最終節 希望の魔女

――二年後。




「おはよ」


魔女の朝は早い。

朝陽が昇る前に起きるのは、もはや習慣というより習性だ。


「ホウ」


「キュウ」


私が体を起こすと、二匹の使い魔が寄ってくる。

カーバンクルとシロフクロウである。

この二匹とは、それなりに長い付き合いになる。


「お前たちは暖かいねぇ……ぐふふふふ、ぐひ、ぐひふへへへ……」


朝から使い魔の暖かな温もりに触れていると、ウトウトと睡魔がやってきた。

このまま二度寝に入ろか。

そう思った時。


「おししょーさま! 朝だよー! 起きてー!」


一人の獣耳の少女がフライパンをガンガン叩きながら乗り込んでくるのだ。


今時そんな風に人を起こす人間がいるのか我ながら甚だ不思議だが、ここに存在するのだから仕方がない。

もはや我が家の日常になっていた。


「シエラ……もうちょっと朝は静かに出来んかね……?」


「だってそうしないとおししょーさますぐ寝ちゃうでしょ!」


「トホホ……そりゃそうでごじゃいますね……」


渋々私はベッドから出た。


身支度をしてリビングへ。

そこで、窓辺の棚に書かれている老婆の写真に目が留まる。


「お師匠様、おはようございます」


いつものように挨拶すると、私は冷蔵庫のドアを開けた。


 ○


「うぬぅ、この書類の束をどうするか……」


魔女の館、我が書斎にて。

私は目の前に積み重ねられた書類の山と対峙していた。

天井近くまで積み重なった書類の束が、机の上に三つ四つと立ち並ぶ。


この紙の束を積み重ねたのは他ならぬ私のはずだが。

何でこんなに高くなるまで放っておいたのか、我ながら分からない。


「とりあえず全部一旦床に降ろして片っ端からやるしかないか。一枚一枚確認して……いや、不慮の事故として燃やすのもありか?」


私が一人で呟いていると、不意に呼び鈴の音が鳴り響く。


「ごめんシエラ、私手ぇふさがってるから頼んだー!」


「はーい」


シエラが学校休みで助かったな、と思いながら書類を抱えると、案の定バランスを崩してすべての紙束が雪崩のように襲い掛かってきた。

「どぅわー!」と叫びながら紙の雪崩に飲まれていると、書斎のドアがゆっくり開く。


「おししょーさま、お客様だよー。って、何してるの?」


私を見てシエラが目を丸くする。

首以外全て紙の束に埋もれながら、私は「何でも無い」と返した。


「んで、客って?」


「えーっと……」


すると「あんた相変わらずねぇ」と言いながら二人の人影がシエラの背後から姿を見せた。


「また馬鹿なことしてんの?」


立っていたのは、ソフィと祈さんだった。




リビングにて。

テーブルにつく祈さんに紅茶を出し、私は対面に座る。

シエラはソファのところでソフィと楽しそうに遊んでいた。

意外な組み合わせだ。


「たまたま魔法協会で会ったんだけど、メグのところに行くって言ったら、ソフィがごねてさぁ。ズベリーに会いたぁいって聞かないもんだから、連れてきたのよ」


「そんなこと言ってない! 祈は歳を取りすぎて脳が壊死えししている!」


「ブチブチにキレとるやん……」


「ソフィお姉ちゃん、顔まっ赤だよー?」


慌てた様子のソフィを横目に、祈さんは静かに紅茶を飲む。


「にしても驚いたわ、あんたが弟子を取るなんて。あんたがアクアマリンで助けた子でしょ?」


「色々ありまして。うちで引き取ることにした感じです」


「もう魔法の修行はさせてんの?」


「学校もあるんで、少しずつ」


「学校行かせてるんだ」


「シエラにはちゃんと学校に通わせてあげたかったんで」


魔法学校で教員の経験があるお師匠様と違って、私は一般常識とか、基礎的な学問を上手く教える能力もない。

だからシエラがラピスに来た時、市長のカーターさんに頼んで、学校に通わせてくれるよう手はずを整えてもらったのだ。

それに、学校に行かせるのはそれだけが理由じゃなかった。


「ほぼ学校行けてない私と違って、シエラには勉強以外にも、友達と遊んだり、共同で何かをやったり、そう言う経験をしてほしいなって思ったんですよね。魔法はそれからでも遅くは無いですし」


