(2)二つの名を持つダイヤモンド

「そういえば、唄はあの噂を知っているかい?」


 パイプ椅子に腰かけた風羽が、傍らでパソコンの画面をにらみつけている唄に声を掛けてきた。


「噂?」

「ああ。――人食いのダイヤモンド、だよ」


 唄の眉がピクリと動く。

 

「もちろん、知っているわ」

「なんだなんだ。人食いってぶっそうな言葉が聞こえてきたぞ」


 ヒカリが話に食いついてくるが、唄は無視をした。

 そもそもヒカリも知っているはずなのだ。『人食いのダイヤモンド』がどういうものなのか。三年前一緒に怪盗になると決めた時に話しているはずなのだから。

 唄の仏頂面がより一層磨きかかってきたのを察した風羽が、彼女の代わりに口を開く。


「『虹色のダイヤモンド』の二つ名だよ。ヒカリも、聞いたことぐらいないかい?」

「あー、うん。なんか聞いたことがあるような、ないような」

「忘れたのね」


 唄がため息を吐くと、ヒカリが焦りだす。


「いや、知ってる。知ってるって。あれだろ。人を喰うんだろ? 人食いだもんな!」


 なぜか得意げな顔になるが、詳しくは知らないのだろう。

 変わらない無表情の風羽が、唄の代わりに淡々と説明してくれる。


「これはあくまで噂話でね、本当かどうかはわからないのだけれど、『虹色のダイヤモンド』には昔から不穏な噂があるんだ」


 佐久間美鈴の所有する、『虹色のダイヤモンド』。

 当時、怪盗として活躍していた唄の両親が狙っていた獲物でもあるそれは、人を喰ったことがあると云う。

 三年前、件の怪盗もそれに食われたのではないかともいわれていたのだが、それは唄の活動によって杞憂に終わった。実際、怪盗だった唄の両親やヒカリの姉はいまもピンピンしている。ひとつ変わったことと言えば、アルトボイスだった父の声が、テノールほどの低さになってしまったことだろうか。あの時はよく寝る前に歌ってくれたのに、あれ以来唄の父は歌わなくなってしまった。


「警備員がいなくなっていたそうだ。それもひとりではなく何人も。ただ、雇われている警備員のほとんどが身内がいなく、本当に食われたのかどうかもわかっていない。だからあくまで噂話、なんだ」

「うへー」


 ヒカリが顔をしかめる。ホラーが苦手なヒカリのことだ。風羽の話を怖ろしいと思ったのだろう。


「でもそんなこと、本当にあるのか?」

「それは僕にもわからないよ。でも……」


 風羽がパソコンの画面をにらみつける。そこには七色に輝くダイヤモンドが映っていて、その妖しげな輝きに、心が持って行かれそうになる。


「僕たち人間に、異能なんてものがあるんだ。宝石にもそれに似たものが宿っていても、おかしくはないよね」

「そ、そうか」


 おっかなびっくりと言った顔のヒカリを置いておいて、風羽は唄に問いかける。


「君はもし本当に、宝石が人を食らうのだとしても、それを盗むつもりなのかい?」


 唄は栗色の瞳で、風羽の感情の浮かんでいないような黒い瞳を見つめ返す。


「当然よ。それが、私の目的だもの」

「……そうか。じゃあ、僕はそろそろ行ってくるよ」


 風羽はどこか寂しそうに目を逸らすと、アパートを出て行こうとした。


「どこに行くの?」

「予告状を出しに行くんだよ。早いほうがいいだろ?」

「そうだけど」

「それとも怖気づいているのかい?」

「怖気づく?」


 唄の目つきが変わる。

 唄の一番の獲物である『虹色のダイヤモンド』。それがもうする手に入るかもしれないのだ。

 人食いの噂が怖いからって、そのチャンスをみすみす逃してなるものか。


「馬鹿言わないで。予告状の日付も、今週末でいいわよ。ちょうど満月みたいだから」

「了解。じゃあ、僕は行ってくるね」

「ひとりで平気か?」


 今度はヒカリが風羽を呼び止めた。


「俺もついて行って」

「平気だよ。それに僕の能力は、ひとりの方が都合がいいからね。君の手伝いはいらないよ」

「そ、そうか」


 ヒカリは少しでも唄の手助けをしたいのだろう。だが何事にも適材適所がある。予告状を届けるのは風羽に向いた仕事だ。

 風羽の背中を見送ると、時計の針は午後の六時になろうとしていた。


「私もそろそろ帰ろうかしら」

「もう帰るの?」


 名残惜しそうな水練の声。

 唄は悪戯っぽく微笑んだ。


「あら、ひとりは寂しいのかしら?」

「違う違う。別にそんなんじゃないから! てかヒカリも邪魔だからとっとと帰って!」

「いや、そろそろ冷蔵庫の食材もきれかけているし、買い出しに行ったほうが……」


 二年前に唄が怪盗になるという決意をしたとき、ヒカリはどこで出会ったのか水練を紹介してきた。

 七星水練は出不精だ。だから当然とばかりに買い物に出ることはほとんどなく、ヒカリが買い出しを頼まれたり、部屋の片づけをしている。

 その理由を唄は知らない。そもそもどうして水練が、ひとりでこんなおんぼろアパートに住んでいるのかも知らない。いままで何回か問いかけたことはあるが、頑なに答えてくれることはなかった。ヒカリは事情を知っているみたいだったが、人のプライベートを言いふらしたりする性格ではない。

