第2話ルール(水の妖精・ナイア)


 自分こと挽屋薫は、自分の夢である喫茶店の経営において、まさかこんなにも早く壁にぶつかるとは想像していなかった。

 こんな森の中だから売り上げはかなり厳しいし、食材の仕入れとかもかなり厳しいとすぐに想像していた。だからそれなりの対策はしていたのだが、どうも現実は甘くないな......。


 それはお店の開店一日目の朝を迎えたとき。

 目が覚めて喜びを噛み締めながらお店の方に行くと、そこで待っていたのは無残に散らかされていた椅子や、器具類だった。

 椅子は倒されている程度だったが、コーヒーを淹れる器具やカップのいくつか割れていたり、おまけに床が全体的に水で濡れていた。

 この有様を見た瞬間、恐らく人生の中で一番のため息をついたかもしれないな。


 ということで俺は早速店内を片付けることにした。

 そのついでとして、店内のテーブルの配置や、カウンターとガラスの棚に配置する器具類や飾りなどを配置し直し、よりお洒落な喫茶店らしくなっていく。ちなみにこの世界ではガラスの棚はかなり高級でなかなか買うことが出来なかったが、この世界でお世話になった人から買って貰った最高のプレゼントの為、この棚が壊されなかったことが幸いだった。

 ふと、濡れた椅子を布巾で拭いていると、椅子の上に小さく輝く粉が僅かに散りばめられていた。

 それが何なのか疑問に感じるも、すぐに興味が失せてすぐに掃除に取り掛かる。


 「よし!これで開店準備は完了だな」


 昨日は夜遅かった為開店してもすぐに店を閉めて、今日に備えて準備をしていた。だから今日が正式な開店日となる。

 お客さんはあまり来ないと思うが、とりあえず今の状態でどれほどの集客率があるのかは確認したかった。

 そんな期待半分の気持ちでお店の看板を外に掲げた。


 そして俺は広大な湖とそこに映し出す青空に向かいながら手を合わせる。こうやって毎日、前の世界ではやらなかった『祈り』も欠かさず行う。これは異世界に来て教わった習慣で、お店を開く上で必要なものは、経営戦略と神への信仰。という俺の一番の恩人であり師である『親父』から学んだ事だ。

 そしてそれを証明するかのように、親父のお店はすごく繁盛しており、お得意様もかなり多く通う程の大人気なお店となっていた。だからこの世界の土曜日・日曜日にあたる、全国的な休みの日は息が詰まるほどに忙しかった...。まあ、おかげで料理の腕前も上げる事が出来たのでかなり幸運と言えるかも知れない。


 「運を味方につける為には。まず神様を味方につけるか...日本の社会では学べないことだな」


 祈りを終えて、店に戻りながら独り言を呟く。

 コーヒーを淹れるのもそうだが、料理や掃除、会計等の帳簿記入、集客を伸ばすための工夫などなど。やることは想像以上に多い。その上今朝の店内での惨状......。


 「あまり自分の能力は頼らずにと言いたかったけど、ここまで来るとやっていけないな」


 俺は羽ペンと紙を一枚取り出して、カウンターの隅に座る。


 (とりあえずお店の治安だけはなんとかしなくては)


 ということで俺はお店の『ルール』を決めることにして、それを紙に書いていく。暫定ではあるが、これで多少は治安は守られることだろう。と俺は信じたい......。

 


 ●●●



 さて、先ほど「やることは想像以上に...なんとか」なんて思っていたが前言撤回だ。

 気持ちを裏切る程にやることはあっさりと片付いて今の状態は......。


 「暇だ」


 店のルールも決めた。料理やコーヒー等のドリンク類の下ごしらえも終えて、食事する際に必要なナプキンなどのお客様用のアイテムや食器の準備も終えた。質素な部分に色をつけるため、近くに咲いていた花を花瓶に入れてお店の何箇所に置いてみた。

 しかし。肝心のお客様が来ない......。

 そんな静かな店内で、空腹に襲われる自分の腹の音が鳴り響いた。


 「腹減った...」


 外を眺めると、太陽が真上に来ている様子から、今はお昼であることがわかる。そんな流れていく時間に思わず大きなため息をついた。


 「とりあえずお供えコーヒーを淹れ直そうかな」


 と立ち上がり、コーヒーポットなどの器具を持ち、そのまま店裏の部屋へ、つまり自分の生活する部屋へと移動する。

 一日に四回。

 昨日、ルールによって作り出した、どこにでもある木製の台から進化した森の生命を集めた頑丈な台座。それこそがこのお店のログハウスを作り出し、維持している存在なのだ。

 そしてお供え物の質が落ちると、建物の質も同時に落ちていくため、一日四回を目安に新たなコーヒーを淹れているのだ。


 俺は台座に置かれた冷めかけのコーヒーを取り出して、さっき淹れたコーヒーと入れ替える。

 最初の植物が急成長みたいな、大きな動きは無く、特に反応は無かった。けど、何となく手ごたえのようなものは感じたため、問題はないという確信を感じて、そのままお店の方へと戻る。


