エピローグ・宮廷魔術師と

 親の顔を知らない私は、家族というものがどんなものかがわからなかった。

 だからといって十二歳の私が、姉妹というものに興味が無かった訳ではなくて、むしろ逆で、誰からも誘われなかったから興味がない振りをしていただけで、本当はいつか自分も誰かと姉妹となってみたいと密かに願っていた。

 ひとつ歳をとって、私は貴女の姉に選ばれた。

 初めての家族に私は少し、いや結構舞い上がっていたと思う。調子に乗って色々と貴女の世話を焼いたら、貴女は少し嫌がっていた気がするね。

 貴女は最初、そんなに魔術の勉強が好きじゃ無かったと思う。私にとってそれは、生きていくために当然のようにやってきたことだったから、少し不思議だったけど。

 それでも私が教えたら、貴女は少しずつ覚えてくれて、私はすごく嬉しかった。

 そんな頃から『せんぱい』と呼んでくれるようになったよね。

 それまでも呼んでくれてたんだけど、呼び方が、少しだけ甘えたような響きになった気がしてた。

 貴女に信頼されてるのかな、なんて思うとむずむずするような、不思議な嬉しさだったことを覚えてる。

 他の姉妹とはすこし違うかたちかも知れないけれど、私たちの間には姉妹の絆みたいなものがあったと思う。

 私が卒業した時も、一年後に貴女は付いて来てくれた。

 私が技研を辞めた時も、すぐに貴女は付いて来てくれた。

 私はきっと、貴女に甘えていたのだと思う。

 貴女はきっと、どこまで行っても私の側から居なくならないと、勝手に信じていたんだ。

 だから初めて貴女が居なくなることが現実味を帯びたときに、私はどうしようもなく悲しかった。

 行かないで行かないでと、後悔しながら泣くことしかできなかった私に、あの子が奇跡をくれた。

 だから、私はもう手放したくない。

 私がどこかに行っても貴女が付いて来てくれたけど、今度は私がしっかりと貴女の手を握る。

 今日からはどこに行くにも、貴女の手をとって一緒に歩いていきましょう。

 そこには、私たちの娘であり恩人が一緒に居てくれたら、もっともっと嬉しいな。



 * * *



 翌日は、朝から抜ける様な快晴だった。メイリープ邸のリビングにも暖かで明るい日差しが差し込んでいる。


「シロ、あのね」

「うん」


 リザとフィオ、そしてシロの三人はいつものように朝食を済ませ、顔をつき合わせている。

 三人は暖炉の前のテーブルに、大きソファーにリザとフィオ、一人がけの肘掛のついたソファーにシロがそれぞれ向かい合うようにかけていた。

 格好こそ寝起きのままだが、リザは神妙な面持ちでシロを見つめていた。

 他の二人、フィオはどこか楽しそうで、シロはいつもと変わらない感情の少ない表情を見せていた。


「私とフィオは」


 小さく息を吸う。


「け、結婚しようと思うんだ」

「ふーん?」


 シロはどこ吹く風といった様子で、退屈そうに足をぱたぱたと揺らしている。


「結婚て、わかる?」

「わかんない」

「そうだよね、えーっと」


 リザは顎に手をあてて悩み始める。


「……えー」

「せんぱい?」


 声をかけたフィオの方を向いてリザは訊ねる。


「結婚ってなに?」


 んー、と中空に視線を遣るフィオ。


「……改めて訊かれると、私にもよくわかんないです」


 結婚というものの説明に、改めて悩み始める二人。


「まあ、わかりやすく言うと、愛し合って、それを誰かに誓って、パートナーになるってことかな……」


 ぼんやりとした説明に、首をかしげるシロ。


「りざはふぃおをあいしてる?」

「そ、そうだね」


 若干顔を上気させるリザと、それを満面の笑みで見つめるフィオ。


「ふぃおもりざをあいしてるの?」

「そうだよー、私もせんぱいのこと愛してるの」


 楽しそうに応じるフィオに、ますます顔を赤らめ俯くリザ。


「それで、まあ、結婚するんだけど」

「うん」


 気を取り直し、姿勢をただしてシロを見つめるリザ。


「それでもし、この先何年かして、シロが色々決断できるようになったら、その時まで、もしも私たちと一緒に暮らしてたら」


 言葉を切って、リザは小さく息を吸う。


「正式に私達の子どもになって欲しいんだ」

「いまでもいい」


 あっさりと答えたシロに、


「いや、ダメだって」


 リザは笑いながら、それでもまっすぐな視線でシロを見つめる。

 リザの雰囲気に、幼いながらも感じるところがあったのかシロは居住まいを正す。


「……うん、かんがえておく」


 いつもの表情でリザを見つめ返すシロ。

 その返答に、胸をなでおろすリザ。隣に座すフィオと目配せをし、微笑み合った。







「あの、部長」

「うんうん、早く話して」


 子どものように目をきらきらと輝かせて、わくわくした様子のクレアを前にしてリザとフィオは苦笑する。間に立っているシロは何がおかしいのかわからないといった様子で二人を交互に見上げた。

