第32話 悪魔たち

「あいつ……!」

 クリスがちょっと嗄れた声で呟く。王子をかばうように、半歩前に出た。

 黒フードはこちらに気づくと、これ見よがしに手の中のオーブを光らせた。

「……吸魔の石か」

「ご名答」

 スヴェンの言葉に、黒フードが答える。意図して声を落としたような、低い声色だった。


「魔素をたっぷり吸わせた吸魔の石を墓地に持ち込み、あとは勝手にアンデッドやゴーレムが発生するのを待つ、か。楽な仕事しやがって」

「楽……? どうかな、誰にも気付かず王家の管理地に侵入するのは、それなりに骨が折れる行為だと思うけど」

 黒フードは小さく首をかしげた。大変だった、とでも言いたいのだろうか。

 その時、クリスが口を挟んだ。切羽詰った様子だ。

「隊長! ゾンビが来ますっ」

 スヴェンが慌てて入り口を見やる。あの大群が押し寄せてきたら、クリス一人で守りきるには少々荷が重い。


「大丈夫」

 答えたのは黒フードだった。黒フードは口の中で祝詞を呟く。すると、出入り口に聖なる結界が現れた。魔素を弾く結界。ゾンビたちは体内に凄まじい量の魔素が巡らされている。ゾンビは結界に触れるや否や、浄化されて消えていく。

 さすが聖騎士様だ。神聖術はお手の物、ということか。


「なっ! 神聖術を使えるのか!」

 黒フードの正体を知らないクリスが驚いて目を見張った。しまった。神聖術を使える人間はごく僅かだ。これが原因でナディアの正体がばれたりしないだろうな。


「おい、お前一体何者だ」

 クリスが至極真っ当で、しかし余計なことを聞く。くっそ、こんな時に限ってやる気なんか出しやがって。

「…………」

 黒フードは答えない。内心でホッと胸をなでおろすスヴェンだったが、黒フードは己の顔を隠しているフードに手をかける。おいやめろ馬鹿!


「クリス危ないっ!」

 スヴェンは叫んで、クリスに斬りかかった。一応峰打ちにしておいたけれど、常人離れした反射神経のクリスはやすやすと躱す。

「た、隊長っ!?」

「いや、すまん。ゾンビがな、結界を乗り越えてお前に向かっているように見えたんだ」

「ほ、本当に?」

「本当だとも」

「この際だから王子と一緒に始末しようとか考えてません?」

 さっき、ちょっとだけ考えました。

「はっはっは。そんなわけないだろう」


 ちらとナディアの方を見る。あっけにとられている様子ではあったが、フードから手を外してはいない。

「よ、よくわからないけど……」

 口を開くナディア。もう声を作ってもいない。完全に女の声だ。その手が動き、フードをめくろうとする。だからなんでお前は正体をバラそうとするんだ!


「うおおおおおおおっ!」

 スヴェンは全力で剣を投げた。その剣の後を追って、飛ぶようにナディアに接近する。


「うわぁっ、ちょっ! 待って! スヴェンっ」

「俺の名を呼ぶな! お前なんか知らん! 誰だ貴様っ」


 素手のまま、スヴェンとナディアは戦った。組手なら、腕力で勝るスヴェンに分がある。懐に伸びかけたナディアの手を絡め取る。この状況で武器を取らせてしまえば、スヴェンはナディアに勝てない。

 両手を拘束すると、ナディアは諦めたかのように見えた。しかし彼女はスヴェンの油断をつき、靴に仕込んだ針をこっちに飛ばしてくる。思わずナディアの拘束を解いてしまうと、彼女はくるりと回転してスヴェンから距離をとった。すでに手には双刀が握られている。同じ手はもう使えない。


