自分の価値
美容師の男と連絡先を交換すると、男は何度も頭を下げながら自分の店に帰っていった。休憩時間が終わるらしい。カットモデルは明後日の閉店後に務めることで話がついた。
仕事前だというのにいつになく浮かれた気分で客との待ち合わせ場所に向かった。裏通りのいつものコンビニ。
「やぁ、ごめん。帰りがけに同僚に捕まっちゃって」
雑誌を立ち読みしていると客が手を振り駆け寄ってきた。冴えない、どこにでもいるサラリーマン。
聞いてないし。どうでもいいよ、そんなこと。言いたくなるのをぐっとこらえる。
「ううん、私もさっき来たとこだから」
手を繋いでコンビニを出て、その足で三軒隣のホテルに入る。馴染みの客の馴染みのホテル。
部屋に入った途端、後ろからきつく抱きすくめられた。
「みぃちゃん、久しぶりだね」
「そうだね」
ちゃんと笑顔を浮かべられているだろうか。
興奮状態の男が服の上から体をまさぐってくる。
「ねぇねぇ、先にオフロ入ろ?」
客の機嫌を損ねず自分のペースに持って行きたい。男からそっと距離をとった。
「あ、そ、そうだよね。ごめんごめん」
そして今のうちに告げなければ。
「ね、悪いんだけど前金、いいかな?」
客が動くたびに汗が自分の体に滴ってくる。気持ち悪い。と言っても私の方は服を着たままだ。客の希望で持参したセーラー服。捲り上げられたスカートに汗が落ち、水玉模様のシミができていく。明日朝一番でクリーニングに出さねば。
だんだんと客の動きと息遣いが荒くなっていくが、こちらはすっかりシラけきっていた。とはいえあまり邪険にもできないので時折お愛想で甘い声を上げてやる。あと数分耐えれば終わるだろう。この客は『その瞬間』が近づくとオットセイのように鳴くのでわかりやすい。
やがて一際大きな『鳴き声』を上げると、客は動きを止めた。
早くどいてほしい。
そんな思いに反して、客は私に覆い被さって息が整うのを待っている。
「ハァ……ハァ…、みぃちゃん…」
あれだけ汗をかいていたのに、客の体はヒンヤリと冷たい。ロボットを相手にしていたようで気味が悪い。
数分後、ようやく客が体を離した。さっさと後始末を済ませると、セーラー服から私服に着替えた。男はベッドに寝そべったままそれをじっと眺めていた。帰り際にベッドの側に立ち、笑顔で小さく手を振った。別れ際のサービスだ。
「じゃあ、またね」
「みぃちゃんさ、セーラー服着るんならもうちょっと肌の調子整えた方がいいよ。正直JKって言うには無理があったし。ま、顔は可愛いし次もよろしくね」
そう言って客はベッドサイドのタバコに手を伸ばし、こちらのことはもう見ようともしなかった。
ホテルから出て駅に向かっていたが、一向に怒りは収まらなかった。
アンタが頼むから着てやったのに!ふざけんな!
ただ、心の隅では気付いていた。
昨日の徹夜が響いていること。もう簡単に徹夜に耐えられる年ではなくなってきたこと。若さは取り戻せないこと。
わかってはいたが思い知らされたくなかった。
ましてやあんなオットセイ男に。
若くなくなってゆく自分に価値はあるのか。美しさは何歳まで維持できるのか。避けてきた考えが頭をよぎる。
イヤだ。私はいつまでも若く美しくあらねば。そうでないと愛されないのだから。
そのためにはもっと自分を磨かないと。
鞄の奥からスマホを取り出した。
新しく届いていたメッセージに返信する。
『今日これからならOKだよ〜(≧∇≦)いつものとこで待ち合わせね〜(๑˃̵ᴗ˂̵)』
砂糖とスパイス なっち @nacchi22
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