日常発、星間行き。

煉樹

日常発、星間行き。

 この電車はどこまでいくのだろう。

 車窓はすでに見知らぬ風景で、もしかしたらこの電車は、星空の、そのさらに先まで向かっているんじゃないかなんて、そんなどうしようもないことを思った。



☆☆☆



 ここではないどこかに行きたかった。

 宿題はやったの?

 将来のことちゃんと考えてるの?

 もっと他にやることとかないの?

——彼氏とか、作ったらどうなの?


 そんな言葉しか得られない家に、これ以上いたくなかった。


「ちーちゃん……、一緒に、どこか遠くにいこ」


 私が一緒にいたいのは、ちーちゃんだけだから。


「うん……いいよ」


 ちーちゃんは、私の欲しい言葉をくれる。


——五番線、列車が発車します


「乗るー! 乗りまーす!」


 行くあてもなく駅に行き、ホームにいた知らない名前の街に向かう列車に二人で飛び乗った。

 持ってる切符は、初乗り運賃だったけれど、途中で降りるつもりなんてなかった。


「はぁ……はぁ……もう、さっちゃん、あんまり……急かさ、ないで……」


 膝に手を置き肩で息をするちーちゃんを見て、またやってしまったと思う。


「ごめん! ……ちーちゃん、走るの、苦手なのに……」


「いいよ。……さっちゃんのそういう、後先考えないところ、私、嫌いじゃない」


 ちーちゃんは、優しい。


 しばらくして、隙間が目立ち出したロングシートに二人で一緒に腰掛ける。


 ガタン

 ゴトン


 列車が一定のリズムを刻むたびに、隣のちーちゃんの髪が触れる。


 この列車は、どこに向かうんだろう。


 車掌さんが知らない町の名前をアナウンスする。


「……海、見たいね」

「……いいね、海、見に行こうよ」


 ホームから香って来た微かな磯の香りにつられて、そんなことを言う。


 プシューっと、間の抜けた音を立てながら、扉が閉まる。


 滑り出す景色を見つめていると、キラキラと輝くそれが見えた。


「ねぇ、ちーちゃん! 海だ!」

「……うん、海、だね」


 今にも太陽は海底に沈んで行きそうだったけれど、オレンジ色に染まった海原は、眩しく輝いていた。


「……もうすぐ日、暮れちゃうね」

「……夜、どうしよっか」


 ガタン、

 ゴトン。


 私たち以外にはもう、おじいさんが一人端の方に座っているだけだ。


『次はー終点ー』


「とりあえず、降りよっか」

「うん……そうしよ」


 古い駅舎だった。

 今にも崩れそうな木造りの屋根は、実に儚く映った。


「……乗り越し精算しないと」

「お金、足りるかな」


 駅員さんはちょっと訝しそうだった気がするけれど、お金を払うとそれ以上は関心がないようで、どこ吹く風だ。


 それから二人で他愛ないことを話しながら、海岸へ歩いた。


「……ウミホタルって知ってる?」

「……って、東京湾にある?」

「違う違う! 生き物のウミホタル。……夜になったら、海が光ってるみたいに、見えるんだって」

「え、すごーい! 見たいな〜」

「……そんな簡単には、見れないよ」


 ちーちゃんは、なんでも知っている。

 そして、私の知らない世界のことを教えてくれる。


「……そういえば、なかなか海見えないね」

「道、間違えてるのかな?」

「でもこの匂いは……クンクン……」

「ふふ……さっちゃん、犬みたい」


 見つめあって、笑いあった。

 暗くなって、周りには街灯もなくて、顔はよく見えなかったけれど、私にはその表情がはっきりわかった。


「あっ!」


 どちらが言ったかよくわからなかったけれど、それは海だった。


 ザザーンと言う、寄せる波音が、ひときわ大きく聞こえた。


「うーみだー!」

「もー! 待ってよ、さっちゃーん!」


 駆け出す私を見て、ちーちゃんは笑いながら付いて来てくれる。

 二人でしばらく追いかけっこして。

 乾いた砂が、足にまとわりついた。


