三人キサブロー
奇水
三人キサブロー
一人目のキサブローは、松本喜三郎という。
松本喜三郎は文政八年(1825)熊本井出ノ口町(現・熊本市迎町)に生まれた。
藩絵師・天野良敬のもとで絵を学び、地蔵祭の造り物などで腕を磨いた。仏師の安本善蔵にも弟子入りし、二十歳頃は祭り用の人形製作をしていたという。
後に彼は日本一の生人形の作り手として知られることになる。
生人形とは、文字通りに生きているかのような人形のことである。等身大で、見世物のために造られた。もっとも、当初は異国の様子や伝奇物語の場面を人形で再現するという趣向であった。再現されている「異国」も山海経などの記載を元にして造られた手長人だのというような異形めいたものであって、そこにリアリティはあっても、リアルはない。
後年になるに従って、生人形はその細密の具合を増してゆく。
松本喜三郎の作る生人形は、当初から群を抜いていた。そも彼の作る人形があまりにも生々しく、生きているように見えたから生人形と呼ぶようになったというから、彼こそが生人形の元祖であって、生人形は彼の造ったものだけというべきであったのかもしれない。
ただ、影響を受けた者たちも数々の生人形を作り、見世物で評判を得た。彼もまたまけじと多くの作品を作り出した。生人形と呼ばれるジャンルは、彼によって作られ、彼によって高められ、結果として、彼を最後になくなった。
結局、彼以上の天才がでなかったというのと、やはり明治になってからはそのようないかがわしい「見世物興行」は流行らなくなったということが原因であったろう。
喜三郎は明治になってから人体模型を東校(のちの東大)から依頼を受けて製作している。
それは彼の技術と天才が結実した代物で、現存こそはしていないが「内臓は彼一流の凝り性から、臓器各部を一々嵌め込みの細工とし、それを原色通りにに着採し、皮膚は得意の練胡粉のバラで行き、人体そのままの肌色を出した」と伝える。
そのできばえに感服した松本順は、「百物天真創業工」の賛称を喜三郎に贈り、以後喜三郎は興行ごとにこの称号を振り回したという。
しかし、この物語に彼は直接関わりはしない。
二人目のキサブローは、藤尾きさぶろう、という。
生年生国、共にはっきりとしたことは解らない。
姓名の藤尾というのも住み着いていた藤尾寺からつけた通称と呼ぶべきもので、また、きさぶろうという名にもどういう字が当てられていたのかも不明である。彼自身が自らのことについて述べたことはほとんどなく、また覚書の類も一切残していなかった。
寺にきた時、彼は二十歳頃に見えたが、着流しにまったくの手ぶらで、遠国から旅をしていたとも思えず、ふらふらと散歩の途中で立ち寄ったという風であったという。
それが明治二十年の十月七日だった。
このきさぶろうについて、最初に解っている確たる数字はそれである。たまたま住職がつけていた日記に、彼がきた日とその様子がごく簡単に記されていた。しかしこの日記にも、いつの間にきさぶろうが寺に住み着くことになって、それをみなが受け入れたのかということについては書かれていない。その後にこの男が起こした怪異から考えても、この頃にすでになにがしかの異能を使っていたという可能性は充分以上に考えられる。
もっとも、藤尾寺にいついてからの五年間はごくごく普通に寺男として働いていた様子であったから、単に手伝いをしているうちに定着してしまったと思った方がいいのかもしれない。
さて。
このきさぶろう、先述の通り、五年間はごくごく普通に寺男をしていた。
寺男とは寺に住み着いて修行などをするでもなく働く下男のようなものであるけれど、きさぶろうはたまに近隣の村にでかけて小銭を稼ぐ程度のことをしていた以外は、真面目に仕事をしていたということが日記には書かれている。小銭を稼いでいた方法はどうにも博打の類だったらしいが、自分の小遣い以外は寺の浄財としていたので、住職もうるさいことはほとんど言わなかった。
そんな生活が続いていた五年がすぎて、六年目にきさぶろうは突然、奇妙なことを言い出した。
「生人形師になりたい」
生人形というのは、前述した見世物に出す人形のことであったが、当時(明治二十六年)にはすでに廃れていた。
松本喜三郎は明治二十四年(1891)に六十七歳で死去してしまっている。それ以来、すっかりと巷では生人形のことが話題になることはなくなっていた。生人形の元祖が死に、生人形そのものが死に絶えてしまっていたかのようだった。
まだ見世物自体は続いてはいたけれど、それの人形を作るということが商売になっていた時代ではなくなっている。
きさぶろうがどういう事情があってそんなことを言い出したのかも、よく解らない。
記録ではその周辺に生人形を使った見世物が来ていたという話はない。あるいは寺に来る前にどこかで見て、それを思い出していたのかもしれない。とにかくあまりにも唐突であって、相談を受けた住職も面食らった。
「今時、生人形では食ってはいけんよ」
と言って見たが。
「糧を得るために造るのではないのです」
きさぶろうは、今までに見たことがないような真剣な面持ちで語った。
「わたしは、最高の生人形を作ってみたいのです」
そこまでいうのなら――と住職は、きさぶろうの願いに「まあやってみなさい」と肯定した。
