第13話
ボーコーダーのかかったボーカルのメロディーラインが近未来的な映像を想起させるようなダンスミュージックが鳴り響くフロアでは、人々が熱気を纏いながら踊り狂う。アンジーは身体の芯に響く重低音に合わせて右手を掲げながら、ぐんぐんと人混みを掻き分けて進む。ふとその歩みが止まった。前を見ると、東欧ソーセージの男がアンジーの方を振り向き、アンジーは頷いた。
「どうしたの?」
ワタシは手を離したアンジーの耳元に顔を寄せて尋ねた。
「ミカ、モウダイジョウブダ」
「え? 何が?」
東欧ソーセージの男が人混みの中で老人を捕らえた様子が遠目に見えた。アンジーが人混みを掻き分け、デニム地のホットパンツの臀部から拳銃のようなものを引き抜いてもみ合っているように見えた二人のもとに向かった。音楽がまるで映画のサウンドトラックのようにドラマティックに響き、フロアの情景がスローモーションに見えた。ワタシは慌ててアンジーの後を追った。
「……夢物語渡航法違反、時空維持法違反で現行犯逮捕する」
何やら聞き覚えのない日本語を毅然と話していた、東欧ソーセージの男を見てワタシは「日本語話せるじゃん」と思いながら、男が羽交い締めにしていた老人を見た……土方さんだった。
「え? 土方さんが何で……」
土方さんは白髪を振り乱し、黒縁眼鏡が外れたその下の瞳は悪魔にでも憑かれたように血走っていてまるで別人だった。
「ぐわぁーーーー!」
土方さんは獣のような彷徨を上げた。アンジーが銃口を土方さんに向け、遊底を引き、撃鉄を起こした。
「無駄な抵抗は止めろ。もう逃げきれない。こっちはもう一つの世界でもお前の身柄を拘束している」
「あ? フハハハハハ。じゃあ、その女はどうするんだ? あいつがやっていることも一緒のようなものだろう」
土方さんはワタシを見ながらそう言った。え? 何? どういうこと?
「彼女はお前を捕まえるために使わせてもらったオトリだ。志願したんだ、今回の任務に……彼女の願いを一つ叶えるのを条件にして」
「ちっ、そういうことか……相変わらず狡猾だな、時空警察ってやつも」
「時空警察の管轄じゃないよ、この次元は。お前も次元を飛び回りすぎて、今どの次元にいるのか判別できなくなったんじゃないか? 我々は宇宙検閲官だ」
何なにナニ? 時空警察? 宇宙検閲官? オトリ? どうなってるの?
*
「……龍口研新?」
「はい。ワタシと別れた夫との子です。あまり良い別れ方をしなかったので、最後に伝えておきたいことがあるんです」
「しかし、我々は現世の人間と直接コンタクトはとれない。それは時空維持法で禁じられている。それに我々は任務上の守秘義務もあるし、前世の姿は使えないぞ」
「分かっています。夢の中でコンタクトが取れれば、何とかします」
「それは一般人を危険に巻き込むことになる、いくら肉親とは言え……」
「お願いです! あの子には必要な試練になるはずです。今のままでは遅かれ早かれ、あの子は彼自身の人生を諦めてしまうと思うんです」
「……分かった。しかし、この任務の記憶は全て抹消して君を送り込む。捜査員の監視も常に行う。こちらが危険だと判断した場合は強制的に捜査を打ち切る。いいか?」
「構いません」
パンッ!
