魔法円の結末
AIHoRT
魔法円の結末
私がこの手紙を書き記すのは神が我々に与えた最大の恩寵である無知の壁を,ちっぽけな自尊心と無意味な好奇心とで破ろうとする愚かなものへの警鐘である.誤った自信に満ち溢れ恐れを知らぬものの憐れな結末を私は知っている.
現代人のほとんどが忘れてしまったか嘲笑うだけの魔術について,私はそれが空想の産物ではなく一定の法則の下に制御可能なものであると知っていた.何故なら私こそが先祖の残した禁書に隠されていた記述を読み解き叡智を受け継いだ魔術の後継者であり,大いなる宇宙の法則の扱い方を理解し,実際に五つの文字通りの超常現象と二体の未知の生命を召喚し手懐けることができたからだ.
所謂デーモンと伝えられている筋と皮ばかりの黒いのっぺらぼうは非常に従順で,そのコウモリのような大きな羽を広げ私を夜空の旅へと連れて行ってくれた.透明な吸血生物は不可視の性質のため始め召喚に失敗したかに思えたが,その生物が部屋の隅で震えていたネズミを捕まえ全ての血を吸い上げた時に私はその生物の存在に気づき,さらに私は全く自然の摂理に反したこの生物の現出に興奮を隠せなかった.
次元の違う世界で生きる,生きるというのも所詮は人間の概念だが,彼等を従わせることなどは勿論,そもそも呼び出すことさえ普通は起こり得ない.それ故に魔術は荒唐無稽な絵空事だと伝えられてきた.彼らのいる次元には人間のいる次元とは異なる法則が適用されており,私にもその法則は氷山の片鱗すら理解していない.もし理解することができるなら魔術など必要ない!未知の法則を人間の支配できる法則へと微分する唯一の方法が魔術なのだ.
魔術の行使には魔法円と詠唱が不可欠である.現代の計算機風に表現するなら,魔法円がプログラムのソースコードであり詠唱によってそのプログラムを実行する.魔法円とは一般的に想像されるような特徴的な図形とその周囲にある規則で文言を連ねたそれだが,私のような知識あるものは配置に気を遣う.それは魔法円に完全な規則性と対称性を持たせることだ.ここでいう規則性とは勿論,例えば西洋の呪いが当てにする4大元素だとか東洋の星占いの144ヶ月周期のような,人間の支配できる法則や周期のことをいう.これらは大いなる法則と完全に乖離するわけではなく,むしろ,その円によって発揮される力や呼び出される生命を完全に制御下に置くためには,魔法円を全て人間の支配できる規則で埋め尽さなければならない.
あの時.私はばいあーくーなる闇の眷属を召喚するために六芒星の魔法円を描いていた.力の誇示のためである.白痴なる現代人が思いもよらぬ法則を私が解き明かし行使する,全てが思い通りになる感覚に酔いしれていた.
線対称かつ点対称である六芒星とその周囲に一定の規則で神々の名を連ねた魔法円は人間の法則の象徴であり,これを用いることでその実際を知らずとも円の中で起こる法則を全て人間の法則の延長として掌握できる.だが,愚かなことにヘブライ語で綴っていた神々のスペルをたった1つミスしていたことに私は気づかなかった.もしそれが意味のない文字列になるのなら魔法円が完成しないだけで召喚の儀式は失敗以前に何も始まらないに違いないが,不運なことに,それは彼等にとっては意味ある文字列だったらしい.
いあ いあ あざとーと ふたぐん
よぐそとーほ しゅぶにぐ ないあるら ふたぐん
私は詠唱を開始して異変に気づいた.魔法円からぶくぶくと泡立つ黒色の液体が溢れ悪臭を放ちながら次第に質量を増す.私の知る限りばいあーくーは蟻のような頭部の骨ばった姿と形容されており,今まさに泡の中から現れようとしている幾本もの気味悪い触手を持つ生命ではない.さらにその生命は綴を誤ったせいで法則を外れた僅かな魔法円の隙間から,腐食するように穴を広げながら這い出て私の方ににじり寄る.全てを自由にする方法を知っているのだ.
私は失敗を認めざるを得なかったが,しかし詠唱をやめるわけには行かなかった.ここで詠唱をやめれば人の支配できる法則を放り投げこの未知の生命へ主導権を譲ることになり,そしてその後起こることは想像もつかない.震えて噛みそうになる唇をなんとか叱咤し逆順へ反転詠唱を始めたと同時に,触手は私の足元へたどり着き足元から喉へ向けて登り始めた.脂汗が流れる.動けない.儀式的な理由もあったが,それ以上にぬめつきへばりついくる触手のおぞましい感触に私の全身は震え上がり金縛りにあっていた.それでも私が詠唱を続けることができたのは,英雄めいた勇気と決意に漲っていたからではなく,ただ単純に恐怖のあまり思考が凍りつき,詠唱を終える以外に抵抗の方法を思いつかなかっただけだ.
触手が私の喉元へたどり着き首を締め上げあげようとした瞬間,ぼとりと力なく垂れ落ちた.すんでの所で私の帰還の逆詠唱が完了しその生命を元いた時空へ帰還させたのだ.私は安堵しへたり込み涙を流した.声は出なかった.ぱくぱくと口を開けても一切の声も合切の音も発しなくなっていた.唐突に足元から全身に鋭い痛みが襲い,見ればあの触手が通った箇所が焼けただれていた.触手は私の詠唱を奪うことに成功していた.
私は己の愚かさを嘆きかの神へ赦しを請うたがどれほど苦しんでも叫び声は出なかった.私は知らなかったのだ.この呪いをなんとか解呪しようと狂えるアラブ人の残したとされる禁書を読み解いた際に知ったその警告を.下級の奉仕種族にはともかく,非常に強大な相手に対して人間の規則性をもって支配を行うとする行為はそれ自体が歪な挑発であり,ほとんどの場合そのような召喚を行おうとした魔術師は無残な最期を迎える.そう,つまり,私のちっぽけな自尊心と好奇心があの存在の逆鱗に触れ、触手の先がほんの僅か接触する合間に金輪際解くことのできぬ呪いを浴びせたのだ.私がスペルを誤り記してしまった大いなる存在hasturの.
魔法円の結末 AIHoRT @aihort1023
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