第3節 お師匠様

お師匠様の葬儀は、大々的に行われた。

世界中の魔女や、政府関係者や、ラピスの住民たち。

数え切れないほど多くの人たちが訪れた。


私はその葬儀を、愛弟子としてやりきった。


お師匠様がいなくなったあとの、諸々の手続き。

残された仕事の処理。

星の核の一件もあり、魔法協会からの事情聴取なんてのもあり。


私の余命は、何も出来ることなく、あっという間に過ぎていった。



全てが終わり、気がつけば余命の前日になっていた。



「お師匠様……私の余命、明日で終わりです」



お師匠様の墓の前で祈りを捧げ、私はポソリと呟いた。

明日になれば、私の体内時計のリミッターは外れ、私は桁違いの速さで老いるだろう。

その運命から、逃げるつもりはない。


私は命の種を、この星を救うのに使ってしまった。

後悔はない。


ただ気がかりなのは、弟子に取る約束をしたシエラのことだ。

また私はあの子を一人にしてしまうことが心残りだった。


いや、まだ諦めるのは早いかもしれない。

桁違いの速さで老いるとはいえ、一日二日で死ぬわけじゃないんだ。

三日で約十歳、つまり五十歳老いたとしても十五日は生きていける。


今の私なら、それだけあれば、どうにか出来るかもしれない……。


「そうか、まだ時間あるじゃん。我ながら弱気になってた。今からでも頑張ればきっと……」


ソフィのパレードに参加すれば、今度こそみんなの感動の涙を集められるかもしれない。

世界中を旅する祈さんに連れて行ってもらって、嬉し涙を集めても良いかもしれない。


たとえ最後の一日だろうと諦めない。

諦めるわけにはいかないのだ。


だって私には、生きるための理由がたくさんあるのだから。


「メグ」


不意に声をかけられて振り向く。

そこにエルドラ姉さんと魔法協会会長、そしてベネットが立っていた。


「エルドラ姉さん! それにベネットと会長も!」


エルドラ姉さんと会うのは、あの一件以降初めてだ。


「もう容体は良いんですか?」


「ええ……命の種が癒してくれたから。もう大丈夫」


「外出しても大丈夫なんですね」


「ベネットが許可を取ってくれたの」


七賢人やあの場にいた関係者の証言を照らし合わせた結果。

星の核の一件は、事故として扱われることが決まった。

でも、甚大な被害が出かけたことや、人々を虐殺してきた災厄の魔女エルドラの過去もある。

彼女の身柄は、魔法協会の監視下に置かれることになった。


もちろん、エルドラ姉さんが本気で拒めば、そんなことは不可能かもしれないけれど。

エルドラ姉さんは黙って、魔法協会の決定に従った。


「今日ここに来たのは、母さんに会いたかったのもあるけれど……。メグ、あなたに伝えたいことがあったから」


「私に?」


「あなたが私のせいで命の種を使ったと聞いて、どうしても言わねばと思った。あなたにかけられた、死の宣告の呪いについて」


心臓がドクンと鳴る。

ずっと長い間抱き続けた疑問への答え。

それがここにある。


エルドラ姉さんは、ゆっくりと語り始めた。


「私が見習いだった頃……母さんからある日、突然言われた言葉があるの。それは、私が後一年で死ぬという、死の宣告だった」


「それって……」


エルドラ姉さんは頷く。


「余命一年の死の宣告。それは、卒業前の試練なの……。見習い魔女を巣立たせるための最後の試練。メグ、あなたがこの一年間、必死になって嬉し涙を集めてきたのは……全て母さんが仕組んだ試練だったの……」