「ふぅん? なるほどねぇ」


祈さんはティーカップを口に運びながら、しげしげとシエラを見つめる。


「あんたの命の種の魔法で全人口の約四割の人間が病や障害から回復したって聞いてたけど、あの子の耳は治らなかったのね」


「なんか複雑な原理で魔法が絡んでるっぽくて。祈さんなんか分かりません?」


「検査してみないと何とも。今度アクアマリンにでも行く? 最新鋭の設備がある訳だし、行くなら付き合うわよ」


「お願いしたいです。いつか、シエラの身体を治して、あの子を故郷に連れて行くって約束してるんで」


「そっか……」


すると祈さんはどこか嬉しそうな笑みを私に向けた。

不思議に思い、思わず首を傾げる。


「どうしたんですか? 人の顔見て笑うとは不敬な」


「まぁ、あんたの顔は確かに笑うに値するけど」


「戦争か……?」


「ちゃんと師匠やってんだなって。あんたを助手にするのは当面無理そうね。で? あんた自身はどうなの? 新しい生活は」


祈さんは焼き菓子をパクつきながら尋ねてくる。

食うか話すかどっちかにしろと言いたい。


「上手くやってますよ。まぁ、お師匠様から引き継いだ仕事が全然片付きませんけど」


「ラピスのみんなは?」


「元気ですよ。何も変わってません。変わったと言えば、地下鉄が開通してめっちゃ便利になったんですよ。知ってます?」


「知ってるわよ。それでやってきたんだから」


「七賢人のみんなは元気にしてます?」


「クロエは元気になって前よりうっさいくらい。ウェンディは振り回されっぱなし。ジャックは相変わらず娘に頭が上がんない。ベネットは魔法協会の特別顧問になってから、ほとんど休みが無いって。メグのところに行くって言ったら、いつもの顔で『羨ましいね』だって」


「まぁベネットはそんな感じでしょうね……」


あと一人、大切な人の名前が出ていない。

尋ねるのは、少し勇気が必要だった。


「……それで、エルドラ姉さんは?」


すると、何かを察したように祈さんは頷く。


「ベネットの秘書として元気にしてるわよ。不自由はしてないみたい。最近は人柄もずいぶん丸くなったって。誰かさんの影響でね」


「そっか、良かった……」


そっと安堵のため息を吐く。

和やかな空気が流れ、私も紅茶を口に運んでいると、不意に祈さんの胸元がモゴモゴと動き始めた。

予期せぬことに思わずギョッとしてしまう。


「祈さん、胸元がなんかうごめいてますけど……ついに自らの胸部に魔物を仕込んだんですか?」


「んなわけ無いでしょ。ほら、出ておいで」


すると、祈さんの服から小さな動物が顔を出した。

黒い子猫だ。

思わぬ珍客に、私は目を丸くする。


「何で猫? 使い魔ですか?」


「違うわよ。ここに来る前に拾ったの。親猫が死んじゃってて、一匹だけ残って鳴いててね。どうしようかなって思ってたら、ソフィが『とりあえずズベリーの家に連れて行ったら』って」


