お日さまが足りないクリスマス
玖珂李奈
大きなクリスマスケーキ
今日も幼稚園へお迎えに来てくれたのは、ばあばだった。ぼくは先生に挨拶をして、ばあばと手をつないで幼稚園を出た。
預かり保育の後の空は、少し暗い紫色になっている。鼻がひりひりするくらい寒い。口から出る湯気が、ほわほわと顔の周りに広がる。
「さあ、ばあばの家に行きましょう。今日はクリスマスイブですからね。七面鳥を焼くわよ。ケンタちゃん、七面鳥食べたことあるかしら」
七面鳥、って、クリスマスの絵本に出ていた、あのおっきい鳥のことだろう。ぼくは首を横に振った。
「クリスマスはねー、から揚げを食べるんだよ。あとピザとケーキ」
前のクリスマスの時は、ぼくとパパが大好きなから揚げがたくさんあった。
ぼくはピザづくりのお手伝いをした。ママと一緒に、チーズとかハムとかで、お面ライダーの顔のピザを作ったんだ。
チーズで作ったお面ライダーの顔はぼこぼこになって、トマトソースで血まみれみたいになっていたけど、凄くおいしかった。ぼくがママと作ったんだもん、おいしいに決まっている。
ママが作ってくれるごはんは、なんだっておいしいんだ。
もう、ずっと食べていないけれど。
🎄
パパがお迎えに来た。パパは下を向いてはあーっと息を吐いた後、ぼくの顔を見て、にこっ、と笑った。
ママがなんども入院をするようになってから、パパはよく、こうして下を向いて息をはあーっと吐く。どこか痛いのかなあ、と思って訊いても、にこっ、と笑って「なんでもないよ」と言う。
「病院へ行ってきたんでしょ。どうだったの」
「相変わらずだったなあ。この時期まで長引くとは思わなかった」
「夕食、用意するわね」
「いいよ、ありがとう。ケンタと食べようと思ってケーキ買ったし、このまま帰る」
パパ、ケーキ買ってくれたんだ。さっき七面鳥とか、ナントカのナントカとかいう、難しい名前のごはんをいっぱい食べたから、お腹いっぱいだけど、食べられるかな。
🎄
外は真っ暗だった。口から出る白い湯気が、さっきよりもはっきりと見える。
「ママ、まだ具合悪いの」
「うーん、そうだねえ。あ、ママが『クリスマスパーティー、できなくてごめんね』って言っていた」
「ぼく、明日病院行きたいな」
「じゃあ、ばあばの仕事が大丈夫そうなら、幼稚園が終わった後に連れて行ってもらうか。電車だと少し遠いんだけどな」
パパは歩きながらそう言って、また、はあーっと息を吐いた。
そうか、パパは明日もお仕事だ。だから、ぼくと一緒に行けないんだ。
ママが入院してから、パパは早く帰って来るようになった。でも、ほとんど遊んでくれなくて、ずっとパソコンでお仕事をしている。夜中、ぼくがトイレで起きた時も、少し怖い顔でパソコンを見ていた。
ママもたまにパソコンを開いて、「カコヨモ」っていうサイトを見ながら、少し怖い顔で「今日もPV0だった」なんて言っていたけれど、あのかんじと全然違う。
ぼくは年長さんで、もうすぐ小学生だ。もうお兄ちゃんなんだ。
だから分かる。
今、大人たちは、みんな大変なんだ。
パパも、じいじやばあばも、
ママも。
だからぼくは、いい子にしていなくちゃいけない。
わがままなんか、言っちゃいけない。
ママ、早く帰って来て、って、泣いちゃいけないんだ。
🎄
家の中は真っ暗で、やっぱりママはいなかった。
もしかしたらママはどこかに隠れていて、ぼくが部屋に入った途端に、「メリークリスマス」って言いながら飛び出して来るんじゃないかと思った。だけど、ママはいなかった。
制服を脱いで、着替えて、階段を降りる。
全部降りたところで、制服を脱ぎっぱなしだったことに気づいて、部屋に戻る。
制服は、寒そうに床に散らばっていた。
制服を脱ぎっぱなしにしたのに、誰も叱る人がいなかった。
部屋の前でしばらくそのまま立っていたけれど、だれも叱ってくれなかった。
だんだん、鼻の奥がつーんとしてきて、目玉の裏側がじわっと熱くなってきたから、ぼくは制服をハンガーに掛けた。
🎄
「どうだー。これ、最後の一個だったんだぞ」