 リザとフィオはシロを連れ登庁し、いつものように広域機動対策部の執務室を訪れていた。

 リザはクレアに話があると伝えると、いつもと違う幸福な雰囲気を感じ取ったのか、クレアは落ち着きなくリザの報告を急かす。


「あの、私たち」

「はい、はい」


 いつもの朗らかでおっとりとした雰囲気はどこへやら、クレアは前のめりでリザの次の言葉を待っている。


「けっこ」

「おめでとー!!この日が来るのを待ちわびてたよー!!」


 リザが半分も伝えないうちに、クレアは祝福の言葉をかけた。

 リザは早いですよ、言って苦笑した。


「いやー嬉しいなぁ、ずっと応援してたんだよー、なかなか二人とももどかしくてねぇ」


 目を細め、いつも以上の笑顔を見せるクレア。


「部長はフィオの気持ちに気づいてたんですね」


 と尋ねたのはリザ。いつものクレアの雰囲気から、とても察しが良いようには思えなかった。


「リザちゃんの気持ちにも気づいてたよ?」

「……私ですか?」


 意外な言葉に、リザは聞き返す。


「そ、リザちゃんもフィオちゃんを手放したく無いー、一緒にいたいーって感じなのに、全然気づいてないんだもの」


 はー、とリザは感心した。自分でも気づかなかった気持ちに、付き合いの長いフィオではなくクレアが気づいていたことが、リザにはとても意外だった。軍部で部長職をやるような人間は、どこかしら秀でた部分があるということに、改めて気づかされる。