 「そういえば、カウンターの下にパンを置いていたな、とりあえずそれでも食べて腹ごしら...」

 「うっぐ。うん?」


 今の俺が目的として取ろうとしていたそれ。その目的物は一切消えて無くなり、その代わりにこのお店には一切存在しなかった小さき『もの』がそこにいた。


 「あ、えっと...」

 「ぐっ。うぐもぐ、ゴック。このパン。なかなか美味であるの」


 自分の手の平くらいの大きさだろうか。それくらいの体格と、背中に透明な羽。青く透き通った長い髪。額に小さな青い宝石が生えており、その宝石と同じ青い瞳が、俺に向けられる。純粋な眩しい笑顔で。


 「なあ人間。これはお前が作ったのか?」

 「あ、はい。親父さん、私の先生から習って作ったパンでございます」

 (って、俺の昼飯いいい!)


 パン泥棒の犯人は、我が物顔で羽を広げて飛び回ると、そのままカウンターの上に座り込む。


 「ほう、なるほど。もっと作ってくれないかのう?」

 「ああ、申し訳ございません。パンを作るには時間を要するので、代わりにクッキーはいかがでしょうか?」

 「クッキー?それはお前のパンみたいにふわふわしてるのか?それとも甘いのか?」

 「ふわふわはしておりませんが、サクサクとした甘いお菓子でございます」

 「おお!甘いなら良い!ぜひそれをいただこう!」


 と、突然現れた口調の偉そうな来訪者に要求される。突然だから最初は驚いたものの、泥棒では無く、初めてのお客さんということに内心はすごく嬉しかった。それに初のお客が妖精というのが二度嬉しい...妖精、だよな?


 「ふんふん。なんか良い匂いがするのう。これがクッキーというものなのか?」

 「匂い?ああ。コーヒーでございますね?」

 「こーひーとはなんだ?」


 青い妖精さんは、目を輝かせながら興味ありげに聞いてくる。

 俺は黙って、先ほど焙煎した焦げ茶色のコーヒー豆の入ったカゴを見せる。


 「これがコーヒーの豆。これをすり潰して粉にしたものを、フィルタを使って作り出す飲み物です。集中力を高めたり、リラックス効果もある大人の飲み物ですね」

 「ほう。まるでお茶のようなものだな。これもいただくとしよう」

 「かしこまりました」


 (うん。妖精相手でも問題なく接客は出来てるな)と安心する。

 今までは人間か、人に近い種族としか接客して来なかった為、内心は少し不安だったが、問題なく話せてはいるな。ただ問題は...。


 「そういえばお客様。御代とかは大丈夫ですか?」


 失礼な質問ではあるが、妖精だからあまりお店とか利用しないという先入観があるため、念のため聞いてみる。


 「おだい?そのクッキーとやらに対する見返りを求めるということか?」

 「あ、はい。そういうことですね」


 これを思うのも失礼だけど、意外と常識は知っていた。だが、本当に払ってくれるのだろうか...。


 「そうじゃのう...お前のくれるクッキーとコーヒーとやらが、どれくらい美味なのか。それを定めてから。その対価にあったものを与えよう」

 「ありがとうございます」


 話が分かってくれて助かったあ。まあ特に値段設定とかもしてないし、妖精さんに価値を決めていただくのも悪くないかもな。

 と、色々考えながらもコーヒーを淹れ終え、クッキーも花柄の小皿に添えてお出しした。

 ちなみに妖精さんのカップは人間用では合わないため、ミルクやシロップなどが入った小さい容器に淹れてみるが、美味しく淹れるには結構骨が折れるものだった。


 「なかなか美味しそうだ。しかし...黒い液体か、これがコーヒーというものかの?」

 「はい。豆を粉状にした色が溶け出して丁度鮮やかな黒に染まっているこの色が、コーヒーの色でございます」

 「ふむ。とりあえず飲んでみるかの」


 妖精は表情をこわばらせながらも、勇気を振り絞るように飲み始める...そして。


 「に!にがーーーい!」


 それは行儀が悪いとか、汚いという表現が正しいはずの口から飲み物を吹き出す行為が、その感情を打ち消す程綺麗な放物線を描いて、丁度俺の顔に直撃して上半身を濡らす。

 綺麗で可愛い妖精さんの成分が入ったコーヒーをぶちかまされるなんて、男としては至福な瞬間だな...なんて感情は一切と起こらず、むしろ自分の作ったコーヒーが吐き出されるという事実に悲しみを感じてしまったのだった。


