その商談、純愛につき

エノコモモ

その商談、純愛につき


「本日はわたくしという商品を琥太郎こたろう様の妻として、ひいては鷹司たかつかさ家の嫁として買って頂きたく、参上した次第でございます」


そう言って商人、十文字じゅうもんじ香弥子かやこは柔らかく微笑んだ。






ことの始まりはこの地方の名家、鷹司たかつかさ家が嫁を募集したことに寄る。


「それでは…何卒、宜しくお願いします…!」


典型的な日本家屋、だが通常のそれよりも広く重厚に作られた屋敷。その一室で、妙齢の女性が小動物のような動きで可愛らしくお辞儀をしていた。


顔を上げれば、ぐずぐずに濡れた眼差しがこちらを捉える。そうしてその顔が障子の向こうに消える様子を見送ってから、座敷に残っていた老婦人が使用人に声をかけた。


「次」

「……」


(やっぱりか…)

母親のその一言に、鷹司たかつかさ琥太郎こたろうはもう何度目になるか分からないため息をついた。


「母上、今の方など可愛らしくて…その、良かったと思いますが」

「駄目」


息子の発言も鷹司たかつかさ伊代いよは冷たく突っぱねる。刻まれた皺は有数の名家を支えた彼女の苦労と厳格な精神を表しているかのようだ。


(だ、誰だったら良いのか…)


琥太郎は正面に視線を戻し、次の候補者が入ってくるであろう障子を見つめた。


鷹司琥太郎は鷹司家の嫡男であり、家の全てを引き継ぐ跡取りである。

そして現在、お見合い中であった。


見合うと言っても父母を交え「本日はお日柄もよく…」から始まるような所謂正式なお見合いではない。どちらかと言えば採用試験のような、次から次へと来る候補者を選抜する面接式のお見合いであった。なんて夢も風情もない話かと琥太郎自身も嘆いたが、これには止むに止まれぬ事情があった。

そもそも当初は父母を含めた一対一で行う、型通りのお見合いだったのだ。見目も良く名家の嫡男である琥太郎と婚姻したい者は多く、縁談の話には事欠かなかった。


ところが彼の母親であり鷹司家の女主人である伊代の鑑識眼はとんでもなく厳しかった。それはもう厳しかった。今までに受けた面接もとい縁談は全て否否否否。

そして彼女があまりにも不合格を出すので、いよいよ効率を重視した措置がとられた。それが現在の状況。たくさんの女性をひとところに集めひとりひとり面談するという採用試験のような異色の形式となったのだ。


ところがそのような形式を用いてさまざまな女性と面接を行っても、伊代の眉間から皺が消えることはない。その口が是と言うこともない。


(家柄が良くても駄目、見目が良くても駄目、有能であっても駄目とは一体…)


琥太郎がため息をついて目を瞑る。

先程の候補者も華道や茶道を手習い、現在は自宅にて家事手伝いを行う名家のご令嬢であった。家柄も抜群、はにかんだ笑顔など非常に愛らしく、まさに「理想のお嫁さん」像を具現化したような女性だったのだ。


だが鷹司家当代である母親から下された決断は有無を言わさぬ否。一体何を持って否と判断しているのか、それは息子にも分からない。


(確かに鷹司の家と、この僕に相応しい嫁はなかなか見つからないかもしれないが…)


琥太郎がうんうんと頷く。終わりの見えない婚活の中でも幸せな頭を持つ彼の耳に、廊下から女中の声が届いた。


「次の方です。よろしいですか?」

「ああ。…っ!?」


連れられてきた次の候補者を見て、琥太郎が声にならない悲鳴を漏らした。


十文字じゅうもんじ香弥子かやこと申します」


そう言って流れるような動作で頭を下げたのはひとりの女性。その姿を呆然と見つめて、琥太郎は思わず彼女の名前を口にした。


「か、香弥子…」


彼の様子に横から伊代の声がかかる。


「琥太郎。お知り合い?」

「我が家に出入りしている業者です…」

「十文字…聞いたことがあるわ。私お気に入りのお茶の葉はあなたが仕入れてくださっていたのね」


伊代が香弥子に視線を向けると、彼女は再び深々と頭を下げた。


「いつもご贔屓にしていただき、ありがとうございます。こちら新作ですわ。是非お試しを」

「あら嬉しい」

「か、香弥子!何しに来たんだ!」


我に返ったように琥太郎が叫ぶ。その問いに対する答えは唯ひとつしかないのだが、彼の中でそれは即座に否定される。

(この女が見合いに参加する筈がない!)