「そうだったんですね、せんぱい」


 フィオもリザと同様感心しているらしく目を丸くしている。


「でもやっと二人がくっついてくれて嬉しいわぁ。式はいつかしら?」

「まあ、おいおい決めていきます」


 楽しみねーと、うっとりと呟くクレア。

 そこへ、ノックの音が飛び込んできた。


「どーぞ」


 とクレアが楽しそうに声をかけると、扉をきぃと鳴らして経理部のイライザが顔を覗かせた。


「あらぁ、どうしたの?」

「リザに用事がありまして……何かありましたか?」


 イライザは眼鏡を光らせる。立っているリザとフィオ、その間の見慣れない銀色の髪の少女。イライザもいつもの雰囲気と違うことに気づいたらしい。

 あー、と声をあげたのはリザ。


「結婚するんだ、私たち」

「ああ、やっと」


 感心が薄そうにイライザは返す。


「やっと?」

「学生の時から、いつ一緒になるのかと思ってたから」

「……そう」


 もしかしたら自身やフィオだけが気づいていなかったのだろうかとリザは自問する。


「で、どうしたの?」

「これを」


 イライザは手にしていた紙片を手渡す。リザが受け取ると、そこには『消耗品使用余剰請求分支払』と記載されている。


「前に申請された消耗品の使用が承認され、差額分が支払われます」

「おお」


 リザは嬉しそうに感嘆をあげる。


「待ってたよーありがと!」


 その様子を見て、イライザは小さくため息をついた。


「これからは家計のことも考えないとね。貴族の一人娘と結婚したからって、調子に乗って散財してはダメだからね?」

「はーい」

「あと困ったことがあったら二人でよく相談してね。勝手に一人で決めるのは不仲の一因になるから」

「うん」

「式はあげるの?婚約指輪は買った?向こうのご両親にはご挨拶したの?」

「なんなの?お母さんなの?」


 リザはリザで、イライザに対して呆れてため息をついた。


「まだ決まってないこともあるけど、大丈夫だから」


 リザは笑顔で宣言した。


「必ず幸せになるし、幸せにするから!」


 リザは右手でシロを抱き上げ、左手をフィオの背中に回すと、フィオの頬に軽く唇を寄せた。

 ふぇぇ、と感嘆の声を挙げたのはクレア。両手を口元にあて、頬を真っ赤に染めて三人を眺めている。


「せんぱい、私も幸せです!」


 そう言って、フィオはリザとシロに抱きつき、リザとシロに、順番に頬にキスをする。


「まあ、困ったことがあったら相談して」


 イライザはまたも小さくため息をついた。

 そしてシロは、いつもと変わらない無表情で言う。


「りざ、ふぃお、ありがとう」


 その表情は確かにいつもと変わらなかったが、リザにはどこか嬉しそうに見え、リザは微笑んだ。







「御機嫌よう、フィオラリア様。それにリザ」


 昨夜の出来事を一通り警邏部に話した後、警邏部の聞き取り室をでた三人は意外な人物に出くわした。


「セリス?警邏部に用事?」


 相変わらずの派手な色の、ひらひらのフリルが何重にもついたワンピースを着たセリスが立っていた。


「まさか、私が用事があったのは貴女ですわ」


 そう言って、リザを見つめるセリス。


「あれ、もしかしてもう知ってるの?」

「何の話ですの?」

「私たち、結婚するの」


 そうリザが伝えると、セリスは露骨に嫌そうな顔をしてリザを睨む。


「……貴女、フィオラリア様に何か怪しい魔術をかけていないでしょうね?」

「そんな魔術ないでしょ……」

「貴女のことですから、独自に開発したって事も……」

「あのねぇ」

「そうでないと、貴女のような出自の定かならない人間がフィオラリア様とご婚約なさるなんてとても思えませんわ」


 リザがため息をつくと、フィオが口元に手を当てて、くすくすとおかしそうに笑う。


「嫌ですわ、セリスティーヌ様。私はリザさんの容姿、人格、全てをお慕いしておりますの。めでたい事ですから、セリスティーヌ様にもお祝いの言葉をいただきたいわ」

「これは失礼いたしました。ええ、お目出度うございます、フィオラリア様、リザ様」


 セリスはスカートの裾をつまんで持ち上げる。

 何だか急に貴族っぽいやりとりに、おおおとリザはたじろぐ。


「せんぱいも貴族になるんですから、これくらい言い返せるようになってくださいね」

「はい……」


 そのやりとりを見て、今度はセリスが楽しそうに笑った。


「仲が良さそうで素敵ですわ。今度馴れ初めを聞かせてくださいな」

「ええ、是非」


 セリスとフィオが二人で笑う。

 で、と前置きした上で、セリスはリザに向き直る。


「件の話は、考えていただけまして?」


 件の話とは、無論異動のことだろう。


「あー全然考えてないわー」


 リザが能天気に返すとセリスはため息をつく。


「件の話、というのは?」


 フィオがセリスに尋ねる。


「リザ様に再度、魔法技術研究部に戻ってきていただきたくて、是非にとお願いしておりまして」

「ええ!?そうなんですかせんぱい!?」


 くるりとフィオはリザに顔を向ける。フィオのセリスに対する態度からの切り替えの早さに、リザはおかしくて笑ってしまう。


「だから、まだ考えてないよ」


 条件としては、圧倒的にいいのはわかっている。

 リザ自身がやりたいことでもあった。もしかしたらリザが研究に専念することで、社会的にも大きな進歩を迎えるような発見があるかもしれない。


「その事に関しては、もう少し待ってくれる?今は先に、落ち着かせたいことがあるから」


 しかし、今は結婚という節目を迎えようとしている。

 二つ同時に乗りこなせるほどリザは自分が器用でないことを知っているので、


「まずは、フィオとのことをちゃんとしてからね」


 そう言ってリザが笑うと、フィオは安堵したようにため息をついた。


「そうですの。まあ、答えが決まったらいらして。いつまでも、気長に待っておりますわ」


 セリスは微笑むと、あら、と言って手を口に当てる。二人の間の小さな影に気づいたらしい。

 シロはいつもの無表情でセリスを見上げていた。


「……流石に子どもを作るのは早すぎません?」


 説明が面倒になって、リザは違うから、とだけ言っておいた。







 その日の夜、シロが眠りについたあと、二人はいつかのようにキッチンに立っていた。設えられた採光用の窓から溢れる月明かりと、調理台に置いた手提げ用の魔術灯の明かりが周囲を照らしている。