閃光とともに土方さんのこめかみに穴が開き、黒い血が滴り落ちた。瞳孔の広がった目は天井を向いたまま動かず、東欧ソーセージの男が腕を解くと肉魂と化した土方さんの身体がフロアの上にドサリという音を残して崩れ落ちた。
「あんたは……」
僕が鋸の老人に話しかけようとする傍らを、素早い動きの影が抜けて、田中さんが鋸を持った方の腕に飛び掛かり、腕ひしぎ十字で固めた。
「やっと本性を現したな」
温厚な田中さんが別人のような口調で、鋸の老人の腕をそのままへし折りそうな勢いで締め上げていた。老人はズレた黒縁眼鏡の奥の瞳を充血させ、泡を吹いて気絶した。
「田中さん、あんた何者なんだ?」
警察車両に土方という老人が乗せられるのを見届け、救急車両で治療を受ける森実可を待つ間、僕は突然起こった映画のような出来事に混乱していた。
「しがない司書ですよ」
田中さんはにこやかに答えた。救急救命士が救急車から降りて、僕と田中さんのもとへ駆け寄った。
「ご親族の方ですか?」
「いえ。僕たちはただ現場に居合わせただけです。どうですか?」
「命に別状はありません。傷も軽症です。ただ、心理的ダメージがありますので、しばらく心療内科に通って頂くことになると思います。ご親族の連絡先はご存知ですか?」
「はい。私が知っています」
田中さんがそう言って、救命士とその場を離れた。
僕は救急車の方に向かった。白い救急車の後方のドアは空いていて、中のストレッチャーの上に茶色の毛布に包まれた森実可が寝そべっていた。僕は付き添っている女性の救命士に会釈をした。森実可が顔を持ち上げ、僕の方を見て微笑んだ。今まで見たことのないような大人びた表情で、菩薩のような柔和なオーラに僕はたじろいだ。森実可が救命士に何かを言い、救命士が僕を呼んだ。
僕は救急車に乗り込み、森実可の隣に座った。
「大丈夫か?」
「うん」
「少し、夢を見ていたの」
「どんな?」
「母親になる夢」
僕は先ほどの大人びた表情を思い出して微笑んだ。
「嫁に行けないなんて言ったが、訂正しよう。君は立派な母親になるよ」
「うん。ありがとう。ワタシも立派な息子を持てると思う」
「娘かもしれない……」
「ワタシ、あなたが建築した図書館も美術館もとても好きなの。あなたはこの世界が夢で、あなたは現実には実務的な業務に追われて、依頼されたものに忠実にただ何となく設計してると思っているかもしれないけど、違うの。あなたは子どもたちがたくさんのファンタジーとドラマと、理性から感情を解放する作品に触れ合う施設を造ることが出来るし、あなたもそれを望んでいるはずよ」
「……何だよ? 急に大人みたいなこと言って。ビックリするだろ」
「あなたはこれが夢だとしか思えないかもしれないけど、ずっと忘れないでください」
「おいおい、死ぬみたいなこと言うなよ(笑)。命に別状はないってよ。寿司と焼き肉と天ぷら食べに行くんだろ?」
「そうだった(笑)。ねえ、〝ネイキッド・シンギュラリティ―〟って知ってる?」
「ネイキッド・シンギュラリティ―? 裸の特異点か。物質密度が無限大になるっていう……」
「そう。出会いは奇跡なの。起きている全ての事象は簡単に証明できないってこと、忘れないでね」
「ああ。正直、今回の事件は僕の今までの人生を全て覆したよ」
鳥のさえずりが聞こえるとともに懐かしい匂いがしたような気がして、僕は目を覚ました。口の中に少ししょっぱい味が広がった。なぜか涙が頬を伝って口の中に入っていた。僕はベッドから起き上がり、ブラインドを上げて日差しを部屋の中に入れた。隣の部屋のLP棚からくるりの『THE WORLD IS MINE』を取り出し、針を落とした。そして、下のキッチンに降りてお湯を沸かした。何故か事故死した母親がキッチンで弁当を作っている姿を思い出した。弁当は冷凍食品の詰め合わせで、僕はうんざりしていた。別れた父親の代わりに働きながら家事までこなすのはやはり大変だったんだろう。最後も将来の話で口喧嘩したまま、母親は通勤中の事故で帰らぬ人となった。今さら、なんでこんな事思い出すのか、よく分からなかった。コーヒーを淹れて、バターを塗ってトースターで焼いたバケットを皿に乗せてリビングで頬張る。コーヒーを啜ると、上の階のプレーヤーから「男の子と女の子」が流れてくるのが聞こえた。母親が僕のCDを借りて聞き込んでいたくらい、お気に入りの曲だった。
小学生くらいの男の子、世界のどこまでも飛んで行けよ ロックンローラーになれよ
欲望を止めるなよ、コンクリートなんかカチ割ってしまえよ カチ割ってしまえよ
岸田繁の胸を切り裂いて引き出したような心の叫びのような歌声が、なぜか僕の頭からいつまでも離れなかった。
〈了〉
ネイキッド・シンギュラリティー 松尾模糊 @mokomatsuo1702
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます