終末はラジオと一緒に

@yoll

終末はラジオと一緒に

 12月19日 PM


 浅い眠りから目覚めると雲ひとつ無い青い空が何処までも広がっている。ぼんやりとした目をこすり、大きなあくびをしながら口元を袖で拭うと何時もどおりよだれが付いていた。何年経ってもこの悪癖は残念ながら直らないようだ。着替えの上着の裾にはどれもよだれの跡が付いている。

 気付けばクリスマスまで残すところ一週間。その次の日は何と私の誕生日だ。今までの人生の中で、クリスマスと一緒に誕生日を済まされてきた少し苦い思い出が思い浮かぶ。今年はその日を迎えることは無い。


 テーブルの上で私と同じように空を見上げて倒れたままになっているポケットラジオからは、砂嵐の音に混じって時折聞き覚えのあるブルースが流れている。きっとどこかで混線をしているのだろう。ラジオが聞こえる詳しい仕組みは照明の電球を取り替えるくらいが精一杯の電気音痴の私には分からないが、きっと何処かの誰かが気を利かせてこんな中でも電波を流してくれているのだろう。出来れば何処か物悲しい感じに聞こえるブルースよりもポップな曲のほうが私の趣味には合うのだが、残念ながらリクエスト先は分からない。


 さて、先ほど私と同じようにラジオが空を見上げていると言ったが、それは何故かというとこの家の南向きの壁の一部と屋根が半分吹き飛んでいるからだ。今更説明することも億劫なので割愛をするが実に様々な事があり、私の住んでいる安アパートも例に漏れず何処かしら壊れていた。屋根が半分残っているこのアパートにすむことが出来ている私は周りに比べると実に運が良い。残りの一週間、比較的楽に過ごせるのではないだろうか。


 さて、時間もそろそろ良い頃になってきたので睡眠をとる事にしよう。夜は長い。




12月20日 AM


 相変わらず夜は真っ暗だ。あれからというもの、電気を失った私たちは文明的な生活を営むことは出来ない。明かりのある暮らしが今ではとても懐かしい。

 ただ、今日も晴れているため星明りが辺りを照らしているのがせめてもの救いだろうか。夜はとても、とても、危険だ。用心をしてしすぎるという事は無い。

 人がそのまま通り抜けられるほどの大きさの壁の穴からは、今日も変わらず時々何処かで火の手が上がっているのが見える。アパートからの距離はどれ位だろうか?星明りのみで照らされた視界の中では良く分からない。

 今日もベッドの上で体育座りををしながらまんじりともせずにこのまま夜明けまでを向かえるのだろう。ベッドに立てかけてある元屋根の一部だった角材をちらりと眺めながら一つ溜息をついた。




12月22日 PM


 昨日は酷い目に会った。日記もつけられずに寝てしまった。

 使うつもりの無かった角材にこびり付いた髪の毛と赤黒い跡を見て何があったのかをそれとなく察して欲しい。

 その結果、肉体的な問題としては体のあちこちが熱や痛みを持っているが、素人目には骨折などは無いように思える。替わって精神的な問題はというと、主に昨日の出来事が大部分を占め、そのほかには今の状況の物が加味されたストレスからくるものだと思う吐き気が襲ってきていた。

 困った事に、吐き気が収まり一安心をしていると思い出したように再び吐き気が襲ってくる。お陰でトイレ代わりのダンボールを置いた部屋を何度も往復する羽目となっていた。


 半分無くなった屋根から見える青空の下で、相棒のラジオが砂嵐の音に混ざったブルースを今日も元気に垂れ流している。いつもは時折文句を言うこともあるこの音楽も、今日のところは文句を付ける気も起きない。音楽とはこうも偉大で、心を慰めてくれるものなのだろうか。でも、やっぱり聞けるならポップな音楽が良いのだけれどそれは欲というものだろう。

 電波を流し続けてくれているどこかの誰かには本当に感謝を。私の救世主。


 さぁ、そろそろ眠ろう。また、夜がやってくる。




12月23日 AM


 昨日は眠れなかった。

 いや、正確に言うと時々浅い眠りにつくことが出来たのだがその度に夢を見た。その夢で私は何度も顔が見えない男の頭を角材で殴りつけるのだ。多分、頭蓋骨を砕いたのだろう感触が、夢の中でもリアルに掌に伝わってきた。

 その度に飛び起きるともう何も残っていない胃が引きつりを起こし、嘔吐いてしまいろくに眠ることも出来なかったわけだ。あの男が私の心に残していった置き土産は、どうやら私が思っていたよりも大きい様だった。

 後数日の間を静かに過ごすことが出来れば良かったのだが、気を引き締めていかなければ存外難しいようである。


 見上げれば今夜も綺麗な星空が広がっている。


 何時の頃からか空に雲を見かけることが無くなった。

 誰かがそれをインターネットで騒ぎ立てることが出来て、テレビがまだその役割を全うすることが出来ていた頃、気付けば天気予報は放送されなくなっていた。それはそうだろう。「明日も全国的に晴れが続くでしょう」。その一言ですべてが終わるのだ。それとも、何時までたっても徐々に上がり続ける気温を伝え続けることに問題を感じたのだろうか。因みに今居るこの地は北海道だが、12月末になっても日中は気温は30度を越している。こうしてほぼ屋外と変わらない部屋で生活をする分には助かってはいるのだが、都心辺りの気温は一体どうなっているのだろうか。