いつでも帰ってきなさいよ、と言い添えたのは、やはり何処かでとても成功は無理だろう、と思っていたからに違いないのだが。
住職は、このことを本当に後悔している。
やがて、三年が過ぎて、寺の誰もがきさぶろうのことを口にしなくなった頃、以前と同じ風に手ぶらで彼は寺にふらりとやってきた。
以前とは違って着流しではなくて作務衣であったけれど。それはこの寺できさぶろうが使っていたもののままだった。
(ダメだったか)
住職は、その着ていた作務衣の擦り切れ具合と、何よりも疲れたきさぶろうの疲れた顔を見て、そう思った。
口にしなかったのは、せめてもの慈悲であった。
かわりに。
「よう戻った」
その言葉に、きさぶろうは涙を流した。
きさぶろうは、
「生人形師にはなれました」
と自分が何処にでて、どう生活して、どう修行していたのかの経緯を説明した。
「東京に出て、生人形の技を持っている人に弟子入りして……」
そこまでは順調だった。その少し前に柔術の師匠を探して東京中の接骨医を訪ね歩いていた嘉納治五郎などはかなり苦労をしていたようだが、廃れたりといえども生人形作りの技術は柔術のように封建時代の旧弊の技として嘲笑われていたというわけではない。比較的容易に師につくことができた。
だが、そこでの修行が一年も続いて、ある程度の技術を習得できた頃になって、悟ったのだという。
「このままでは、松本喜三郎にはとどかぬ――」
きさぶろうが、同じ名前であったせいなのか、松本喜三郎を特別視していたことは確かである。
少なくとも最初は敬意だの憧憬だのを持ってその作品、業績を見ていたが、ある時からそれは殺意にも似た憎悪に変わった。
「それは……」
仕方ない、と住職は思った。
生人形に興味があるわけではないが、松本喜三郎といえば天下に聞こえた人形師だ。見世物とはいえ、千体を越す生人形を作り、その腕前はわが国の西洋科学の最先端である医学の分野でさえも認めざるを得ないほどの、素晴らしいものであったと聞く。
その喜三郎にたかが数年の修行で追いつこうなどとは、到底、身の程知らずだとしか思えなかった。
このきさぶろうは、しかし大した腕前だったということを住職はすぐ後で知る。
ひとしきり話した後で寺に逗留したきさぶろうが造った観音像は、それはそれはたいしたできばえで、近隣で評判になった。
(いかに天稟があっても、たかが三年でここまでできるものだとは――)
きさぶろうの話を聞いただけでは今ひとつ信じられなかったが、実物を見れば「生人形師になれた」ということは事実であると知れたし、「松本喜三郎には及ばぬ」という苦悩の深さも、まさに真実であると認めざるを得なかった。
「これでなお及ばぬとしたら、元祖はどれほどの腕前か知れぬ」
日記には、そう書いている。
住職は、しばらく寺でこのまま修行を続ければいいと告げた。松本喜三郎ほどの腕前には遠くとも、住職には彼が作り出す仏像は見事に思えたし、やがて何か悟るところがあれば、あるいは名人の域に達せるのではないかとも考えた。この時に住職は昔話に見えるような仏師などの逸話を日記に書き添えているが、彼の前途に何かを期待していたのは確かだろう。
そうこうして、きさぶろうは寺の協力の元でさらに一年で二十体の観音、明王を作り上げ、また請われて何人かの生人形を製作している。
やがて。
ある日、近隣の檀家の者を集めての酒宴で、まるできさぶろうの人形は生きているようだ、と彼に人形を作ってもらったある人物が褒め称えた。注文したのは早死にした女房の人形で、たった一枚からの写真からきさぶろうは見事に再現している。
それに対して
「わたしは到底およばぬ」
と愚痴をこぼした。
彼がそのようなことを口にすることはめったにない。だから住職以外には彼の苦悩を知る人間はいなかった。その日は珍しく酒を飲んだからであろうか、饒舌に思うところを吐き出した。
曰く。
自分は名人・松本喜三郎には及ばない。
曰く。
生きていると呼ぶに足るできばえなどとはとても思えない。
曰く。
比べて喜三郎の人形はまさに生前から生き返ったかのようで、まったくもって素晴らしい……。
曰く。
きっと皆も松本喜三郎の作った生人形を見れば、わたしのものなどごみのように思うに違いない
……最初は興味深く聞いていた人たちだが、そんなのが小半刻も続けばさすがにうんざりした。
誰かが「人形にしたところで生き返ったとはいわんだろう」と言い出したのは、果たしてどういうつもりであったのかは解らない。喜三郎の腕前を貶したかったのか、それともきさぶろうのことを慰めたかったのか。いずれ酒の席のことであり、大した意味はなかったのであろう。
ただ、それを受けて。
「人が生き返るということはあるのかね?」
そんなことを住職に聞いた男がいた。この男は近くの東村の若者で、元々は武士の出であったという。この寺を菩提寺にしていて、丁度三ヶ月ほど前に母を亡くしたばかりだった。
男がなんのつもりだったのかは、それこそ今であっては推測する他はないが、住職は「うん」となにやら重々しく頷いて。
「そういう話はある」
そして話したのが、西行法師の話だ。
有名な説話集『選集抄』に載っている話である。平安の昔、修行していた西行法師が、誰にも合えぬという孤独に苛まれ、また俗世への未練が断ちがたく、そうして「友も恋しく覚えしかば」とばかりに反魂法を使って人間を作った……云々。
