第33話 密談

「……王子」


 夜の闇の中から声が響く。僕は横になっていたベッドから上半身を起こし、声の主を出迎えた。

「やあ、ナディア。今回はごめんね。余計な手間をかけさせた」

「いえ。こちらこそすみません。まさか王子が、スヴェンたちに事情を話していないとは思わなかったもので。墓地で姿を現すべきではなかったんですね」

「ああ、まあ仕方ない。ナディアは十分以上に役に立ってくれたよ。言ってなかった僕も悪いしね」


 闇から溶け出すように、黒が人の形を纏った。ここは僕の私室。警備が厳重な王城においても、彼女は神出鬼没だ。こうした類の能力は、おそらくスヴェンやクリスよりも、彼女の方に軍配があがる。


 ナディアは懐から王家の魔石を取り出し、僕に返した。

「ナサニエル様の魔石、忘れないうちに返しておきます」

「うん。ダミーと入れ替えるのは苦労したけど、念のため取っておいて良かったよ」


 僕は兄上の魔石を受け取ると、ベッドの脇にかけてあったブランケットを肩にかけた。ナディアに椅子を勧めたが、彼女は首を横に振った。

「いえ、結構です。すぐ出ますので」

「そう? まあ君がそう言うならいいけれど。

 それにしても、お手柄だったね。ナディアの神聖術がなければ、墓地を脱出するのにはもっとずっと手間取っただろう」


 僕にゾンビをけしかけた黒幕も、まさかこれほどあっさりと脱出されるとは思っていなかったはずだ。斬れば魔素に犯される。斬らなければゾンビに殺される。使い古された手段とはいえ、あの状況を作り出すのはそれなり以上に骨が折れる行為だったろう。なかなかに手の込んだ計画だ。まあナディアの存在で、一気に難易度下がったけど。


 僕の言葉にナディアは頭を下げたが、あまり納得はしていないみたいだった。

「スヴェンがいました。あたしがいなくても、何とかしたでしょう。

 それで、今回の吸魔の石ですが、やはり人為的に持ち込まれたものでした」

「やっぱりね。入手ルートは追える?」

「少し時間はかかりそうですが、追えます」


「黒幕の正体については……」

「まだ確定ではありませんが、おそらく、王子の予想通りかと。……いったいどうやって、犯人絞ったんです?」それからナディアは少し迷って、付け足した。「あの、王子」

「何かな」

「どうして、スヴェンに本当のことを教えないのですか?

 本当は……吸魔の石が王子を殺すために、何者かによって持ち込まれたと」


 彼女の疑問は、想定内だった。

 スヴェンを雇った時、当然彼の過去についても調べた。当時、すでに僕のために働いてもらっていたナディアと同郷であることも、親交があったことも。

 ナディアにとって、スヴェンは信頼に値する人物だ。もちろん僕も、スヴェンのことは信頼している。


「スヴェンはあれでいて、結構頼りになりますよ。まあ多少、やや、かなり、融通の利かない頑固者だったりしますが、馬鹿力は使えます。誠意もあります。少なくとも、彼が裏切ることはあり得ません。

 あんな無理矢理な嘘をついて怒らせなくても、協力して貰えば良かったのでは?」

 拗ねたような彼女の言い分に、僕は少し笑ってしまった。

「良心が痛んだ?」

「そんな大層なもの、あたしには残ってませんよ。初めての殺しの時に、捨てました。でも……ちょっと申し訳ないなって、そのくらいは思いました。

 彼は一応、あたしにとって、手のかかる弟みたいなものなので」


「僕だって、スヴェンを信頼していないわけじゃないよ。でも彼は立場上、黒幕と接する機会も多い。彼は感情を隠すのはうまいけれど、向こうだってプロだ。些細な視線の動きや癖で、見抜かれるかもしれない」

 全て分かった上での行動なのだ。そう説明すると、ナディアもしぶしぶ頷いた。


 でも確かに今回はちょっと可哀相だったな。幼なじみと主人の間で板挟みに合って、まさかあの彼が不正に走るほど悩むとは。

「でもね、ナディア。スヴェンにも話したけれど、このくらいのことは、王族にとっては日常茶飯事だよ。……兄上が謀殺されたようにね」

「王子!」


 ナディアが小声で叱咤する。スヴェンと同じで、彼女も僕に対して怒りを示す数少ない人物だ。


「誰も聞いてないよ。僕が保証する」

「王子の能力が高いのは知ってますよ。でも、その油断がいつか王子を殺すかもしれない。

 王子はあたしたちを買ってくれますけど、王子も、それからあたしたちも、最強でもなければ無敵でもない。王子の知らない技術で盗聴されていないと、どうして言い切れますか」

「……悪かったよ」

 両手を腰に当て、彼女は僕を見下ろしていた。僕が謝ると、満足げに頷いた。


「それで、あたしは引き続き黒幕を追えばいいですか?」

「いや、入手ルートだけ追ってくれ。黒幕の方はこっちでどうにかする。

 ナディアはそれより、兄上の件を頼むよ。これは本当に、慎重にね」

 もともとナディアは、こっちの案件を頼みたくて雇ったのだ。だがこちらに関しての進捗は芳しくないらしい。彼女は華奢な肩をさらに小さく落とした。


「ごめんなさい。そっちはまだ、あまり」

 僕もそれは知っていたから、特に落胆することはなかった。くどいようかもしれないが、再度念押しする。

「難しいことを頼んでるのは、わかってる。必要なものがあれば、なんだって用意するし、邪魔なものがあるなら、全て排除するよ。だから、くれぐれも頼む」

「わかっています」

 そう言って踵を返そうとするナディアを、僕は呼び止めた。

「待って」


 僕はベッド脇のサイドテーブルの引き出しから、小さな袋を取り出して、ナディアに手渡した。首をかしげたナディアが袋をひっくり返すと、剣ダコだらけの手のひらに、錠剤がこぼれ落ちた。


「液体は保存も面倒だし、嵩張るから大変だろう? こっちの方がいいと思って、作ったんだ。配合も少し変えた。これまで使っていた薬は、廃棄して構わない。もし体調に変化があれば、すぐに知らせてくれ。

 いいか、ナディア。一日一錠だ。わかったね。それ以上飲んだら死ぬよ」

「……ありがとうございます。本当に、なんとお礼を言ったらいいか」

「元々僕のせいでそうなったんだ。むしろ謝るべきはこっちの方なんだから、気にしないでくれ」


 ナディアは懐に薬をしまうと、気丈にも微笑んでみせた。

「王子、あたし、必ず役に立ってみせますから」

 その言葉を最後に、ナディアの姿が消えた。気配を探って、もう彼女がこの部屋にはいないことを確信した。僕はベッドから降りて、開いたままの窓に手をかけた。月の入りが近いのだろう、死神の鎌のように鋭い月が、赤く染まっている。


「兄上……」

 僕のつぶやきは、誰に聞かれることもなく夜風に掻き消えた。部屋に飾ってあるヒメサユリの一輪挿しが、柔らかな風にふわりとなびいた。

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従者の憂鬱 〜もしも勇者がいるのなら、頼むからうちの馬鹿王子を討伐してくれないだろうか〜 佐倉 杏 @an_s

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