五
春の朝。俺は青春18きっぷを使って
ただ、ずっと電車に揺られるというのは中々厳しいものがある。鉄道が好きならば車内の雰囲気や車窓でいくらでも楽しめるのかもしれないが、俺は車窓に興味はあっても鉄道への興味は薄い。
そのうちにネットに書いてあった通り、都会の通勤電車のような配列の座席にうんざりして、リュックの中から文庫本を取り出した。
俺はスマホでゲームとかをするような感じではないから、自然と時間を使うには本がちょうどよくなる。
今回の旅のために用意した中編青春小説「
しかし、車掌の放送を聞くと次は興津だ。下調べしておいてわかったのだが、この電車は
このまま島田まで乗っても座れないらしいし、島田から先発する列車もない。こうなれば興津で浜松行きを待つのは当然と言える。
小説は書き出しで止め、興津に降り立った。早速始発列車がやって来るという反対側のホームに移動すると、幾人かの始発待ちの乗客がいたものの、これくらいなら座ることは余裕だ。
しばらくしてやって来た折返しの浜松行きに乗り込むと、すぐに本を開いた。読み出すうちに小説の舞台からはすっかり離れ、
浜松に着くと、隣のホームにはすでに
右手に微かに見える湖は
とは言うものの、俺はその中京圏の主要都市である
ここから長そうな気がしたが、十分ほど乗ってあっという間に着いてしまった。彼女によると東浦は、人口四万ほどの町で、町としての人口はかなり多いほうだとか。
駅前にはこぢんまりとしながらも丸型のロータリーが置かれ、向かって右の駐輪場に出てみると背後に大きな集合住宅が見られる。
俺はなんとなく、土地勘の全く無い場所なのにぶらりと歩きたくなり、その方向へ足を運めた。すると狭いながらも交通量の多い道に差し掛かる。思えば時間はお昼だし、朝から電車に乗りっぱなしであまり満足な食事を摂れていなかった。
俺は有無を言わさず目の前にあった印象的な食道に入る。主人が「いらっしゃ〜い」と、言ってお冷を持ってくる。とりあえず店前の看板にあったラーメンを頼む。出てきたラーメンは普通、味も店の味で美味いものの普通で、食道らしい。
軽く食べ終えて、道に出ると近くにあった生路というバス停が目に入る。なんと読むのかわからなかったが、もう一つのポールにひらがなで「いくじ」と書いてある。
さらに歩を進めると、服屋やカラオケ屋が見えてくる。どうやら商店街のような所らしいが、どうもいろんな店がバラバラなので街道沿いの密集地帯といったところか。
南に進むと、何やら学校が見えてきた。彼女が言っていたことを思い出すと、駅を出てまっすぐの道を進み、突き当りの国道を左に曲がるとある――らしいので、間違いないだろう。
ここが、彼女と彼女の言うアユムが本当に共存していた高校だ。
「おい」
俺はその声に、校庭の見えるフェンスを前にして背後へ振り返る。
「よお。
「キノコ、お前なんでこんなとこにいんだよ」
「ふっ、キノコか。なんでもいいけどよ……アユムこそなんでこんなとこに来たんだよ」
そう言いながら、俺の前までズボンのポケットに手を入れて、ダラダラとやって来る。
「いや……お前には関係ないことだ。てかなれなれしいぞ」
「そうか? 言っちゃ悪いが、君がここに来たのは何がきっかけだ?」
この高校に彼女がいた頃の同級生との同窓会、アユムという存在を聞いたこと、彼女に落とした写真を拾われてアユムと言われたこと、彼女とぶつかったこと……。
頭の中はこれまでを思い出すことでいっぱいだった。かなり長い時間を待って、ようやく発端が見えてきた。
「お前が……あの写真をくれたこと?」
「そうだ。俺、
「は? なんで俺の名前知ってんだよ」
「悪いな」
俺の前で止まっていたのに、あいつは突然俺を越えて歩道の先を行く。
「おい、どこ行くんだよ」
「ちょっと来い」
あいつはその矢先で再び歩を止めた。そして、ポケットの中から鍵を取り出して校門脇の扉を開けた。
「入れ」
