NPCは愛を語れるのか

狗島 いつき

#1 終わりと始まり

「早く! こっちだ!」


 ダンジョンの崩壊が始まって、すでに10分が経過した。魔王が仕掛けた最後の悪あがきだろう。それがこれほどのものとは――。

 それなのに、手を引いて半身後ろを来る彼女は浮かない様子だった。


「ねえ、マサル」

「今は逃げることだけ考えろ! 走れ!」


 前を行く俺は、振り返らずに叫んだ。

 彼女を失うわけにいかない。もう、後悔はしないと誓ったんだ。


「あのね、マサル。聞いて、私はね」

「やめろっ! 俺は絶対に離さないからなっ!」


 子供を諭す母のような口ぶりに、俺は強引に手を引いた。もう出口が見えてるじゃないか、君と二人なら――。


「宝玉って、魔王を倒さないとダメなんだよね?」

「だからどうした。今は……」


 するりと彼女の手がほどけた。咄嗟に掴み返そうする俺の手を、彼女は体をひるがえして避けた。


「なんで!?」

「私が倒してくる。ごめんね、マサル」


 彼女は微笑んでいた。背後から砂埃が迫って来る。

 やめろ、君一人じゃ無理だ、と大声で連呼するも、崩落し始めた瓦礫の爆音でかき消された。


 必死に手を伸ばした。

 1センチ先を、冷たい岩がかすめて落ちた。



            §



 はっとして、目が覚めた。

 頭に取り付けたVRゴーグルのノイズ。焦点の定まらない視線。

 重なりあう目の前の景色は、二重にも三重にも見えた。まるで深い朝霧の中を、彷徨っているようだ。


 首筋に伝う冷たい汗を手で拭い、何度か瞬きをしている間に視界が晴れた。

 そこは、いつか見た映画祭のレッドカーペット。一列に行儀よく並べられている黄金の燭台は、3D描写ができる限界まで続いていた。灯る炎は青白く、夜光虫が泳いでいるようだった。

 

 だが、そんな鮮やかな演出も闇の深さにはかなわなかった。

 薄暗い部屋。俺は不意に、思い出す。


 確か、パーティーメンバーと一緒にダンジョン内を詮索している時、トラップか何かに引っかかり、俺は落ちた。その後すぐにスタック――はまって動けなくなった。

 記憶は、そこでぷっつりと切れている。


「寝落ちか」


 口の中で呟きながらVRゴーグルに手を掛け、はずそうとした。


「ようこそ、魔王の玉座へ」


 女性の声。それは、数段下の床でひざまずく骸骨から聞こえた。何処の狩場にでも性懲りもなく湧く低レベルのスケルトン。

 持ち上げたVRゴーグルをゆっくり戻すと、俺はここが知らない場所だとその時になって初めて気づいた。


 このゲーム――VRMMORPGをやり始めて、10月でちょうど半年。

 知らない場所が色々あって当然。しかし、魔王の玉座と言えば一つしかない。


 ラスボスと呼ばれる魔王。それは、最強にして最高レベルのモンスター。

 いまだ倒した者が居ないとされるなか、俺が『魔王の玉座』に――。


 ぽつりと呟いた俺に、たぶんNPCだろうスケルトンが面を上げた。

 完全AI搭載型のMMOなだけに、しっかり出来ている。

 だから俺は飽きもせず、一人でやってこれた――。


「はい。ここは『魔王の玉座』と呼ばれる空間です。貴方はこれから魔王となって、プレイヤーたちと闘ってもらいます」


 窪んだ眼窩がんかの奥を鈍く光らせたスケルトンが言う。

 最初、何を言っているのか分からなかった。しかも、俺はこのスケルトンに違和感を覚えた。すると、ふとある噂話が脳裏を過った。


「魔王の圧倒的強さは、AIの行動パターンから抽出されものじゃなく、直接人が操作している」


「通常湧きするモンスターたちもAIなんて嘘っぱち、単純な行動しかしない」


「AI搭載なんて最初から嘘。だってNPCは毎回同じことしか言わない」


 そんなまことしやかな噂を、ネット記事で見た気がする。

 俺自身で感じた、違和感と噂の真相を見極めるべく、スケルトンを凝視した。


「どうかしましたか? ジッと見つめられて。私の顔に何か付いてます?」

「え、ええー!? やっぱりあの噂は本当だったんだ……AIがまさかね」

「んん? 噂ってなんですか?」


 やっぱりそうだ。君は人間だろう!

 そうじゃなきゃ、あまりにも自然過ぎる――。


「まあいいでしょ。何の噂か知りませんが、魔王のパイロットとなってプレイヤーを打ち砕く。それが貴方に与えられた任務です」


 流暢に言葉を重ねるスケルトン。手振り身振りも見事なものだった。

 感心を寄せる俺の頭上から、突然響いてきたパイプオルガンの音色。


「さあ、始まります」


 スケルトンの透き通る声に、巨大扉が音もなく開き始めた。

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