 しかもその際に、彼女のフードが外れた。顔が露わになる。長い茶髪がフードから零れ出た。

「……ナディア」

 黒フードの正体は、紛れもなくナディアだった。スヴェンのつぶやきに、クリスが責めるような視線を向けてくる。

「隊長、お知り合いですか」

「……ああ」


 もう、しらばっくれても無駄だ。クリスは意外と記憶力がいい。ナディアの顔も記憶しただろう。スヴェンは覚悟を決めた。


「クリス、俺はこれから少し法に触れる。お前は何も見てない。いいな」

「……隊長がいいなら、いいですけど」


 働かない副隊長は不真面目だから、買収がきく。後は王子だが、ナディアを捕らえた後でなら、死ぬほど嫌味は言われるだろうが、おそらく便宜を図ってもらえるだろう。そういう意味では、本来最も頭が硬く、懐柔しにくいのはスヴェンなのだ。

 自分が規則を率先して破っているという事実に、胃がキリキリする。でも傷害罪とか器物損壊罪とかに抵触してる時は、全く気にならないのはなぜだろう。


 スヴェンは大きく息を吸った。

「ナディア! お前が神の裁きの命令で王子の命を奪おうとしていることは理解している! だが、王子を殺させるわけにはいかない」そこでスヴェンは大きく息を吸い、力一杯叫んだ。「王子を殺したければ、俺を殺してからにしろ!」

 ナディアの双刀から王子を守るのは、スヴェンの実力を持ってしても、極めて困難だ。ならばスヴェン本人を狙ってもらった方が、随分と戦いやすい。


 ナディアは凶悪な貫通力を秘めた双刀を構えもせずに、手の中でくるくると回している。そして、きょとんっと首をかしげた。

「王子の命? え? 何のこと? それに、神の裁きはとっくに辞めたけど」

 …………。

「えっ」

「えっ」




※しばらくお待ちください




「いやいやいやいや。おかしいだろ。神の裁きってそんなに簡単に辞められるもんじゃねえだろ」

「おかしいのはそっちでしょ。どこのブラック企業の話よ。いい? オルトバーネス国民にはね、等しく職業選択の自由が与えられているの。辞められないとか、それ法律違反だから」

「裏切り者には死を的な」

「物語の読みすぎじゃないの? もうマフィアじゃんそれ」

「神の裁きなんか一歩間違えたら犯罪者集団だろうが」

「失礼ね。そりゃあお仕事で暗殺の任務が来ることもあるわよ? けどね。国ぐるみで、暗黙でおっけーってことになってるのよ。だって、必要悪ってあるじゃない。誰かが汚れ役やらなきゃいけないんだから」


 ナサニエル王子の墓前にて、アンデッドらに囲まれながらスヴェンとナディアが議論していた。右を向けばゾンビ。左を向けば座り込んで怒鳴り合うスヴェンたち。そんな状況を背景に、王子は静かに兄に祈りを捧げている。本当に図太い肝だ。


「分かった。いや事情とか諸々は全くわからんが、今はとにかく神の裁きにはいないってことは理解した」

「うん」

「で、だ。なんで王子の命を狙った?」


 スヴェンの問いに、ナディアがあからさまに眉をひそめた。

「それよそれ。一番訳わかんないのは。なんであたしが王子の命を狙わなきゃいけないの?」

「吸魔の石持ってたろうが!」

「自然発生する石じゃないの」

「んなピンポイントで起こるかよ。滅多に自然発生なんかしねえのに」

「そんなこと言われても」

「あくまで違うって言い張るのか」

「違うわよ」ナディアが腕を組み、腹立たしげに口を尖らせた。「だって、あたしの今の雇い主は、ディーデリック王子なのよ?」


「……雇い主?」

「ええ。昨晩はその報告をしようと、王子の部屋に忍び込んだら、こわーい顔したスヴェンが斬りかかってくるんだもの。驚いちゃった」

「何を依頼されてるんだ?」


 低い声で問うと、ナディアは唇に人差し指を当て、「しー」と言った。年齢考えろ。


「ひ・み・つ」

「お前なあ!」

 スヴェンの一喝にも、付き合いの長いナディアはびくともしない。

「どうしても聞きたいなら王子に聞いてよ。守秘義務があるの! そのくらいわかるでしょ」


 スヴェンとナディアの視線が王子に向く。王子はやれやれと肩を落として、ナサニエル王子の墓前から歩いてくる。王子がナディアの側に屈み込んだ。そして掌を衝立にして、こっそり囁いた。


「なんか適当に嘘ついて。

 観光名所の下調べさせてるなんて知れたら、スヴェンが超怒るから」

「嘘って……どんな?」

「そうだなあ。あ、そうだ!

 実は僕の命を狙う奴らがいて、ナディアはそれを秘密裏に調べてる! これでいこう」


 会話が終わると、ナディアはとても真剣で深刻そうな表情を作った。眉間に皺が寄っている。普段なら皺が残るといって決してやらないのに。


「……スヴェン。驚くかもしれないけど、静かに聞いて。

 実は王子は何者かに命を狙われているの。私はその犯人を、探しているのよ」

 隣で王子が、全く同じ表情で頷いている。

 スヴェンも同様の表情のまま、頭を抱えた。

「ほう、なるほどな。

 で、ちょっと聞きたいんだが、お前らは俺をおちょくってんだよな? これ怒っていいよな。特にナディア覚えてろよ」


 馬鹿王子とナディアは「きゃー怒った」と声を揃えてケラケラ笑っている。王子は無理だけどナディアは後で殴ろう。

 笑いすぎで目尻に滲んだ涙をぬぐいながら、ナディアはスヴェンに穏やかな笑顔を向けた。


「まあまあスヴェン落ちついて。結果的には良かったじゃないの。王子を狙う奴がいなくて。もしいたら、スヴェンのお仕事はもっとずっと大変になったでしょう?

 ……それにね、あたし安心したのよ」

「安心だぁ?」

「うん。だってさ、王子の評判って、あんまり良くないじゃない」


 その通りだけれど、王子の目の前で言う? それ。

 言葉を返せないスヴェンを無視して、ナディアは続けた。


「その王子とも、スヴェンは仲良くやれてるんだなって」

「……仲良く、ねえ」


 渋い顔で呟いた。これが仲良く見えるなら、ナディアは眼科か精神科にかかったほうがいい。


 納得できないでいるスヴェンに、これまでずっと黙っていたクリスが最高潮のニヤニヤ笑いを浮かべて立ち上がった。そして叫ぶ。

「王子を殺したければ、俺を殺してからにしろ!」

「んなっ!」

 それに同調して、ナディアも立ち上がった。

「俺を殺してからにしろ!」


 クリスは思いっきり吹き出しながら、腹を抱えて言った。隠そうという努力の跡さえない。

「いやあ、隊長ほんとかっこ良かったです。うぷぷっ。あんなセリフ、生で聴ける日が来るとは思っていませんでした」

「あっははははは! そうよねえ。ちょっと録音したかったわ」

「モテる男はつらいなぁ。まあ確かに僕は美人だけど、スヴェンがそんな風に思ってたなんて」


 両手を全く赤らんでいない頰に当て、くねくねと動く王子。気持ち悪い王子の動きが不意に止まった。その視線の先には、明確な殺意を湛えたスヴェンの瞳。


「黙れ」


 その言葉に三人が従ったのは一瞬だった。次の瞬間には、墓地には似つかわしくない大爆笑が響き渡る。対照的にスヴェンは泣き出したくなった。


 ……俺、今回は本気で悩んだんだけどなあ。


 スヴェンの心の声を、王子も誰も、読んではくれなかったらしい。


「さあスヴェン! ゾンビ退治しましょう。大丈夫、あたしが武器に祝福かけてあげるから、魔素を吐き出させずにゾンビどもを殺せるはずよ。あたしがいて良かったね!」

「……そうだな」

 人の気も知らないで、ナディアが生き生きとした表情で剣に神聖術をかけていた。

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