エピローグ

エピローグ

「私たちは、奇跡を見ているのかしら」

美月を見下ろす昌子が驚愕の顔でそう言う。

「医師とは、科学的根拠に基づいて物事を考えるものだが、これは、奇跡としか、言い様がない」

宗嗣もまた、そう言って美月を見ている。

「生物は進化の過程で驚くべき能力を身につけてきたが、人間も、例外ではないと云う事だ」

生まれた時、赤ちゃんの身長は約50㎝だが、その後、成人に達するまでに100~130㎝成長する。しかし、それは常に一定のスピードで成長するわけではない。ヒトの成長パターンは3~4歳ごろまでの乳幼児期、その後思春期が始まるまでの小児期、そして思春期の3つに分けられる。1年間の伸びで見ると、生まれてから1歳までの伸びが25㎝と最大で、この速度は3~4歳までに急激に低下する。小児期の伸びは(5~6cm/年)で比較的一定しているが、よく見ると思春期直前までゆるやかに低下していることが判る。思春期に入ると成長速度は急に大きくなり、思春期の成長スパートと呼ばれる山を作る。山がピークに達したあとは急激に下がってゆき、思春期の進行とともに3年くらいでほとんど伸びなくなって成人身長に達する。

まだ意識の戻らぬ美月の身体は今、一日に5㎝前後の成長を続けている。

ーーーーーー

ーーー

【奇跡】等と云うのはこの世界には無く、我々は自分の引き出しに無い知識での対応に迫られた時、未知の物理現象に対し、それを【奇跡】と位置付ける。あの日、中国から放たれた核ミサイルは一機に止まり、そして核爆発による被害は【奇跡】的に、全く持って観測されなかった。

中国政府は核ミサイル発射について一切の言及をしなかった。中国政府からの圧力で、新聞を始めとするオールドメディアは、この事件に関して一切の報道を行わず、安武の意向で敷かれた報道規制により、日本国民はこの戦争の事実を知らないまま、事態は終息した。それはアメリカに於いても、北朝鮮、韓国に於いても同じ事で、あの、幻の戦争は、その一切が、闇に葬られたのだ。

「遼太、宗司、具合はどう?」

自衛隊舞鶴病院に収容されていた遼太と宗司は、もう退院が可能な程に回復していた。

「俺達はもう大丈夫、母さん、美月はどうなの」

「大丈夫よ、まだ意識は戻らないけれど・・・」

惠は後を濁すようにそう答えると、二人の退院準備に取り掛かる。

「よう、遼太、宗司、どうだ、歩けるか」

出発準備を終えた牧田が、山田、清水、大谷を引き連れて病室に現れる。

「ぼくたちは、もう、だいじょうぶ、あるけます」

「おお、宗司、言葉が流暢になってきたじゃねーか」

殆ど単語しか発しなかった宗司の言葉が、この数週間で、みるみると語彙を増していた。

「お前ら、もうちょいゆっくりして行けよ、何なら入隊の手続き終わらせてから行けばいいじゃねーか」

「ぜーーーったいに嫌だ!」

牧田と惠が口を揃えて言う。

「こんな不自由なところ、一分一秒たりとも居たくねーわ!おい、お前ら、帰るぞ!」

牧田のそれに、惠、遼太、宗司が笑いながら頷いた。

ーーーーーーー

ーー

「社長、これでよろしいですか」

「もう少し右だ」

「はい」

「よし、それでいい、読んでみろ」

新築された本社社屋にある社長室。真新しい額に入れられた会社理念を読み上げるよう、社長の栗山蜂兵衛は秘書に指示をした。

○・お客様と社会の信頼に応え 共に成長します。

○・新しい価値を創造し 社会の発展に貢献します。

○・常に挑戦を続け あらゆる可能性を追求します。

ネット通販が隆盛を極める現在、大手が手放した宅配業務を効率的に請け負うことに成功した、この蜂兵衛が率いる牧田の運送会社「牧田急便」は、今日ここに急激な成長を遂げていた。

「よしよし、これで会長にも喜んでもらえるだろう」

「帰りが待ち遠しいですね、社長」

「お前はまだ会長に会った事はないだろう」

「いやいや、社長が話す会長の武勇伝を聞いたら、私も、会いたくて、会いたくて」

「あはは、あの人は、生まれながらのヒーロー、俺の一番のヒーローだからな」

・・・兄貴・・・もう直ぐ会えますね・・・

ーーーーーーー

ーー

「安武さん、それでは、俺はこれで」

「新庄さん、この度は本当にお世話になりました」

「しかし安武さん、この国の反社会組織がこれで根こそぎ無くなったわけじゃねぇぜ」

「ええ、それは理解しています。健全な社会から漏れる人々が無くなる事は無い。しかし、私は、新庄さんの任侠道と、この国固有の文化、【極道】を極める皆さんに期待しています」

