神絵師ゴッドハンド

GiZAIYA

最下層〈ドウゲンザカ〉

凍結絵師の章 其の一

 ――最強の絵師はだれか。


 その男は県立芸術大学の留年限界点を突破し、晴れて浮浪の身となった。

 旧い話ではない。どのような作品も芸術であるという口実で概ね許容される現代の逸話。

 男のステータスは油絵専攻。現役で県芸に合格しただけあって男の技量は在学中も上々と評され、講評でも画力は申し分なしとされた。課題も厳しいものではなく、こけた経験はない。在学中は漫研に所属し仲間たちと切磋琢磨して同人誌を描いた。大学二年で彼女が出来、無事に童貞を卒業した。その頃には既にゲーム会社から発注を受けるフリーのイラストレーターとなり、一端の絵師であると自負できる才能を持っていた。

 男は絵師として〈三須久利人〉さんすくりとと名乗った。古代インド語で「輪廻」を意味するサンスクリットに由来する。これは彼が宗教画を調べるうちに辿り着いた言葉であり、その後の彼が背負う業に相応しい名前であった。


 この順風満帆な学生に試練が訪れたのは、四回生最後の制作。すなわち卒業制作のときである。「作品があまりにも反社会的である」という問題が指摘され、委員会から却下の判が下ったのが闘争の始まりであった。久利人の卒業制作展への出展はついに認められず、留年して次期から制作をやり直すことになった。

 しかし翌年、ふたたび彼の作品は却下される。「大学としては許すわけにはいかない」「大事になる」「文部科学省や市長から怒られるだろきみ」「別のを作りたまえ」「これは破廉恥ですよ先輩」「いくらなんでも見せられない作品」「常識がないのか」などなど。周囲からの罵詈雑言を一身に受けても尚、彼は諦めなかった。彼女に捨てられ、サークルから追い出され、陰部丸出しのロリキャラを送りつけるせいで仕事をもらえなくなっても、彼は省みることはなかった。

 大学からしてみれば社会的批判とお上の圧力がかかるのは必至であるがゆえに絶対に承認するわけにはいかない。そのようなことを大学生にもなって理解していない彼ではなかったが、彼は続けた。譲ることのできない信念、曲げることのできないスタンスだった。


 彼は大学と戦い続け、そしてついに勝つことはなかった。


 シブ・シティ。

 紙幣や硬貨といった物理的な通貨はおろか、あらゆる電子マネーが廃止され『イイネ』の認証による支払いが経済を支配する街。すべての住民が絵を描きネットにアップする、絵の認知が生活と生命に直結する街。そこに三須久利人と名乗る絵師が来訪するのは、彼が大学を追い出されて数カ月後のことであった。

 現在の久利人の眼に学生時代の面影はない。

 大学との戦いで艶やかだった髪は真っ白に染まり切ってしまい、そこにこの世に対するあらゆる恨めしさを称えた貌が合わされば、だれかが幽鬼と見紛うのも不思議ではない。

 しかし皮肉にも世俗への反骨心が彼を育み、実った画力は彼を一流の絵師へと昇華させていた。

 シブ・シティ内で形成されたネットワーク・コミュニティは彼の持つ画力を見逃さなかった。絵師たちの電子主戦場であるSNS〈ツイッポー〉に投稿された彼の絵は初日から八百ほどの『イイネ』を獲得した。

「よォ兄チャン……」

 不意に背後から声をかけられ、久利人は眉をしかめた。

 振り返ると自身よりも幾分か背丈の高い男が立っている。そこで久利人は気づいた。自分が今いる場所が人気のない路地裏であり、周囲に人の気配などないことに。

「イイネ持ってるんだってなァ……ちょっくら分けてくんねえかぁ? 俺によぉ」

 デッサンで鍛えられた久利人の眼が、男の身体状況を即座に見抜いた。

 もうずいぶんと使い古されたと思われる体よりも少し大きめの服、切れかけの紐と穴の開いたシューズ、黒ずんだ肌、痩せこけた頬。自分に声をかけたこの男は、数日の間なにも食べていないらしい。

 生活を支えるだけの『イイネ』を獲得できなかった底辺絵師が蛮行に走ることは珍しくないと、久利人はシブ・シティに来る前から耳にしていた。

 関わるまいと踵を返す久利人を見やると、底辺絵師の男は叫んだ。

「イイネをよこせええッ!」

 慌てて飛びかかってきた男を軽く避けると、悪臭が久利人の鼻をついた。

「臭いな」

 その言葉が男の耳に届いたのかどうか、久利人にはわからなかった。今の行動が飢餓のなかで最後の力を振り絞ったものだったのか、男は路地裏の地面に突っ伏したまま気を失っていたのである。

 久利人は何も云わず、底辺絵師の男に向けてサムズアップをした。

《イイネしました》

 脳内に短い電子音声が届く。

 シブ・シティに入る際に首筋に埋め込まれた機械端末〈xai〉によるものだ。これに体内に注射したナノマシンを通じて身体情報などが記録され、シブ絵師としてのステータスを維持している。このデバイスには所持するイイネの数やSNS用のアプリなどがインストールされており、今のように払いたい相手に親指を立てることでイイネを送信することができる。

「イイネ一回分だ。一食くらいは賄えるだろう」

 しかし今送ったこのイイネを、倒れた底辺絵師は使うことができるのだろうか。あるいはこのまま底辺絵師に相応しく野垂れ死にする運命にあるのではないだろうか。久利人はほんの少しばかり考えたが、なにくわぬ顔でその場をあとにした。

 現在、久利人の持つイイネ数は四桁に達しつつある。初日からこれだけのイイネが手に入ったのは嬉しかった。

「県芸のバカどもが……」

 自身の才能を自覚してすぐに、出展を許さなかった委員会のことを思い出し恨みごとを吐く。

 久利人は点眼タイプのナノマシンを差し、〈xai〉からシブ・シティの公共データベースにアクセスする。網膜に構築されたディスプレイにインデックスページが開かれ、次いでいくつかの最新情報トピックスが表示される。前世代、電脳手術を受けた人々は脳に直接、膨大な数のマイクロマシンを注入してこれと同じことをしていたと、学生時代の教科書に書いてあった。ネットが潜るものから平行するものに変わったため電脳文化はすぐに廃れてネットアバターを賛美する社会に切り替わったが、シブ・シティではそのネットアバターを持つことが許されていないため、僅かな手術とナノマシン注入でかつての電脳と同じことができる、実際には電脳でもなんでもない『スマート電脳』なる技術を用いる。

 点眼タイプのナノマシンも、かつては目の周りにクリームを塗る必要があったらしいが、今では数時間ごとに(モノによっては数日ごと)に目に差すだけで網膜ディスプレイを維持できる。

 データベースにある「シブ・シティに来たらやることリスト」なるページを開き、そこに記された情報を記憶した。


 それから数日と経たずうちに久利人はその地区で中流階級の絵師が集まるマンションの一室を借りる。敷金礼金その他諸々を支払ってもまだ六百イイネが余った。野垂れ死にする底辺絵師もいるなかで、これは絵師として好調なスタートであると云える。

 問題はこの生活をどう維持するかだった。世間のトレンドを調べ、ほかの絵師と交流し、人気作品の二次創作を投稿していれば当分は食うに困らない。しかし久利人には野望があった。

 シブ・シティで成り上がるという夢。

 それを叶えるためには、今いる地区のなかで最も強い絵師を倒さなければならない。そしてシブ・シティの絵師である以上、自分もまた別の絵師に狙われる覚悟を常に持たなければいなかった。

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