近すぎた男

柚緒駆

近すぎた男

「九マイルは遠すぎる、って話を知ってるかい」


 かつて刑事であった古い友人は、俺の言葉に振り返った。


「読んだことはあったな。確かアメリカの古い短編推理小説だった」

「そいつにちなんで、何か言うことはないか」

「ないな。用はそれだけか。さっさと帰れ」


 友人は迷惑そうな顔を浮かべている。


「何か言ったら、素直に帰ってやろう」


 その言葉に、友人は俺の笑顔をしばらくにらみつけると、再び背を向けて歩き出し、こう言った。


「……九ミリは近すぎる」

「わかった。それじゃ帰るとしよう。達者でな」

「おまえもな」


 安心したように、ホッと一息つきながら友人がまた振り返ったとき。俺はその顔を見られなかった。この身体が音を上げる速度で回転したからだ。その勢いのまま、俺の背後にいた男の顔面に問答無用で拳をめり込ませる。一瞬の静寂。俺よりも五センチは背の高い屈強な男は、膝の力を失い真下に沈んだ。すかさずその右腕をねじ上げる。その先、右手に握られていた黒い塊は、ベレッタの九ミリ自動拳銃。


 男の後頭部を裏拳で打ち据えると、抵抗は完全に沈黙した。

「おまえを脅迫していたヤツか」

 友人は全身から力が抜けたかのようにしゃがみ込み、無言でうなずいた。


「俺を巻き込みたくなかったんだろうが、水くせえぞ」

「……何故だ。何故私が脅迫されていると気付いた」


「九ミリといやあ拳銃弾。そして元刑事なんてのは、古傷を抱えてるもんだ。古い付き合いの俺を遠ざけようとして、なおかつすぐ近くに拳銃持ったヤツがいる。尋常な状態じゃあるまい。命に関わるのはわかり切ってる。だが恨みで殺すのが目的なら、俺がいても撃ってるはずだ。なのに撃たない。なら金目当てに違いない。だろ?」


 一つ大きなため息をつきながら、友人は立ち上がった。そして微笑んだ。


「おまえ、いつの間にか名探偵になってたんだな」

「ただしケメルマン派じゃない。俺はチャンドラー派だ」


 そう言ってタバコを咥えると、火を点けた。

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近すぎた男 柚緒駆 @yuzuo

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