風蕭蕭兮命水寒
芳邑
第1話 浮遊する世界
連絡を受け指示された場所に着くと結城は辺りを見回した。高級店が建ち並ぶ繁華街。メインストリートの一画に人集りができている。現場から離れるように警官が指示を出しているが野次馬たちはなかなか従おうとしない。野次馬の向こうではパトカーが壁を作り、その間を縫うように警官隊が腰を低くして身構えている。空からは耳障りな音が降ってくる。事件を嗅ぎつけたメディアのヘリが上空を旋回しているのだ。
どこかに同僚の前田がいるはずだが見当たらない。結城は電脳ネットによって映し出されるAR(拡張現実)ディスプレイを開き、チャットモードで前田にコンタクトを取った。
『状況は?』
『30分程前、親子と思われる3人が暴漢に襲われました。最初に襲われたのは娘ですが、異変に気づいた父親が娘を救おうと男と揉み合いになりナイフで切られ負傷、そこへ駆けつけてきた警官が犯人を取り押さえようとしてナイフで刺され死亡。直後、警官隊が取り囲んだため、犯人は親子連れを人質に取り、以後、膠着状態が続いています』
結城は状況を確認するために現場に近づいていった。野次馬を掻き分けさらに進むと警官が制止するように結城の前に立ちはだかった。警官の瞳が小刻みに揺れている。電脳ネットで警察省のコンピューターにアクセスし、対象となる人間の照会をしているのだ。
「失礼しました」
照会を終えると警官は敬礼して道を空けた。結城は進み出て現場を確認する。交差点の角に位置するブティック。通りに面したウィンドウのなかのマネキンが気取ったポーズで冬物のコートを羽織っている。犯人はガラスを挟んだマネキンを背にして自分の周りに人質を配置していた。妙な場所に陣取ったものだ、と結城は思った。背後に対する警戒をしにくい位置だ。もっと有利な場所に逃げたかったのかもしれないが、その前に包囲されてしまったのだろうか。人質の子供は中学生くらいの少女だ。犯人は少女を正面に置き、その陰に隠れていた。両親は犯人に背を向ける形で両側に立たされているが逃げる様子はない。逃げれば少女を殺すとでも脅されているのだろう。もう一度、前田にコンタクトを取り確認する。
『犯人はヒトか? ヒトガタか?』
『あれはヒトガタです。ポートスキャンした結果、ヒトガタ特有のHTポートが検知されました』
『まずいな……』
『えぇ、これが3件目になるかもしれません。前の2件はいずれもヒトガタの自爆でジ・エンドでした』
『人質の身元は?』
『照会中ですが時間が係っているようです』
『ふむ、ヒトガタを押さえたいところだが人質救出が優先だ。コード101でいく。俺が奴を動かす。お前はいつでも撃てる準備をしておけ。パルス弾を奴の頭に3発、それで奴は機能停止する』
結城は電脳ネットで任務遂行モードをオンにした。警視部の警官は任務遂行中の記録を取らねばならない。任務遂行中の映像と音声は警官の眼球に組み込まれたナノチップを通して警視部のウルトラコンピューターに全て記録保存される。結城は上着を脱ぎ、近くにいる警官に銃を預けた。そして両手を上げてゆっくりとヒトガタに近づいていった。犯行が完全自動ならいつ起爆スイッチが入ってもおかしくない。しかし、半自動で犯人がヒトガタを通してこの場の状況を把握しているなら結城の行動に対して何らかの応答があるはずだ。慎重に一歩ずつ進む。結城に気づいたヒトガタが背後から少女の首にナイフの刃を当て無機質な視線を向けてきた。奴の瞳孔には注意を払わねばならない。前2件の犯行映像記録から自爆直前にヒトガタの瞳孔が極端に縮んでいたことが判明している。
ちらりと人質を見ると父親も母親も目を伏せ微かに震えている。少女はショックで魂が抜けてしまったように虚ろな目をしている。一種のショック状態だ。いつまでこの状況に耐えられるか不明だ。急がねばならない。危険だが状況を変えるために挑発してみることにした。結城は上げた両手をゆっくり下ろしていく。
「両手を頭の後ろに置いて、ゆっくり回れ」
ヒトガタが口を開いた。武器を所持していないか確かめるのだろう。結城は言われた通りにした。
「俺は警察省警察局警視部公安第十課の結城だ。人質を解放しろ」
ヒトガタは乾いた瞳を結城に向けたまま応答する気配が無い。ストレートに言っても無駄か。結城は状況を無視した言葉を投げて反応をみることにした。
「この変態野郎が」
「なんと言った?」一瞬、間が空きヒトガタが聞き返してきた。
「変態野郎と言ったんだ」
「はははは」
ヒトガタが言葉だけで笑う。ヒトガタが完全自動なら犯行に無関係な言葉に反応することはない。犯人は半自動による遠隔操作でほぼ確実にヒトガタの目を通してこの状況を見ていると結城は確信した。
「ヒトガタを通して人を殺し、ヒトガタの目を通してそのシーンを楽しみ興奮している。変態以外の何者でもない」
「それはどうだろう?」
それきりヒトガタは黙り込んだ。結城はヒトガタの瞳を注視しながら耳で周辺を窺う。周囲には多くの人がいるはずなのに静寂が辺りを包んでいる。無責任な野次馬は事の成り行きを半ば面白がりながら固唾を飲んでいるのだろう。時折、反響した車の雑音とクラクションが聞こえるのみだ。耳障りなヘリの音は規制を敷かれたらしく既に途絶えていた。
