四
あの日以来、あの男はすっかり姿を見せなくなった。バイト先に出没したり、デートにも俺と彼女が気付かぬうちに付いてきてたのに……いきなり消えるなんて、ストーカーとしても不自然だ。だがあの男はストーカーとは少し違う分類であるという考えは、あの日から微塵も変わっていない。
あの男には何かの目的があるんだ……あの写真、彼女、俺が俺とは違うアユムであると彼女に思われていること、となれば、彼女も無関係ではないのか?
とすれば、彼女は一体なんなんだ。俺をアユムというだけでそのアユムと思い、今もそう思い続けてる。いや、それは俺が言ってないからということだけなのかもしれないし。
考えは日に日に深まってくる。彼女と会うたび、彼女を怪しむ気持ちは強くなり、その反面彼女を騙し続けてる自分が拭えない。
だけど、ここまで来たら切り口も見当たらない。言い出すという気持ちそのものが後ろめたさと一緒に消えていき、いつしか半年が過ぎていた。
今や俺と彼女は旧知の仲そのものだ。会話を合わせれば、決して変な顔をすることはないし、例え間違えても密かにメモをすればいい。
覚えが悪いとか、記憶違いが多いという少し良くない印象が彼女に付いて、間違えても怪しまれやしなかった。
そうして俺は、一人
待ち合わせ場所は駅の真上にあるエスカレーターの辺りらしい。吹き抜けになったエスカレーターから真下を覗くと、ちょうど電車のドアが開いて中からたくさんの人が下りてくる。そんなものを見ているうちに、エスカレーターを下りた。ふと前を見ると彼女が立ちはだかっていた。
「おはよ〜。なに見てたの?」
「よお、なんか人見てた。でっかいからさ、下とか見たくなるんだよね」
「ふうん……私、あんまり下覗けないな。怖いし、落ちたらイヤだし」
「とか言いつつ、ガラスには寄りかかるんだな」
彼女の発言と行動が一致しないのはよくあることだ。少しの沈黙が流れた後、彼女は自分のスマホに手を伸ばす。 「そういえばさ、さっき連絡もらったんだけど……同窓会やらないかってさ、
「石田? そんなやついたっけ?」
「いたよ〜生徒会長でメガネで地味だけど、結構優秀! さすがに思い出すでしょ……それでさ、サプライズで? アユムくんも連れて行っちゃおうかな〜とか思ってるんだけど」
「えっ、マジで? でも俺のことなんて誰も覚えてないでしょ。一人、お前の隣の空気になるだけだよ」
「そんなことないよ。石田くん記憶力あるし、それに私の彼氏だよ? 言っちゃ悪いけど、結構モテたんだからね。アユムくんのことが忘れられなかったからからかって済ませてたけど〜」
まずい。このままじゃ、その石田とかに会うことになる。アユムが突然いなくなったとは言え、石田とアユムに交流があったかもしれないし、あるいは記憶に残っていたとしたら……考えればキリがない。とにかく俺は彼女が喋り終わる辺りで手を持ち、近くを歩いて話をそらすことにした。
しばらく歩き回った時、彼女がちょうどよく空腹を口に出してきた。俺もそれに乗って、近場の海や遊園地を後回しにして先に食事を摂ることにした。
彼女は熱々のスープカレーをスプーンで掬って、ふ〜ふ〜と何度も息をかけて冷ました後、それを口に運んだ。
猫舌らしく入念に冷まそうとするのは、実に可愛らしいしぐさだと、真横からカメラレンズにでもなった気分で眺める俺。
「言うまでもないと思うけど、もちろん参加するんだよね? 同窓会。結構良いところでやるらしいから、ドタキャンとか高くつくわよ」
「いやあ〜でも、ちょっと恥ずかしいしなあ」
丸で裸一貫の罰ゲームをする時のようだし、見た目に合わないと言われそうだが、誤魔化そうにも頭に浮かぶ言葉は少なかった。
「……アユムくんらしくないよ、そういうの。嫌なら、どうしてかもっとハッキリと言わなきゃわからない」
彼女がスプーンを操る手を止めて、俺にそう語りかけた。彼女の目も普段は見ないほどにハッキリと見開いて、真剣に物事を捉えているみたい。
「ご、ごめん。でも、俺もわからないんだよ。ほんと、ぶっちゃけ石田とか覚えてないし、あの学校で覚えてることなんてお前だけだよ」
そう言うと、彼女は一瞬うつむいてスプーンを再び操って、冷まそうともせずスープカレーを口に運ぶ。
まだ熱いスープカレーに、彼女は思わず目を閉じ口を手で抑え、なんとかやり過ごしたようだった。
