第2話
彼は、あたりを見渡すのをやめて天を仰いだ。
美しい星たちが、光の国の木漏陽のように輝いている。星月夜は生きた宇宙空間となって、無限に広がっていた。
星の夜に
キラキラ星の光る夜は
きっと何かがおこるという
流れ星の光る夜は
だれかが空に消えたという
キラキラ星の光る夜に
飛んでく
僕の夢は大空に
おおきくおおきく広がっていく
光の精にさそわれて
流れ星の光る夜に
僕はひとり祈ってる
少年の日に呟いた詩が、脳裏をかすめて鳥の影のように消えていく。
アルファは、古の人が夜空に神話を描いたよりもさらに間近に、ふくよかな女神を抱くように広がる時空に自己を記した。
たしかにそこには命があった。大いなる宇宙の鼓動があった。
全身を霊感が貫き、背中の翼を信じられそうな一瞬・・それは、甘い死への誘惑だったのだろうか。
「星がどうして美しいか知っているかい?
それはね。決して手が届かないからさ」
ふと、そんな事を言った奴を思い出した。
何という切ない思いであろう。手が届かないから美しいなどということは! 彼は、声を大にして叫びたかった。
「星よ!
天から降りてこい!
・・君を抱いていたいんだ! 」
声は風に掻き消され、向こうの山にさえ届きはしない。星は永遠の時のなかで、夢のようにまたたいている。そして人間はそれを永遠に掴むことはできないのであろうか。
夜風は吹き荒ぶ。煙突は揺れ惑う。電線は啜り泣く。思い出は震えあがる。悲喜交々至る夜景をながめながら、アルファはウ井スキーの角瓶を取り出して口呑みにした。煙突の上の酔っ払いも乙なものだ。彼は、酒を酌み交わす相手がいないのを残念に思ったが、このような莫迦も俺一人ではあるまい。この満天の星の下、他にもこんな奴がいることだろう。彼はそれを強く信じて、架空の彼らに向かって乾杯をし、また一呑みした。
心臓の鼓動が指先まで感じられて頬が火照ってきたものの酔いの回りはゆるかった。高所の酒宴に刺激されてかえって意識は明瞭になり、自分の中心点がガラスの曇りを払ったように認識されてきた。それは、鉄のように硬い意識に守られて紅炎を放っている。それは言葉では形容できない炎だ。何を燃やすか分からない火だ。いったい何者がこの火を吹き消せるのだろうか。風はその炎を強めるばかりであろう。いかなる豪雨も真空の意識を穿つことはできないであろう。
彼は全身を震わすような霊感を受けて確信した。俺は神秘と虚無との狭間に息衝く亡霊であると。そして亡霊であること自体、すでに死んでいる証拠なのかもしれないと思った。しかるに亡霊になってまで生きているとは何たる執念深さだ。彼はそう考えて唇を噛みしめた。
夢が煌く街並のなか、人生という舞台の上で飽きることなく踊っている可憐な人間たち。それを自ら讃える大輪の花。
アルファには、人間がこのうえもなく愛しい者に思われた。あの花火にときめく心があるかぎり、生きて行こうと思った。それを求めて駆けて行こうと思った。
捕えようにも火花を腕に抱くことはできない。それは道理ではあるが、その失望が人生を断念する理由にはならない。空しく生きているよりは、傷付いてもよいではないか。彼は火花で自分を燃やそうと試みるだろう。そして人込みに紛れながら、彼自身が火花となるその日まで生き続けて行くことだろう。煙突の天辺から飛び降りたとしても、肉体がトマトのように潰れるだけである。火花になれるとは思わない。剃刀の刃が欠けたところから、鉈は生きて行かねばならぬのだ。
K高原に到る暗い県道を、車のライトが流れて行くように見える。西側には遠く那須の稜線が星明かりに浮かんでいる。山麓には温泉街の灯が星の雫のようにまたたいていた。
煙突の上の酔っぱらい 日野 哲太郎 @3126
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