「なんか上手く丸投げされた感じだぜ」

「そんな事はありません、我々は社会が正しく機能する為なら、どんな協力も惜しみません」

「ははは、協力と云うなら、俺たちより北朝鮮の崔流海と、向こうに残った金城を助けてやってくれ。これから韓国政府を相手に統一を成し遂げるには、あんたら日本政府の力が必要だ」

「ええ、勿論、我々は南北統一に援助を惜しみません。朝鮮半島、台湾との連携は、中国から世界征服を企むあの男を牽制するには必須課題ですから」

ーーーーーーー

ーー

「おい山田、ところで高橋の方はどうなんだ」

「あいつは・・・安樂栄治の司法解剖の結果を・・・」

安樂の名が出ると、その場の空気が一瞬にして戦慄する。

トゥルルル

そしてその戦慄に合わせるかのように山田の携帯に高橋からの着信が入る。

「噂をすれば、なんとやら、ベタな展開だな」

山田は呆れる様な笑いを含み、高橋の電話に出る。

「そうか、分った、牧田と惠さんにも俺から伝えておく、後は頼んだぞ、高橋」

電話を切った山田に皆の視線が集まる。

「安樂の着衣から発見されたUSBの復元に成功したそうだ」

「じゃあ、それに」

「あぁ、遅発性ウイルスの情報と、治療薬の情報が入っていた。これで、役満ツモだ。ウイルスは、単なる麻疹として国民の間で流行るだけで済む」

山田の言葉に、惠と牧田を除くその場全員が安堵の溜め息を漏らす。憐れみとも哀しみとも覚束ぬ感情に黄昏る惠の肩を、牧田が小気味よくひとつ叩いた。

「お前ら、休暇を取れたのか」

「大丈夫だ、もう少し残務処理をしたら、美月ちゃんの病院に駆けつけるよ」

「それまでに、美月ちゃんの意識が戻ればいいんですけどね・・・」

優樹のそれに、皆が暗い顔になる。

「心配しないで、美月は今、私のここに居る、あの子は今、準備をしているの」

「準備?」

「ええ。遼太も宗司も、あの海の底から海面に出る時、新しく生まれ変わった。美月も今、本来の形で、生まれ変わる準備をしているだけ」

「い、いまいち、よく理解出来んのだが」

疑問符をありありと顔に浮かべた山田がそう言う。

「ふふふ、まぁ、後のお楽しみよ、山田さん、宏太くん、優樹くん、休暇に入ったら、来てね」

「分りました」

牧田、惠、遼太、宗司は自衛隊舞鶴病院のエントランスに降りた。

「おい、山田、あれはなんだ」

「新庄さんからの預かり物だ」

ロータリーに駐車されているメルセデスベンツマイバッハを指さす牧田に、山田はそう答えながら何かを牧田に手渡す。

「おいおいおい!」

「俺は頼まれただけだぜ」

山田が牧田に手渡したのは、金城組の金バッジだった。

「山田」

「なんだ」

「車はまぁ、貰っとくが、これはお前にやる」

「ばかやろー!なんで現職の自衛官が極道の金バッジなんだよ!」

「いや、部長、意外に似合いますよ、それ」

ばちこーーーん

「詰まらん発言は許さん!つか、俺はもう部長じゃねぇ!隊長だ!」

「ひぃぃーーすいませーーーん」

山田にシバかれる優樹を笑いながら、牧田たちは車に乗り込んだ。

「じゃあな、先に行って待ってるぜ」

ーーーーーー

ーー

トゥルルル、トゥルルル

舞鶴道をひた走るベンツの車内で牧田の携帯が鳴る。

「もしもし」

「あ、もしもし、兄貴、俺です」

「俺って誰だ」

「いや、えーー!俺っすよ」

「オレオレ詐欺に用はねぇぞ」

「兄貴ぃぃ!酷いじゃないっすか!俺っすよハチっす」

「ハチ?」

「そうですよ」

「知らん!」

「えーーー!」

牧田が電話口を塞ぎ、後部座席の遼太に問いかける。

「おい、遼太、ハチって誰だよ」

「と、父さん、ハチさんだよ!ハゲのハチさん」

「あーーーー!思い出した!ハチか!」

「こぉぉらぁぁ涼太!誰がハゲじゃ!」