「もお、嬉しくなっちゃうわ。でも、みんなに悪いわ、そういうの」
「しょうがないだろ。本当にお前しかないんだから」
「もぉ、また言った、また言った」
食べ終えて出ると、俺は何にも関心を示せない。このまま海に出ても、しょうがない気がして来た。
「ねえ、ちょっとさ。海じゃないところも見てみない?」
「え?」
少し、いやだいぶ意味を深めてしまったかもしれない。そこまでのつもりじゃないのに、自分が知っているものを秘密にしているかのような口調が虚しい。
一度通った横浜駅に戻り、地下鉄に乗る。乗ったこともない路線だが、目的地にはこれがちょうどいいらしい。外も見られず、淡々と各駅に止まりながらそのうちにあざみ野駅に着く。
降り立ったその駅は、聞いたことがある。通ったことは何度かある、その程度の駅だった。何分、俺が住むところからは少なくとも中華街よりはずいぶん近いだろうけど、ここに行くまでの交通手段はどうも微妙だ。何かするわけでもなく、
そのままやって来た中央林間行きの電車に乗り込む。これも十分に聞いたことのある行き先だが、どういうところかは定かではない。
駅前のロータリーに止まっていた団地行きのバスに向けて歩き出す。しかし、バスがエンジンをかけた。発車時刻らしい。
慌てて走って乗り込むと、車内は案外人が乗っていた。最後尾の座席は確保できなかったが、とりあえず空いていた二人がけの後部座席に彼女と並んで腰掛ける。
「結構混んでるね。みんな団地の人なのかな」
「さあね。まあ、駅から遠いからバスが必要なんでしょ」
走り出したバスは、順調に駅の北へと決められた進路を進む。しかし後ろから聞こえる咳払いがうるさくてたまらない。
しかし、バスは案外すぐに終点に着いたので、そこまでのことではなかったのが幸いだ。降り際に後方を見てみると、咳払いをしていたサラリーマン風の男性がまた咳払いをする。
帽子を被っているが、被せるべきは風邪でも引いていると思わしきその口である。さっさとおさらばして、彼女を降車場の奥にある団地のさらに奥まで連れて行く。
そこには、彼方の森まで続く畑。もっと近くを見てみると、紛れるように水道が佇んでいる。
「これ、本当に横浜なんだよね?」
「うん。あっちの方は
「へえ〜まだこんなところがあったんだ。すご〜い」
「向こうに神社があるみたいなんだけど。行く?」
「行きたい!」
そう決したが、神社のある方に行く所で、背後の方に何かを感じ取る。頻繁に行き交う車の中にそんなものを感じ取れるわけがないと思いつつ、やはり何かが見ていたような疑念を頭に挟み込み、俺は先行く彼女の後ろを追いかける。
神社に続く階段はとても長く、そして急だった。ここしかないのかと思い、辺りを見回していると何かが見えてくる。
それは、おそらく神社へ続く坂だった。多少急でも、階段よりはマシだと順調に登っていくと、神社が見えてくる。中々立派なもので、ここに来て足の勢いはぐんと上がった。
「ねえ、どうするの? 同窓会」
「正直わかんないよ。誰とかって言われたら同窓会にいる資格がないと思うんだ」
「だったら私の彼として参加すればいい。話してるうちに慣れるから!」
そう言って、どうにも曲げてはくれない。俺にとっては内心困ったものであり、なんとかやり過ごせる方向にならないかと思ってしまう。
こうなれば当日に何か理由を付ける、というのもあるが……それはさすがにやりすぎか。
「あ、ああ……」
できるだけ短く、かつわかったような意思を示すにはと、少し間を置いて言ってみたが、とにかくそういう選択をしたということで俺は一種のモヤモヤを打ち砕くことができたと感じ入る。
「いい、ってこと? ならいいんだけど……」
「ああ、そろそろ行こう。まだ見るところはたくさんあるからよ」
俺は不自然さを押し殺して咄嗟にそう言った。もはやこの話を持ち込むのが耐えられないからだ。そのまま彼女の手を取って、ふらふらと近くの田園を眺めに行った。
彼女は満足げにこの土地を楽しんでいたし、俺も最後には来てよかったと思え、次第に同窓会のことなど悩みから消え失せていく。
悩み――どうにかして解消していかなければ身が持たないもの、そんな風に思える。
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