 「おまえ!こんな苦いのをわしに飲ませるとは、早死にしたいのか!?お前は!」


 怒りの形相を浮かべながら魔法で作り出した水を凝縮した玉を三つほど作り出し、今にもこちらにぶつけてきそうだ。

 やはり気に入ってもらえなかったようだ。まあ甘い物好きだったら、その逆の未知なる苦いものが苦手というのは必然かもな。


 「申し訳ございません。配慮ができず説明不足でした」


 俺は急いで二つのポットを取り出す。一つには砂糖と、もう一つにはミルク。その二つの入ったポットの蓋を開けて、ミルクは適量に。砂糖は通常より倍くらいの量をコーヒーに混ぜ合わせ、再度お出しすることにした。


 「こちらをもう一度召し上がりください」

 「ふざけるな!わしはもう飲まんぞ。クッキーだけを食べて失礼する。御代はやらんぞ」


 だいぶご機嫌斜めである。それはしょうがないことだが、折角のお客さんが気持ちよく過ごせないのはマスターとしての恥だ。と考えて俺はカウンター下の外開きの棚の蓋を開けると、今妖精さんが召し上がっているクッキーの在庫が入った木箱を取り出す。そしてその箱から一個。四角くて棒状のお菓子を取り出した。


 「ではお詫びということで、こちらを召し上がりください。ビスコッティです」

 「びすこ?なんだそれは?新しいクッキーか?」

 「まあ、確かにクッキーと同じ焼き菓子ですが、クッキーよりすごく硬いのでそれに見合った食べ方があります」


 俺はそう言いながら手に持っているビスコッティを、ついでに淹れていた自分のコーヒーにつけて食べる。という食べ方のレクチャーを目の前でやってみせた。

 ちなみにこれは人生で初めて食べたものだが、結構旨い。


 「な!コーヒーにつけたらまずくなるだろ!そんなの...」

 「たしかにコーヒーは苦いですが、お客様のコーヒーは先ほど砂糖とミルクを混ぜたので、むしろ甘みがまして、甘いものが好きなお客様の口には最高の味わいだと思いますよ」

 「なっ!なるほど...」


 妖精さんの疑心暗鬼がさっきよりも険しい顔を作るも、少しは納得してくれたようだ。しかし苦手の物を再度口にするのは勇気がいることだ。それを証明するように緊張がこっちにも伝わってくる。そして...。

 小さい口に合うようにビスコッティを手の平サイズに割ってから、もはやコーヒー牛乳と呼べるような甘いコーヒーに浸す。そして...。


 「では、いただこう...」


 ここで言っておくが、俺には妖精さんの苦さの許容範囲が分からないため、正直美味しいと言ってくれるかは分からない。

 日本にいた時はコーヒーという飲み物を知っている前提で来るお客さんがほぼ全員で、この世界でもコーヒーは仕事をする上での目覚まし代わりにする人も多かった。

 しかしこの妖精にとってはコーヒーが未知の領域であり、未知だからこそどこまで甘くすれば良いのか、苦味はどれほど感じなければ問題ないのか。それは俺にとっても未知なのだ。


 つまり、またまずいということになって、今度は怒りで暴れまわってしまわないか。機嫌を損ねて二度と来なくなるのではないか。そんな不安でいっぱいだった。

 そしてとうとう妖精さんはコーヒーに浸されたお菓子を口にする。そして...。



 「うっ!うっげぽっ!げほっ!」


 妖精さんは口にしたと同時に突然咳き込んだ。


 「あっ、だ、大丈夫ですか?お客様!」


 不安と焦りを感じながらも、急いで壷に貯めていた水を誰も使っていないカップに注いで、妖精さんに渡そうとした。しかし、反射的なのか俺の渡した水ではなく、自分が飲んでいたカップにある甘いコーヒーを一気に飲み干す勢いで、咳き込んだ喉に流し込む。