ヒトガタはハシビロコウの如く動く気配がない。時間の経過とともに、ビルの谷間から射し込む西陽がショーウィンドウを翳め、不思議な陰影を店内に映し始めた。逆光になることを避けるようにヒトガタが少女の肩越しに姿勢を変えた。その時だった。空気を切り裂く乾いた音が立て続けに聞こえた。体勢を崩したヒトガタの手が少女から離れた。前田の狙撃だ。それを合図に結城は突進した。同時に状況の変化を知った父親がヒトガタに組み付き、その隙をついて母親が娘の身体を思い切り突いて結城の方に押し出した。押し出された少女が突っ込んできた結城の腕に吸い込まれる。その刹那、ヒトガタと一瞬目が合った。瞳孔が異様に縮んでいる。起爆装置のスィッチが入った証拠だった。
「逃げろー」結城が叫ぶ。
母親は結城の視界から消えていった。しかし、あろうことか逃げようとする父親の腕をヒトガタが掴んで揉み合っている。これでは前田も3発目を撃つことが難しい。もはや自爆するまで幾ばくも猶予が無い。少女を抱えた結城はその場を離れるべく駆け出した。数秒駆けたところで爆音と衝撃波に襲われ結城は激しく吹き飛ばされた。衝撃波のなすがままに何度も転がされながら結城は自分の体躯で少女を覆い必死に耐えた。やがて衝撃波が過ぎ去り動きが止まった。目を開いて腕の中を見ると少女は気を失っていた。目立った外傷はないようだが無事かどうかは分からない。駆けつけてきた救命士に少女を預け、結城はその場にへたり込んだ。肘や膝が擦り剥けて血が滲んでいる。擦過傷は至るところにできているが奇蹟的に致命傷は免れたようだった。
呆然としていると前田がやってきて話しかけてきた。だが、なにを言っているのか分からない。爆破の衝撃で鼓膜がいかれてしまったようだ。結城は自分の耳を指して首を横に振った。それで前田は状況を理解したようだ。前田は頷くとその場を離れていった。課長に報告を入れにでも行ったのだろう。
前田の背中を見送ると、結城は深呼吸をして息を整えてから立ち上がった。現場を一通り記録せねばならない。爆破で飛散したガラス片、アスファルト片、コンクリート片が乱雑に転がったパトカーのそこかしこに突き刺さっている。破片を被弾した警官の何人かが応急処置を受けていた。歩き進むたびにガラスを踏む不快な感触が足の裏から伝わってくる。ブティックに目を向けると、巨大な爪で引っ掻き回され抉られたように店の原形は既に無かった。ヒトガタと父親の居た辺りから同心円状に飛散した肉片と血糊が描く奇怪な模様が見える。結城は張り詰めた息をひとつ吐いた。
陽はさらに傾き辺りが薄暗くなってきた。ふと気配を感じて目を凝らす。なぎ倒された街路樹の枝から木の実のようなものが垂れている。風に揺れながらゆっくりと回転しているそれは、やがて結城と目が合った。
警視部に戻る頃には耳が多少聞こえるようになっていた。しかし、頭痛と耳鳴りがして気持ちが悪い。部屋に入ると先に戻っていた前田が窓の方を指す。課長のところに行けというのだ。課長の席に向かうと前田も後ろを付いてきた。
「ただいま、戻りました」
課長は服が破れ擦り傷だらけの結城の姿を見て鼻を鳴らす。
「病院へは行ってきたのか?」
「あとで診てもらいます」
「……お前ら、もう少しうまくやれんのか?」
「文句は前田に言ってください。俺は3発撃ち込めと指示したんですが、外しやがって」
そう言って前田を睨んだ。
「いや、あれはその……2発撃ったところで父親とヒトガタが揉み合いになったので3発目を撃てなかったんです」
「言い訳するな。お前のミスだ」
「お前らのミスだ!」
結城と前田の責任の押し付け合いにうんざりした課長が割って入った。
「ヒトガタの自爆事件はこれで3件目だ。お上も頭を痛めている。早々に事件を解決しなければヒトガタの信頼性が大きく揺らぎ、延いては国家存亡の危機になりかねん」
「はぁ」前田が寝ぼけたような返事をする。
「わかっとらんな。ヒトガタは少子高齢化かつ労働人口の激減したこの国を救うために開発された労働用アンドロイドだ。ヒトガタは政府が一元管理生産を行い、企業や国民にレンタルするだけでなく、海外の同盟国にも輸出しレンタルしている。ヒトガタマネーと言われる国の収入は莫大な額に上り…」
「そのおかげで国民は遊んでいても暮らしていけるってことでしょ?」
前田が課長の言葉を遮った。長広舌を振るわれては敵わないといったところだ。
「その通りだ。分かっているならとっとと解決しろ。犯人に繋がるネタは得られたのか?」
課長が結城を見て促す。
「鑑識がいま現場を洗っていますが、恐らくなにも出ないでしょう。ヒトガタは完全に破壊されています」
「人質もだ」
課長が結城と前田を睨め回した。それを流して結城が報告を続ける。
「前2件も含めヒトガタの入手経路を洗っていますが、これと言った情報はありません。ヒトガタは識別するための工夫がいくつも為されていますが闇ルートに流れているものは全て無効化されています。無効化されるとヒトと違い個性に乏しいヒトガタがどこで盗まれたのかを特定するのはかなりの困難です」
「それに盗まれるヒトガタの数も少なくありません。今どき、ヒトを誘拐するよりヒトガタを盗んだほうが金になる時代です。海外に売り飛ばせば大金を手にすることができますからね」前田が補足した。
「打つ手なし、ということか」そう言って課長が苦い顔をする。
ヒトガタのOSにはαとβがある。αは肉体労働用でβは警察・軍事用だ。βを搭載したヒトガタは警察や軍によって厳重に管理されているため、これまで盗まれたことがない。事件に使われたのはOSαのヒトガタに間違いないと思われる。OSα搭載のヒトガタを犯罪に使う場合、壁となるのは禁止事項だ。OSαには己を含め如何なる場合も殺傷してはならないという最優先禁止事項がある。だが、闇ルートに流れているヒトガタには禁止事項を外したものも存在し犯罪に使われているのが現状だった。
「犯人は半自動でヒトガタの操作までやっているんだよな……」誰にともなく課長が呟く。
災難救助や危険物処理といった事案に限り、半自動操作アプリケーションを使用し、専門家がダミーであるヒトガタとリンクして対処する。闇市場でも似たようなソフトが売買されている。
「半自動操作をしていた以上、どこかに通信履歴が残っている可能性があります。いま、サイバー鑑識の方で洗ってもらっているところです」
「いいだろう。お前らは過去2件を含め事件を洗い直せ」
警察病院で診てもらった後、結城は公安十課に戻ってきた。既に課長はおらず、前田だけが残っていた。前の2件について調べているようだ。前田の肩越しに声をかける。
「飯でも食いに行くか?」
「どこに行きます?」
「そうだな。辰己屋にしよう」
辰己屋は警視部御用達の店で一見さんお断りである。他人の耳を気にせず仕事の話ができるので結城は重宝していた。店に着くと扉の前のボードに今夜のメニューが書かれている。手ごろなのはカレイの煮付け定食とステーキ丼だ。
「いらっしゃい! 奥の座敷、空いてますよ」
カウンターの奥から店主が現れ、威勢良く迎えてくれる。店内を見渡すと見知った顔がいくつかある。目で挨拶しながら奥座敷へと向かった。結城はカレイの煮付け定食を選んだ。さすがにあの現場を見た後で肉を食べる気にはなれない。
「俺はカレイの煮付け定食にする」
「了解です」
前田が大声で注文する。
「カレイの煮付け定食とステーキ丼大盛で。あと、生ビール2つ」
「お前、よく肉なんて食えるな」
「へ? あぁ事件のことですか? それはそれ、これはこれです。あはは」
へらへらと前田が笑っている。図太い神経の持ち主だ。つられて結城も笑ってしまった。
「前の2件を調べ直していたようだが、なにか掴めたのか?」
「結城さんも一通り目を通しているのでお分かりだと思いますが、1件目はアイドルグループの公演中にいきなり自爆、2件目はデパートでこれもいきなり自爆。ヒトガタが実行犯であると分かったのは、現場で正規登録されていたヒトガタ以外の部品がわずかに残されていたからです」
店員が生ビールを運んできた。一口、二口啜りながら考える。アイドルとデパートか。特に繋がりがあるとも思えない。
「アイドルグループの名前はなんと言ったか」
「HZM123です」
「HZM? もしかして、ヒトガタのアイドルか?」
「なに言ってんですか、やだなー、HT-HZMシリーズのHZM。常識ですよ、彼女らがヒトガタなのは」前田が呆れたように首を振る。
「芸能ネタに弱いんだ、ほっとけ。しかし、ヒトガタのアイドルにファンが群がるとはな」
「考えが古いですね。ヒトガタのアイドルなら異性に現を抜かしたり、スキャンダルを起こすこともありません。歳も取りませんし、いわば永遠のアイドルなんですよ」前田が小馬鹿にするように笑った。
「そういうもんか……そんなことより、ヒトガタがヒトガタのコンサートを狙ったってことか? なんだか滑稽だな」
「まぁ、コンサートもデパートも多くのヒトが集まりますから」
「そうだな。しかし、今回はなぜいきなり自爆しなかったのか……メインストリートでいきなり自爆したほうが被害は大きかったはずだ。犯人がヒトガタにあの親子を襲わせたのはなぜだ? 彼らの身元は分かったのか?」
「それなんですが……」急に前田の歯切れが悪くなった。
「怒らないでくださいよ? 結城さんが命懸けで護った少女、あれはヒトガタだったんです……」
一瞬、間が空く。
「なんだとっ」
結城は怒りのあまり激しくテーブルを叩いた。その勢いでジョッキがぐらつき、生ビールの泡がテーブルの上に飛び散った。慌てて前田がジョッキを抑える。
「お前、いつそれを知った? なぜ、俺に知らせなかったっ」
「俺だって事件後に知ったんですよ。結城さんが病院に行っている間に課長のところに上から連絡が来て初めて知ったんです」前田が怯えた子犬のような目をする。
「現場でお前はスキャンしたんだろが。なぜ分からなかった?」
「それはですね……そもそも自爆に巻き込まれた男女は夫婦じゃありませんでした。男の名は佐竹義則、女のほうは池田由実。佐竹は爆死、池田は全身を強く打ち意識不明の重体です。佐竹と池田はヒトガタ技術開発研究所でヒトガタの開発に携わっていたようです。彼らが連れ歩いていた少女は政府が秘密裏に進めていた次世代ヒトガタのプロトタイプでした。仕様がこれまでと異なっているために通常のスキャンではヒトガタだと分からなかったんです」そこまで一気にしゃべってから、落ち着きを取り戻すように前田はビールを口にした。
「事件のさなか、彼らの照会が遅れていたのは政府機関の人間だったからか。ましてや少女の照会などできるわけがない。しかも佐竹たちは命が危機に晒されていながらも次世代ヒトガタの保護を優先した。この俺を使ってな……」
結城は付け合わせのメンマを口に放り込み、忌々しげに派手な音を立てて噛み砕いた。
「実行犯のヒトガタがすぐに自爆しなかったのは、犯人は次世代ヒトガタの拉致、というより強奪が目的だったってことになりますか」
「恐らくそうだ。偶然襲ったとは考えにくい。やはり政府機関をクラックした、或いは、クラックした奴から情報を買ったと考えるのが妥当だ。でなければ次世代ヒトガタの情報を知りえたわけがない」
「それにしても犯人は次世代ヒトガタを盗んでどうするつもりだったんでしょうか」
「当然、犯罪に利用するつもりだったんだろう」
そこへ注文した物が運ばれてきた。
「冷める前に食っちまおう。話の続きはそれからだ」