「うちを動物保護施設か何かと勘違いしてません?」


私がジロリと鋭い視線をやると、ソフィは気まずそうにサッと目をそらした。

無駄な抵抗はよせ。


「ま、別にいいですけど。今更猫の一匹や二匹。こちとら千匹以上動物の面倒見てますんで」


すると子猫は祈さんの胸元からピョンと飛び出る。

そのまま、ヨタヨタと覚束ない足取りでシエラの方へと歩いていった。

シエラが「わぁ、可愛い!」と抱くと、子猫は嬉しそうに目を細める。


「シエラに懐いてる。私には懐かなかったのに……!」


羨ましそうにソフィが口を尖らせた。

私は嬉しそうに猫を抱くシエラを眺める。


「懐いてるなら、この子、シエラの使い魔にしよっか」


私が言うと、シエラは「私の使い魔!?」と目をキラキラ輝かせた。


「おししょーさま、いいの!?」


「相性が良い子ほど、使い魔には最適だよ。ね?」


私が笑いかけると、足元にいたシロフクロウとカーバンクルが同時に鳴いた。


「私の使い魔! わぁい! よろしくね!」


「ちゃんと面倒見なよ。これも魔女の仕事の一環」


「はーい!」


シエラは嬉しそうに黒猫を撫でている。

腕組みしながら微笑ましい光景を見ていると、祈さんが「あ、そうだ。忘れるとこだった」と今度は一枚の封筒を取り出してテーブルに置いた。


どこかで見た紋様の封蝋印が押された、上質な紙の封筒。


「これ、魔法協会からの依頼よ。私と『希望の魔女』へのね」


その言葉に、私は静かに息を呑んだ。


『希望の魔女』


それは魔法協会から私に渡された、名誉の称号だった。



 ○



二年前のあの日。

魔法協会の会長は、私にその名を口にした。


「魔女メグ・ラズベリー。我々魔法協会は、あなたに『希望の魔女』として、新たな七賢人となることを望んでいます」


「どうして、希望なんですか?」


「あなたは、闇に飲まれつつあった世界に光を生み出した。人々に生きる喜びを与え、数多くの人を救った。だからこそ、そんなあなたには『希望』の称号がふさわしいと判断しました」


「だから、希望の魔女……」


私は、何度もその名を頭の中で咀嚼そしゃくする。

この称号を授かった時。

私は永年の魔女ファウストの後任として、七賢人になるのだ。


しかし、すぐに答えるには、迷いがあった。

そんな私の肩に、ベネットがそっと手を置く。


「ラズベリー。星の核の件は、魔法協会の過失も大きい。師を失った今、魔法協会への不信もあるだろう。君には拒否権もある」


「ベネットの仰る通り。全ては、我々の判断ミスです。魔女ファウストと魔女エルドラの実力を盲信し安全対策を怠ったばかりか、危険性の高い無茶な申し出を受け入れてしまいました……」


「それは、会長のせいじゃない。私のせいよ……」


エルドラ姉さんが会長をかばおうと口を挟む。

しかし会長は力なく首を振った。


「私は本来、魔法協会の長として、お二人の申し出を断るべきでした。いくら贖罪しょくざいのためとは言え、エルドラを何年もこの星の糧にするような申し出を受けるなど、どうかしていた……。魔女ファウストもエルドラも、魔法界になくてはならない人です。二人の意思を尊重したい。その一心で、私は大切なことを見落としていた。理とともに生きるという、魔導師の鉄則を」


「会長さんは、だから責任取って辞任するって言うんですか」


「はい……」


肩を落とす会長に、私は「ふーっ」と息を吐くと、腕組みして睨みつけた。


「私ゃね、怒ってんですよ。お師匠様のため? エルドラ姉さんのため? さっきから聞いてたら、耳当たりの良い言葉ばっか吐いてますけどね。絶対に裏があるでしょ。星の核を使って、魔法協会の権威を世に示そうとした意図がないなんて言わせませんよ」


「それは……」


私だって分かってる。

組織を運営するためには、綺麗事ばかりで上手くいくはずがないのだと。

時に汚い仕事や、政治的な対処もせねばならない。


魔法協会が自由を得るためには資金が必要だ。

私が長期の旅に出た時も、その資金は全て魔法協会が工面していた。

資金を得るために、魔法協会は七賢人を利用せねばならない。


彼の一族の理念である、魔法の素晴らしさを伝え、魔法を守るために。

この人は何世代にも渡って、そうしたドロドロしたやり取りを行ってきた。

そうしなければならなかったからだ。


そして、その努力があったから、魔法協会はここまで大きくなった。


そんなの分かっている。

けれど、こうしてきれいな言葉ばかりを並べ立てられると。

どうしても、私がまだ小娘だとバカにされているような気がしてしまうんだ。


だから、簡単に許すわけには行かない。

許してやるもんか。


「会長さん、一つ約束してくださいよ」


「約束……?」


「魔法協会は、会長さんが一族代々受けついでここまで大きくしたんでしょ。なら、続けてください。魔法協会の会長を」


私の言葉に、会長は困惑したようにベネットやエルドラ姉さんと顔を見合わせる。

どうしてそんなことを言うのかわからないという様子だ。


でも、私は本気だった。


「責任を追求されて苦しいし、辞任して終われば楽でしょうね。でも逃げないでください。私を七賢人としてどうかついでもらっても構いません。永年の魔女の弟子だとか、師の遺志を受け継いだとか、どんなドラマを仕立てても構いませんよ。だから、約束してください。最後までやり抜くって」