 しばらく走っていると、疲れてきたので、浜辺の流木にどちらがいうわけでもなく座った。


 ふと見上げた空には、いつしか大粒の星が浮かんで、チカチカと瞬いている。

 風が浜辺を吹き抜けた。


「……ねぇ、ちーちゃん」


「……ん?」


「なんで、……、私たち、子供なんだろう」


 ちーちゃんが、こっちを見た気がしたけれど、私はずっと夜空を見ていた。

 ……だって、この星空は、本当に綺麗だったから。


「…………沙織、こっち寄って」


 私を名前で呼ぶ時のちーちゃんは、いつもよりも大人に見える。


「ん……」


 握り拳二つ分ぐらい間を詰めると、ギュって……、抱きしめてくれた。

 ちーちゃん、あったかいな……。

 夜の浜辺は、ちょっと肌寒くて。

 そんなことを思いながら、左手に、自分の右手の平を重ねた。


「私は、いつだって、沙織の味方だよ」

「……うん。知ってる」


 全部、知ってる。


 ちーちゃんが、隠れて撮った私の写真を待ち受けにしてることも知ってるし、私が無茶なこと言っても笑って付いて来てくれる

 睫毛が長いのも知ってるし、髪長いのは私がそれが好きって言ったからだってことも、知ってる。

 この前のテストの順位だって、好きな食べ物だって、知ってるよ。

 私が好きな以上に、私のこと好きでいてくれてることも……。


 そんなことを考えていたら、目からは雫が落ちていた。

 嬉しかったのかもしれないし、こらえられない日々がこぼれ落ちたのかもしれない。ううん……、きっと、その全部だ。

 頑張って、隠したつもりだったけど、きっと、ちーちゃんには、筒抜け。


 でも、感情をなかったことになんてできなくて。

 ただ、溢れる涙に身を任せるしか、今の私にはできなかった。


 そうやって、二人でただギュッと体を寄せ合って。

 寄せては返す波の音が、なんだかありがたかった。


 随分経って、もう涙も収まって。

 しばらくした時、ちーちゃんがぽつりと話し始めた。


「……私、夢があるんだ。大人になってからの夢」

「……?」

「さっちゃんと一緒に、カフェを開くの」

「……カフェ?」

「うん、カフェ。でも、いきなりはできないから、大学出て、就職して、お金貯めて、さ。どこかちょっと安いところ借りて、開くの」


 初めて聞いた、話だった。


「場所は決めてなかったけどさ、この辺もいいかもね。……海、綺麗だし」

「そんな話……」

「うん……初めてした。……だって、ずっともっと、後の話だし。私が、思ってるだけで、実際うまくいくかなんて、わかんないし」


 体温を感じられるほど近くにいるちーちゃんが、なんだかひどく遠い場所にいるように感じられた。

 それと同時に、涙を流していた自分が子供のように思えてきて。

 ちーちゃんと重ねた右の手が、少し離れた。


 そうだっていうのに、中空で宙ぶらりんになったその手を、また握ってくれたのは、ちーちゃんの両手だった。

 目の前に、天の川がある。

 それは、キラキラ煌めく、ちーちゃんの瞳だ。


「ねぇさっちゃん! 一緒の大学入ったらさ、二人で暮らそ!」

「え……」

「うちなら大丈夫。お母さんたちも、いいって言ってるから」


 また、遠くから声が聞こえる。

 ……ねぇ、近くて遠いその背中には、どうやったら届くのかな。


 その時、声がフラッシュバックする。


『うちから通えるところにしなさい』


 それが、母さんの口癖で。

 ……私は、この声に、逆らえないのだ。


「でも……」


 だから、否定の言葉が口をついた。

 ……それはもう、私の本能みたいなものだった。


「沙織!」


 その時、座ったままの私を置いて、ちーちゃんがバッと走り出した。


 夜の砂浜に刻まれる足跡は、みるみる見えなくなったけれど、そこにちーちゃんがいることだけは、なぜだか確信を持ってわかった。


「いつまでも子供のままじゃ、私たち、一生戦えないよ……!」


 声だけが、私の元に届く。

 夜の暗闇に、ちーちゃんの声が染み入っていく。