 電気を失った我々元文明人が、それを知ることなど出来なくなってしまったわけだが。


 少し遠くに置いていた角材を自分の近くに引き寄せた。

 私の命を少しだけ延長してくれた硬い手触りに不思議な安心感を覚えると、どっと眠気が押し寄せてきた。




12月24日 PM


 どうやら私は血に汚れた角材を抱いて眠ってしまったらしい。あれだけ夜の怖さを身をもって知ったはずなのに、案外私は図太い神経をしているようだ。随分とぐっすり眠っていたようで気が付けば太陽は傾きかけ、空は茜色に変わりつつあった。眠っていた間に何事もなかったのは日頃の行いがよかったからだろうか?

 相棒は今日も元気に砂嵐交じりのブルースを流している。

 どうやらその曲は私も聞き覚えがあった。確かThrill is gone と言う曲名だっただろうか。私の救世主の選曲はちょっぴり皮肉が利いているらしい。


 角材を手放した私はベッドから降りると大きく伸びをすると口元を袖で拭う。やはり袖口には私のよだれが付いていた。三つ子の魂百までとの言葉の通り、しまらない人生最後の日となるが、明日からはその悩みからも解消されるのだ。もう気にすることも無いだろう。

 壁の穴から見える夕焼けに照らされた光景は、何時もと変わらないはずなのに、何処かが何時もと変わって綺麗に見えるようが気がした。崩れたビルや商店街のアーケード、そこから少し離れたところに見える燃え残った民家、公園。

 少し高台にあるアパートを選んだ私に思わずよくここを選んだな、と賞賛を送りたい。まだ会社があった頃は、帰宅時に坂を上がるたびに文句を言っていた気もするが、そこは大目に見て欲しいと思う。


 壁の穴からさわやかな風が入り込んできた。

 汗やら何やらですっかりべたついた元自慢の黒髪達が重そうに風に揺れていた。顔なんかはとてもじゃないけど鏡で見る勇気は無い。想像することすら恐ろしい。

 でも、最後の日くらいは口紅でも引いてみようか。買ったきり、一度も引いたことの無い真っ赤な奴を。

 私はもう一度伸びをしてからベッドサイドに用意をしておいた化粧ポーチから口紅を取り出すと、長い付き合いになった口元に筆は使わず紅を引いていく。少し位はみ出てしまった所もあるかもしれないが勘弁して欲しい、私よ。


 気が付けば小刻みに震えている体を両手で抱きしめながら、次は化粧ポーチから一錠の薬を取り出した。銀色の包装紙に包まれたそれは薬局でも貰えるような名前やアルファベットは書いておらず、代わりに黄色い文字で使用注意とだけ書かれていた。


 この世の終わりには一寸だけ興味もあったけど、それを見ながらというのは私には無理だろう。毎年夏に開催される町のお化け屋敷の入場券を友達に誘われて買ったはいいが、長い思案の末に受付には出さずにゴミ箱に捨ててきたほどだ。怖いという事柄には関わりたくないという生き方に素直に従ったわけだが、友達はそれは恐ろしいほどに怒っていた。別の意味で恐怖を感じることになったが、今ではあれも良い思い出だ。


 少しだけ震えが収まった手で、包装紙からカプセル状の薬を取り出すとそれを一口に飲み込んだ。

 緊張で乾燥しきっていた食道が異物を押し返そうと必死になったのか、物凄くむせ込みはしたものの、何とか飲み込むことは出来たようだ。昨日何度も吐いた時に残っていた水を使い切ってしまったことが悔やまれる。

 涙目になりながらもベッドまで辿り着くとうつぶせに倒れこんだ。


 相棒は砂嵐交じりの同じ曲を何時もどおりに流し続けている。暫く聞いていると同じ曲が流れ出した。今まではきっちりと曲を変更していたのだが。

 もしかしたら私の救世主も薬を飲んだのだろうか?

 勝手にそう思い込む分には誰にも迷惑はかけないだろうから、せめてものの慰めのためにその姿を私の理想の男に仕立て上げ、ごろりと仰向けへと体勢を変える。そうした後に目を閉じると真っ暗な視界の中に一日早いハッピーバースデーを祝ってくれる救世主を思い浮かべた。

 手を伸ばして握り締めたのは角ばった例の角材だけど、仕方が無いか。

 段々と意識がぼやけてくる。多分即効性を謳っていた薬の効果が出始めているのだろう。


 人間が死ぬ前に最期まで残ると感覚は聴覚だと聞いたことがある。

 曲名も分からないブルースをまどろみの中に聞きながら私は意識を手放した。

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