ところが琥太郎の確信とは裏腹に、香弥子は温かく微笑んだ。


「本日はわたくしという商品を琥太郎様の妻、ひいては鷹司家の嫁として買って頂きたく、参上した次第でございます」






「しょ、商品…?」


こうして冒頭の台詞に戻るのである。琥太郎がぽかんと口を開け、伊代は一度だけ瞬いた。

ふたりの視線を浴びながら、座布団の上に正座した香弥子は凜と続ける。


「わたくし生まれも育ちも商人でございます。物を売ることを専業としてきた為に、縁談のいろはなどとんと存じ上げないのです。このような方法でしか自身を売り込むことができないことを、どうかお許しください」

「いえ。珍しくて良いわね」


伊代があっさり要望を認め、続けて声を投げた。


「まず、この度はわざわざ拙宅まで足を運んでくださったことに感謝するわ」

「いえいえ、当然のことですわ。自身の足で稼ぐのが、商人というものですから」

「そう…」


伊代の声が少しだけ低くなった。琥太郎がぎくりと身を震わせる。

出る。出るぞあれが。


「けれど…いくら大商家と言えども、その家柄では鷹司家には見合わないのではなくって?」

「は、母上…」


これである。さながら圧迫面接である。この母ならぬこの面接官は、家柄に関わらず相手の何かしらに難癖をつける。これで大体の娘が泣く。特に大事に育てられていた娘ほど号泣する。残りは怒り出す。正直琥太郎だって泣く自信がある。鷹司家には鬼のような姑が居ると思われても仕方がない言動だ。


「失礼ながら…伊代様がお望みである女性に家柄は関係ないのでは?」


ところが香弥子といえば、顔色ひとつ変えずに彼女の言葉を受け止めた。


「伊代様は名のある旧家のお嬢様でさえお断りをされているとのこと。そもそも、本当に家柄を重視されるのならば、わたくしのような者は今日この場に居ることすらできませんでしたわ」

「…ならば私は何を重視していると?」

「家柄ではないということは個人の性質を見ていらっしゃるはず。けれど、かと言えば上昇志向の強い職業婦人のような方もお断りされている…」


意志の強い瞳がくるりと宙を廻る。伊代の視線上、その一点で止まった。


「僭越ながらわたくしの見立てを申し上げますと。伊代様が求めていらっしゃるのは、名家の経営者として裏の実権を握り鷹司家を差し障りなく運営できる女性。その上ででしゃばりすぎず次期当主である琥太郎様を立てることのできる人材だと判断致しました」


(な、なるほど…?)

早い展開に琥太郎は半分ぐらいしか理解していない。けれど隣の伊代はふうと息を吐いて、このお見合い中、一度も見せたことのないような表情になった。


「実のところ…私さっさと隠居したいの」

「えっ!?」


青天の霹靂のような一言に、琥太郎が慌てて母親を見る。伊代なくして鷹司の家は回らない。しかしながら彼女は、更に予想外の言葉を口にした。


「この愚息…職人としての腕と顔しか良いところがなく、大変に困り果てていたのよ」

「えっ」

「人がよく騙されやすい上に、思い立てば即行動する単細胞だから不安で不安で…」

「えっえっ」


彼女の毒舌が突然こちらに飛び火して来た。ぐさぐさと息子の心を抉ってくる伊代だったが、その言葉を聞きながら香弥子までも同情するように眉尻を下げた。


「まあ…存じておりますわ」

「えっ」

「けれど…代々ご先祖様が大切に繋いできた家を潰したり、他の家に吸収されるわけにはいかないのよ。残ったところで私もいつまでも生きてはいられないし…。身勝手な話だけれど、家と息子を任せられる女性を探していたの」


伊代が再び息を吐く。

(そ、そうだったのか…)

琥太郎の中で合点が行く。自分が頼りないあまりにそのような展開になっていたとは認めたくはないが、そう考えれば母の行動は納得できる。


あれほどに厳しく審査していた理由は、単なる嫁探しではなく実質の次期当主を探しての行動だったのだ。非常に厳しい態度を取っていたのも、この比ではない苦労が待っていることを考え覚悟を問う為のものであったのだろう。


「ただ玉の輿に乗りたいだけの女性や、仕事を続けたい女性が嫁入りすれば必ず後悔することになるけれど、まさか息子がクソバカだから家を任せたいと公言するわけにはいかないし…私の意図を汲み取ってくださったことには感謝するわ」