「おわぁぁ!父さん!スマホ!」

電話口を塞いだ筈の牧田だったが、使い慣れないスマホゆえ、携帯をスピーカー状態にしてしまっていた。

「あーーにーーーきーーー・・・・」

スピーカーから柳に揺れる亡霊の様なハチの声が聞こえて来る。

「おい、待て、ハチ、悪いのは俺じゃない」

「だーーれーーがーーわーーるーーとーーいーーうーーー」

「悪いのは、作者だ!」

牧田はきっぱりと答える。

「作者が途中休載して、お前の事を最後まで忘れていたんだ」

(すいませんハチさん、秀さんの言う通りです)←(作者)

「あぁぁ―怖かったぁぁぁ・・・で、ハチさん、なんて?」

「あぁ、なんか俺の会社をMTホールディングスにして株式を上場したとかよ、遼太には取締役になる前に、ドライバーとして修業してもらうとかよ、よく分からねぇ事をギャーギャー言ってたぜあいつ。つか、惠、喜べ!」

「な、何よ」

「お前の店、完成したって、ハチが言ってた」

「ほ、ホントに!」

「おう!美月の新しい誕生祝は、新しいお前の店でやるぞ!これで母ちゃんの味、復活させられるな」

「うん」

車内で遼太と宗司、そして牧田の拍手が巻き起こる。

「よかったな、惠」

「ありがとう、秀さん・・・あっ!」

「どうした惠」

それは、懐かしい、そして人生で何度も無い、幸せの感覚だった。

「美月が」

「え?」

惠は自分のお腹を撫でる。

「私のお腹の中で、美月が動いた気がしたの」

それは、間違いなく、宗司がお腹にいる時に感じた、あの胎動と同じ感覚だった。

「美月、もうすぐ会えるよ」

惠はそう呟きながらまた、自分の腹を撫で微笑んだ。

ーーーーーー

ーー

「美月ちゃんの具合はどうです」

そう言って病室を訪れたのは、安武晋三だった。

「これは総理」

宗嗣、昌子、紀子が席を立ち、安武に頭を下げる。

「今日は総理ではなく、安武晋三と云う一人の人間として来ましたので、お気遣い無く」

「そんな、総理」

「いやいや、お宅の娘さん、惠さんにね、以前、叱られた事があるのでね、そこは、はっきりとさせておきましょう」

宗嗣と昌子は安武の意を汲めず、ポカンとしたまま安武を迎え入れる。

「脳波は、丁度、レム睡眠の状態に近い、もう、何時、目覚めてもおかしくありません」

「そうですか。で、秀さんたちは」

「ええ、もうそろそろ、ここに着く頃です」

ーーーーーーー

ーー

インターチェンジを下りると山間を貫く緩やかで長い上り坂が続いた。その景色が昔、秋山と云う福祉の職員に連れられ、あの施設に赴いた日を惠に思い出させた。疲労した筋肉に蓄積する乳酸に悩まされながら、医師になりたい一心であの長い坂道を登った。あの頃の自分は、自分に宿る力の意味も理解出来ず、ただその力に振り回され生きていた。宿る力を自らのものだと勘違いして、その力は自らの為に使うものだと誤解して、何故、自分にその力があるのかと云う根本を考えもしなかった。

でも、今は違う。この力は自分のものではない。そして、自分の為に使うものでもない。この力は、自分から繋がる過去に存在した、全ての生命が蓄積した記憶の力。連鎖する命の繋がりの先端に居る自分から、次の鎖へと繋げていく為に在る力。

私はもう二度と、この力を憎まない。胸を張って、宗司に、そして未来の子孫に、伝えて行きたい。醜く、くだらない、戦争の無い、明日を創る為に。

「もしもし、お母様」

「もしもし、惠ちゃん、お帰りなさい」

「もう直ぐです、この坂道を登り切ったら、到着します」

坂道を上り詰めると、そこには見覚えのある建物が見えて来た。牧田はウインカーを点灯させ、この先で下りに入って行く県道から建物がある左へと折れて行く。やがて車はエントランス前のロータリーに差し掛かり、そこには二つの人影が立っていた。

