クリアアサヒが家で増えてる

切売

 

1日目


 クリアアサヒが家で増えてる。冷蔵庫の扉を開け、男は首をかしげた。

「あれぇー?」

 三十路を過ぎ、ついに俺も焼きが回ったか。昨日飲んだと思っていたビール缶が、燦然さんぜんと中段で輝いている。

「ま、いっかあラッキー」深く考えることなく、取り出してプルトップを開ける。小気味の良い音がした。


 労働で乾いた体に酒がみる。

 いささかに落ちないが、ないと思っていた物があると、幸福感は割り増しで感じられる。

 嬉しい誤算は、気分を良くするもんだなあ。このときは、ただただそう思っていた。



×××



2日目


 クリアアサヒが2本ある。冷蔵庫の前で、男は後ずさった。缶は昨日と同じ位置だ。

 いやいやいや、おかしいだろう。俺、知らないうちに買った?  飲んだ気がしたのは夢?

 体が硬直する一方で、頭の中では凄まじい速さで思考が巡る。けれど、納得はできない。

 一人暮らしの家に冷蔵庫のモーター音が響く。



×××



3日目


 クリアアサヒが3本ある。

 男は誰にかまうわけでもないはずなのに、室内のあっちこっちへ視線を飛ばした。ワイシャツの中で背中が、じっとりと濡れる。

 昨日、流石に手をつける気がおきず置いてあった缶の塊に、また1本追加されている。

 何が起きているのだろう。腹のあたりが重い。


 冷蔵庫を開けるのが怖い。

 今や、馴染み深い冷却装置は男にとって自宅にある直方体の地獄だった。

 同じ空間に存在することが耐えられず、同僚の家に転がり込んだ。

「どうしちゃったんだよ、お前」よく一緒に飲む友人は不思議そうに男を迎えた。その片手に同じ銘柄の缶ビールがあることにも怯えた。



×××



4日目


 帰宅した。

 正直、家には帰りたくなかった。冷蔵庫も開けたくない。

 今までのことは、仕事に疲れた末の幻なのではないか。幻であって欲しい。中が何事もないままであって欲しい。吐き気すら覚えるほどの緊張感。本当は開けたくない。

 しかし、確かめなくてはいけない。

 震える手で、把手に触れた。


 クリアアサヒが……。

 男は思わず笑った。目眩めまいがする。

 秒針の音。世界が回る感覚。顔を舐め上げられてるような気がする。

 堪らなくなって男は、わあっと叫んだ。

 台所の椅子を蹴倒し、廊下への扉で脇腹をしたたかに打つ。玄関の下駄箱に衝突したあと、家を飛び出す。

 夜の闇が、優しく彼を迎え入れた。



×××









×××



「しばらく缶ビールは見たくないわあ」

 男は最近起きた恐ろしいできごとを、居酒屋で同僚に話していた。

「もう増えてないならいいじゃん」

「そうだけどさあ。一体なんで増えたんだろう」

「だって、増えたら嬉しいって、お前が言ったんじゃん」

 同僚は不服そうに目をすがめながら、ビールをあおった。

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クリアアサヒが家で増えてる 切売 @kirikiriuri

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