「じゃあ、つまり私は?」


目を瞑って、災厄の魔女エルドラはその言葉を告げる。


「あなたは生きられるの。メグ・ラズベリー」


それは、あまりにあっけない、私の余命一年の終わりだった。

拍子抜けして、「は、はは……」と思わず乾いた笑いが漏れる。

全身から力が抜け、その場にしゃがみ込んだ。


そんな私を、エルドラ姉さんは不思議そうに見つめる。


「あまり……驚かないのね? あなたなら、もっと大声で騒ぎ立てるかと思った」


「いや、驚いてますよ、これでも一応。でも、何となくそうじゃないかなとは思ってましたから」


ずっと妙だと思っていた。

死の宣告の呪いについて、誰も知らなかったから。


誰も知らない、死の宣告の呪い。

エルドラ姉さんとお師匠様だけが、その正体を知っていた。

何より、始祖の魔導師であるベネットですら知らないその呪いについて、お師匠様があまりにも詳しすぎた。


私が魔女としてどれだけ成長しても。

私は自分に掛かっているであろう、呪いの気配すら読むことが出来なかった。


本当にそんな呪い存在するのだろうか。

そうした疑問が浮かぶのは、自然なことだ。


でも、疑問が浮かんでも信じ続けたのは、私がお師匠様を信じていたからだと思う。

あの人は嘘をつかない。

お師匠様は、長年共に過ごした私ならそう考えることを読んでいたのだろう。


「そっか……私、生きられるんだ。そっかそっかぁ、あー、良かった。良かったぁ……」


この一年分の安堵の吐息が、自然と漏れた。

肩の荷が下りた感じだ。

エルドラ姉さんは、フッと笑みを浮かべる。


「……母さんは酷い魔女ね。一番大切なことを伝えずに逝ってしまうんだから」


彼女はジッと、お師匠様の墓を見つめた。


「私もかつて、同じ試練を与えられ、そして無事に命の種を生み出すことが出来た。母さんは、私に命の種を飲むことを求めた。でも、私はそれを拒んだ……」


「それは、愛した人がいたから?」


彼女は頷く。


「私は、彼と、子供と……一緒に生を全うすることを望んだ。母さんは私の決断を受け入れ、代わりに命の種を預かってくれた――」




一緒に暮らす中で、大きな戦争が起こった。

私と子供を守ろうとして彼は戦争に行き、そのまま戻らなかった。


残された私は、彼との間に生まれた子供を育てようとした。

でも、ある日、敵対関係にあった隣国の大規模な襲撃が私たちの住む村を襲って。

あまりに突然のことに、魔女だった私ですら、対処することは出来なかった。


私は必死に子供を抱きかかえた。

瓦礫が崩れ、下半身が埋もれ、私の足の骨は粉々に砕けたわ。

もう少しで死ぬという時、母さんが助けに来てくれたの。


「しっかりおし! エル!」


「どうなっ……たの?」


「隣国の襲撃だよ! あいつら、休戦協定を破ったんだ」


「娘は……母さん……リアは? リアはどこ!?」


私の腕に抱かれていた娘は、既に事切れていた。


戦争は、二度も私から家族を奪った。

幼い日の私から、生みの両親や姉を。

大人になった私から、愛する夫や子供を。


娘が死んだ瞬間、私がこの世に生きる理由はすべて消えてしまった。


「母さん……このまま私を死なせて……」


私は、母さんに懇願した。


「駄目だ、お前は生きるんだ! まだ死んではいけない!」


母さんは胸元のブローチから、命の種を取り出したの。


「ここに命の種がある。これを飲めばお前は生きられるんだ。生きることを願いな、エル! そうすれば、命の種は、お前を生かす!」


「お願い……母さん。このまま、リアと一緒に死なせて。二人が居ない人生なんて、もう、考えられない」


命の種は、感情に呼応する。

宿主が生きることを望まなければ、種は力を発揮できない。


私は生きることに絶望し、死を望んでいた。

そんな私の傷を、命の種は癒やすことが出来ない。

でも母さんは、私に命の種を飲ませようとした。


そして母さんは、禁忌を犯した。


「お前が……お前がやらなきゃ、誰が旦那とこの子の仇を打つんだい!?」


絶対に言っては行けない言葉。

その言葉が、私を死の淵から蘇らせた。


報復をすること。

生きて……生きて生きて、生きて生きて生き抜いて。

私から全てを奪った人たちを殺すこと。


それが、母さんが私に与えた、生きる意味だった。




「――母さんの選択は愚かだった。でもそれ以上に、私は愚かな魔女だった」