 仕事仲間としての手伝いはきちんとしてやってくれているので唄はそれでもいいと思っている。だが、たまにふと考えるのだ。水練はどうしておんぼろアパートに暮らしているのだろうか。仲間なのだからその理由を教えてほしい、って。


「今日はもういらんっ。明日きて!」



    ◇◆◇



 翌朝。食卓に腰かけた唄は、手を合わせていただきますという。

 すでに用意されている、ご飯に味噌汁、焼き魚にほうれん草のおひたしという父の好きなものばかりの詰め合わせのような朝食だった。かくいう唄も焼き魚は好物である。

 味噌汁をすすり、焼き魚を箸でほぐしていると、妙な視線を感じて顔を上げた。

 至近距離から感じる視線は、唄の右斜め前で新聞を読みながら食後のお茶を飲んでいる父だった。眉が太くも目は細い、エラが這ったようないかつい顔をしている。まだ若かりし頃の父の写真を見たことがあるが、あの頃はまだ柔らかな表情をした好青年だった。好青年が駅前で引き語りをしている写真を見て、これは本当に父なのかと疑った唄を、母のカルはふふっと嬉しそうに笑った。いまもあの人はかっこいいのよ。かっこよさの基準がわからない唄には難解な言葉だったけれど。

 

「なに?」


 何か用があるのだろうと問いかけると、父は慌てて目を逸らしてしまった。

 不愉快に思いながらも、唄はほぐした鮭を口に入れる。


(しょっぱい)


 咀嚼していると、唄の父――野崎ユウシが不愛想な顔を新聞の陰から出して、重たそうな唇を開いた。


「ニュースを観た」


 簡潔な言葉。だがなにを言おうとしているのか察して、唄は箸を置いた。


「そう。それで、なにか助言でもあるの?」

「……いや」

「そうよね。お父さんは失敗しているんだから。でも私たちは成功させるわ」

「……なぜ、あの宝石を狙うんだ」


 苦し気な父の声。


「欲しいからよ」

「そんな理由であの宝石に手を出すのはやめておけ」

「どうして?」

「それは」


 言い淀む父。

 唄はきつい言葉を放つ。


「あの宝石を盗もうとしたらなにか悪いことでも起こるの? 三年前、お父さんたちが失敗した時のように? あの時、なにがあったの?」

「それは――」


 答えられない。またそういうに決まっている。

 キッチンにいた母が、唄の声を聞きつけてやってくる。

 それを横目で見て、唄は朝食を口のなかにかき込むと、箸を置いて立ち上がった。


「いまの怪盗メロディーは私なんだから、好きにやらせてもらうわよ」


 二人の視線を無視して、唄は家を飛び出した。



    ◇◆◇



「予告状を出してくれて、ありがとうね」


 前の席の生徒だけ聞こえる声量でお礼を告げると、本を読んでいた風羽が反応した。


「予告状を出すのは僕の役目だからね。当然だよ」


 喜多野風羽は、高校一年生の春にこの学園に転入してきた生徒だ。

 住まいもこの乙木野町ではなく、もっと都心の、異能力者がほとんどいない町に住んでいた。

 だから唄が怪盗をはじめた時、風羽はまだ仲間ではなかった。


 風羽が唄の仲間になったのは、彼が転入してきてから一週間も経たない日のことだった。

 彼はクラスメイトの唄を人気のないところに呼び出すと、【怪盗メロディー】の正体が唄であることを当ててきた。警察にでも突き出されるのか、そう不安に思った唄だったが、その後の彼の行動は予想外だった。

 仲間にいれてほしい。

 そう頭を下げてきた風羽は、どこか思い詰めた顔をしていたように思う。警戒して断ったのだが、その後風羽は強引ともいえる方法で【怪盗メロディー】の仲間入りを果たした。


 あの頃も、いまも変わらないなんの感情も浮かんでいない無表情。

 彼の考えていることは正直よくわからないけれど、彼のおかげて幾度ものピンチを乗り越えてきた。風羽は簡単には裏切らないという信頼関係はすでに結ばれている。


「そう。これからのことも、お願いね」

「当然」


 窓の外に目を向ける。

 窓からは学校の中庭が見えた。そろそろホームルームが始まる時間だから生徒の姿は見えない。ただ、中央にある噴水が、時間差で水が上がったり、下がったりを繰り返しているだけだった。

 そんなホームルーム前の時間に教室を騒がしている、今日一番の話題に耳をすませる。


「なあなあ、知ってるか?」「怪盗メロディーの次の獲物だろ?」「虹色のダイヤモンドだっけ?」「それ人食いって言われてるヤツじゃん!」「二年前に盗もうとして、でも盗めなかったんだっけ?」「そうそう。でもまた狙うなんて、メロディーもチャレンジャーだよなぁ」「今度の満月らしいけど」「日曜日じゃん! テレビ中継あるのかな? 楽しみー」「なんにしても楽しみだよな。俺らと同じ異能力者みたいだし」「そうそう。一度も捕まったことない怪盗だもんな! どうなるんだろうな!」


 騒々しい教室の中で、唄は静かに闘志を漲らせていた。

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怪盗メロディーはファンタジアの歌うたう 槙村まき @maki-shimotuki

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