「お帰りなさい、惠ちゃん」

「お父様、お母様、只今、戻りました」

惠がそう言いながら助手席の扉を開くのと同時に、後部座席から遼太と宗司が、宗嗣と昌子の前に降り立った。

「お父様、お母様、彼が、宗利さんの御子息、宗司です」

惠は宗司の肩に軽く両手を置き、宗嗣と昌子に彼を紹介する。

「君が・・・宗司・・・君が・・・」

宗嗣はそこまで言うと、もうその先は嗚咽で言葉にならない。

「立派に、立派に大きくなって・・・」

昌子も、それから先の言葉を繋げられない。

「さぁ、宗司、ご挨拶をして、この人達が、あなたの祖父さんと、祖母さんよ」

「惠ちゃん、彼に私たちの事は」

そう質問する宗嗣の言葉に惠は無言で首を横に振る。

「あの、はじめまして、おじいちゃん、おばあちゃん、とっても、とっても、あいたかった、ぼくは、ずっとずっと、あいたいと、おもっていました」

宗司の瞳にも、涙の粒が溢れていた。それは、昔、彼が流して来た感情の無いあの涙ではなく、咫尺(しせき)天涯(てんがい)の果て、肉親への想いがぎっしりと積りに積もった重い、重い涙の粒だった。

三人は吸い寄せられるように抱き合い、そして暫く嗚咽だけが優しい風の中を流れる。

「惠ちゃん」

「はい」

「本当に、本当に、ありがとう」

宗嗣と昌子が、ひれ伏すように惠に頭を下げると、それを見ていた牧田が二人の肩を叩く。

「良かったな」

「牧田さん、あなたにも、私達はなんとお礼を言えばよいのか」

牧田は無言で大きく微笑み、もう一度二人の肩を叩く。

「さぁ、美月のところへ案内してくれ」

「はい」

記憶にあるエントランスから記憶のあるエレベーターで階上へと上り、記憶のある廊下を通って、記憶のある病室の扉を開いた。記憶のある室内で、記憶にあるベットに横たわる美月は、記憶にあるあの美月の姿ではなく、記憶には無い、まるで天女の様に美しく成長を遂げた美月だった。

「お、おい、こんな事って・・・」

余りの美月の変わりように、牧田は息を飲む。

「これが、本当の、美月の姿、なんだね」

遼太は美月の傍により、優しく美月の頬を撫でる。

「美月、帰って来たよ」

表しようの無い感情の高ぶりの中、溢れ出る確かな愛情を宿した惠の涙が頬を伝い、美月の瞳の上にひとつ、ふたつ、流れ落ちる。その雫に促されるように、ゆっくりと、美月の目が、この現世の光を見ようと開き始める。

 ・・・ママ・・・

  ・・・美月・・・

・・・生まれて来たよ、ママ・・・

 ・・・うん、生まれて来てくれて、ありがとう・・・

とこしえから連なる命の先端で、二人は抱き合い、いつまでも、いつまでも、その肌の温もりを確かめ合い、本当の親子になった事を分かり合った。

   ・・・ママ、会いたかったよ・・・

 ・・・私もよ美月・・・もう二度と・・・あなたを離さないからね・・・

ーーーーー

ーー

まだ自衛隊舞鶴病院に居た山田たちの元に、正式な検死結果を手にした高橋が戻って来た。

「死因は失血死、牧田さんの9㎜パラメダム弾が心臓を撃ち抜いています」

「あいつがミスる筈はない、安樂は」

「ええ、牧田さんの正確無比な射撃を知っての、自殺行為です」

高橋の報告を聞き終えると、山田が宏太と優樹にそれぞれの指示をする。

「清水、休暇の申請状況を確認して来てくれ。優樹、お母さんに電話して美月ちゃんの近況を確認してくれ」

「分りました」

宏太と優樹が室外に出ると、山田は高橋に目配せをした。それに応じ、高橋は山田に、小さく折りたたまれたメモを手渡す。手渡されたメモを山田が開くと、メモには【S】の一文字だけが書かれていて、視線を高橋に向けた山田が高橋に対し小さく頷いた。そこに素っ頓狂な大声を張り上げ、優樹が室内に飛び込んで来た。

「ぶ!ぶぶぶ!部長!いやちがーう!たた、隊長、美月ちゃんが!目を覚ましたそうです!」

「そうか!よし!休暇申請は事後承諾でいい、全員、出発の準備をしろ」

「はい!」

ーーーーーーー

ーー

「お帰り、じゃねぇな、誕生日、おめでとうだな。会いたかったぞ、美月」

「秀さん!」

「美月、誕生日、おめでとう」

「パパ!」

惠から身体を離した美月が、今度は牧田と遼太に抱きつく。

「しばらく見ないうちに大きくなったな、どれ、手、見せてみろ」

牧田のそれに美月は右の手を牧田に、左の手を遼太に向けて見せる。牧田はその手をグローブのように厳つい自分の掌でそっと包み込んだ。

「まだまだ、小さい、小さい、暫くは何だな、俺が守る方だな」

「秀さんの手は大きいから、ずっと守ってくれる方だよ、パパの手は、何時か美月が守る日が来るかもしれないね」

美月はそう言うとフフっと小さく微笑む。ただ小さく笑むだけのその微笑みは、しかし、その場に居た全員の心を和ませる。それは明らかに、惠から始まったあの力の片鱗であり、血は繋がらなくとも、心を通わせると云う事で得られた、掛け替えのない絆であり、伝承でもあった。

