、ターニャ。今帰ったわ」

 涙ながらに入ってきたのは、私付きの侍女であるターニャ。

 平民の出ながらかんぺきな礼儀作法を身に付け、尚且つ美しい顔立ちをしている。

 複雑に編み込まれた髪型は隙がなく、それでいて可愛らしい。

 濃紺のシンプルな制服は、そんな彼女によく似合っていた。

「何故そんなに落ち着いているのです……! 私はもう、悔しくて悔しくて……」

 ボロボロと涙を流す彼女を見ていると、心がホッコリ温まる気がした。

 それと同時に、随分心配を掛けてしまったのだと、やっぱり申し訳ない気持ちになる。

 ターニャは平民の……それも、いわゆるスラムの出で、私がお忍びで街に出た時に拾った少女。

 その頃の私は、公爵子女という肩書きが重く感じていた時だった。


 家の中もそうだし、貴族社会の中でも我が家程の家格だと、中々気軽に話せる相手というのはいなかった。

 街に出て道で倒れている彼女を拾った時も、(もしかしたら、この子なら私の話し相手になってくれるかしら……)と打算的な思いで拾ったのだ。

 けれども彼女はそれ以来恩義を感じているらしく、私にとてもよく仕えてくれている。

 私からしても、ターニャは家族と言っても過言ではない存在だ。

「落ち着いて、ターニャ。今はまだ、悲しみに浸り泣く時ではないわ」

「……そうですね。失礼致しました。だん様は、夜にはお戻りになられるそうです」

 ターニャは頭の回転が良い。そして、すぐに事態に対応することができる。

 今も、それまでの涙はどこに行ったのか、落ち着きを取り戻して私の欲しかった情報をくれた。

「……そう。では、何か落ち着ける飲み物をちょうだい」

かしこまりました」

 いつたん部屋から出て行こうとしているターニャを呼び止めるために、私は再度口を開く。

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