第2節 命の種
聖地本来の静寂が帰ってきた。
全てが終わったのだ。
右肩を抑える私の元に、二匹の使い魔が心配そうに寄ってくる。
「みんな無事でよかったね……」
「ホウ」
「キュウ」
私の右腕は、魔力汚染でほとんど感覚がなくなっていた。
超高濃度の魔力物質に直で触れたのだ。
もうこの右腕は使い物にならないかもしれない。
目の前に倒れるエルドラ姉さんの様子を見る。
全身から生えた触手は朽ちて千切れ、異形と化した腕はすでに正常な状態に戻っていた。
魔力汚染で紫色に染まった皮膚はみるみる内に正常な状態へと戻って行く。
命の種がエルドラ姉さんを癒してるんだ。
この状態であれば大丈夫だろう。
「死なないでくださいよ、エルドラ姉さん……」
エルドラ姉さんが過去の罪を償うために星の核を生み出したのだとしたら。
こんな形で死んで良いはずがあるはずない。
お師匠様が星の核の製作にここまで関わったのも、愛弟子であり、娘同然の存在であるエルドラ姉さんの想いを尊重したからだ。
だからその想いの分、この人には生きていて欲しいと思う。
生きていたら、彼女が抱えた悲しみだって、きっと報われる時が来るはずだから。
そこで私はハッと振り返った。
「お師匠様!」
私はお師匠様に駆け寄る。
お師匠様は苦しそうに呼吸していた。
「やるじゃないか……エルを倒しちまうとはね」
腹部から流れ出る血は止まる様子がなく、溢れ続けている。
顔は真っ青で、血の気が引いていた。
寒くもないのに、お師匠様は震えている。
血が足りてないんだ。
誰が見ても、もう長くはなかった。
「血が止まってない、どうして。お師匠様には、命の種があるのに!」
「騒ぐんじゃないよ……大したことじゃない。一人の老婆が死ぬ。それだけだ」
「勝手に死ぬとか言わないでください!」
お師匠様は木にもたれ掛かり、苦しそうに呼吸する。
息を吸うたびに、腹部が上下していた。
「いつか言ったろう……変えられる運命と、変えるべきでない運命がある。私はもう、変えてはならない側に行ってしまったんだ」
「そんな……」
「お前はエルの命の種を残したまま、星の核を砕いたね。それは、誰にも出来ない芸当だ。人の感情エネルギーに魔力を使って働きかけるなんて、普通は不可能さね……」
お師匠様はそう言うと、ゆっくり遠くを見つめた。
「エルを前にした時、私はあの子を殺す方法しか思いつかなかった。心臓を貫き、命の種もろとも星の核を破壊せねばと。でも……出来なかった」
お師匠様は、泣きそうな顔で唇を噛む。
「出来るはずがないだろう。大切な愛娘に、そんなこと……」
それは、永年の魔女ファウストが持つ弱さだった。
家族を守りたい。
その想いが彼女を強くし、そして同時に弱くもしていた。
「エルをこの手にかけるくらいなら、死んでも良い。私はその時、死を受け入れた……。命の種は生きる意思を持つ者にだけ力を渡す。死を受け入れたことで、私の命の種は死んだんだ」
魔法の始祖イヴもそうだった。
命の種を初めて生み出したイヴは、種を飲まなかった。
死を受け入れた自分には、命の種が機能しないことを知っていたから。
彼女と同じように、お師匠様もまた、死を受け入れてしまったんだ。
でもそんなことで、諦めたくない。
だって私がここで諦めたら……。
もう二度と、お師匠様に会えなくなってしまうから。
「お師匠様、あと二粒……あと二粒で命の種が出来るんです! それを使えば、きっと!」
私は必死に涙のビンをお師匠様に示す。
涙のビンはそれまでと違い、美しく輝きを放っている。
千粒が近いことを示していた。
しかしお師匠様はそれを見て、そっと私の手に自らの手を重ね、ゆっくりと首を振った。
「その涙はお前にとって大切な人たちから得たものだろう。なら、その涙を使うのは、私じゃない。同じだったからね、私も……大切な人の涙を、たくさんもらった」
どこからともなく、黒い霧がお師匠様を包み始めた。
死の運命をまとった人の元に生まれる、死神の黒い霧。
それは、お師匠様が死のレールに乗ったことを意味していた。
「嫌だ、連れて行かないで……!」
私は霧から守るようにお師匠様を抱きしめる。
絶対に連れて行かせない。
神様、お願いだから……。
私からこれ以上、家族を奪わないで。
お師匠様はそんな私を見て、どこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
「私は……お前に死を告げたあの日、未来に二つの光景を見た」
「二つの光景?」
「一つは、この星が朽ち、そして世界が終わる光景だ。そして、その光景に重なるように、私はもう一つ光景を見たんだ。メグ、お前が命の種を天にかざす光景を……。あれはきっと、私の千里眼が見せた、お前の運命と、私の『終わりの光景』が交差した偶然の産物。それはこの星が終わりを迎える時、お前がこの星を救う可能性を持つと示していた」
今にも泣きそうな私の顔が、お師匠様の瞳に映り込む。
「その時、私は託したんだ。この星の運命をお前に……。そして、お前は成し遂げた」
私の頬にそっと、お師匠様は手を当てた。
「メグ、星の核を破壊した今、大地を焼くエルドラの呪いは消えた。お前が次にやるべきは、時代を変える魔女として星の再生を導くことだ。命の種を飲み、私の『永年』を継ぎな」
「私が、『永年の魔女』に?」
「そのために、頑張ってきたんだろう?」