私は、会長の肩をガシリと掴む。


「魔法協会をもっと大きくして、魔法を広めてください。その上で、私が立派な魔女になるのを見ててください。きっと、永年の魔女も同じことを望みます。それが、私が七賢人になる条件です」


ずいぶん熱が入ってしまったらしく、私の息は荒れていた。

私の言葉を聞いた会長は、しばらく俯いて地面を見ていたが。

やがて顔を上げると、こう言った。


「……わかりました」


そして私は、その称号を受け取った。



 ○



「じゃあシエラ、二、三日留守にするから。後よろしくね」


カーバンクルとシロフクロウを両肩に乗せ、玄関でシエラに向き直る。


「もうすぐフィーネが来るから、留守中は一緒に大人しく過ごすこと。分かった?」


「はーい」


「あと私の留守中は毎日宿題のあとに魔導書を読むこと。あ、でも魔法は勝手に撃っちゃダメだよ。それから夜は歯を磨き、寝る前には師を称える祝詞を約十回唱え、踊り、そして歌い崇めよ」


「わかったから、おししょーさま。早く行けば?」


「良いとこだったのに……すっかり口悪くなっちゃって。誰に似たんだか」


私がぶつくさ言ってると、外から祈さんの声がした。


「メグー、何ぼさっとしてんのよ! 早く行くわよ!」


「あ、はーい! 今行きます!」


「みんなー! おししょーさま出かけるよー!」


シエラが家の中に向かって号令を出すと、家中の小動物たちが一斉に玄関に集まってきた。

途端に、床が動物たちで埋め尽くされる。

いつの間にこんなに使役出来るようになったのだ。

我が弟子ながら末恐ろしい才能である。


シエラを取り囲むように、千匹以上の小動物が並ぶ光景は、なかなかに壮観だった。

彼女の腕の中では、先程の黒猫がスヤスヤと穏やかな顔で眠っている。


なんだか平和な光景だな、なんて思った。


「じゃあ、行ってくるね」


「いってらっしゃい、おししょーさま」


私はドアノブに手をかける。



「気をつけて行っといで」



一瞬だけ、聞き覚えがある声がして。

私はドアノブに掛けた手を、ピタリと止めた。


何度も何度も聞いた覚えのある、その声。

まるで、永年を生きた、偉大な魔女のような……。


驚いて振り返る。

沢山の使い魔と、シエラが不思議そうな顔で、私を見つめていた。


そんな彼女たちの中に、私は確かに、それを見た。


床を埋め尽くすように沢山の小動物たちがひしめき合って立つ中。

シエラのすぐ後ろに、不自然な空間があったのだ。



そう、まるでかのような、誰もいない空間が、ポッカリと。



その瞬間、私の呼吸は一瞬だけ止まる。

目頭が熱くなり、思わず唇を噛んで堪えた。


ああ……お師匠様。

あなたは、今もそこにいるんですね。


「メグ、行くよ!」

「ズベリー遅い」


ソフィと祈さんの声が聞こえる。

私は深く息を吸うと、ゆっくりと吐き出した。


生きている喜びが、胸の内に溢れてくる。


笑い声は溢れ、人々の目に光は宿り、楽し気に会話が交わされている。

空は青く広大で、緑は風に揺れ、穏やかに歌う。

川のせせらぎは美しく、海の潮騒が生命を胎動させる。

射し込んだ太陽は樹々を育み、木漏れ日は地面に暖かな陽だまりを生み出す。


今日も世界は、たくさんの希望で満ちている。


「おししょーさま、どうしたの?」


シエラが声を掛けてくれる。

そんな彼女に、私は静かに首を振った。


「ううん、なんでもない」


何だか嬉しくなって、笑みが浮かんでくる。


「じゃあ、行ってきます!」


私はそう言って、玄関を出た。



今日も私は魔女をしている。

誰かを、笑顔にするために。






ある魔女が死ぬまで -メグ・ラズベリーの余命一年-


――おしまい。

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ある魔女が死ぬまで -メグ・ラズベリーの余命一年- @koma-saka

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