「結局、シロちゃんは魔族だったんですね」

「……うん」


 リザはいつも就寝時に着ている動きやすそうな襟のない木綿のシャツに脛くらいの丈のパンツ姿で、フィオもいつもの淡い桜色ネグリジェを着ている。


「まあ、魔族っていう言い方が正しいかはわからないけど……」

「本質が変わらなければ、呼び方なんて何でも同じじゃないですか?」


 相変わらずのフィオのまっすぐな物言いは、リザに刺さる。

 そうかもね、とだけ言って苦笑した。


「いつか、シロちゃんにも話さなきゃいけませんよね」

「本人は気づいてるもんなのかなぁ」


 さぁ、とフィオは小首を傾げる。


「きっと、敵は多いよね……」


 リザはため息をつく。


「まあ、少なくとも私たちよりは多いでしょうね」


 そーだよね、と顎に手をやり考え込む姿勢を見せたが、


「バレなきゃい良いんですよ」


 憂いの表情のリザを元気付けようと、明るく言って微笑むフィオ。


「それに」

「うん?」


 リザを見つめ、フィオは呟く。


「今度は私も、シロちゃんを守りますから」


 それはいつかリザからもらった言葉。その対象をシロへと変えて、フィオは口にした。


「……ありがとう」

 フィオの言葉が嬉しくなり、リザはつい感謝の言葉を口にした。


「感謝したいのは私の方ですよ、せんぱい」


 フィオが微笑み、リザもつられるように微笑んだ。





 魔術灯の温かみのある灯が揺れる。


「そろそろ寝る?」


 そうリザが切り出すと、フィオはどこか落ち着かない様子で切り出した。


「……あの、もう一つ良いですか?」

「うん?」


 フィオは目を合わせようとせず、あちこちに目を泳がせている。


「えーっと、その、ですね」


 随分と躊躇いがちフィオの様子に、リザは疑問符を頭上に掲げる。


「どうしたの、婚約者にも言いづらいこと?」


 リザは話しやすい様、少しからかった様な言い回しでフィオ尋ねるが、フィオはまだ躊躇っている様だった。


「あのー、私たち結婚しますよね?」

「う、うん」


 そんなことを確認させる様な、何か不安にさせることがあっただろうかとリザは頭を巡らせるが、思い当たる節はない。


「えーっと、結婚前に、一回しておきたいんですけど」

「……えーっと、何かな?」


 リザはフィオを安心させる様に微笑む。

 そして微笑んだあと、優しくゆっくりと抱き寄せる。抱き寄せることでフィオが安心すると、リザは経験的に知っていた。


「言いづらいこと?」

「……あの、じゃあ言いますけど」


 フィオはリザの肩の上に乗っていた顔を離す。


「キス、良いですか?」


 慌てて、リザは顔を離す。

 熱っぽい顔のフィオ。碧眼は潤んでおり頬は上気している。

 その顔を見て、現在の状況が急に恥ずかしくなるリザ。

 愛する婚約者と二人きりの空間で、愛する人を抱き寄せ、キスをねだられる。

 リザの気持ちは急激に高揚し、フィオに気付かれるのではないかと心配になる程に胸は高鳴った。

 ただそれでも、愛する人に可愛らしくお願いされたら、拒否するなんて選択はリザには無い。


「……うん」


 小さく頷き、リザはゆっくりと唇を寄せ、重ねた。

 なんの音もない静かな夜。

 魔術灯の揺れる明かりの中で、二つの影は重なり、数秒。

 二人はゆっくりと離れる。

 名残おしそうに離れた唇からは、二人の吐息が溢れた。

 鼻がふれあいそうな距離で、上気した頬で、潤んだ瞳のフィオ。

 リザも、フィオと同じ顔をしている。同じ想いを確信した上で、フィオは尋ねた。


「せんぱい、このまま、私の部屋で、続きしましょうか……」

「……うん」

「なにするの?」


 二人の世界にいたリザとフィオは、音もなく隣に立っていた小さな影には気付かなかった。



 * * *



 こうして、私とせんぱいは結ばれる事になった。

 まだ私たちが姉妹だった頃から、いつか、こんな日が来るといいなと願っていた。その願いが現実となり、私は今、とても幸せ。周りの反応を見ていると、なんだか随分と遠回りしてしまったような気がするけれど。

 せんぱいという呼び方は、これから先もしばらくは変えないことになりそう。一度リザさんと呼んだら、自分の事だと気付かなかったらしいので。まあそういう所も、せんぱいらしくて可愛いと思う。

 それと、シロちゃんには随分と酷いことをしてしまった。これから長い時間をかけて、償っていければ良いなと思う。シロちゃんもそうする事を許してくれたから。

 シロちゃんは、少し他の人と違う。その事で苦労することもあるかも知れないけれど、私はいつでも、必ずシロちゃんの味方でいようと思う。

 だってこんなに可愛くて、こんなに良い子は、他にはいませんもの。

 これからは三人で、苦労する事もあるかと思う。

 けど、きっと大丈夫。

 大好きなせんぱいと、大好きなシロちゃんがいれば、私は幸せだろう。

 あと実家がお金持ちだからね。

 せんぱいが握った手を離さないというのなら、私だって同じ。

 どんなに嫌がっても、一生離れてあげませんからね?




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薄給激務の宮廷魔術師 @yu__ss

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