VR MMO クリーナー

Hetero (へてろ)

ある男の日常風景

「御手洗さんA-48ブースアラートたってまーす」

 ゆるい口調でオペ子の篠崎さんから指示が下る。

 バケツとモップ、そしてその他諸々の掃除用具を持って、腰をとんとんと叩きつつ、詰所で立ち上がる。

 腰を気にするほどの歳ではないが男の癖だ。

 Bluetoothのレシーバを指を触れてアクティブにして、

「へーい。超特急でいきまーす」

 と気軽に返答すると、篠崎さんは甘めの声音で、

「いつもありがとうございます」

 と声をかけてくれる。

 小規模のVR MMO 運営会社のここでは、社員同士は仲良く、

 御手洗と篠崎は同期で、相入れることはないが気心は知れた仲だ。

(最後に呑みに行ったのは先月だっけ……)

 なんて思いながら、冷房の切れた薄暗い非常灯だけが灯る廊下を奥に進む。

 手持ちのペンライトでブース番号を確認して、横にスライドするエアロック機能付の扉をノックする。

「ちぃーす。お掃除ですー」

 やがて闇に消え入るのだがしっかりとした口調で御手洗は告げるが、当然中からの応答はない。

 ドア横のパネルにマスターキーであるカードを差して、機械的な音ともに扉がプシュッと開く。

 と、同時に鼻腔を衝く臭いに襲われるが、慣れたもので周りにその臭いが拡散する前にさっと扉の中に入り扉を閉めてしまう。

「……女か」

 独り言のように呟く彼の斜め後ろでは、

 低代謝状態で、リアクションスーツを纏い、

 股間だけ露出し、股をわずかに開いて手術台のようなVRコントローラに横たわる女性がいた。

 ゴーグルをしているので目元は確認できないが、

 ブースの全天に表示されたディスプレイに映る彼女のアバターも、〝中身〟も綺麗に見えた。

 御手洗は課金情報などは知らないが、上客なのかも知れないなと思い、

 気を引き締めてモップの柄を握り直す。

 そして聞こえるわけもないが、

「失礼します」と一礼してから清掃を始める。

 まず床の窪みに溜まる、栄養点滴からの排出物である便の状態を見て、

 コンディションノートに問題なしと記録した。

 この客は43日前からログインしてるようだ。

 そして床の掃除を始める前に、彼女の露出している部分を優しく拭き取る。

 所謂性行為用オプション器具が取り付けられてなくて安心する。

 前も後ろも綺麗に掃除して、ノートにまた作業状況をチェックし、

「床をやるか……」と、床の汚物が溜まる銀の窪みにモップの先を突っ込む。

 くるりと一回転させただけで全てが取れてしまうくらいの量しか低代謝状態の客はしないから、

 極めて作業は楽だ。

 けれども御手洗は念入りにピカピカになるまで掃除して、

 最後に底部から1mm液体がたまる分まで消毒用アルコールスプレーを噴霧する。

 掃除を終えて、またとんとんと腰を叩いて伸びをしたら、

 たまたま目の前の全天ディスプレイの中で、彼女のアバターの少女が御手洗に手を振るような格好になった。

 御手洗はふっと目を伏せ、コントローラに横たわる女性を見遣るが、

 彼女も口許を綻ばせ、微笑んでいる様に見えた。

(ま、たまたまかな……)

 清掃完了のチェックをノートにつけて、部屋を後にしようとする前に、

 もう一度だけ彼女の方を振り返る。

(いつか俺も、スーパーオールキャストオンラインやってみたいなぁ……)

 なんて柄にも無いことを考えていたら、

 右耳のイヤホンにアラートが鳴って、篠崎のゆるい声で

「御手洗さんすみません、少し遠いんですけど、J-5ブースもお願いできますか?」

 と声が掛かった。

「はーいよー」と返事をすると。

「ありがと」

 と、〝う〟抜きの砕けた感じの返答をしてもらい、少しだけ浮かれた足取りで、

 次のブースの清掃に向かうのだった。

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