怪盗メロディーはファンタジアの歌うたう

槙村まき

(1)怪盗メロディーたち

「おはよう、うた。今日も見事な仏頂面だね」


 そんな皮肉気な声を掛けられたのは、野崎唄が自分の席に腰を掛けて、机のフックに鞄を引っかけた時だった。

 小さな声に、唄は反応すると、仏頂面のまま前の男子生徒をにらみつける。一瞬だけ目が合うと、男子生徒はすぐ前を向いてしまった。


「だって、学校って退屈なんだもの」

「それは友だちがいないからかな」

 

 周囲から聞こえないように配慮した声量が、目の前の背中から聞こえてくる。唄もなるべく彼を見ないように、声量に気をつけて答える。


「そうよ。でも、それはあなたも一緒でしょ、風羽ふう

「……確かに、反論のしようもないね」


 目の前の背中はそれっきり黙ってしまった。


「でもあなたは、モテるじゃない? いまも教室の隅で女子たちがあなたを見て騒いでいるわよ」


 視線だけで教室を見渡すと、一部の女子生徒が風羽を見て、「横顔が凛々しい」だの、「今日もカッコいい」だの、そんなことで騒いでいる。

 目の前の背中から嘆息がこぼれる。


「見た目だけで囃したてられてもね」

「あら、それでもうらやましいって、ヒカリはいつも言っているわ。風羽みたいになりたいにカッコいいって言われたいって。それって、そういうことでしょ?」

「違うんじゃないかな」

「どう違うの?」

「それは……」


 言い淀み、目の前の背中はまた沈黙する。

 そこに嵐がやってきた。

 より正確にいうのなら、うるさい男子生徒がやってきた。


「おっはよーす、唄! 今日も元気にやってるか?」


 騒々しい声に、唄は視線を窓の外に向ける。こういう時窓側の席だと便利だと、唄は常々思う。


「え、無視?」


 声を掛けてきた本人はこう湧くしているのか、泣きごとのような声で抵抗している。


「また今日も無視かー。俺は悲しいぜ……。俺は、唄の幼馴染みなのに」

「……」

「おはよう、ヒカリ。今日も元気だね」


 項垂れているヒカリを不憫に思ったのだろう、唄の代わりに風羽が挨拶を返した。


「元気が俺のとりえだからな! つーか、おまえは今日も陰気臭い面してんだな」

「陰気臭いはよけいだよ」

「あ、わりぃ。つい本音が出ちまった」

「隠し事をするのが苦手な性格だってことは分かっているけれどね、君はもう少し周囲の状況を考えるといい。どうして唄が返事をしないのか。それは幼馴染みである君にもわかっていることだろう?」

「……うう、確かにそうだけどさー。挨拶ぐらいしてもいいじゃんかよー」


 それがよけいなのよ。

 口から出そうになった言葉を飲み込む。

 幼馴染である中澤なかざわヒカリは、活発な性格が災いして、傍目も気にせず大きな声で喋るため常に周囲の視線を集めるのを得意としている。茶色いくせっけに、唄より低い身長。成績は平凡以下だけど、運動神経はそれなりに良い。無遅刻無欠席だが、校則を無視した色のシャツを着たり、授業中に突然大きな声を上げたりと、風羽とは違って悪い意味で目立っている生徒。

 唄の秘密を知っていて、唄がどうして教室ではなるべく存在を消しているのかも知っているくせに、ヒカリはそんな唄の邪魔ばかりしてくる。幼馴染みなのに。

 喜多野風羽きたのふうはそんなヒカリとは正反対だった。ワックスなんてしたことがないのだろうさらさらな黒髪に、黒い眼鏡。制服は校則に反することなくきっちりと着こなしていて、成績は常に学年トップ。いつも無表情でなにを考えているのかわからないが、見た目が整っているから女子生徒からは淡い羨望の眼差しで見られている生徒。そしてヒカリとは違って唄が目立つのを嫌っていることをよくわかっている。教室では基本的に目を合わせないし、声もお互いが聞こえるぐらいの小さな声でしか話さない。

 だから唄は、教室の中で風羽とは会話をするものの、ヒカリと話すと周囲の視線がさらに痛くなるので避けたいことだった。


 だがどうやら今日のヒカリは挨拶以外の用事もあったらしい。

 今度はきちんと小声で喋りかけてきた。


水練すいれんからの伝言。今日の放課後、集合して、だってさ」


 少し迷ってから唄は返事をするために口を開く。


「わかったわ」

「そろそろ携帯買えよ。いまどき持ってないのは唄ぐらいだぞ」

「……そうね。考えておくわ」


 毎朝うるさい声で話しかけられるぐらいなら携帯を持つほうがましかもしれない。



    ◇◆◇



「こんなところに住んでいるなんて、水練も変わっているわよね」


 唄は荒れ果てた廃屋のアパートを見上げていた。汚れ果てたコンクリートに、散乱するゴミたち。このアパートに住んでいるのはこれから唄が会おうとしている人物だけで他の住人はいないと言っていたのも頷ける。たとで低家賃で貸し出されていたとしても自分なら絶対に住みたいとは思わない。