 そして...。


 「お、おいしいぃぃぃ!!」


 予想外な展開に思わず唖然としてしまった。

 そこにはさっきまでの疑心暗鬼にまみれた険しい表情でも、怒りでもない。無垢な少女を思わせるような純粋な笑顔だった。


 「この、びすこってぃっという食べ物もなかなかの甘美だが、それよりもコーヒーだ。このコーヒーというのは、今まで飲んだ中で最悪と言える程の物だったが、たった二つの味を加えただけで、至極の気分を味わえる、なんとも言えぬ最高の味となった。なんと面白い飲み物なのだ。酒にも劣らぬ嗜好の品とも言えよう」


 恐らく今まで接客してきたお客さんの中で、ここまでのコメントを頂くのは初めてだ。というか、喜んでもらえたという解釈で良いのだろうか?


 「おい、お前の名はなんと言う」

 「あ、そうですね...ここ、喫茶店カオル屋を営んでおります、挽屋薫と申します。『マスター』と呼んで頂くと幸いです」

 「マスターか...大層な名だが、その名にふさわしく店を在るべき所へ導く覚悟を感じるのう。ではマスター。わしは水の精霊『ナイア』だ。今からこの店の世話になる精霊の名だ。覚えておけよ」


 (お世話になる?)


 疑問を感じている間に、ナイアは手を差し伸べてくる。

 ここで初めて、水の精霊のナイアはコーヒー(甘み二倍ほどの)が大層気に入ってくれて、再びこの森の中にある小さな喫茶店に訪れたいという思いを感じたのだった。

 (妖精の常連客。悪くないものだ)という嬉しい気持ちを抱きながら俺も手を差し返す。


 「はい。いつでもお越しください。ナイア様」


 ナイアの小さな手は俺の人差し指に触れて、絆と共に握られた。

 これが喫茶店カオル屋の初めてのお客様であり、大切な常連のお客様であった...。



 ふと、突然ナイアの表情に曇りが掛かる。


 「実はな、マスター...本当はお前に話しておきたいことがあってここにやってきたのだ」


 さっきまでの自信気のある口調が変わり、やや上目遣いで申し訳なさそうで弱気な口調で話してくる。


 「今日、お前は朝起きたとき何か異変とかなかったかの?嫌な出来事とか...」

 「今日ですか?...えっと、特には」


 今は初のお客様に心躍らせている状態の為、今日昨日起きた嫌な出来事は完全に忘れてしまっている。だから全く心あたりは......いや、あったといえばあったか。


 「ああ。そういえば朝起きると店が散らかされてました。あとはお客様が全く来ないということですが、今はナイア様がいらっしゃいましたし、片付けも捗ったので、無事このように営業もできました」

 「あっそ、そうか...なら良かった。そ、そうだ。その朝の出来事なのだが...謝らなければならないことがあったんだがの。ついお前のパンの誘惑に負けての...またやらかしてしもうたんだが」


 (謝る?また?)

 やや言っていることが理解しずらいが、なんとなく察しはついた。

 おそらく今朝の喫茶店荒らし事件の犯人が、ここにいる水の妖精さんであり、お詫びの為来たらしいが、結局誘惑に負けて俺のお昼を貪っていたということか。まるで子供だな。


 「とりあえず朝の出来事について説明してもらってもよろしいですか?このお店のどこかお気に召さなかったですか?」

 「あ、いや。そういうわけではなくてだな。あの...食事にあまりありつけず空腹のまま夜を彷徨っていてのう、知らぬ間に木の家が近くに建てられており、食物を求めに入ってみた。すると今までに嗅いだことのない食欲のそそる匂いに思わず食物を探し回っとった。その時何かの拍子に私は一枚皿を割ってしもうたのだ。わしはもう動揺が隠しきれなくてのう、思わず魔法を使ってしもうたのだ......」


 それが真相ということである。

 つまり悪気はなく、このお店に文句があるわけでもなかったということだ。

 それにこうやって直接謝罪をしに再びやって来たとなると、責めようにも責めるわけにはいかないな。


 「本当にすまなかった!出来ればまたお前のコーヒーとクッキーをいただきたい。またここに来ても良いか?」

 「そうですか。確かに最初は驚きましたが、おかげで配置や飾り付けに掃除などを見直すこともできましたし、どういった方針でやっていくかもある程度決めることができました。そしてこうやって謝りに来ていただいたのだから、これ以上何も言うことはありません。ですので今後ともよろしくお願いいたします。ナイア様」

 