美月は少しふらつきながらベットから立ち上がると、病室全部を見渡す。

「片山先生、昌子さん、そして紀子さん、これまで私の命を見守ってくれて、本当にありがとうございました」

美月に名前を呼ばれた三人が、信じ難い何かを見る様な目になる。

「美月ちゃん、どうして我々の名前を」

「ずっと、見ていたんですよ、宗利さんと一緒に」

「宗利と・・・一緒に・・・」

「はい。僕のお父さんも、お母さんも、とても優秀な医師だから、きっと大丈夫だって」

「そんな事を、あの子が・・・」

「あ、それと、お父さんの作るローストビーフはとても美味しいから、今度、作ってもらうといいって、そんな事も言っていました」

「宗利は、宗利は、今どこに居るの、美月ちゃん」

「アンちゃんより、深いところ・・・でも、思い出してあげれば、何時でも傍に来てくれますよ、宗利さんは、お父さんと、お母さんの事が、大好きだから」

再び嗚咽をこらえ涙する二人から、美月は宗司に視線を移し、そして歩み寄る。

「宗司くん、宗利さんから伝言です」

宗司は大きく目を見開いて美月を見る。

「どうか、おじいちゃんと、おばあちゃんを、助けてあげて欲しい、お母さんと離れて暮らすのは辛いかもしれない、でも、僕の代わりに、おじいちゃんと、おばあちゃんと一緒に、暮らしてあげて欲しい、そう彼は言ってたよ」

宗司はその大きく見開いた目をそのまま惠に向け、それを受ける惠は大きく頷いた。

「宗司、離れていても、お母さんは、ずっと、宗司の事を見てるいよ。いつだって、宗司の傍に居る」

「お母さん・・・」

一瞬の躊躇いの後、しかし宗司もまた惠に大きく頷いた。

「お母さん、僕、医師になる、お父さんみたいな、りっぱな、医師になって、おじいちゃんと、おばあちゃんを、僕が守る」

ーーーーーー

ーーー

山田たちが準備を整え自衛隊舞鶴病院のエントランスに降りると、太いアイドリング音を響かせたステージア260RSがロータリーに停車していた。

「おう、お前ら、乗れ、こいつなら新幹線より早いぜ」

そう言って窓から乗り出し手を振っているのは新庄正和だった。

このステージア260RSは、搭載されるRB26DETTエンジンを2.8リッター化し、さらにトラスト製T88タービンを装着されていた。ミッションも載せ換えされ、6速MT化が行われている。空力を考え、ワンオフアンダーパネルを装着。足回りにはアペックスN1ダンパーを装着、さらにニスモ強化リンクも取り付けられ、ブレーキは前後ブレンボキャリパー仕様になっている、1000馬力オーバーの、モンスターステージア260RSだった。