エルドラ姉さんの声が震える。

握りしめた拳から、ギュッと音がした。


「私は、母さんの想いに気づかず……母さんの選択を最悪の結果にまで昇華してしまった。母さんは、ただ必死なだけだったのに……」


お師匠様は、幼い頃に家族に捨てられた。

魔女の道を極め、結婚もしなかった。

けれど、どこかずっと、家族に憧れてたんだと思う。


だからお師匠様は、弟子を『家族』と呼ぶ。


世界で唯一、時魔法を操れる、七賢人に選ばれし永年の魔女ファウスト。

偉大な魔女の本質は、どこにでもいる、ただの孤独な老婆だった。


寂しさをお師匠様は知っていた。

だから、自分と同じように孤独になった私やエルドラ姉さんを、放っておけなかった。

そして、家族を死ぬことを、認めることが出来なかった。


だからお師匠様は、運命を歪めたんだ。


――間違いは二度も犯すもんじゃないよ。


いつか、私がフレアばあさんを無理やり生かそうとした時。

お師匠様は確かにそう言ったのを覚えている。

その言葉の意味を、ようやく知った気がした。


「私は……母さんを責められない。だって、あの時もし私が母さんの立場だったら――大切な娘が死を望んだとしたら。復讐が理由だとしても、生きてほしかったから……」


――呪いが解ける時、あなたは大切なものを失う。


初めて会った時、エルドラ姉さんはそう言った。

あの時から、エルドラ姉さんが私のことを知っていたのだとしたら。

彼女が私にそう言ったのは、ジンクスだったのかもしれない。


命の種を飲むものは、大切なものを失うのだと。


「エルドラ姉さんが、星の核を生もうとしたのは?」


私が尋ねると、エルドラ姉さんはしばしの沈黙のあと「……贖罪しょくざいだった」と呟いた。


「生き残った私は、私から大切なものを奪った国を滅ぼして回った。メグ……あなたの故郷さえも。すべてを終えた私に残されたのは、贖罪だけだった。だからこの命を、星の糧にしようと思った。でも……心に残った憎しみが、星の核と呼応して、暴走を始めてしまった。そして、母さんをこの手で……」


エルドラ姉さんは表情を変えないまま、涙を流した。


「母さん、ごめんなさい。私は、私はあまりに愚かな娘だった……。あなたが私にくれた愛も、想いにも気づきながら、私はあなたが与えてくれたものを全て裏切った……ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」


しばらく涙を流した後、エルドラ姉さんは深く呼吸を吐いた。


「ずっとこの憎しみから逃れられなかった。でもようやく、あなたが終わらせてくれた。メグ・ラズベリー」


今になって、ふと思うことがある。

お師匠様が時魔法を学び続けたのは。

過去に戻りたかったからじゃないだろうか、と。


たとえ、ことわりに背く形になっても。

過去の過ちを正したいと望んだ。

だからお師匠様が時魔法の研究を続けたとすれば。

何となく、合点が行く気がするのだ。


「母さんは、メグに血の降らない世界を歩むことを願っていた。でも、私を家族として切ることも出来ず……あの人は、あなたにとって仇である私を、家族として結びつけようとした」


「今考えたら、結構めちゃくちゃやられてましたね、私」


「母さんの跡を継ぐこと、世界を変えること、仇となる人間と家族にさせられること。あなたは、あまりに重すぎる運命を背負わされていたと思う」


エルドラ姉さんは、泣きはらした顔で、真っ直ぐ瞳を私に向けた。


「だけど、信じてほしい。それでもあの人は、母さんは……あなたを、心から愛していた」


……何だそれは。


「知ってます」


私は顔を上げた。


「知ってますよ、そんなの」



朝から晩まで嫌って言うほどこき使われて。

毎日毎日ガミガミ言われて。

無茶難題ばかり押し付けられて。

何でもかんでも知ったことばっか言って。

ヒントなんてちっともくれなくて。


私がボロボロに帰ってきた時は、いつでも笑顔で迎えてくれて。

死にかけた時は、命を張って助けてくれて。

温かいシチューを作って、部屋を明るくしてくれて。


私を……優しく抱きしめてくれた。


いまさら人に言われるまでもない。

いつだってお師匠様は、私のことを考えてくれていた。


本当に。


大嫌いで。

大嫌いで大嫌いで。

大嫌いで大嫌いで大嫌いで!