「そうですけど……」
一瞬、言葉に詰まった。
命の種を飲み、不老不死になる。
私が当初から目指し続けたゴールのはずだ。
お師匠様もそれを望んでいる。
師の最後の願い。
聞くべきだ。
私の意思が告げている。
そうすれば、私はこの星において数少ない、命の種を飲んだ魔女になる。
伝説の大魔導師と呼ばれるだろう。
夢が、叶うんだ。
「私は、永年を受け継がない」
でも。
私はそれを拒んだ。
「メグ……」
お師匠様が掠れた声を出す。
悲しげな瞳だった。
「ねぇ、お師匠様。私は旅をして、沢山の風景を見ました。色んな人に出会って、大好きな人がたくさん出来て、大切な場所がたくさん増えた。行ってみたい場所や、交わした約束もあって、前よりずっと、生きていたいって、そう思いました。でも、みんながみんな、幸せなわけじゃなかった。自分の置かれた環境や境遇を受け入れたり、抗ったりしながら、今を懸命に生きてた」
だから。
「お師匠様、もし私が時代を変える魔女で、本当に世界を救えるなら。私は、この星の人たちに希望を持って生きてほしい。今を生きることに感謝し、明日が来るのを楽しみにして、朝には今日も頑張ろうって、そう思って生きていてほしい。だからそのために、私は力を使いたい」
私はもう、自分のためだけに生きることは出来ない。
だって、この世界が大好きになってしまったんだから。
「そうかい……それが、お前の答えなんだね」
お師匠様はそっと、私の顔を手でなぞる。
まぶた、鼻、くちびる、頬。
指先の感触を確かめるようになぞった後。
「いい顔になった。私が知る、偉大な魔女の顔だ」
お師匠様は柔らかく目を細めた。
その瞳には、涙が浮かんでいる。
「お前は……私の誇りだ」
「お師匠様……」
私は、お師匠様の手を握りしめる。
目頭が熱くなり、視界が滲んだ。
「私も……私も、あなたを心から誇りに思います」
私とお師匠様は微笑み合うと、同時に涙を流した。
私たちの頬を流れた二粒の涙は、やがて一つの大きな涙となり。
ポチャリとビンへこぼれ落ちた。
その時だった。
先ほどまでほのかな輝きを放っていたビンから、溢れんばかりの虹色の光が生み出されたのは。
見たことがないほどの圧倒的な光。
神秘的な輝きだった。
「唱えな、メグ」
「はい……」
私は心を込めてその呪文を紡ぐ。
「フィアト・ルック」
呪文を唱えた時、ビンにヒビが入り、音もなく粉々に砕け。
美しい虹色の光を放つ、半透明の種子が生まれた。
命の種だった。
その種は、私が知っている命の種よりもずっと大きく、強い光を放っていた。
かつて、始祖の魔導師イヴが生み出したものより、ずっと……。
どうしてだろう。
「その命の種はね、本来のものとは違う、ずっと強い力を宿している」
私の疑問に答えるように、お師匠様は言った。
「メグ、お前が集めた涙は、嬉し涙じゃない。生きる希望に満ち溢れた人たちの、希望の感情をお前は集めていたんだよ。だからそれは、希望が宿った命の種なんだ」
「希望が宿った、命の種……」
そうか。
ずっと疑問だった。
私が集めてきた涙には、時折、喜び以外の涙が混ざっていた。
純粋な嬉し涙じゃない。
悲しみの涙が混ざることもあった。
それでもビンは、涙を集め続けた。
喜び以外の感情を集めて、本当に命の種が生まれるのか。
ずっと疑問に思いながらも、ここまでやって来た。
だけど、その理由がようやく分かった。
私が集めた涙には、希望が宿っていたんだ。
「この種を使えば、みんなを助けられるのかな……」
「かもしれないね」
お師匠様はゆっくり頷く。
「メグ、行ってきな。成長したお前の魔法、私に見せてごらん」
「はい」
私はお師匠様の傍をそっと離れると、天に命の種を掲げた。
この星で出会ってきた、すべての人の顔が思い浮かんだ。
世界の中心とも言える、この聖域で。
私は、この星に希望を唱える。
「もう一度始めよう、この星を。命の種……あなたの力をもって、私たちに希望を届けて」
その瞬間。
私が手に持った命の種が砕け、大きな虹の波紋が広がった。
生まれた波紋はどこまでも遠く広がっていく。
波紋が触れると、燃えた森に草木が生え、花が美しく咲き乱れた。
枯渇した湖に美しい湧き水が溢れ、濁った海は
砂漠には雨が降り、蘇った大地に鮮やかな新緑の木々が広がった。
赤く染まった塩湖は透明に清められ、空は青く輝き、世界を包むようにオーロラが生まれる。
痛みに苦しむ人々の傷は、瞬く間に癒えた。
汚染され変異した肉体はかつての健全な姿を取り戻し。
喜びの声が、空の下で響いた。
今、世界中で精霊が踊っている。
白い輝きを放つ大自然の象徴が、世界中で生まれ、喜びの声を上げているのがわかった。
世界に、希望が溢れていた。
命の種に眠る、溢れる生命と希望の力が、世界に解き放たれたのだ。
森羅万象に働きかけ、緩やかに死に向かっていた星は、再び息を吹き返す。
気がつけば、感覚すら消えていた私の右腕は元の正常な状態に戻っていた。
私は思わず嬉しくなって、お師匠様を振り返る。
「お師匠様、見ました? これが、私の魔法、です……」
私がお師匠様に声を掛けた時。
眠らないはずの永年の魔女ファウストは、これ以上ないほどの穏やかな表情で、静かに眠りについていた。
永年の眠りに。
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