「新庄さん、相変わらず情報が早い」

「情報が遅い奴は、金儲け出来ねぇんだよ、いいから早く乗れ」

四人は新庄に従がい、ステージアの広い荷室に荷物を放り込むと、すぐさま乗車した。

「300キロオーバーでぶっ飛ばす、お前ら、しょんべんちびんなよ」

「わーーー!だめーーー!俺達ーーー!自衛官ですからーーーー!」

優樹の反抗むなしく、タイヤから白煙を上げるステージアが兵庫県を目指し、フル加速で病院から走り出して行った。

ーーーーーーーーーーー

ーー

「お父様、お母様、宗司を、お願い出来ますか」

「惠ちゃん、貴女は本当にそれでいいの」

「はい、それが彼の意思であるなら。その代わり」

「その代り?」

「私もずっと、お父様とお母様の、娘で居させて下さい」

「惠ちゃん、貴女って人は・・・ありがとう、惠ちゃん」

感無量の宗嗣と昌子が惠に頭を下げると、安武がゆっくりと拍手を始め、するとその場の全員が一斉に盛大な拍手をする。

「これで惠さんに、本当の御両親が出来た、となると、秀さん」

拍手を先導していた安武が手を止め、牧田を見て意味ありげに笑う。

「な、なんだ?」

安武はにんまりとした笑顔のまま内ポケットから取り出した封筒を牧田に手渡し、それを開け中身を見た牧田の顔が、正に茹で上がるエビかタコのように真っ赤に変色する。

「おい!晋ちゃん!冗談はよせ!」

「冗談ではありませんよ秀さん、惠さんの御両親がこうして目の前に居るんです、こんな機会、滅多にあるもんじゃない、いい加減、男らしく振舞いなさい」

牧田が手にしているもの、それは、一通の婚姻届けだった。

「父さん、良かったね」

何時からか牧田を父さんと呼ぶようになった遼太が、牧田の背中を叩く。

「おい、遼太、てめぇ!」

それを見ていた美月が、遼太に習い、自分も牧田の背中を叩く。

「お父さん、早く、早く、頑張って、ほら!」

・・・・・・

「・・・おい、美月ちゃん」

「なーに?」

「今、なんて言ったよ?」

「頑張れって言ったよ」

「違います、その前ですよ」

「あぁ、だって、ママと結婚したら、秀さんは、美月のお父さんだもん」

「お父さん、ですか、私、あなたに、お父さんと呼ばれるんですか」

「うん」

「よぉっしゃぁぁぁ!惠ぃぃ!俺と結婚・・・え?」

ガン見していた婚姻届けから惠に視線を向けた牧田が見たもの、それは、久々に巻き起こるあの流星群だった。

「と、父さん、それは、違う、何か、違う気がする、順序が、間違ってる、気がする」

「アワワワ、秀さん、それは、私も、遼太くんと、同じ意見ですよ」

しかし、惠の様子は、いつもと違っていた。流星群の吹き荒れる中、惠はいつものように爆発することなく留まっているのだ。

「わ、わ、分った、そうだ、それは、あはは、違う、そうだ、おう、違う、違うとも」

牧田は惠を見詰めながら、その場から一歩下がり、惠の前に跪き、ゴクリとひとつ唾を呑んだ。

「め、め、惠さ、さん」

「何よ」

「お、俺は、俺は、あの、その、実は、その、最初から、最初から、お前の事が、す、す、す、好きだったんだよ!ばかやろうー!」

「ばかやろう?」

「あ、すいません、ばかやろうは、余計でした」

「何時からなの」

「はぁぁぁ?」

「だから、何時から私の事、好きだったの」

「お前ぇぇぇ!それ聞くかぁ?そこ重要かぁぁ?」

「重要よ、詳細に述べよ!」

「あ、はい、分かりました、えー、あの、最初に、お前に、シバかれた時からです」

牧田のそれで、その場の全員が堪らず大笑いを始める。

「ぎゃっはっはっはっ、父さん、なにそれ、どエムか!」

「ひーっひっひっひっ、ひ、秀さん、腹痛い、なんですか、その変な理由は」

「う、うるせー!俺はあの時、初めて人に無抵抗でぶん殴られたんだよ!つか、聞けお前ら!続きがあるんだっ!」

そこで牧田が初めて真剣な眼差しで惠を見た。

「お前にシバかれた後よ、お前の身の上を母ちゃんの家で聞いちまった。あんなに強いくせに、あの時のお前は、何よりも、誰よりも弱くて、だから俺は、そんなお前を、守ってやりたい、そう思って、今日まで傍に居た」

「秀さん・・・」

「惠、俺と結婚してくれ」

惠は天井に一度視線を向け、そして大きく頷いた。

「はい、不束者ですが、よろしくお願いします」

ーーーーーーーーーーー

ーーーーー

「よーし、ちょっと休憩だ、トイレに行こう」

新庄はベタ踏みしていたアクセルを緩め、減速したステージアがパーキングエリアへと進入して行く。停車したステージアから皆が降りる中、清水だけが車内に残る。

「何だ清水、お前、行かないのか」

「はい、俺は大丈夫なんで」

「そうか」

声を掛けた山田にそう清水が応えると、他の者はトイレへと足を運んで行った。しかし、山田は途中で振り返り、清水が携帯画面に目を落としている事を確認すると、清水の死角に回り込み、車に逆戻りする。