……大好きだった。


私の、お母さん。





気がつけば。

私はエルドラ姉さんと抱き合い、二人して子供のように大声を上げて泣いていた。


喉が枯れるくらい声を上げて、鼻水がぼたぼたとこぼれ落ちて。

空を仰いでも、流れる涙は止まらなかった。


あふれるほどにこぼれ出た私たちの感情の欠片は。

静かに地面に落ち続けた。



すべての始まりは、たった一言の告知だった。


あんた、死ぬよ。


その一言が、私に掛けられた『死の宣告』の呪いだった。


永年の魔女から。

大切な愛娘にかけた、大切な大切な呪い。

私は生涯、その呪いを忘れることはない。


それは大好きなお母さんがくれた、かけがえのない贈り物だったのだから。


 ○


「エルドラ姉さん」


ようやく落ち着いて、私はエルドラ姉さんに声をかける。


「一つだけ、私と約束してもらってもいいですか?」


「ええ、何かしら……?」


「生きていてください」


私は、エルドラ姉さんの顔を真正面から捉える。


「生きて、生きて生きて、生き抜いてください。家族を失って、お師匠様まで亡くして、贖罪も出来なくて。あなたにはもう、生きる理由はないかもしれない。それなら、私のために生きていてください」


「メグ……」


「あなたは、私の故郷を焼いて、私から全てを奪ったかもしれない。それでも、やっぱりあなたは、私にとって最後の家族なんです。だから見ていてください。私がこれから魔女として成長するところを。そして、間違ったら怒って欲しい。それはきっと、あなたにしか出来ないことだから」


エルドラ姉さんは、しばらく沈黙した後。


「分かったわ」


そう言って、静かに目を瞑った。


「あなたのために、私は生きようと思う」


「約束ですよ?」


「ええ。約束ね」


私たちが、お互いに頷いていると


「魔女、メグ・ラズベリー」


声を掛けてきたのは、魔法協会の会長だった。


「改めて、この度のこと、心から謝罪いたします。安易な方法で星に手を出そうとした我々魔法協会の判断が、この星に重大な危機を及ぼし、あなたの母であり、偉大な魔女でもあるファウストを死に追いやった。彼女が亡くなったのは、魔法界全てにおける損失です」


「メグ……魔法協会は私と母さんの想いをくもうとしてくれたの。だから、星の核の製作を私たちに託してくれた」


「今となっては、言い訳にしか過ぎません」


会長は、沈んだ表情で首を振る。


「魔女エルドラの責任が問われないよう、手はずは整えています。暫くは監視がつくでしょうが、亡きファウストの遺志を無碍にせぬように魔法協会として全力を尽くす所存です」


「監視って言っても、エルドラ姉さんの監視なんて誰が出来るんです?」


「僕がやるよ」


傍に立っていたベネットが一歩前に出る。


「ラズベリー、今回の件、僕にも責任はある。最高の賢者と呼ばれながら、ずっと観測者として傍観するだけの道を選んできた。僕が甘えなければ、こんなことにならなかったかもしれない。だから今後は、僕も魔法協会に顧問として席を置くつもりだ。エルドラは僕の秘書として、監視下に置くことにする。そうすれば、僕が彼女を見守ることが出来るだろう」


「そっか……ベネットがいるなら安心だね」


私がホッと胸をなでおろすと、「でも」とベネットは続けた。


「会長は辞任せねばならないだろうね」


「えっ?」


思わず見ると、会長は頷いた。


「組織の長として、当然の結果です」


「そんな……」


心配する私に、会長は「良いんです」と言う。


「魔女メグ・ラズベリー。あなたが居なければ、世界に多大なる被害が生まれていた。だからこそ、あなたの働きに魔法協会は多大なる感謝をし、名誉の称号を渡したいと考えています」


「それって……」


会長は頷く。


「永年の魔女ファウスト亡き今、我々魔法協会は、あなたを新しい七賢人に迎えたいと思っています。もちろん、あなたさえ良ければ」


言葉を失う。

信じられなかった。

私が、七賢人に……?


「あなたに渡される称号についてですが」


そして会長はその名を口にした。

その称号は――

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