住職は、当時ではかなりのインテリであった。
「しかしできあがったモノは、到底人間とは呼べぬものであったそうだ」
顔色も悪く、心を持たない、声も酷い。
まるで人形のようなそれに西行法師も扱いに困り、捨ててしまったという。
「ひどい話だ」
誰かが言った。
「それに、結局、生き返ってないじゃないか」
「あいや、続きがある」
西行はその後、ことの顛末をその道の大家である源師仲に語ったところ、「大筋では正しいが技は未熟」と言って。
「『自分は何人かを生き返らせて、そのうちの一人は大臣にまで出世している』と……それが誰かを明かせば術者も生き返った人間もたちどころに溶け失せてしまうので秘密だと言ったそうだ」
その後、話は西行ってないつ頃の人だのといった話から二転三転していって、あげくにはつい先ごろこの村にやってきたやまと流のやわら使いの名人の話になったりしたのだが、宴席の隅でいつからかきさぶろうは黙り込んでいた。
きさぶろうが寺から姿を消したのは、次の日の朝である。
二日たっても帰ってこないきさぶろうに、さすがに心配になった寺の人間たちだが、やがて四日目に手紙が来た。
「自分は今、京都にいる」
ということが書いてあり。
「思うところあって、仏師に弟子入りする」
と続けられていた。
なるほど、聞くところによれば松本喜三郎も人形師になる前に仏師に弟子入りしているという。また多くの仏を作るうちに発心するところがあったのかもしれない。ちと順番は違うが、この道を究めるにはそういう回り道も必要なのかもしれない。
住職はそう思って、そのままきさぶろうを送り出すことにした。
後に判明するが、手紙に書かれていたことは半ば以上が嘘であった。
きさぶろうは、京都には行った。
しかし仏師に弟子入りなどしなかった。
何人かを訪ねた形跡はあるが、どうしてか弟子入りはしなかった。
どうして手紙にこのようなことを書いたのかは結局解らない。
だが、思うに、彼はこの時はまだ迷っていたのではないだろうか?
思い立ったのはいいが、それは俄かには可能とは思えぬ所業であったし、やはり人としても許されぬことではない――それらの迷いから、彼は仏師に弟子入りするなどという虚偽を書かせ、また迷ったままに訪ねてみるなどということをさせたのではないか。
京都時代のきさぶろうが何をどこで学び、試したのか、それを寺の者たちが知るのは、さらに二年を経てからであった。
結論から言おう。
寺に帰ったきさぶろうは、すでに人間ではなくなっていた。
人間ではなくなっていたきさぶろうは、しかし以前のままの作務衣で、寺の山門をくぐった。
丁度その時に読経をしていた住職は、異臭を感じて経を読むのを中断して、思わず振り向いた。
本堂の前に、きさぶろうは立っていた。
「ご無沙汰しております――」
懐かしい声だった。
再会を喜ばねばならないはずだった。
それなのに、住職をはじめとする僧侶たちも、寺男も、きさぶろうの体から発せられるあまりもの妖しい空気を感じ取り、困惑した。
「この二年、何をしておった?」
住職の問いも、詰問するかのようだった。
きさぶろうは「修行をしておりました」と答えて、しばらくまた前のように逗留させて欲しいと願い出た。
しばらく悩んで後に結局、受諾したのは、住職はきさぶろうにかなり大きく期待していたからだろう。それは自らの直観を押さえつけるほどのものであったが、無理もない話だった。
時代は明治であり、近代の波は僧侶であっても闇の領域を容易に信じさせ得ぬものにさせていた。
理性のある者ならば、きさぶろうの雰囲気が変わったことを「錯覚」として片付けていて当然で、あるいはその変化は、何がしかの境地に達したからではないか……と期待させる理由として充分であったろう。
この時点で、惨劇は避けえぬものとなってしまった。
しばらく滞在して、以前に使っていた工房になにやら材料を運び込み始めたきさぶろうを、以前とは違って奇異の目で寺のものたちは眺めていたが、すぐに慣れてしまった。人間、なんにでもすぐ慣れるものである。とは言え、やはり以前とは違って親しみを持って話かけることなどはしなくなった。慣れてはいても、薄気味悪いという感触は抜けきらなかったのである。
そうして半年が瞬く間に過ぎ去り、ある男が寺に訪れた。
寺を菩提寺にしている男で、二年前、「人は生き返らないのか」と聞いたあの若者だった。
彼は、きさぶろうに呼ばれたのだいう。
「少し前に、賭けをしまして――」
詳しくはいいたがらなかったが、どうも博打をしているところに話しかけられたらしい。
そういえば、きさぶろうは昔は博打で小銭を稼いでいたな……ということを懐かしく思い出した住職だったが、どうにも胸騒ぎは収まらなかった。
収まらないままに男を行かせた。
男は、その日から姿を消した。
そのことを住職が知るのは、翌々日に彼を探しにきた彼の女房に話を聞いてからである。
日記には「すぐにもきさぶろうのことを思った」とある。その前日も前々日も、遠めからではあるが、きさぶろうの様子には変わったところはなかった。なかったのだが、今度こそ、その直観を押さえつけることはできなくなった。