「清水、何をしている」

ーーーーーーーー

ーー

「おめでとう、秀さん」

「おめでとう、惠ちゃん」

皆が満面の笑顔で二人を取り囲み、盛大な拍手を贈る。鳴り止まない拍手の中、牧田が思い出したように言う。

「そうだ!おい、遼太、ちょっと待ってろ」

「え?」

「渡したいものがあるんだ、本当は惠の店で渡そうと思ってたんだが、こうなったら仕方ねぇ、ちょっと待ってろ」

全く事情を呑み込めない遼太が、ポカンとした顔で返事をする。

「あぁ、よくわかんないけど、うん、分かった」

牧田は遼太に微笑むと惠をチラリと見て部屋を出て行った。

「母さん、あれ、なに?」

「ふふふ、まぁ、楽しみに待ってなさい」

「ちぇーっ、何だよもう」

              2

「ったく、晋ちゃんも人が悪いぜ」

牧田はそう呟くと病院を出て歩き出した。宗司の心に根付いた闇は晴れ、美月の解離性同一性障害も、アンと云うもう一人の人格との統合を果たした。

・・・しかし、遼太はまだだ・・・

安樂栄治が死んだことで、洗脳により遼太が豹変する心配は無くなった、だが、遼太の心に、まだ洗脳は残ったままであり、母を殺したかもしれないと云う暗示も、人を殺したかもしれないと云う不安も、残ったままなのだ。

・・・それを解いてやらなきゃな・・・それが喩えどんなに辛くとも・・・あいつはそれに向き合い・・・戦うべきだ・・・そして・・・傷ついたあいつを・・・俺たちが受けとめてやる・・・それが・・・家族ってもんだからよ・・・

遼太に人殺しをやらせたのも、遼太の母親を殺したのも、安樂だ。しかし、安樂が死んだ今、その根拠を得る事は永遠に不可能になった。人の記憶は消せはしない。消せない記憶を背負って、人は生きねばならない。それなら、消せない記憶の、その先で訪れた幸せの中に居る今が、遼太の心のしこりを取り除く絶好の機会であると牧田は考えていた。

 ・・・やるなら今しかねぇ・・・

  ・・・あいつの心に巣食う黄色いリンゴ・・・

 ・・・そいつを赤くて瑞々しいリンゴに変えてやるのは、今しかねぇ・・・

この青野ヶ原の先にリンゴ農園がある事を牧田は知っていた。

「待ってろ、遼太、赤いリンゴを、腹いっぱいお前に食わせてやる」

ーーーーーーー

ーー

「た!隊長!」

山田は清水の携帯を素早く奪い取る。

「何時からだてめぇ!何を、誰にリークしやがった!」

山田は清水から取り上げた携帯を手にしながら荷室を開け清水の荷物を開く、すると、清水の眼鏡ケースの中から注射器と覚醒剤が出て来た。

「清水!てめぇ!どうしてだ!」

「俺は、俺は本当は、あの作戦に参加するのが怖かった、怖くて怖くてどうしようもなかったんですよ!でも、大谷に負けたくなくて・・・だから・・・だから俺は・・・」

「清水・・・」

尋常ではない山田と清水の様子を見て、トイレに向かった全員が踵を返し走り寄って来る。

「隊長!どうしました」

「高橋・・・牧田に電話しろ、病院に集まっている皆が危ない」

ーーーーーー

ーーーーーーーーーー

「すいませーん、誰かいませんかー」

牧田は農園に足を踏み入れ、大声で呼びかけてみる。昼下がりのリンゴ農園は、柔らかい日差しに包まれ長閑だった。木陰で鴉がひとつ、カァと鳴く。

「なんだよ、誰も居ないのかよ」

牧田は其処かしこに成る、瑞々しく赤いリンゴを見上げる。

「まぁ、金置いていきゃ、大丈夫だろう」

後ろポケットからしょぼくれた二つ折りの財布を取り出し、その中から一万円札を一枚取り出すと、収穫用の籠の中にほうり込む。牧田は枝に手を伸ばし、リンゴを摘みだした。すると、突然、牧田の携帯が鳴る。

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

ーーー

ーーーーー

ーー

・・・牧田さん・・・早く出てくれ・・・

ーーー

ーーーーーーーー

ーー

牧田がリンゴを摘む手を止め電話に出ようとしたその時だった。

「そこで何をしてる!」

突然、誰かが大声で牧田の行為を咎めた。無断でリンゴを摘むと云う行為から、掛かって来た電話に注意が向いたその瞬間に大声で咎められる。二重に気をそがれた事が、牧田にとって致命的だった。

パンッパンッパンッ!