食事を終えて一服していると熱いお茶を店員が運んできた。この店員もヒトガタだ。女性を模った容貌容姿。美人でもなく不細工でもない。コオロギのような眉に二重瞼。鼻筋の通った小鼻におちょぼ口。この国の女性の顔を平均化するとそのような顔になるらしい。肌質もヒトと変わらず弾力があり、体温も35℃前後に保たれている。彼らは店主の指示に従って物を運んだり皿を洗ったりしている。簡単な調理もできる。便利な世の中になったものだ。
そもそもヒトガタの誕生はこの国を襲った経済危機に端を発している。かつて経済大国と呼ばれたこの国は死を待つばかりの老人と揶揄されるまでに疲弊凋落していた。政府は過去数十年にわたりあらゆる経済政策を試みたが全て失敗に終わった。経済格差は更に拡がり、わずかの富裕層と大多数の貧困層という歪な二極化が社会構造を不安定なものにしていた。また貧困に起因する出生率の低下も惨憺たる有り様でコンマ5を切ってしまっていた。結果、少子高齢化に歯止めを掛けることができず、この国の老年人口は総人口の7割を占めるに至り、国の中核となる労働人口はわずか2割余であった。さらに国家の財政赤字も深刻さを増し、累積した赤字国債の発行残高が3000兆円に達するに及んで国家として破綻するのも時間の問題となっていた。
この窮地を打破すべく時の政府はある一大プロジェクトを立ち上げ断行した。その内容は、労働人口減少の穴を埋めるため、事務や介護、製品組み立て、店頭販売などといったルーチンワークをこなすAI搭載型アンドロイドを開発し量産することであった。政府はこのプロジェクトの研究開発に科学研究予算の9割を集中し、民間、学術領域を問わず自然、人文及び社会科学の叡智を結集し開発を進めた結果、世界に先駆けてわずか10年で実用段階にまでこぎ着けることに成功した。コードネーム・ヒトガタと呼ばれるアンドロイドHT-HZMシリーズは、現在は代を重ねて29世代にまで進化している。実用化後、政府はヒトガタの開発、生産、メンテナンスを一元管理する一方で企業や希望する一般家庭に安価でレンタルし、そして日本と同様に少子高齢化に悩む同盟国には比較的高価な値段でレンタルを行うことにより歳入を増やした。企業にとって各用途に応じたヒトガタのレンタルは大幅な人件費のコストダウンを実現し多大な利益をもたらせた。また、家庭におけるレンタルでは家政婦用、介護用ヒトガタが各家庭のストレスを大幅に減少させた。レンタル料の歳入に占める割合は年々増加し、それにつれて政府は国民や企業に対する課税を徐々に減らしていった。ヒトガタのレンタルは莫大な富を生み出し、その富はオイルマネーに匹敵することからヒトガタマネーという言葉が公用語として語られるまでになった。ヒトガタマネーは実用化から15年で国の財政赤字を黒字に変え、実質的にレンタル料のみで国家の維持が可能になった。歳出を差し引いて余りあるヒトガタマネーは国民に給付金として還元され、ブルーカラーとして働くヒトはこの国から消えた。国が交付する給付金以上の富を得たい者は起業する、企業の開発職または管理職に就く、或いは学術研究、芸能芸術といった創造的な仕事に従事していた。
「どうしたんですか? ぼんやりして」
いつの間に頼んだのか前田が杏仁豆腐を口に流し込んでいる。
「そういえば結城さんは、どうして警察官になろうと思ったんですか? 今の時代、働かなくても充分生きていけるのに、わざわざ危険な職業に就くなんて」
「それはお前も同じだろ。お前はどうなんだ?」
「端的に言えば、暇だったからですかね。ガキの頃からガンマニアでシューティングゲームばかりやってましたよ。大学までは通いましたが卒業してからもゲーム三昧。それはそれで楽しかったんですけど、なんか物足りなくなってきましてね。まぁ、本物の銃を撃てるってことで警察の試験を半ば冗談で受けてみたんです。そしたら、銃の知識と射撃の点数が良くて採用されちゃったんです。一般試験のほうは至って普通でしたけどね」
そう言って前田は自嘲気味に笑った。
「俺も似たようなもんだ。贅沢しなければ遊んで暮らせるとはいっても、なんだか味気なくてな。ただ単に生きてるってだけじゃ、つまらん。警察は成り手が少なく人手不足が深刻だ。成れれば誰かの役に立ち、刺激も得られる。だから、警察を選んだ」
「結城さん、ペーパー試験、得意でしょ?」
「まぁな。だが、お前と違って射撃の腕は人並み以上とはとても言えん」
「人並みといえば、今の時代、何か人並み以上の才能がないと働けないし、小遣いを稼ぐこともできません。労働意欲のあるひとにとっては逆に辛いでしょうね」
「怠け者には天国だが、勤勉な者にとってはある意味、地獄だ。働き口はそれなりに限られている。会社経営、管理職、研究開発職、公務員、学術研究、芸能芸術といった、それなりにセンスと才能、或いは頭脳が必要な仕事のみだ。下働きにあたる仕事はほぼ全てコンピューターとヒトガタで間に合っているから、どの職場もたいして人手は要らない。国からの給付金だけで生きていくことはできるが、ちょっと贅沢したいと思っても才能とセンスが無ければどうにもこうにも満たされない時代だ」
「無職の人達は、生産性もなく世の中に漂っているだけ、ということで浮遊層だなんて言われてますからね。差別と格差は拡がる一方です。どうしても欲を満たそうとして犯罪に走る輩も多いですし。年に数回は政府機関を狙ったテロもありますしね……」
「テロリストのほとんどは前科が無い。勤勉で真面目な者ほどフラストレーションの溜まりやすい時代だということだ。生活基盤が引き上げられたというのに皮肉なもんだ」
衣食住において節度を守りさえすれば寿命を全うすることのできる時代が到来した。その一方で、人々の格差は拡がっていくばかりだ。生存しているだけでは幸福にはなれない。浮遊層の満たされぬ思いはマグマ溜まりのように蓄積し、時折、犯罪として噴き出してしまう。ヒトガタ自爆事件も浮遊層の跳ねっ返りの仕業だろう。時代の象徴であるヒトガタ。いまやこの国はヒトガタなしに存続しえない。テロリストたちはそんなヒトガタの信頼性を地に落とし、国家を危機に追いこんでいる。警察官として彼らを野放しにすることは決してできない。
翌朝、結城は早めに警視部に入り課長が来るのを待った。秋が深まりつつある早朝はかなり冷え込むようになってきた。温かいコーヒーを飲みながら電脳版ニュースに目を通す。昨日の事件は前2件同様にヒトガタが起こしたものであることは伏せられていた。
「早いな」
「おはようございます。課長」
課長が席に着くのを待ってから切り出す。
「なにか新規情報はありましたか?」
「あぁ、そのことだが、警察・軍事用ヒトガタが盗難に遭ったという事実はない。とりあえずヒトガタの開発元であるヒトガタ技術開発研究所に聞き込みに行ってこい。研究所の開発責任者には話を通してある。恩田という男だ」
そこへ寝ぼけた顔をした前田が入ってきた。
前田を伴い研究所に着くと恩田の秘書が玄関で待機しており、そのまま恩田の部屋に通された。
「研究所というわりには静かですね」
前田が辺りを窺っている。
「ここでヒトガタを組み立てているわけじゃないからな。こんなもんだろう」
無駄話をしていると、初老の男が部屋に入ってきた。結城と前田が立ち上がる。
「すみません、お待たせしました。開発部長の恩田と申します」
そう言って名刺を渡してきた。緊張しているのか差し出した名刺が微かに揺れている。結城は名刺代わりに手帳を見せようとしたが恩田に止められた。
「連絡は受けておりますので結構ですよ。どうぞお座りください」
3人が座ると秘書がコーヒーを持ってきて下がっていった。
「早速で恐縮ですが、昨日、襲われた次世代ヒトガタについて、お聞かせ願えませんか?」
恩田が眉根を寄せ、顔を曇らせる。
「あの…お怪我をなされていますが、もしかして昨日、現場にいらっしゃった?」
恩田が結城の擦り傷だらけの顔を見ながら言った。
「えぇ、まぁ」
「件の次世代ヒトガタのコードネームはARTaといいます。護っていただいて本当に感謝しております」
ヒトの命よりヒトガタ優先か……いかにも役人らしい。どこか間延びした恩田の顔を見ながら結城はそう想った。俺はヒトガタを護りに行ったわけじゃない。少女がヒトガタだと判っていれば事件の対処の仕方も別の形になっていたはずだ。佐竹も死なずにすんだかもしれない。
「いや、護ったのは佐竹さんたちです。彼らの行動がなければ爆発に巻きこまれていたでしょう」
皮肉をこめて結城は返した。恐らく佐竹たちは恩田の命令に従って行動したのだろう。しかし、自分達が死ぬかもしれないのに敢えてARTaを護るとはそれほどの価値があるのだろうか。
「お聞きしたいのですが、ARTaとHZMシリーズとの違いはなんでしょう?」
恩田はコーヒーを一口啜り、一呼吸おいてからようやく顔を上げた。
「ARTaの開発コンセプトは、より人間らしい行動表現、とでも申しましょうか」
HZMシリーズは単純労働用であり、喜怒哀楽といった感情表現を行う機能は一切ない。
「それは、つまり、感情表現をヒトガタに持たせるということですか?」
「これまでのヒトガタは感情表現ができない、つまり愛想がないわけです。特に接客やサービスを行う業種では看板となるヒトガタに、より人間らしさを付与してほしいという要望が以前から強かったのです」
「それに成功したというわけですか」
「当然、ヒトガタには心が無いわけですから様々なケースを想定し、ケース毎に表情や身振り手振りといった身体の動きを変えることによって感情表現を行うというものです」
結城は昨日の事件を思い起こした。人質に取られていたARTaは恐怖によるショック状態を見事に表現していた。次世代ヒトガタはより人間に近づいたと言えよう。ただ、それとは別に結城はARTaという名前が気になっていた。
「確認ですが、ARTaがあるならARTbも開発されているのですか?」
「は?……」
恩田の瞳が一瞬揺れるのを結城は見逃さなかった。
「次世代ヒトガタはまだ開発段階であってシリーズ化されておりません」
きっぱり言い切ったわりに恩田は落ち着きがなくなっていた。頻りにカップを口元に運びながらもほとんどコーヒーは減っていない。心ここにあらずといったところだ。何を隠しているのだろう。ARTaについては事件に巻き込まれてしまったために仕方なく情報を開示したのだろう。だが、その情報にしても恩田が仕様の全貌を語っているという保証はない。所詮、恩田は経産省か厚労省の出向組だ。政府の意向を無視できる立場にない。政府はヒトガタの情報が漏れることを異常に嫌う。その理由は分かる。世界中がヒトガタ同様のアンドロイド開発に鎬を削っている。この国が数歩リードしているとはいえ国益を守るために情報漏洩は許されない。しかし、実際に情報が漏れ、それが元で事件が起きているのだ。国民の命よりもヒトガタの情報を護るのは本末転倒だ。なにかある。感情表現できるという特性だけで犯人が強奪を試みたとは思えない。だが、粘っても恩田は話さないだろう。
「ご協力ありがとうございました。今日はこの辺で失礼します」
結城は恩田に形ばかりの礼を言って辞した。研究所を出ると、前田が口を開いた。