「く、くそ…!?」


愕然とする息子を無視し、伊代は試すような目で嫁候補に視線を戻した。


「して、実際にあなたにはそれができると?」

「恐れながら、その質問には是と答えさせて頂きます」


挑戦的な質問にも、香弥子は迷いなく言い切った。


「十文字家は先代が急逝、お恥ずかしながら事業が没落寸前まで傾いたこともありました。長子であるわたくしは、物心つく頃より当主代理として家を支えて参りました。この度年の離れた弟を当代に据え、すべての引き継ぎも終えた次第でございます」

「……」

「死に物狂いで得た経験と知識です。この齢の娘を全国から集め並べ立てて頂いても、売買に関する術から物の価値を測る眼力、事業の経営に至るまで右に出る者はいないと自負しております」


そこで言葉を切り、彼女は持参した風呂敷から束ねられた紙を取り出した。


「及ばずながら、既に鷹司家の事業維持や拡大の構想も作って参りました。是非ご覧になって頂きたいのですが」

「あら…」


それに目を通し、伊代が感嘆の混じった声を漏らす。


「まだまだ荒削りではあるけれど…あなた、なかなかやるわね」

「商人として光栄でございます。お客様の心を動かす商談に必要なものは、相手の要望を完璧に聞き出す力と、それに沿った提案ができることですから」


何が書いてあるのか横から覗き見ようとした琥太郎が母からべちりと叩かれた。

(ひ、ひどい…)

先程から蚊帳の外感がすごい。そんな彼を残して、伊代は流れるような動作で立ち上がった。


「けれど私も上手い話のみを信じるようなうつけではなくてよ。買うと言うからには対価があるのでしょう。あなたの内懐も教えて頂きたいところ。さあ、奥でお話ししましょう」

「喜んで」

「はっ!?」


忘れかけていたがこれは琥太郎の見合いである。彼と生涯を添い遂げる妻を探す大切な場である。

そして香弥子を帰すでもなく保留でもなく家の奥に招き入れると言う今までになかった決断に、琥太郎の背中から汗が噴き出した。これはひょっとするとひょっとするかもしれない。


「まっ待ってください母上!僕の意見は!?」


ふたりを止めようと腰を上げた琥太郎が、膝から崩れ落ちた。

痛い。どうやら長時間座位で居たために足が痺れてしまったらしい。


「っ…!」


座布団の上に張り付き悶絶する息子を放って、伊代はどこか嬉しそうな表情で襖を開けた。


「香弥子さん。あなた武術の心得は?」

「剣道、薙刀共に3段です。最近は合気道も始めました」

「まあ素敵。お強いのね」

「当然のことですわ。例えどんな妨害に遭おうとも無事に品物をお届けするのが商人というものですから」

「えっ、いや、ちょ、」


琥太郎からすれば待って欲しいところである。そんな夫婦喧嘩が一方的になりそうな嫁はちょっと待って欲しいところである。


「はっ母上!か、香弥子!」


だがしかし完全に眉間から皺の消えた母は止まらない。めくるめく夢の隠居生活を前にした彼女が止まるわけがない。琥太郎の思い立てば即行動の性質は、母親からの遺伝である。


「待ってくださいいい!!」


そうして無情にも、座敷の奥へと続く襖はぴしゃりと閉まった。






「琥太郎。あのように素敵なお嫁さんを頂いて、お前は本当に果報者だわ」


まるで祝福するかのように空は高く晴れ渡る秋日。緑だった木々は深紅に色づき、庭一面が鮮やかな錦色に輝いている。

紋付羽織袴を身に纏った琥太郎の前で、伊代はあの見合いの日を思い出すように遠い目をしながら、ほうと声を漏らした。


「あれは素晴らしく情熱的な商談だったわ…」

「母上。お気持ちは分かりますが、あれは一応商談ではなく、縁談です」


そっと口を挟む。

(一体香弥子は何を言ったんだ…)

あの商談ならぬ縁談で、伊代は彼女のことがいたく気に入った。もちろんこの母に逆らうことなどできる筈もなく、琥太郎が呆気にとられている間にとんとん拍子で結婚は決まった。