 廃墟同然のアパートの外側に螺旋を描いで上に伸びている鉄製の螺旋階段をのぼりながら唄はまた文句を言う。


「これ、いつ壊れてもおかしくないわよ」


 階段を上っているのは自分一人で周囲には誰もいないのに、ついつい行ってしまうのも無理はないだろう。

 一歩足を踏み出すたびにギィギィと不安な声を上げるらせい階段はとても心臓に悪い。だからこの階段を上る時、唄は自分の異能を使うようにしていた。《体を軽くする》異能を持っていても心もとないけれど。

 風羽は《風を操る》異能を持っているから階段を使わずに飛んで上がっているのかもしれない。ヒカリは気にせず上っていそうだ。幼馴染の彼はホラーを苦手としているものの少し抜けたところがあるおバカさんだし。

 三階建ての建物の一番上の階まで上ると、唄は右手すぐにある玄関の扉をノックした。

 この部屋の主が返事を返してくれることなんてめったにないので、返事を待つことなくノブを回す。施錠されていない扉はすんなりと開いた。


「遅かったやないの」


 どこの方言なのか、それとも適当に喋っているだけなのか、イントネーションの違う少女の声に出迎えられる。

 その声のところを見て、唄は自分が一番最後だということを知った。


「もうみんな揃っていたのね。ごめんなさい。来る前にちょっとお母さんともめてしまって」

「べつに待ち合せの時間なんてきめとらんもんで、別にええやろ」

「――そう。ところで、水練。用事があったようだけど」


 こちらに背を向けてパソコンと向かい合っていた白衣姿の少女が、回転椅子をくるりとさせて振り向いた。雨上がりの空のような明るい水色の髪の毛が宙を舞い、これまた深淵を土足で踏み荒らすような好奇心旺盛の明るい水色の瞳が唄を捉える。その口許はニヤリと口角が上がっていた。


「前に唄が言ってたでしょ。それについてあるいていどの情報が揃ったらから呼んだんや」


 なぜか似非方言で喋る唄と同い年の少女。天使のように微笑む姿は愛らしい美少女だが、その実はただの怠惰の出不精である。彼女は自称だがハッカーと名乗っているが、普段は朝方までネットゲームで遊んでいて、朝方に寝て昼に起きるという破綻した生活をしている彼女の力がどこまで本当なのか唄はまだはかりかねている。

 でも彼女の情報捜査能力はまともではあった。


 四台あるパソコンの画面の内、水練の正面のパソコンの画面を唄は覗き見る。そこには虹色の輝くひとつの宝石の画像が映しだされていた。


「これは本物かしら?」

「たぶんそうだと思うよ。佐久間邸のホームページに載っていた写真だし」

「そう。……これが、虹色のダイヤモンド、なのね。テレビで見た画像と同じだけれど、改めて見てもどこがすごいのかよくわからないわ」

「怪盗しとるんくせして、その言い草はいかんやろ」

「…………しとるんくせして? まあでも、そうね、ごめんなさい」

「これが、唄が言っていた宝石かい?」


 風羽の問いに頷く。


(この宝石を盗むことに成功したら、お父さんとお母さんが怪盗をやめた理由、わかるのかしら)


 唄たちの住まう町――乙木野町には主に『異能力者』が住んでいる。

 その中でも飛びぬけた財力を持ち、世界各地に宝石を管理、または展示することを趣味としている佐久間美鈴さくまみすずという妙齢の女性がいた。

 彼女の所有する佐久間邸のひとつ、白い園と呼ばれている宝石の展示会場が乙木野町にある。

 三年前、その白い園にとある怪盗が盗みに入り、盗むのに失敗したというのは有名な話だ。そしてその怪盗はそれ以降、予告状も犯行声明も出すことはなく、約一年間沈黙していた。

 その沈黙が破られたのが二年ほど前のことで、【怪盗メロディー】と名乗る怪盗は、それからまた活発に活動を再開した。

 でもほとんどの人が知らないだろう。もしかしたら盗みの手口が些か変わっているから【怪盗メロディー】のマニアなら気づいている人もいるかもしれない。

 【怪盗メロディー】が世代交代をしていることに。

 三年前までの【怪盗メロディー】は姿を消して、二年前から別の【怪盗メロディー】がその名を語って活動をはじめていることを。

 それが野崎唄のざきうた中澤なかざわヒカリ、喜多野風羽きたのふう七星水練しちせいすいれんの四人のことだった。


 三年前狙われた宝石である『虹色のダイヤモンド』は、メロディーの事件以降、一度海外に移動された。

 それがどうしたことか、数カ月前にこの乙木野町の白い園に再び戻されることになったのだ。

 その理由を、妙齢の佐久間美鈴が語ることはなかった。たまたまかもしれない。もしかしたらなにか思惑があるのかもしれない。

 誰にもわからないことだが、『虹色のダイヤモンド』を狙う者にとってはまたとないチャンスでもあった。


「この機会を逃すわけにはいかないわね。なんとしても、私たちで宝石を頂くわよ」


 おんぼろアパートの一室で、栗色の髪をおさげに結った少女の声が響き渡る。

 それにこたえる声もバラバラだが、彼らの思惑は確かにひとつになっていた。


 今度こそ『虹色のダイヤモンド』を盗む。

 失敗は許されない。

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