「え、大丈夫だよな? なんで鍵持ってんだ?」
「あ〜もう、質問攻めはやめろよ……実は俺、ここの非常勤美術教師なんだ!」
「はっ……ちょっ、マジかそれ」
俺はあいつに急かされたが、大丈夫という言葉を信用して扉を抜けた。あいつはなおも俺を先導して行って、旧校舎の美術室に招き入れるように案内した。
美術室の中はテーブルの上に椅子が積まれていて、ただお互いの足音だけが聞こえるだけの静まり返った空間だった。
「待ってろ。大事なもん持ってくるからな」
それだけ言って部屋を出ていくあいつに、俺は積まれていた椅子の一つを床に下ろして座る。開けっ放しのドアから見える廊下が懐かしい。すると、あいつはスケッチブックを持ってきて、俺の前のテーブルに静かに置いた。
「なんだよ、これ」
「まあ見てみろ」
俺はその通りに、表に「
そこには鉛筆で書いたらしい、教室に一人座る女子生徒の後ろ姿が描かれてあった。背景のカーテンがひらひらとしていて、女子生徒は腕を顔に乗せている。昼寝でもしているのだろう。
もう一ページには二階から見た体育館が描かれていて、奥の方に座る女子バスケ部のメンバーがたった一人だけ描かれている。
もう一ページめくると、さっきの校門らしき所から見た男女二人が登校していく後ろ姿やセーラー服姿の女子の上半身部分を書いた絵があった。
さらにページをめくると、そこに絵はなかった。ただ、片隅に鉛筆で塗りつぶしたような部分があった。
「これ、ここで終わりなのか?」
「そうなんだ。これを書いたのはここの生徒だったんだけど、これを俺に残して転校してしまったんだ。それでな、その直後にその生徒は死んでしまった」
「え?」
あいつはいつの間にか窓際にいて、口調を変えることもなく渋々と話し続ける。
「彼には重い病があったんだ。病状が悪化して本当は入院しなければいけなかったけれど、名古屋の病院から近い高校に転校することを条件に学生生活を続けることができるようになって……」
「まさか……この絵は」
「でも、彼の直接の死因は病気じゃない。病気を苦にした自殺だった」
「待ってくれよ、俺はそんな……」
「
気付けばスケッチブックに書かれた女子生徒の絵が、流れる涙に滲んでいた。それでも俺は涙を止められない。どうしても……止められなかった。
「七川アユム、お前はアユムでいられるか?」
振り返ると、こちらに語りかけるような目の水尾が見えた。俺は流れる涙を手で拭って、うっすらとうなずいた。
「え〜、改めまして。本日は少々お暑いほどに太陽が輝くお日和ですが、皆様全員お越しいただきましてまことに嬉しく思います。南生路高校
横浜・
「出席番号一番の生徒は、お仕事の都合でいらっしゃいませんので出席番号二番、生田芽唯さん!」
「え、みんな本当に久しぶりで、あの頃より隆くんなんかはすごく大きくなってて、懐かしいなって思います。以上です」
そんな時、誰かが声を出す。
「だいぶ垢抜けて可愛くなったよ〜」
「もう、辞めてよ隆くん!」
その一声に、隆は奇妙な顔を浮かべた。これが満足げな表情なのだろうか?
「え〜続いて……」
「次は彼にして〜」
「え、えと、まあそういうことですんで」
委員長の一言に場が笑みに包まれる。すると委員長の方を見ていた彼女がこちらを向く。
「挨拶しちゃって!」
「ああ」
立ち上がり、改めて一同を前にすると、自然と後頭部に手が行ってしまう。
「え〜七川……いや、アユム、ただのアユムです。二年の三学期に来て、またすぐに転校しちゃったけど、よろしく」
俺は座った。ただその一言で、彼女はいつの間にか俺を抱きしめていた。皆を前にして、目を閉じる姿に、俺は彼女に物を言うことができなくて、いつまでも彼女はしがみついていた。そして俺はそんな彼女をずっと見入る。いつまでも――。
了
トモトウセイロ 栄地丁太郎 @kakuken
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