エピローグ~足音は近く、心はまだ遠く~


 仕立て屋の件から一夜明けて、翌日。

 はるかは教室の自分の席で突っ伏していた。


「うー……体がだるい」

 幽霊をとり憑かせたせいか、どうにも体調が優れない。雅火によれば数日で回復するらしいが、今日は登校するだけで精一杯だった。

 一方で、この疲れがちゃんと頑張ったあかしに思えて、どこか心地よくもある。


 あの後、ゆうぜんは正式に立ち退きを受け入れた。

 青鬼の若頭は事の次第を聞いて、まさかの号泣。かなり情に厚い性格らしく、以前よりも立派な店を建ててやると約束した。


 桃橙色の着物は、友禅が新しい店に持っていくらしい。あやかしも事によっては天寿を全うすることがあるので、いつかその時に持っていくのだ、と言っていた。


「ひょっとして……それを着てもらって、今度こそ彼女にお嫁にきてもらうつもりなのかな」

 本人に聞いたら怒られそうだけど、そうなったらいいな、と思った。長い時を経て、なお想い合っていたあの二人の絆はとても尊いものに思えるから。


 そうして笑みをこぼしていると、朝練上がりの生徒が横を通った。

 以前に話しかけてくれた、野球部のひろだ。


 その尻ポケットから軍手がはみ出しているのを見て、ふと思い出す。そういえばここ数日忙しくて、執務室の床をまだ直していなかった。しかも購買部で買った軍手もばたばたしていてどこかに失くしてしまっていた。


 これはチャンスかもしれない。

 踏み出してみたいと思った。自分もあの二人のように誰かと絆を紡げるようになりたいから。

 深呼吸をし、思い切って立ち上がった。


「ひ、広瀬、おはようっ」

「ん? おお、高町。おはよーさん」

「あ、あのね、このあいだ言った、あれのことなんだけど、その……」

 あれとかそれで伝わるわけがない。

 でも緊張して上手くしゃべれなかった。そのうち声が尻すぼみになってきてしまう。


「だ、だからその……ご、ごめん、やっぱりなんでもない」

 俯いて座りかける。

 すると、ひょいと何かが目の前にかざされた。


 軍手だ。


 広瀬が苦笑しながら差し出してくれている。

「ひょっとしてこれのことか?」

「あ……」

「遠慮すんなって。クラスメートなんだから気軽に言えよ。な?」

「う、うん! ありがとう、広瀬!」

 自分のものとは思えないくらい弾んだ声で、軍手を受け取る。

 そのままホームルームが始まるまで、広瀬と雑談をした。

 

 こうして、この日。

 遥は小さいながらも――確実に、新たな一歩を踏み出した。


               ○・○・○


 同時刻。

 街の南側のとある川辺で、あやかしの河童たちが逃げ惑っていた。


 辺りには闇のようなもやが漂い、それによって豊かな川が見る間に乾いていく。

 剥き出しになった岩を踏み砕いて現れたのは――真っ黒な狼だった。

 以前に遥を襲った、あやかしの狼である。


 不気味な靄をまとい、狼は鋭い牙を剥き出しにして遠吠えを上げる。

 恐ろしい声に怯え、河童たちは泣きながら逃げていった。


 誰もいなくなった岩肌で、狼はつぶやく。

「……ドコ……ダ……ドコ……ニ、イル……」

 その声はひどく荒々しく、それでいてなぜか哀しげだった。


「……ドコニ……イル……」

 孤独な黒い靄のなか、狼は捜し人の名を言った。


「…………ヒロセ…………」


 つぶやかれたのは遥ではなく、クラスメートの名。

 次の瞬間、強い風が吹き、狼は靄と共にどこかへ消えていった。

 しかしその向かう先は明白である。


 遥がようやく手に入れようとしている、小さな絆。

 それを脅かす危機が今、静かに迫ろうとしていた――。



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【この続きは書籍・電子書籍の1巻でお楽しみいただけます】


 『妖狐の執事はかしずかない』 (富士見L文庫)

  著:古河樹/イラスト:サマミヤアカザ


 1巻:絶賛発売中 2巻:2018年12月15日発売



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妖狐の執事はかしずかない 古河 樹/富士見L文庫 @lbunko

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