「あの開発部長、なにか隠してますよね?」
「だな……」
結城の電脳ネットに課長からチャットモードでメッセージが入った。
『聴取は終わったか?』
『えぇ、たった今。たいした情報は手に入りませんでしたが』
『池田由実の意識が戻った』
『ではこれから病院に向かいます』
『大事な聴取だ。俺もお前の目を通して聴取の様子を見ることにする。必ず何か聞き出せ』
結城は前田とともに病院に行き、池田由実の病室に向かった。病室の前に警官がいる。
「警視部公安十課の結城と前田だ。池田由実の事情聴取を行う」
「お待ちください。確認します」
『池田由実は話してくれるでしょうか?』前田が電脳ネットで話しかけてくる。
『何とも言えん』
「どうぞ」照会を終えた警官が扉を開けてくれた。
病室に入ると池田由実はベッドに横たわっていた。頭や腕に包帯が巻かれ手の甲に点滴をしている。結城に気づくと体を起こそうとした。
「そのままで結構ですよ。無理なさらずに」
「すみません」
か細い声が痛々しい。
「昨日の事件で犯人と交渉した結城です。覚えていますか?」
池田由実はこくりと肯いた。
「昨日の事件は次世代ヒトガタの強奪を目的としたものと我々は考えています。あなたと佐竹さんが連れていた次世代ヒトガタについてお聞きしたい」
「……」
「犯人はARTaの特性を利用してなにか大きな犯罪を起こそうとしていると我々は踏んでいます」
池田由実はARTaという言葉にわずかに反応したが何も答えない。答える気がないのか、或いは迷っているのか。
「実はここに来る前に恩田開発部長に会って話を聞いてきました。ARTaの特性は感情表現ができることだと伺いましたが、果たしてそれだけでしょうか?」
池田由実はなにも答えない。
「話していただけないでしょうか。事態は急を要しているのです。このままでは同じような、いや、もっと大きな事件が起きるかもしれません」
池田由実の視線は中空を彷徨っている。時折、眉間に皺が寄り苦悶しているようにも見える。その視線がやがて結城のところで止まった。
「ARTシリーズの第一の開発コンセプトはマネージメント能力です」
結城は前田と顔を見合わせた。
「続けてください」
「これまでのヒトガタはそれぞれが孤立しておりオーナーもしくはユーザーとの1対1の関係のみでした。例えば会社の或る部署で10人のヒトガタを使っているとします。彼らを束ねる管理職は10人それぞれにいちいち指示を出さねばなりません。家庭や小規模の企業ならそれほどの負担ではないでしょう。しかし、企業規模が大きくなればなるほど部署で働くヒトガタも多くなり管理職の負担は増える一方なのです。企業は人件費を削るために限られた人数しか雇いませんから。もし10人のヒトガタのなかに1人のリーダーがいれば、管理職はそのリーダーに指示を出すだけでよいのです。あとはリーダーが判断し他の9人にそれぞれ指示を出して業務をこなせばよいのです」
「しかし、リーダー型は臨機応変に対処しなければならない難しい局面もあるんじゃないですか?」
「これまでのヒトガタは業務に関する最低限の情報と学習しか赦されていませんでした。しかし、リーダー型は業務をこなしながら経験的に学習する他に、電脳ネットを利用してネット上の業務に関するあらゆる情報を取得することが許されているのです。しかも他のリーダー型と学習したデータを共有並列化することで飛躍的にスキルが向上するのです。高度なスキルを身につけたリーダー型は部下であるヒトガタに適宜指示を出し業務を遂行することが可能なのです。現在進行中の最終試験では目覚ましい成果を挙げています」
「ほう、それで……試験で得られたデータはいわゆるマスターデータになるわけですね?」
「そうです。ただ、そのままマスターデータになるわけではありません。一旦全てのデータを集約した後、どの業務においても基礎となるマスターデータと各業務にのみ必要なテクニカルデータに振り分けられます」
「なるほど。ちなみにあなたと佐竹さんが連れていた次世代ヒトガタはどういった業務のリーダー型だったんですか?」
「彼女はアイドルグループのリーダー型です。開発コンセプトからすると感情表現を主体としていますので優先順位はそれほど高いものではありませんが」
「次世代ヒトガタの最終試験は主にどこで行われているのですか?」
「いくつかの大企業や中央官庁などで試験を行っています。あなたの所属する警察省も含まれています」
「犯人はなぜあなたが連れていた優先順位の低いヒトガタを狙ったと思いますか?」
池田由実は結城から視線を外し、少し顎を引いて唇を噛んだ。
「例えば…警察や軍事用と違って与しやすいと思ったのではないでしょうか」
それは一理ある。犯行に使われたヒトガタは所詮、単純労働用だ。警察・軍事用の次世代ヒトガタを奪おうとしても敵うわけがない。それに大企業や中央官庁にいる次世代ヒトガタに手を出すにはいくつものセキュリティを突破しなければならず、これは名うてのクラッカーでも容易ではない。しかし、与しやすいとはいえ犯人はアイドルグループのリーダー型を強奪して何をしようとしていたのか。
「昨日の事件の際、犯人について何か気づいたことはありませんでしたか?」
池田由実は天井の一点を見つめ集中している。必死に記憶を辿っているようだ。
「そういえば人質になっている時に犯人は何かしていた気がします。私と佐竹は犯人に背を向けるように言われていたのではっきり見たわけではありませんが」
「何かとは?」
「犯人はじっとしていたわけでは無く、忙しなく動いている感じでした。あなたが現れるまで」
何をしていたのか。犯行は半自動で行われた。強奪だけが目的なら完全自動でかまわないはずだ。しくじれば、即、証拠隠滅のために自爆するだけの話だ。しかし、犯人は警官隊に囲まれてもすぐに自爆しなかった。確実に目的を遂げるためには半自動でしかできないことがあったからに違いない。
『課長、救出した次世代ヒトガタは今どうしてます?』電脳ネットで課長に話しかける。
『救出した後ほどなくヒトガタ技術開発研究所に戻されたが、それがどうした?』
『まずい……かもしれません』
『まずい?』
『えぇ……』
犯人が昨日、ARTaを襲ったのは偶然ではない。さらに、ヒトガタの自爆で結城が死なずに済んだことも恐らく偶然ではない。犯人はARTaが破壊されないギリギリのタイミングで自爆させたのだ。犯人は何もしくじっていない。唯一、池田由実が生き残ったことを除いて。結城は犯人の目的が見えてきた気がした。
「データの集約と振り分け作業はいつ行われているのでしょう?」
「月に一度。昨日がその日でしたので佐竹とともにARTaを研究所に連れて行こうとしていたのです」
「仮の話ですが、もしリーダー型が誤った命令を出し部下のヒトガタが暴走した場合、どうやって命令を取り消すのですか?」
池田由実は結城の意図が読めたようだ。目に怯えの色が見て取れる。
「リーダー型は部下のヒトガタとローカルネットワークを構築した上で命令を出します。業務遂行中の主従関係は絶対ですが、リーダー型に誤った命令があれば管理職が強制的にネットワークに介入しリーダー型の命令を取り消すことができます」
「つまり、リーダー型さえ機能停止にすれば部下のヒトガタも行動を停止するということですね?」
「はい、そうです……」
池田由実は両手を胸に置き、荒い息をしている。
「ご協力、ありがとうございました。早く元気になられることを願っています」
そう言って結城と前田は病室を出た。
『課長、ヒトガタ技術開発研究所の恩田に連絡してデータの集約作業を中止するように伝えてください。犯人は昨日、佐竹と池田が連れていた次世代ヒトガタにウィルスを仕込んだ可能性があります』
『既に連絡した。今、恩田が確認しているところだ。しばらく待て』
「間に合えばいいですけどね」
前田が不安げに呟く。
「そうだな。既に試験先に配備されていたら、やばいことになるかもしれん」
「ウィルス感染したリーダー型が部下のヒトガタを使って事件を起こすってことですか?」
「うむ……ローカルネットワーク経由でウィルスを感染させ禁止事項を無効化する類いのものだろう」
課長から連絡が来た。
『集約と振り分け作業は昨夜中に終了し、何体かは既に試験先に向かっているそうだ。急ぎ研究所に戻すよう指示を出したが、1体のみ既に配備されてしまったらしい。TONY本社だ』
『対サイバーテロ機動隊を向かわせてください。俺たちもすぐに向かいます』
結城たちがTONY本社に着くと辺りは騒然としていた。次から次に玄関から社員が逃げるように飛び出してくる。そのうちの1人に結城は声を掛けた。
「警察の者です。なかの様子は?」
社員は唇をわなわなと震わせながら答える。
「総務部に配置されていたヒトガタが突然私たちを襲い始めたんですよ……信じられない」
「総務部はどこですか?」
「2階に上がってすぐのところです」
そう言って社員はどこかへ走り去った。
エントランスに入ると、結城と前田は銃を取り出しパルス弾を装填した。大方の社員は避難し終えたのか人影はない。ただ、時折悲鳴のような声が聞こえる。逃げ遅れた社員が襲われているのだ。正面のエスカレーターで2階に上がり総務部に近づく。総務部入り口から一瞬だけ室内を覗く。記録映像からスナップを抜き出し室内の様子を確認する。奥の窓側に1体、結城たちのいるドアの左側に3体、右に2体だ。写真を共有設定にして前田にも見せる。
『敵は6体だな』
『どれがリーダーですかね?』
『リーダー型は命令するだけだ。俺に向かってこない奴を撃て。俺が先行して入る。』
『了解』
部屋に入ると、5体のヒトガタが一斉に結城に向かってきた。そのうちの1体に狙いを定め撃とうとした瞬間、机の陰に隠れていた7体目が結城を襲ってきた。急いで銃口を向けたが銃をたたき落とされ押し倒されてしまった。更に他のヒトガタが飛びかかってくる。
『結城さん!』
『かまわん、リーダーを撃て!』
銃声が3回続いた。直後、結城を襲っていたヒトガタたちの動きが一斉に止まり崩れ落ちた。そこへ前田が駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、なんともない」
死体のように動かなくなったヒトガタたちを押しのけて立ち上がり、結城はリーダー型を確認するため窓側に向かった。白髪と皺の様子からリーダー型は40代の中年といった風貌をしていた。額に3つの穴の空いたリーダー型は半ば白目を剥き、舌をだらりと垂らしていた。
「死に様までヒトと同じにすることないですよね?」
前田が呆れたように苦笑した。
結城たちが部署に戻ると課長が腕を組み、口をへの字に曲げて待ち構えていた。
「ご苦労だったと言いたいところだが、犯人に繋がる手がかりはまだ掴めんのか……」
課長の言葉が途切れ、瞳の動きが慌ただしくなった。なにか連絡が入ったようだ。
「鑑識からだ。お前達が押さえたリーダー型を解析したところ、犯人に繋がる痕跡が見つかったそうだ。すぐに鑑識課の加藤のところに行け」
鑑識課へ行くと、結城と同期の加藤が待っていた。
「今朝のドンパチの最中に次世代ヒトガタに何者かがアクセスしようとした痕跡が見つかった。恐らく半自動でアクションを起こそうとしたと思われる」
「ほう」
「懸命に痕跡を消そうとしたようだがお前らが間一髪で仕留めたために履歴が残った。追跡プログラムで辿ったところ、その人物のポート番号を突き止めることができた。ポート番号は闇ルートに流れているものだったが、現在の居場所は判明している」
今までは実行犯であるヒトガタが自爆してしまったために何の痕跡も見いだせなかったが今回は違う。自爆できないのにリンクしようとした犯人の失策だ。
「奴は留まっているのか?」
「痕跡消去に失敗したと気づいていないのだろう。でなければ逃亡しているはずだ」
加藤は結城に電脳ネットを介して住所を送信してきた。潜伏先は警視部管内のマンションの一室だ。
「恩に着るぞ、加藤」
そう言って結城は鑑識課を出た。
『課長、犯人の居場所が特定できました。これから潜伏先に向かいます。但し、奴は爆弾を所持している可能性があります』
『そうか。では、コード404でいけ』
リンクを前田に切り替える。
『前田、ヒトガタ警官を数体連れて潜伏先に行き、急いでマンション内の住民を避難させるんだ。奴に気づかれないように。俺もすぐに行く』
結城が現場に到着すると、ヒトガタ警官たちが犯人の部屋から死角になるように注意しながら住民を避難させていた。結城を見つけた前田が報告に来る。
「マンション内、及び付近住民の避難を行っていますが、あと5分程度、係りそうです」
「完了したら教えてくれ」
ヒトガタによる殺人行為を目撃したTONY社員が既にネットに情報を上げている。メディアも蜂の巣を突いたような騒ぎだろう。犯人を捕らえねばならないが、その結末はどうなるのだろうか。ヒトガタの介在する殺人はヒトガタの輸出大国であるこの国の信頼と威信を失墜させる。どこまで明らかにするかはともかく政府も今回の事件でヒトガタに何らかの不具合のあることを認めざるを得まい。
「避難完了しました。3分後に被疑者のドアの鍵を強制解錠します」
「分かった。お前はここで待機しろ」
「ひとりで大丈夫ですか?」
「なにが起こるか分からない。待機だ」
念押しをして結城は犯人の居る部屋に向かった。
犯人の部屋の前に立ち銃を取り出す。簡易スキャンを行い、ドアに爆弾が仕掛けられていないことを確認する。時間だ。鍵の開く音を合図に静かに室内に滑り込んだ。物音がしない。加藤に連絡を取る。
『加藤、奴はまだ部屋に居るのか?』
『被疑者は動いていない。居るはずだ』
天井に防犯カメラがある。犯人は既に結城の侵入に気づいているはずだ。結城はひとつ深呼吸してから部屋の奥に向かって声を張り上げた。
「警視部公安十課の結城だ」
やはり物音がしない。結城が玄関から伸びる細い廊下に歩を進める。左手にトイレと風呂場。右手にキッチン、廊下は奥のリビングへと続く。リビングと隣り合わせにもうひとつ部屋があった。中を覗くとベッドの上にヒトが横たわっている。銃を向け慎重に近づく。動く気配が無い。首筋に手を当てると生命の鼓動は既に絶えていた。外傷は無く、自殺か病死か現段階では判らない。銃を仕舞い、あらためて部屋を見渡すとベッド脇の机の上に端末が置いてある。端末が投影する小さなスクリーンには文字が浮かんでいた。
史記、刺客列伝、荊軻の歌。なぜこのような歌が? ちょっと待て……死んでいるのにポートの信号が出ているのは妙だ。端末のスクリーンに触れると文字が消え、別の文字が現れた。
結城、お前も道連れだ
罠か! そう思った瞬間、結城の視界に青い閃光が走り同時に闇に包まれた。
数日後、結城は前田とともに瓦礫と化したマンションの前に立っていた。事件は被疑者死亡のまま書類送検され、一連の自爆事件は世の中に不満を持つ浮遊層が引き起こした犯行だと警察省は発表した。ヒトガタが介在したことには一切触れていない。一方、TONYのヒトガタ暴走事件は自爆事件とは切り離され、システム設計の単純なミスが原因であり二度と暴走することはないという声明を出して幕を引こうとしていた。だが、度重なるテロにより政府はこれまで等閑にしてきた浮遊層の問題に目を向けざるをえなくなるだろう。
「課長から聞いたんですけど、コード404は再検討するらしいですよ? 結城さんが下ろし立てのダミーをお釈迦にしちゃったもんだから総務がかんかんに怒って息巻いてるそうです。いくら係ったと思っているんだって」
「知るか。犯人は罠を仕掛けて俺を誘き出し殺そうとした。今回のように刑事個人が狙われるケースもある。刑事のヒトガタを用意し危険を伴う任務に当たる流れは変えられない」
「そりゃそうですけどね。さ、そろそろ戻りましょうよ。今日は冷えます」
「あぁ」
平年より少し早い初雪がゆらゆらと舞っている。
「風蕭蕭として易水寒し……壮士ひとたび去りてまた還らず……」
吐いた言葉がそのまま白い霧となって消えていく。壮士を気取った犯人の身元は未だに特定できていない。浮遊層には違いなかったのだろうが、そいつはどのような人生を歩んできたのだろう。今後も似たような奴が現れ事件を起こすのだろうか。きっと起こすに違いない。考えるほどに気が滅入ってくる。
時折、変則的に吹く強い風が結城の耳を擦過していく。もの悲しく侘びしいその音に結城は目を閉じ、しばらく聴き入った。
瞑目から覚めると日は既に翳り、気温が更に下がったようだ。結城は凍てつくような風の冷たさに思わずコートの襟を立てた。
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