 すると曇りかかっていたナイアの表情は、雲の間から日差しが入ってくるように明るくなっていき、最初に見せていた自信ありげな表情をより磨きにかけた、負けを知らないお姫様のような妖美な笑みを見せる。しかし、俺はその表情の中にどこか純粋で無垢な少女の気持ちが感じられた。


 「ありがとな。マス...」

 「人間と馴れ合うなんて、水の精霊も落ちたものね」


 突然、安心しきったナイアの言葉を遮るように、聞こえた声。

 それはナイアとは全く別の、女王様気質な声というよりも幼くて身近にあるような少女の声。

 その声のする方を見ると、丁度店の入り口の扉が開いており、そしてその上の方にはナイアと同じ手の平程度の大きさをした女の子が飛んでいた。ただ、その姿はナイアと違い、黒い髪と黒い瞳。そしてカラスを想像させるような黒い羽。しかしその黒さでより明るく感じる白い肌は誰もが魅了してしまうものを感じてしまう。


 「お前は、確か影の妖精『リピー』だったな。今は夜ではないのだが、なぜこんな所におるのだ?」

 「別にいいじゃない?例え日が出ていようが、影があればそこに私はいられる。貴女のように湖の側しかいられないという貧弱な妖精とはちがうのよ」


 やや感じの悪そうな妖精さんではあるが、折角のお客さんだから丁寧に招いてあげなけらば。


 「いらっしゃいませ。ナイア様のお知り合いですね。申し訳ございません、来店されたことに気づかずご無礼を...」

 「うるさいぞ人間。別に買い物をしにここに来たわけではない。ナイア、貴女を始末しにきたのよ。我らが影の精霊王にして魔王『アベルスフィア』様の命を受けて...」

 「なるほど、確かにわしは水の精霊王『ウンディーネ』様から大層気に入りられとるからのう。わしを討てば必ずや我らが精霊王が現れる。そして水の精霊王を自分の物にすれば、この世にある自然の水を自由に操り、天変地異を引き起こすことが出来るという魂胆だな」


 ナイアはなぜか余裕そうな態度で、相手の狙いを見抜く。そんな姿に安心感を感じながらも、俺は突然現れたもう一人の妖精さんの分のコーヒーを淹れ始める。


 「良かったわ。話が分かって貰えて。だったら早速、死んでくださいまし!」


 ルピーはナイアに向けて手を翳す。するとルピーの背後に六つの黒い槍が作られ、それをナイアに集中的に向けてくる。


 「マスター!逃げろ!お前もころされ....」


 とナイアは俺の安全を考慮して言ってくれたが、聞く耳持たず俺は悠々と敵意むき出しの黒い妖精さんに淹れ立てのコーヒーをお出しした。


 「お客様。どうかお座りください。一応このお店では暴力行為を禁ずる『ルール』が存在するので......」


 俺はさりげなく人差し指を丁度カウンター横の壁に向ける。そこには張り紙が貼っており、大きく「喫茶店内でのルール」と書かれて、その下に箇条書きでいくつかルールが書かれている。

 そのうちの一つに「"これより先、店内にて暴力行為を行おうとした場合、その者は強制退室をしてもらう"」と書かれている。


 「ふん!人間の分際で私に指図するんじゃない!」

 

 黒い妖精の敵意がそのまま黒い槍の矛先と共に俺に向けられた。


 「マスター!やめろ!逃げるんだ!」

 「いえ。ナイア様はそのままくつろいでください」


 ナイアは必死で叫ぶも、逆に俺はナイアを守るように二人の妖精の間に立つ。


 「貴方、ただの人間じゃないのかしら?」


 ルピーは堂々とした俺の態度に思わず恐怖を感じていた。それがはっきりと伝わる焦りの表情。


 「いえ。普通の人間であり、この店のマスターでございます」

 「くっ。だったら黙って...し、死んじゃいなさああい!」

 