パパが大きな声でそう言ってケーキの箱を開けた。
だけどぼくは、準備していたバンザイのポーズが、中途半端になったまましゅるしゅるとしぼんでしまった。
「あれえ。どうした。もっと喜ぶかと思ったのに。ケンタ、去年これがいいって言っていたじゃないか」
あ、どうしよう、パパの声がしゅるしゅるとしぼんでいる。だけど一度しぼんだバンザイは、もう出てこない。
目の前にあるのは、お面ライダーのおもちゃが載った、大きなクリスマスケーキだ。
前のクリスマスの時、ママが「あれ、ほとんどおもちゃ代でしょ。高い高いもったいない」って言って、買ってくれなかったケーキ。あの時、ぼくはわんわん泣いて、鼻水を袖でぐいって拭いて、汚いってママに叱られたんだ。
そのことを、パパは覚えていてくれたのかもしれない。だからお仕事の帰りに、買って来てくれたんだ。
ぼくのために。
でも、パパ。
ぼく、もう、お面ライダーは卒業したんだ。
「う嬉しいよう。でも、その、うーんと」
しぼんでしまったパパを見て、なんて言おうかいっぱい考える。
「こ、これ、大きすぎるよ。ぼく、全部食べられないよ」
ぼくがそう言ったら、しぼんでいたパパがぱっと膨らんだ。よく分からないけれど、今、ぼくの言った言葉がよかったのかもしれない。
「ああ、そうだよな。そうかそうか、それはそうだ。ばあばの家で色々食べたんだもんな」
パパは真ん中に載っているおもちゃを外すと、ケーキを包丁でぐいぐい切って、ぼくにくれた。ぼくはテーブルに転がっていた、名前しか知らない新しいお面ライダーをきちんと立たせて、ケーキを食べた。
パパと二人で、大きなケーキを食べた。
「ケンタ、おいしいか。でもさ、これ、カニじゃないんだから、なんか喋ろうよ」
「だって、いっぱいあるんだもん」
「残ったら明日の朝、食べよう。本日中に召し上がって下さいって書いてあるけど、朝なら大丈夫だろ」
お面ライダーは卒業したけど、ケーキはおいしかった。お腹が空いていれば、もっと食べられたと思う。
そして。
「ママ、ケーキ大好きだからな。ママがいれば全部食べ切れたんだけどな」
パパが、今、ぼくが思っていたのと同じことを言った。
その言葉を聞いて、喉が詰まって、お腹の上のあたりがぎゅうってなって、目玉の裏が熱くなったので、ぼくは大きな声でごちそうさまの挨拶をした。
🎄
パパとお風呂に入った後、ベッドに横になった。
「おやすみ」
パパは少し早口でそう言って、ドアを閉めた。多分、これからまた仕事をしなくちゃいけないから、急いでいるんだ。
ぱたん、とドアが閉まる。
しぃん、という音が耳の奥に響く。
ママ、今、どうしているのかな、と思う。
オレンジ色をした暗い部屋の中が、じわん、と歪む。
夏休みの終わりくらいに、ママが急に倒れて、ぼくはママと一緒に救急車に乗った。
それから、なんども入院したり、退院したりした。家にいる時も、いつもはあーっと息を吐いて、ベッドやソファで横になっていた。
それでもぼくを見ると、にっこり笑って、ぎゅってしてくれた。
多分、今回の入院が最後になるよ、もう大丈夫だよ、って、ママが言っていた。
ママが言っていたんだから、きっと本当だ。
だからもうすぐ家に帰ってくるんだ。
だからもう大丈夫なんだ。
オレンジ色の部屋が、プールの中みたいに、ゆらゆらと揺れている。
じわじわと増えてくる涙が流れないように、目を大きく開けて力を入れる。
喉がひっくひっくってなるから、口を強く閉じる。
鼻水が出てきて息ができなくなったから、ちょっとだけ口を開ける。
それと同時に、涙がたらっと目の横から零れて、耳に入る。
オレンジ色がぐちゃぐちゃになって、お腹の上のほうが苦しくて、頭の中がわーってなる。
「ママぁ」
思わず出てきた声をおさえる。喉がひっくひっくってなる。パパに聞こえないように、こっそり呟く。
「ママぁ」
自分の声が、耳の中に入って、頭の中に入って、わんわんと響く。
ママ、と言った自分の声が、耳の後ろからぼくに囁く。
今、ママは、ここにいないんだ。