ただちに工房に入った住職が見たのは、ぼうと座り込んでいるきさぶろうの姿だった。しばらくその姿を近くにまでよってなかったせいか、寺に戻ったばかりの頃の妖しい雰囲気がすっかり抜け落ちているのに、今の今まで気がつかなかったのだ。
精根尽きた――まさに、その言葉の通りであるように見えた。
住職は何をしたのか、何事があったのかを問い詰めたが、呆けたようにまともな言葉を換えそうとはしない。もっといえば、きさぶろうは呆けていたと言ってもよかった。
呆けたままに、四日後にきさぶろうは死んだ。
眠ったままに、起きてこなかった。
……住職は何か釈然としないままにきさぶろうを葬って、墓を寺の隅に建てた。無縁仏とするにはきさぶろうは寺に関わりすぎていたし、名人の域に届かなかったにしろ、やはり実力のある人形師はそれ相応に弔うのがよいと思った。それに彼が残した仏は、いまだ評判がよくて何人かの好事家、あるいは廃仏毀釈で本尊を失っていた寺などが買い求めて、それなりの金を寺に残していたのだ。
きさぶろうに生人形を作ってもらった何人かも、葬儀には参加した。
近隣からもかなりの人が集まって、地方で死んだ無名の職人を偲ぶには十分であるかのように思えた。
ただ、それからしばらくして事件が起きた。
最初に、東村で十歳になる黄三郎という少年が殺された。
当初、獣に襲われたかと警察が疑うほどの壮絶な死体が村外れに残されていた。熊か、そうでないにしろ、よほどに大きな獣が少年を襲ったのだろうと。それは、そのような死体であった。ばらばらで、無残というほかはない。
それから間もなく、やはり喜三郎という名の、今度は三十の猟師が殺された。
猟師ではあったが、彼を殺したのが獣だとは誰も思わなかった。彼は、自宅で殺されていたのだ。しかも昼間から。獣が家に侵入した形跡もなく、まして村に獣が入り込んでいたのを誰も目撃していない。つい最近に少年が殺されていたから、村人は警戒していたのだ。
目撃されたのは、行方知れずになっていた男だった。
たまたま、彼を知っていた娘がその姿を見ている。女房の知り合いであったが、さして仲が良かったという間柄でもなく、単にその姿を見知っているという程度の付き合いだ。だから自信はもてないが、との前置きはしていたが、「……よくは似ていた」と証言した。
その後も、やはりキサブロウという名前の人間が殺され、男の姿がその都度目撃された。
当然の様に男は疑われたが、何ヶ月前に失踪して以来、女房にも連絡はきていない。最後にきさぶろうを訪ねていたこととキサブロウという名前の人間を殺して回っていることには何かの関係があるようにも思えたが、上手くつなぎ合わせるには部品が足りなさ過ぎる。そもそも、例え恨みがあるにしても、同じ名前というだけで襲い、殺すというのはどうにも道理に合わない。狂っているとしか思えぬ。あるいは狂ったか――それならば、この人とは思えぬ兇暴な殺し方にもあるいは納得がいかないこともない……。
だが、そうでないということを、その頃には住職は知っていた。
猟師のキサブロウが殺されたと聞いた時、またしてもきさぶろうが関係していると思ったのだ。すでに死んでいるはずのきさぶろうがどう関わっているのかは解らないが、とにかくなんらかの関わりがあると結論した。論理も何もなかった。ただ、そのような答えが出た。しかし、どう調べたものか……解らぬままに、一人袈裟を着て長脇差を差し、提灯を片手に寺を出た。小坊主が鳴らす鐘の音を背中に受けながら。
住職が踏み出した暮色に染まる世界は、血の色を思わせた。
それもやがて、夜の帳が下りる。
住職は闇雲に歩いたが、あるいは予感があったのだろうか。
警察が多くの人員を使っても見つけられなかった男を、どういうわけだか、ほどなく見つけ出せた。御仏の導きであったのか、きさぶろうの魂に誘い出されたのか、それは解らない。
闇雲に歩いた先は、村からも寺からも離れた薄闇の森の中であった。
男はぼんやりと立っていた。
最後に見かけた男の服のままであり、それは返り血に塗れて黒々と固まり、腐臭にも似た鉄の匂いを漂わせていた。
「――――」
名を呼んだ。
答えはない。
提灯の灯りの向こうの、たった二間(3.6メートル)ほどの先の闇の中に立つ男の顔は、表情というものはおろか、生気というものが感じられなかった。生きているというようにさえも思えないほどに、それは無機質めいていた。無機質で、しかしその姿は紛れもなく生物のフォルムを持っている。人の形をしている。人の形をしているが、人ではないように思えた。それは、あまりにも精巧な生人形を見ているかのような……
「………………ッッッ」
突然、住職は気づいた。
あれは。
「生人形……!」
そうだ。
あれは人間ではなくて、生人形だ。
提灯を取り落としたのは、その驚愕によるものばかりではない。怒りがあった。なにがどうなっているのかなど、住職の理解を超えていたが、目の前のあれは、きさぶろうが「造った」のだ。
どういう理由もなく住職はそのことを確信して、激怒した。人ならぬものと対峙していながらも、それに対する恐怖などよりも遥かに強く、激しく。
「きさぶろう」
幾たびと呼んだ声には、かつての親しみなどない。
それには呪詛にも似た怒気と憎悪に彩られていて。
その声に、「生人形」が反応した。
ぼんやりと立って、どことも知れぬ闇の彼方へと向けていた目で住職を見た。
ぎくり、と住職は後ずさる。
彼は人ならぬ者の目を、初めて直視したのだ。
そして。
キさぶろウ きサぶロう
言った。
それは嘆いているような、憂いているような。
悲しんでいるような――なんともいえぬ声であった。
住職は胸を押さえた。
そうしないと、声の哀切に胸を引き裂かれるような気がしたのだ。
「南無……」
足元で提灯が焼けて、火がたった。だが、そんなことなどどうでもよかった。どうにかして声をとめたかった。叫び声は遠吠えにも似て夜に響き渡り続けていた。眠る鳥たちの翼の音が重なった。闇の中を飛ぶことはではないはずなのに、ここにこのままい続けることは禽獣の類であろうと苦痛なのだろうか。
と。
不意に、止まった。
そして。
きさぶろう…
さっきと同じ声で、違う声で、言う。
目は相変わらずに住職を見たままで。
(彼奴――)
殺される、と思った。
どうしてそう思ったのかなど、説明するまでもない。生人形のように思えてたそれは、いまや生人形でも人間でもない、得体の知れない何かになっていた。声をだす人形などいない。そして、こんな鬼気とも言える殺意を向ける人形なども。
自然に、住職の右手は袈裟の下に隠し持った長脇差に伸ばされている。
坊主が脇差というと奇異に思われるかも知れないが、かつて一種のアジールとして機能していた寺社では、ヤクザらのような外れモノとのかかわりが深い。賭場が開かれていたというのはざらにある。賭場で動く金を寺銭というのは、そもそれに由来するという。
さすがに明治に至って三十年もたつ昨今ではそういう寺もほとんどなくなっていたし、藤尾寺もこの住職の前の代でそういう類のつきあいはほとんどなくなった。だが、まったくなくなったわけでもなかった。その手にある長脇差がその証明であった。一度たりとも血を吸ったことのない飾りのようなものであったが、今は住職の身を守る唯一のものだ。
しかし。
ざらり、とそれが一歩進んだ時にも、住職はその分だけ後ずさっただけで抜けもしなかった。
鯉口を切ることさえできなかった。
「ッ………!」
このままでは死ぬ。
殺される。
その時の住職の胸の内で、きさぶろうに対しての激しい感情が生じた。
きさぶろうが、憎かった。
こんな状態に追い込まれたのもそのせいだったし、この男が人ならぬモノとなったのもきさぶろうの仕業だ。
憎かったし、怒りを覚えたし、哀しかった。
どうしてこのような怪物を作らざるをえなくなったのか。
どうして自分は、そんなことをしようとしていたきさぶろうに気づかなかったのか。
自らに問い正す内心の声は幾十も積み重なり、それでも口から漏れたのは。
「南無三」
柄をぎゅっと握り締めた、時。
「そこまで――」
闇の向こうから、誰かが言った。
一斉に夜鳥が羽ばたいた。
その声に、住職も、人形のようで人形でないものまでもが顔を向けた。
そしてそちらに顔を向けるのと同時に、足元で燻っていた火が消えた。一瞬、闇が深まるのと同時に、その男は森の中に差し込む月光の下へと進み出た。
闇の中から、闇が浮かび上がったかのようであった。
「…………ッ!」
住職は悲鳴をもらしかけた。
黒い着物のその男は、小さかった。背丈は五尺(150cm)とあるまい。だが、恐ろしかった。小さくとも恐ろしかった。鬼のようだった。いや、鬼だった。厳つい容貌と言うだけでは語るに足りぬ。そこに炯炯と光る眼光が、固く結ばれた唇の形が、刻まれた眉間の皺の深さが、――何もかもが恐ろしかった。
鬼の顔だった。
鬼が言った。
「貴様が下手人か」
問うのではない。確認のようでもなかった。
ただ言った。
言ってから顎をしゃくり、自らの背後を示す。
「警察もきているし、逃げられもせん――が」
確かに、森の向こう、彼方とも思えるほどの闇の果てにぽつぽつと提灯の光が幾つも見える。警察のものだ。先ほどの声を聞きつけたのか、あるいはたまたま捜査の過程でこの近辺にまできていたのか、それは解らない。
ただ、この男がその先触れであったのだということは知れた。
単独にて闇を踏破し、鬼気を撒き散らして異形と対峙する――異形。
枝を踏む音、衣擦れの音、靴の鳴る音、呼びかけあう声、それらが遠くから近づいてくる。
それでもなお住職は安堵できなかった。
人ならぬ人形でさえないモノと、人の姿をした鬼の間にあっては、官憲など何万人集まろうともどれほどのものであろうか。鬼が彼を救ったのだということも解っていたが、それでもなお彼の心が休まるなどということはない。状況はなお理解しがたく、ここはなお地獄にも似た魔界だった。事態が好転しているようになど到底思えなかった。
このままこの場にいたら、自分はそれだけで死んでしまうのではないか。
住職はあまりにも張り詰めた異様な空気に、呼吸すら満足にできずにそんなことをすら考えてしまった。
鬼は住職を一瞥して。
「心配するでない」
言った。
言ってから、ふわりと舞うように跳んだ。
あるいは跳ぶように舞った。
「あっ」
住職が驚く声をかろうじて出せた直後には、夜の中に鬼の姿は消えた。それが住職のみの錯覚でないことは確かだ。人形のようなモノまでもが首を左右に振って何かを感じたものか、両腕を上げた。自分の顔をかばったのだということを住職は直後に知った。
ひゅーん、と空を切る音がしたかと思えば、次の瞬間には、こん、と乾いたような軽い音が聞こえた。白い光が孤を描いたのも見えた。
気がつけば、鬼が脇差を振り下ろしている。月光を跳ね返した刃を振り下ろしている。
そして人形の――左手が落ちていた。
二の腕の半ばから切り落とされている。
鬼がやったのだ。
だが。
「むッ」
と呻くような声をあげて後ろに下がったのは鬼の方であった。
人形の右足が何の予備動作も見えずあがっている。それは形だけでいえば前蹴りであったが、所作の不自然さはあまりにも人間離れしていた。動きだけではなくて速さも、そして威力も人の領域を超えていたに違いない。
つっと鬼の額に流れるものがあることを住職は見た。
血だ。
血の流れだ。
今の蹴りが掠ったのか。
悲鳴をあげかけた住職だが、鬼が右前の片手半身で中段に構えたのを見ると、それを必死に飲み込んだ。
当世は武道武芸の達人はとんと見なくなって久しかったが、それでも田舎にいけば今でも剣客の一人や二人はいる。ことにヤクザ者は腕自慢が多いし、それに対する官憲も剣術、柔術を能くする者は当然のようにいる。住職もこの時までに何人もの使い手とその技を目にしていたが、鬼の先ほどまでに見せた動き、そしてここにこうしている姿勢は尋常のそれではないと思わせるものであった。
あるいはこのままこの人形も打倒なさしめるのではないか……と住職が期待を抱いたまさにその時、人形は不意に跳躍した。
「あ」
呆然としたその声を出したのが誰なのか、住職か鬼か、あるいはこの場に殺到しつつある警官の誰かか。
人形はその場から真上に高く――五間はあろうかという高さの枝に飛び乗ったのだ。
さすがの鬼とてもその跳躍は予想していなかったのか、咄嗟に脇差を掲げて手裏剣の要領で打ち込もうとしたが、その時には人形は再び飛び、森の闇の中にその身を投じた。
草を踏む足音が間近に迫りつつある中、住職は鬼の呟きを耳に入れた。
「不覚。逃げられた」
住職が、その鬼と改めて話しをすることが出来たのは三日後のことである。
官憲に色々と事情を聞かれ、知っていることを話した。どれだけ信じてもらえたのか、住職自身も信じられぬことである。何処まで真剣に受け取ってもらえたのかは不明だった。それでも地方名士であったので住職はすぐに解放されはした。錯乱していると思われただけかも知れないと日記には書いているが、あるいはそのような態度を警官たちはとっていたのかもしれない。
解放されてから寺に帰った直後、鬼はやってきた。
意外にも、鬼は礼儀正しく会釈をした。
住職は疲労が溜まっていたが、命を救ってくれたということもあってこちらも丁寧に応じた。
小坊主に茶と菓子を出すように命じてから、しばらくは他愛もない話をした。
やがて四半刻もすぎた頃、鬼は言った。
「ところで、この寺に藤尾キサブロウがいたのですな」
「貴方が――」
なんでそのことを、と問い返そうとした住職であったが、すぐに得心がいったという風に頷く。
「取調べの話を聞いたのですか」
「うむ」
思えば、この鬼は警官たちを連れてきていたのだ。どういう身分の者であるのかは簡単な自己紹介では把握できなかったが、恐らくは警察に対して尋常ではない影響力を持っているのだろう。
「私の話を、信じていただけるのですかな?」
半ば、投げやりにも揶揄するように言ってしまったのは何処か僻みがあったからだろうか。
鬼は「ふむ」と軽く頷いた。
だが、続けての言葉は住職の全く想像してもいない内容であった。
「藤尾きさぶろうには、わしは会うたことがある」
「それは、いつのことですか!?」
「二年……たつかな」
京都でのことであるという。
鬼がきさぶろうに会ったのは、京都の茶屋であった。その経緯や茶屋の屋号などの詳細は言わなかった。忘れていたというのではないが、ここで語る必要はないからと断って、鬼が端折ったのだった。
とにかく語るところによるのなら、本当に偶々行き逢ったらしい。そこで二人はそれこそ他愛もない話をした。何処からきた、なんのために京都にきた、と言う話をしていくうちに、きさぶろうは生人形作りを極めたいと、嘆きだした。
初対面ではあったけれども、ほどほどに話をした間柄である。鬼もきさぶろうの話を聞いて憐れんだ。そして慰めるように自分の苦労話をした。
自分が武道を極めるために遊歴をしていること、やがて師匠から方術をすることを薦められたこと、その修行に京都にきていたということ。
きさぶろうは黙って聞いていたが、方術の話に関心を持って熱心に聞いてきた。
鬼の師匠は神官を務めているが、その上司の方はかつて京都にいて、今も昔の方術を伝えている家に知己を得ていたのだという。方術は師匠も能くしていたが、鬼には見聞を広めるためにもそこで習えと命令してきた。武道家は師匠の命令には服従するものである。鬼はそこを尋ね、つい先日までそこで数々の方術を習得していたのだ。
「あいつはその家のことを知りたがっていたので、教えてつれていった。わしは字が書けんから紹介状とか用意できなんだからな」
そしてすぐに京都を出た。
案内のために、すでに予定を大幅に遅らせていた。
鬼はきさぶろうのことを気にはしていたが、仕事を優先するのが当然である。仕事は二ヶ月ほど続いた。そんな忙しい日々がひと段落ついた頃には、鬼はかなり京都から離れた土地にきていた。だから、その京都の方術の家で何があったのかを知るのにはしばらくかかった。
「――全員が行方知れずになった」
鬼の厳しい顔が、怒りで歪んだ。
住職は息を飲んだ。あの夜の恐怖を思い出した。
「行方知れず……」
「あの家は周囲ともあまり関わりなかったからな。弟子も住み込みだった。みんないなくなったと知れたのが、わしがきさぶろうを案内してから半月後、死体がその屋敷の裏手の竹林の中から出てきたのは、その四日後だ」
「!」
しかも、見つかったのはその家の人間の全員ではなかったし、死体も「全部」ではなかった。手足の本数が合わなかったのだ。
地元の警察は大掛かりな捜査をしようとしたが、その家が方術などということをしていたのが中央の誰かと関わりがあったらしい。捜査の過程で困ったことが浮上してはたまらないとばかりに横槍が入り、結局は新聞で行方知れずと一度だけ記事が載っただけで全ては収束してしまった。だから、この事件については全国でも知る者はほとんどいない。彼が事件のことを知るのは、きさぶろうと会って半年たって、ようやく日光の師匠の元に報告にいった時であるという。
「西郷先生に命じられてことの真相を探っておったが、ここにきてようやく事情が知れた。きさぶろうがやったのに間違いない」
恐らくは反魂の法――のためだろう、と鬼は唸るように口にした。
「反魂」
それは、住職の記憶を刺激する言葉だった。確かあの日、きさぶろうがこの寺を出て行く前に、そのような話をしていたのではなかったか。
そのことを話すと、
「反魂とはいっても、実際に現世に魂が蘇る訳ではない。聞いた話では、死ねばまず魂が抜けても、体にはしばらく魄が残るんだとか。魂魄の魄か。やがて魄もいつか消えてしまって体も腐れてしまうが、魄が消え去る前に魂の抜けた分を何かで補っておけば体も腐ることはない。その方法が反魂の法なのだという」
「何か――とは?」
魂の代わりとなるモノとは、住職はそれなりの博識であるが見当もつかなかった。
「わしにも、わからん」
鬼は唸るように答える。
「わしも反魂をされたものを見せられた訳ではないからな。一族の秘奥なので滅多やたらに見せられるものではないと、そう言われた。一応の口伝やらは聞かされたが、外道の技ゆえに使うことを禁ずと……その何かもまた、外道の所業によって得られるモノであるのか――」
きさぶろうは、それを知るために一家を殺したのだ、と言った。
「……………!」
改めて断定され、住職は言葉を失った。心の中で、まだ何処かきさぶろうを信じたい部分が残っていたのかもしれなかった。
「すると、やはり先日のあれは――」
「そうだろうな。きさぶろうが反魂の法を使って作った生人形だ」
死体で作った、生人形――それは、ひどく矛盾した、おぞましい存在であるように住職には思えた。
名人・松本喜三郎に勝る生人形師になりたいという修行の果てがそのようなモノなのだと考えると、何か我がことでもないのに悔しくて悲しかった。
「あの生人形が人を殺しているのも、きさぶろうに復讐するためだな」
「しかし、きさぶろうはすでに」
死んでいる。
「だが、あれにはそれが解らんのだ。思うに、魂魄の二つが揃っていない状態ではまともに考えられなくなるんだろう。ただただ、憎い憎いと、自分を殺したきさぶろうが憎いという怒りだけがその身を突き動かし、世間のキサブロウと名の者たちを知れば殺して回っているに違いない。恐らく、片腕を落としたわしにも――」
「それ、は」
茫然とした住職に、鬼は壮絶に笑って見せた。
彼は覚悟しているのだろう。
「あとは、わしらが始末する。坊さんは読経でもして、やつが成仏するように祈っててくれ」
鬼はその後すぐに、その土地を去った。
住職の日記には、この鬼の名前を尋ねると「やまと流のたけ田そうかく」と名乗ったと書かれている。
明治から昭和初期にかけて、全国を遊歴していた武道家に武田惣角という名人がいる。
元々、会津藩士の息子の出であり、家伝の大東流柔術に元会津家家老の西郷頼母に学んだ殿中武術の御式内なる技を加え、大東流合気柔術を創始した。この大東流はその後の多くの武道に影響を与えている。また西郷は神官でもあったので、御式内の他に神道・密教・修験道などの修行も惣角に薦めていたとも言われている。
また、大東流と書いて「ヤマト流」と読ませていた時期があったらしい。後に弟子にそうは読めぬと言われて修正したと言う。
生涯の多くを旅先で過ごし、宿泊先でも寝る場所を夜中に何度も変えるなどをして日々油断することなく生活していたことから、惣角は仇持ちではないかということを言った弟子もいた。
彼の事跡が明らかになるのは、明治32年以降のことである。
それは、きさぶろうによる生人形と鬼が対峙した、ほとんどすぐ後でもあった。
三人目のキサブローの話は、あえて時期を特定しない。
暗闇の中を歩いていた。
一人ではない。
その前を、提灯を持った小柄な男が歩いている。
袴姿に腰には――刀を差している。すでに明治ですら遠くなりつつあるというのに、男の姿は異様であった。だが、それをそうと感じさせぬ鬼気とも呼べる迫力がある。歩く姿も堂に入ったもので、月代こそしていないざんばら頭であったが、封建時代の古武士とはこのようなものであるのかと思わせた。