「……これだって、ただ、逃げてるだけで、それじゃ、何も……変わらないもの……」


 その声を、私はただ、座って聞いているだけだった。

 抱えた膝は、ちーちゃんと違って、なんだかひどく冷たかった。


「……ねぇ、ウミホタルが何で光るか、わかる?」

「……」


 唐突な、ちーちゃんの質問。

 けれどそんなことわからなくって、無言で首を振る。


 すると、ちーちゃんは、噛んで含めるように、こう言った。


「そうしないと、生き残れなかったから。……光らないと、この海で戦えなかったからだよ」


 それは、随分と抽象的な話に思えた。

 でも、なんだか少し、わかるような気もした。


 そうしていると、また、ちーちゃんが私の元にやって来て。


「ほら、沙織も走ろ! 夜の海も、綺麗だよ!」


 ……案外、そういうものなのかもしれない。

 あの時、電車に飛び乗らなかったら、私たちは今、ここにはいないのだから。


 それに、世界の果てまで向かうように思えたその電車も、決してそんなことはなくて。

 ここからだって、どこかに向かう電車に乗らなければ、辿り着けない……。


「言ったなー!」


 だから私は立ち上がって。

 一直線に、走り出す。


「どっちが早く灯台まで行けるか、勝負ね!」


 彼方に光る灯台。

 その光は、儚かったけれど、確かにキラリと輝いていた。


「えーっ! さっちゃん、それは遠くない!?」


 それでも、ちーちゃんは、着いて来てくれるから。

 だから、私は前だけを見て走るのだ。


 パシャッ!


 波打ち際で、水が弾けて。

 ふと海面を見た私の目に、それは飛び込んで来た。


「うわぁ……」


 急に立ち止まった私を、追い付いたちーちゃんが怪訝な表情で見つめる。


「……ちーちゃん、すごい」

「……え?」


 星を海に溶かしたら。

 きっと、こんな感じなんだろう。


「ウミホタル……」


 海が一面、輝いていた。


「……綺麗だね」

「うん……すごく、綺麗……」


 気づいたら二人で手を握って、その光景をジッと見ていた。


 淡く光るウミホタルは、二人を歓迎するように、ユラユラと揺れた。


 そうしていたらビュッと風が吹いて。


「あっ……」


 ポケットに入れていた初乗り切符が、ポトリと、星空に落ちた。


「ふふっ……」

「あははっ」


 何がおかしかったかわからなかったけれど。

 二人でひたいを突き合わせて、ただ、笑った。



☆☆☆



 その後どうしたのかは、よく覚えていない。


 ただ、気付いたら警察の人がやってきて、私たちは家に帰されていた。

 警察の人に怒られて、家の人に怒られて。

 ずっと怒られていたのに、私はなんだかすがすがしかった。

 ……あの時飛び乗った列車は、きっと星空に向かう電車だったんだと思う。



☆☆☆



「沙織ー遅刻するよー」

「あと五分~……」

「もー……」


 バッと布団が剥ぎ取られる。


「いい加減にしなさい!」

「千賀、お母さんみたい……」

「も~……だれのせいだと思ってるのよ」


 そんな不毛な会話も、すっかり朝の風物詩だ。


「いつもありがと」


 チュッと額の髪をかき上げてキスをする。


「……調子いいんだから」


 そうやって、二人で笑いあう。

 ああ、幸せだなって、そう感じる。


 そして、思うのだ。

 隣に彼女がいる今この瞬間こそが、私の乗っている電車なのだと。


 あの、退屈な日常から、星間に向かう、特急列車。


 きっともうこの列車は終点まで、止まらない。

 だって、二人ならきっと終点なんて、すぐそこだから……。


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日常発、星間行き。 煉樹 @renj

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