「本当に婚姻まで漕ぎ着けるとは…まったくなんて女だ…」


そして今日は、彼と香弥子の結婚式である。

自身の婚姻の儀式とこの上なく目出度い日ではあるのだが、新郎である琥太郎は難しい顔をしていた。支度を終え縁側に佇む彼の口からは、ぶつぶつ不満が漏れる。


「あんな女に家を任せれば乗っ取られるに決まってる!何せ行動がおかしい!」


決めつけるような物言いをしながらウンウン頷く。母の言う通り普段は騙されやすいほどに素直な彼だが何を隠そう、香弥子に対するこれに関しては根拠がある。


「僕からの求婚を一回断っておきながら、わざわざ再び嫁ぎに来るなんておかしい…。絶対に何か裏があるに違いないんだ…!」


そう、これこそが彼が香弥子に苦手意識を抱き、今も疑いを持つ大きな理由なのである。

3年ほど前になるだろうか。琥太郎は香弥子に一度、フラレていた。


「琥太郎様」


そう切ない思い出に浸る彼の耳に、鈴を転がすような澄んだ声が届いた。一体何だと顔を上げてそちらに視線を送る。


「っ…!」


そうして瞬時に息を呑む琥太郎の目線の先には、白無垢の香弥子の姿。きらきらと輝く白粉を顔に、頬と唇に紅を引いたその艶やかな姿を目にして、琥太郎の心臓が跳ねた。


「だ、騙されないからな!」


動悸を打ち消すように慌てて大声を出し、ずかずか近づく。香弥子が瞬いた。


「…なんのことでしょう?」

「何が目的だ。あの時、僕の求婚を蹴っておいて今更売り込みにくるなどとどう考えてもおかしいだろう」


疑念を吐き出す彼に、香弥子はくすりと笑ってお決まりの台詞を口にした。


「当然のことですわ。時期尚早と見れば堪え忍ぶのが商人というものですから」

「……?」

「そもそも当時、何の実績も後ろ楯もない半人前のわたくしを、伊代様が認めてくださったとは思えません」

「う…。まあそれはそうだが…けれど反対を押しきってでも結婚するつもりだったんだぞ」

「あら」


目を丸くさせてぱちぱち瞬きをする香弥子に、琥太郎が慌てて付け加えた。


「とっ当時の話だ!」


そう言い切って誤魔化すように咳払いをする。


「だいたい、ああいう見合いの場では、普通ならば旦那になる僕に媚を売るものなんだぞ。手土産といい、母上にばかり売り込みをかけて」

「当然のことですわ。商談の場において決定権を持つ人物を正確に見極められるのが商人というものです」

「ぐぬぬ…」


(ともかく!香弥子の目的が分からない以上、家を守るために僕がしっかりしなければ…)

そう決意する琥太郎とは反対に、彼女は楽しそうに庭に目を向け口元に手を当てた。


「ふふ、あなたが求婚してくださったのも紅葉の時期でしたね。わたくしが一人前の商人になるべく奔走している頃でしたわ。商品を持ってそこの縁側を歩くわたくしのことを、あなたは呼び止めました」

「わっ、わー!やめろ!」

「緊張されていたあなたは右の手足を同時に動かしながら、わたくしのもとまで来て『好きだ!結婚してほしい!』と宣言してくださいました。とっても情熱的でしたね」

「い、嫌味か…」


台詞の部分を声色を変えてまで熱弁する彼女に、琥太郎が頭を抱える。

母の言う通り、彼は少々直情径行のきらいがあった。そして運命のあの日、背筋を真っ直ぐに伸ばし颯爽と歩く香弥子を見た瞬間、琥太郎は雷に打たれたかのような衝撃が走り彼女に惚れてしまった。惚れてしまったのだ。よし惚れたからには告白だと瞬時に決意した彼は、そのまま彼女を呼び止めたのである。


そしてその盛大な告白を、琥太郎はきっちりかっちりすっぱりと速攻で断られたのだった。


「最悪だ…。そんな細かく覚えているとは…」

「当然のことですわ」


(出たな、商人論…)

ここまで彼女の良いようにされっぱなしだった琥太郎の心に、ちょっとした復讐心が芽生える。自分はまだ彼女を認めていないのだ。香弥子の台詞の先手を打つつもりで、意地悪くふんと鼻を鳴らして声を出す。


「なんと続ける?相手の言動を漏らさず記憶しているのが商人と言うものです、とかか?」

「いいえ」


香弥子から返ってきたのはあっさりした否定の言葉。それに驚き片方の眉を上げる琥太郎に、彼女は緋色の唇を開けた。


「好きな殿方の言動とあらば、漏らさず記憶しているのが乙女というものです」


ふたりの間をはらはら落葉が踊り落ちていく。琥太郎の口がぱかりと開いた。


「……え?」


紅葉降りしきる秋晴れの空の下。

その頬までも錦色に染めて、鷹司たかつかさ香弥子かやこは心の底から幸せそうに微笑んだ。


「商談に必要なものは相手の要望を完璧に聞き出す力と、それに沿った提案ができること。あと何よりも大切なのが、情熱ですわ」

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