油断なく周囲を見渡し、絶えず注意を払っているが、その武士の男の後ろを歩いている、やはり袴姿のこちらはなかなかに恰幅のいい男は悠然としたもので、口元を軽く綻ばせさえしてその背中を見ていた。
やがて。
「いつも思うが」
と軽く、
「君は、どうにも余裕がないねえ」
「今だ修行が足りてませんので」
答えながらも、警戒は緩めていない。
手は柄に延ばされている。いつものことだった。いつものことではあったが、今日はどうにも様子が違っているように男には思えた。
いや――
「確かに、今晩は妙な雰囲気であるが……」
「はい」
武士は頷く。
「今晩は、いつになく胸騒ぎがします」
「うん」
「このような気配は、未だ経験がありません」
「天下の名人である君が、そういうか」
「名人などとはとてもとても――」
武士はそう答えながら、首を振る。
「世に今卜伝と称されるのが武田先生です。私など、及びません」
そうかもしれぬ、と男は思う。だが、
「しかし確かに、武田先生はまさに今卜伝だが……君も、卜伝に及ばずとも今武蔵だろうさ」
「武蔵の名も、我が身には重く」
「どんなものだろうね」
男は軽く笑うが、それは夜気の中に溶けていった。それで、この話題はここまでということにした。もとより、男には武芸は解らぬ――わけではないが、今ここでその話をこの武士とする気にもならなかった。
武士が実は悪舌であると知っていたが、どうにも自分の前では畏まる。
やがてぼやくように。
「今日は、早くに帰るつもりだったがなあ」
「仕方ありせんな。先生は皆に慕われてますから――」
武士はそこで言葉を切った。
立ち止まった。
人に似た、人とは違う何かがいた。
他に、表現のしようはなかった。
ぼろぼろになっているとはいえ、確かに昔風の衣服を着て、それはそこに立っているのに、どうしてか、人間には、生きている者のようには、武士には思えなかったのだ。
「生人形?」
思わず、口にした。
見世物には興味がなかったし、武士の年代ではほとんど見ることはできなかったが、それから受ける印象は聞いた限りのそれだった。
しかし、生人形であるとも思えなかった。
これは、人とも人形とも違う、もっと得体の知れぬ何かだ。
ばちり、と鯉口を切って刀を抜き放ったのは、得体の知れなさをそのまま脅威とみなしたからである。
「――出口先生は後ろに」
切羽詰った声に、
「ああ、思い出した」
と思いがけない言葉が返った。
反射的に振り向こうとして、目の前のそれから目を離せずにそのまま刀を八双に構えた。
動かば即座に切る――そこまでの覚悟を決めていた。
「これはアレだ、武田先生が以前にいっていた生人形だ」
「まさか――」
その時、初めてそれが口を開いた。
「きさぶろう」
問うような、責めるような、どちらともつかぬ声であった。
武士の背筋に寒気が走ったのは、およそ死んだ人間の声という、ありえぬものを耳にしたが故えだ。
「そうだ」
先生と守られていた男は、軽い口調で言い切った。
「わたしがキサブロウだ」
その後の変化は、想像を絶した速さであった。
人間には到底なしえぬ、棒立ちのままからの移動は暗闇の中、月下において影すら残すまい。
それに応じられたのは、武士がやはり達人の領域にある使い手であったからだろう。
振り下ろされた太刀筋は、柳生流に云う「一刀両段」。
斬釘裁鉄の勢いのままにそれを真っ二つにする勢いで叩き込まれる。
だが。
「おおっ」
その必殺の太刀筋をありえぬ動きで回避してのけたのも、それが人でも人形でもない、別の何かだったからであろうか。
まっすぐ突っ込んでいたはずなのに、瞬くうちに刃に反応して――跳んだ。
真上に。
「植芝くん、その呼吸ではいかん」
男は、月を見ていた。
「それでは、人は斬れても、あれは斬れん」
「先生!?」
答えず、男は。
「
そのような言葉を口にした。
すると、夜空の果に消えたはずのそれが闇の中から浮かび上がった。どのような神秘の技によるものか、それは無言のままで、しかし明らかな苦悶を顔に浮かべていた。
男は目を細めて右手の人差し指で○を描く。
そして。
「ア・オ・ウ・エ・イ」
と言って。
手に持っていた何かを振り下ろした。
ああ……。
植芝といわれた武士は瞠目した。
その何かは、男がいつの間にか彼の手により取った刀だった。
秘術の粋を尽くしてなお届かなかった刃が、しかしあまりにも無造作に真正面から唐竹割りにそれの頭を割っていた。
「きサぶロう……」
それは、最後にそう言って、止まった。
幼少の頃は虚弱であったというが、家族に学び、周囲からは神童の名も高かったという。いつしか彼は宗教――霊的な世界に関心を抱くようになり、大人になって長じてから戦後巨大教団となる「大本」の出口なおに出逢い、その教団形成に尽力した。
明治33年になおの娘である出口すみこと結婚して入婿となり、名前を改める。
王仁三郎は宗教のみならず、多方面のさまざまな分野にもその才能を発揮していたが、中でも合気道の開祖である植芝盛平には啓示にも似た教えを与え、呼吸法をはじめ、多大な影響を与えたという。
入り婿する前の彼の名が上田
おわり
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