 そして黒い槍が俺に向けて放たれようとした瞬間だった......。



 「なっ!」


 その黒い槍は突然消えてなくなり、驚きの隠せない黒い妖精はまるで強い力で吸い込まれるように体は見えない何かに引っ張られ、そしてそのままお店の外へと飛び出していく。


 「えっ!やっなに!なんで飛べな...いっ!」


 まるで女の子が大切にしている可愛い人形が、悪い男の子に放り投げられる心苦しい光景を想像してしまうように、黒い妖精は空中に放り出され、そのまま地面に叩き落される。

 しかし、思ったよりも平気らしく、ゆっくりと立ち上がりそのままこちらを睨めつけてくる。


 「あなた!いったい何者なの!?人間が妖精に魔法で勝てるなんてありえな...まさか、貴方...転生者!?」

 「え?マスター。それは本当かのう?」


 二人の妖精は驚きの様子で、俺を前後の方向から緊張感のある視線を感じてくる。


 転生者。あまり隠す必要は無いけど、といってあまり周りに知られるのも面倒だ。といって嘘をつくとさらに面倒なことが......。

 なんていうジレンマに囚われた気持ちに襲われる。とりあえず俺は深呼吸して...正直に答えることにする。


 「ええ。私はこことは別の世界からやってきました。『ジャッジメント』の転生者。挽屋薫でございます」


 その俺の言葉に、二人の妖精は動揺を隠し切れず唾を飲む。


 「まさか...こんなところでめぐり合うとはのう」

 「ジャッジメント...私たちの知らない力......」


 さっきまで睨んでいた妖精の瞳は、まるで冷水を被り一気に気持ちが冷めて冷静さを取り戻す。ナイアも考え事をするように口元に拳をあてる。


 「ちっ!命拾いしたねナイア。人間、お前もいつかこの店ごと潰すから、おぼえておきなさい...」

 「えっ!?お、お客様ぁ!」


 まるでよくある悪者の捨て台詞を黒い妖精が叫びながら、そのまま森の方へ飛び立っていく。

 俺はそんな飛び立って行く姿に、折角のお客さんが逃げてしまったことへの悲しみを感じて、唖然としていた。


 「命を奪われそうになったというのに、お前は本当面白い奴だのう。まさかあやつをあくまでも客として招きいれようとは...」


 悲しみに暮れていた俺を見ながら、ナイアは呆れた様子で微笑を浮かべる。


 「それよりもマスター。お前はなぜ私を助けたのだ?わざわざあやつの相手をせずとも良かったものを。まさか客人という理由ではないよな?」


 その質問に少し考える。


 「そうですね、確かにお客様として招き入れたかったのですが、もしあのままナイア様が手を出してしまうと、ナイア様もこのお店から追い出してしまうことになります。そうなれば折角召し上がったコーヒーも冷めてしまいます。それに......」

 「それに?」

 

 ふとこの世界へやってきたことを思い出す。

 ここは日本なんかと比べて治安が悪い。そんなことは初めて街を見たときに一瞬で気づいたことだ。

 警察の立場であるギルドも、全体的にレベルが低いのか盗賊に返り討ちにあったり、貧富の差が激しかったり、平気で年端もいかない少女たちが売春をしていたりと、心苦しい光景を何度か見たことがあった。

 といってこの世界を変えたいと言うほど俺は勇気も意思もない。

 だからせめて、俺がやりたいことから少しずつ、皆の心の拠り所を与えたい。その為にも安心とさらなる安らぎをこの店で作り上げる事が今の目標なのだ。



 「お客様を守ることもマスターのお仕事ですから」


 ナイアは俺の言葉を聴いた瞬間、一瞬だけ硬直した。と思ったら突然声を上げるほどの笑い声をあげた。


 「はははは!本当っおもしろいのう!そういうものは冒険者みたいな連中に頼むのが良いものの、店の店主がお客を守るとは。さすが私の最高に気に入った人間。お前なら立派なマスターになれるぞ!」

 「あ、ありがとうございます」


 ナイアは羽を広げて飛び立つと、小さく手を振る。


 「この店、大変気に入ったぞ。また来るから最高のコーヒーと菓子を用意しておけよ」


 相変わらずの自信気のあるお姫様スマイルで、ナイアはそのまま開いている扉からお店を後にしたのであった。

 そして再び静寂が流れる......。


 (あ、御代。まあいいか...また来るって言ってたし)


 ため息を漏らしながら片づけを始めると、ナイアが使っていた空の小さいコーヒーカップの中に並々一杯分に入った、水色にも透明にも近く星砂のような輝く粉が入っていた。それは今日の朝に濡れた椅子の上に散らばった謎の粉と同じものだった。


 「ふっ。『妖精の粉ですか』。これは最高の御代ですね」


 思わず一人でにやけながら、俺はその粉を小さなビンに移し変え、残りの汚れた食器を片付けていく。


 (初日から色々とあったが、出だしは好調だな。売り上げは怪しい所だけどな...)



 そして流れるように時間は過ぎてゆき、喫茶店カオル屋の一日目が閉店となりました。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

喫茶店は一杯のコーヒーから @ko-ri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