涙があとからあとから流れてきて、唇が声をおさえられなくなる。
「ママぁ、ママぁ」
声と一緒に、体の中の重たいものがどんどんどんどん溢れてくる。じっとしていられなくて、脚をばたばたする。体をいっぱいねじる。涙と、鼻水と、ママを呼ぶ声が止まらない。
「ママぁ、ママぁ、わぁぁん」
パパが部屋に入って来た。だけど止まらない。
ママ、帰ってきて。本当は一人で寝るのなんかやだよ。ママと一緒に本を読んで、ぎゅってしてほしいんだよ。だってぼくはママが大好きなんだもん。
涙と鼻水で顔がべちょべちょになったから、ぼくは袖でぐいって拭いた。袖はきっとべちょべちょだ。なのに誰も叱ってくれない。
どうして叱ってくれないの。ぼく、袖をべちょべちょにしたのに。いい子にしていないのに。
「ケンタ」
パパが低い声でぼくを呼んで、ぎゅってしてくれた。
ママと違って、パパの腕は硬いし、ほっぺはざらっとしている。それに力が強くて、ちょっと苦しい。
だけど苦しいくらいの腕の中にいると、だんだん、体の中の重いものが、ほろほろと柔らかくなってくる。
泣くたびに泣き声が柔らかくなってくる。
パパは少し腕を離して、ぼくのことをじっと見た。
「ずっと、いい子にしていたんだな。でも、もう、いいんだよ」
にこっ、と笑う。
「ママ、もうすぐ帰ってくるからな。もう大丈夫。だから泣くのはおしまいだ」
涙は止まったけれど、喉はまだひっくひっくってなる。パパはぼくの頭をぽんぽんと叩いた後、大きな手でぼくのほっぺをふんわり包んだ。
「じゃあ今日は、パパが本を読もうか」
また、にこっ、と笑う。ぼくも一生懸命、にこっ、てしてみたら、なんだかもっと、にこっ、てできるような気がしてきた。
ぼくは本棚から本を取り出して、パパに渡した。
🎄
クリスマスの朝、どたどたという音が聞こえてきたので、ぼくは目を覚ました。
時計を見る。短い針が「6」と「7」の間で、長い針が一番下にあるから、六時半だ。玄関にはパパと、ばあばがいた。
「おはよう。丁度良かった。パパ、これから病院行ってくるから、幼稚園はばあばと行って」
お休みの日の格好をしたパパは、少し怖い顔をして上着を羽織った。
「おはようケンタちゃん」
ばあばも少し怖い顔をしていた。ぼくを見て、にこっ、てしたけれど、すぐまた怖い顔になって、パパを見ている。
「じゃあ母さん、ケンタをよろしく」
パパはぼくの頭をぽん、と叩いて、玄関のドアを開けた。
走りながら家を出ていったパパを見て、僕は立ったまま動けなくなった。
心臓が、かけっこのあとみたいにどきどきしている。
ほっぺがどんどん熱くなる。
なのに手がどんどん冷たくなる。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
ついに、きた。
ばあばがぼくの前でかがんで、ぼくの腕をぎゅっと掴んだ。
ぼくを見上げる。ぼくの目を見て、にこっと笑う。
「ケンタちゃん、さ、着替えましょう。ほら、しっかり。もう、お兄ちゃんでしょ」
🎍
もうすぐお正月だ。前は、ママがわーわー言いながら、お掃除したりおせちを作ったりしていた。
でも、今年は違う。お掃除はいつもと同じだし、おせちはデパートで買った。これ、前に、ママがチラシを見ながら、「いいなあ、これいいなあ。楽だし、おいしそうだし」って言って、パパをちらちら見ていたのと同じだ。
ぼくはパパと一緒に病院へ行った。ぼくは荷物を持つお手伝いをしている。紙袋の中には、ちいさくてきれいな白い服が入っている。
産まれたばかりのぼくの妹が、退院するときに着る服だ。
クリスマス。
ママとパーティーはできなかったけれど、世界一かわいい妹が来てくれた。
病院に着く。
もうすぐ、ママと妹に会える。
うれしいからって、にやにやしたりなんかしないんだ。
かっこよく、にこっ、と笑ってきめるんだ。
だってぼくは、お兄ちゃんだから。
お日さまが足りないクリスマス 玖珂李奈 @mami_y
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます