子犬との再会

昨夜必死で書いたレポートを担当教授へ提出すると、その足で食堂へと向かった。

その間もカバンの中ではひっきりなしにスマホが震えている。

『大学のカフェテリアにいるからおいでよ!』

『今どこ?お昼からカラオケに行かない?』

仲が良いと友人やコンパで知り合った男の子からだ。


うざ。

言葉はもちろん顔にも出さないが、心の中では見下している者たち。

はっきり言って私は顔がいい。元々生まれつき目鼻立ちは良かったが、10年以上に渡って刷り込まれた祖母の言葉も少なからず影響を及ぼしているに違いない。

スキンケア、ファッション、仕草、言葉遣い、その他諸々。常に色んなことに気を使って生きている。自分の価値を高めれば、その分価値の高い男を捕まえられるのだ。

『あんた達と一緒にしないで』

一緒に出かけたり同じ授業を受けて談笑したりはするけれど、自分と『彼ら』には明確に差があると思っている。


おしゃれなものにしか興味のない『友人たち』が来ることのない、キャンパスの端にある小さな古い食堂はお気に入りの場所だった。穴場になっているため昼の時間でも空席が多い。その内の一つに腰を落ち着けると、溜まったメッセージ一つ一つに返信をすることにした。

『ごめ〜ん(´・ω・`)レポート提出まだだから行けそうにない〜』

『風邪ひいちゃって喉が痛いの(>_<)でもカラオケ行きたい!来週行こうよ』

大学生活を円滑に過ごすために、友人の存在は欠かせない。付かず離れず。そんな微妙な距離をこの三年維持してきた。


軽い昼食を済ませると、カバンの底からもう一台のスマホを取り出す。

メッセージは7件。

一通り目を通して、最後のメッセージに返信をする。

『いいですよ〜(≧∇≦)6時にこないだと同じ待ち合わせ場所に行きますね!オプションも了解です♪楽しみにしててね〜(๑˃̵ᴗ˂̵)』

前回会った時は態度が紳士的でおまけにチップもくれた男だ。ひょろっと痩せていて体温が低いのが欠点だが、それ以外は申し分のない『客』だった。

『バイト』が入ったしレポートの提出も済んだので今日はもう大学には用はない。校門を抜け駅へ向かって歩いていると、見覚えのある背中が見えた。


2年前、私が好きだった男だ。


特にカッコいいわけでもお金を持っているわけでもなかったが、人懐っこそうな笑顔と真面目な性格に惹かれた。大事にしてくれそう、本能的にそう感じ取っていたのかもしれない。だが男は私ではなく別の女を選んだ。美しい女だが、私を上回る程ではなかったはずなのに。

今でも当時のことを思い出すと胸が痛む。


どうしてあんな平凡な男を好きになってしまったのか。優しいだけで私よりも格下の男を。


男との距離が開き、ついに背中が見えなくなるとホッとした。あの恋は大学生活最大の汚点だ。

電車に揺られ、昨日の『バイト』帰りに立ち寄った靴屋を目指した。ステキなブーツに目をつけていたのだ。10センチのヒールは背が低めの私にはちょうどいい。自分を可愛く見せ、なおかつ男と肩が並ばない程度の高さ。自分の見せ方は心得ている。


靴屋の前に男が立っていた。昨日声をかけられた美容師だ。向こうもこちらに気付いたようで、ゆっくりと向かってくる。

「カットモデルに興味ありませんか」

私を覚えていない?

昨日と同じ仏頂面で昨日と同じ質問を繰り返す男に少し腹が立った。

ほんの一日前に会った人間の顔を覚えていないだなんて美容師失格なのではないか。十人並みの容姿ならともかく

「昨日も声掛けられたんですけど、覚えてないですか?」

わざとらしいくらいのにこやかな表情を作り、男の顔を覗き込んだ。

さすがに気まずかったのか、少し狼狽した様子を見せたがやはり笑顔を見せる素振りはない。男の右耳のピアスに繋がったチェーンが小さく揺れていた。

「すみません、昨日も多くの方に声を掛けたので…」

そう言って去ろうとする男の手首をそっと掴んだ。意外と細い。

「いいよ、カットモデル。やっても」


男がようやく笑顔を見せた。

口の左端がかすかに上がった、はにかんだような笑顔。

「ありがとう」


私はこの笑顔を見るためにカットモデルを引き受けたのかもしれない。

だが誓って好きにはならない。

きっと……たぶん。

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