第5話

暫くして学年主任の教師が教室に現れた。曰く貧血による体調不良らしく、命に別状は無いという。また途中で目を覚ました為、救急車をキャンセルしベッドで安静にしてるらしい。その後は数学の教科担任もさすがに罰が悪いのか平々凡々と4時間目の授業を終わらせた。

昼の休み時間が始まって真っ先に僕は食堂に向かう。僕は昼食を取らない事で自尊心を保つタイプなので、普段は読書をして過ごすのだが、今日は目的が複数存在した。

ひとつは食堂の新メニューとして珈琲が追加されたという事前情報を得ていた事。何やら学校が新しく珈琲メーカーを購入したらしく、本格的とは言い難いがそれなりのブレンド珈琲を楽しめるらしい。そしてふたつは(これは突発的な物であるが)食堂を通る通路から保健室が見える事である。

貧血とは言え、彼女の体調不良の原因と数学の教科担任の脅迫的な授業に相関関係がある事は否めない。

フェミニストとは名ばかりでは無く行動する事に意味がある。むしろ今まで何も手を打たなかった事が論外なのであり、実害があった以上動かざるを得ない。

彼女には教育委員会への相談を促そう。

しばらく廊下を歩いて保健室に辿り着いた。エアコンの効いた部屋には入口に造花が植えてあり、長椅子とベッドが適当に配置されている。好都合な事にこの時間帯は保健室の先生は昼食を取っていて、今保健室は空いている。

外から伺った所、倒れた女子生徒しか居なかった為、保健室へと入る。

女子生徒はこちらに気づいたらしく、その細い目をうっすらと開けてベッドからこちらを見上げた。

「あの…保健室の先生なら今ここに居ないです。」

僕は既に決めてあった一言を口に出す前に、長椅子に腰掛けた。

「お気遣い有難う。僕は体調不良でここに来たのでは無くて、さっきまでの事について貴方と話したくて来たんだ。むしろ保健室の先生が居ないタイミングを見計らって来たんだよ。申し訳ないね。」

「……どういうことですか?」

顔がこわばっている。どうやら喋り方が悪いようだ。

「いや…気構えして貰う程では無いんだけどね。貴方が倒れたのを…いや、その経緯を心配したというのが第一だね。あれだけの精神的なハラスメントを受ければ僕だって倒れるよ。」

「私は生まれながらに貧血なので、ちょっとの事で倒れてしまうんです。それでも新学期から何度か″キツイ″と感じた時は有りましたが、何とか耐えていました。でも今日は…」

「倒れる事は良いんだ。君が持病でストレスの負荷により気持ち悪くなってしまって倒れてしまう、これは仕方の無い事だ。でも今回のケースは正当な理由で倒れた訳では無い。明らかに数学の教科担任に君の健康が脅かされた。これはプロブレムだ。何が言いたいか。僕は数学の教科担任が平常的に女子生徒に対しパワーハラスメントを行っていることを教育委員会に報告するつもりだ。その一環として今回の件を示さ無い訳にはいかない。」

これに倒れた女子生徒が返した言葉は、進学校の生徒相応のものであった。

「でも、あの先生はもうこの学校に務めて五年になるそうなので…あったはずなんです。誰かが彼を報告する機会は…むしろ今まで誰も教育委員会に報告していない事の方が可能性は低いじゃないですか。恐らく指導程度で済まされてなあなあにされているのだと推測出来ます。なので合理的に考えた上で報告するメリットは薄いです。薄いどころか報告した者がどのような不利益を被るか分からない以上良い行動とは思えません。」

「なるほどね。でも大人の世界は甘くないね。」

「そうです。」

「ああ…大人の世界が甘くないってのは君が頭の中で変換した意味とは百八十度逆かも知れない。仮にコネや利権やらで数学の教科担任が長らく保護されているとしても、大人の世界はそんな不条理を許容しないんだ。甘くないんだよ。仮にこれがキッカケで不当な待遇を受ければ裁判を起こせば良い。僕の母親は弁護士だから、これを最終手段としようか。これならノーリスクとは言えないがリスクは低いと言えるね。ただ、君にして欲しいことは今日あった事を教育委員会に報告する事だ。僕一人で報告しても、君に確認が来る事は間違いないからどちらにせよ君は今日あった事が『あったか、なかったのか』を示さなければいけなくなる。」

「そうですか…どの道貴方が報告すれば私はNOとは言えなくなりますね。では今日帰宅して直後教育委員会に連絡しましょう。ではお話はこの辺で。」

「強引な誘導をして済まない。じゃあ僕はこれで去るよ。お大事に。」

僕は長椅子から立ち上がり、キシっと軽く音が立った。そのまま倒れた女子生徒を振り向かずに保健室を出た。

昼休みはあと二十分程度ある。珈琲でも飲みに行こう。

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葵島高校殺害事件 @kaimamiru

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