背後からした銃声と共に、牧田は前に居る、自分を咎めた人物の服装に違和感を覚える。

「誰だぁ、てめぇ」

場違いなスーツ姿のその男は、牧田の前でサングラスを外す。

「俺ですよ」

「加藤」

「ひさしぶりだなぁ、牧田秀夫、ククク・・・」

「生きてやがったのか、てめぇ」

22口径であるが故、牧田の背後から発射された弾丸は牧田の強靭な筋肉に阻まれ腹を貫通しなかった。体内には三発の銃弾が残っている。加藤は一気に空気を吸い込むと呼吸を止め、昔取った杵柄である左右からの強烈なフックを連打し、それを牧田の腹にぶち込んだ。腹の中に留まった銃弾の切っ先が、牧田の内臓にある動脈を次々に傷つけて行く。

「うがぁぁぁ」

堪らず跪いた牧田は自分に向けて発砲した人間の顔を見る。

「なんだ、あんたは誰だ」

「ざまぁみろ!息子の敵だ!」

「息子?」

「私はね、あんたらに、この国に殺された、大西誠二の母親さ」

「大西・・・誠二ってのか、あいつ・・・」

「あの子はね、あんなだったけれど、私にはとっても優しくて、掛け替えのない息子だったんだよ!」

「そうか、そんなら、仕方ねぇ、悪かったな、婆さん」

 牧田は這いずる様に大西の母親に近づくと、彼女が持つ拳銃を握り自らの腹に向けた。

「ここからなら確実だ、打て」

 パンッ

「うごぁ!」

 恐怖と憎しみで歪んだ顔のままトリガーを引いた大西の母親から牧田は拳銃を奪う。

「これで恨みっこなしだぜ」

 牧田はそう言いながら奪った拳銃のレンコンに残る二発を加藤に向けて発射した。

パンッパンッ

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

携帯の着信音は未だ、鳴り続けていた。

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

加藤が血飛沫の中、無言のまま下草に沈んで行く

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

・・・ごめんなぁ・・・遼太・・・

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

・・・遼太・・・これを見ろ・・・

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

・・・リンゴはよぉ・・・

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

・・・黄色くなんかねぇんだぜ・・・遼太・・・

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

・・・赤くてよ・・・

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

・・・瑞々しいもんなんだ・・・

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

・・・分るか・・・遼太・・・

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

  トゥルルル トゥルルル トゥルルル

 トゥルルル トゥルルル トゥルルル

   トゥルルル トゥルルル トゥルルル


            3

「美月、こっち、こっち」

「ごめんごめん、お母さん、ありがとう」

「もう、ほんとにあんたはおっちょこちょいなんだから」

「てへっ」

 出勤前、下駄箱の上に置き去りにされていたお弁当を、惠は美月の勤める片山総合病院の受付に届けに来ていた。

「ホントな!おい、美月、土井海星くんの手術、終わったぞ」

「はいはい、分ってますよ片山先生、じゃ、お母さん、ありがとね」

 苦笑いでそう言う宗司に見向きもせず、美月はお弁当を片手に海星の病室に向けて走り去って行く。

「仕事熱心はいいんだけどね、宗司」

「まぁ、仕方ないよ、母さんの娘だからね」

「何だとぉ」

 惠の背後に流星群が渦巻く。

「やっ!やめろよ母さん!こんな所で」

 流星群を目にした宗司は這う(ほう)這う(ほう)の体(てい)でその場を逃げ出して行く。その背中をくすくすと笑いながら惠は見送った。

 美月は手術室から病室に戻った海星の枕元に跪くと、麻酔から覚めた海星に話し掛ける。

「海星くん、どう、気分は」

「大丈夫、お姉ちゃんが手術の前に手を握ってくれたから」

 美月はそう言って笑った海星の手をもう一度自分の手で優しく包み込んだ

「海星くん」

「なぁに」

「海星くんの手と、お姉ちゃんの手、どっちが大きい」

「お姉ちゃんの手だよ」

「そうだね、だから今は、お姉ちゃんが、どんな事をしても海星くんを守る。海星君の病気は必ず治るよ、心配しなくていい」

「うん」

「でもね海星くん、病気が治って、何時か海星くんが大きくなって、この小さな手も大きくなったら、今度は海星くんが、自分より小さな手を守るんだよ」

「そうなの」

「そうだよ。住んでいる国が違っても、肌の色が違っても、どんな場所のどんな人でも関係なく、大きい手の方が、小さい手の方を守るの」

「大きい手の方が、小さい手の方を、守るんだね、うん、分かった」

「約束だよ」

「はーい」

 元気に返事をする海星の手を、美月は少し強く握りしめながらう。


・・・そうだよね・・・


・・・お父さん・・・

 

                            

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黄色いリンゴ マルムス @Marumusu1007

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