第82話 「そう。私は騙されてたんじゃない。騙されてあげてたの」

 薄れていく莉歌の声の向こう側で、コツコツと地面を踏みしめる音が聞こえてくる。

 次第に大きくなっていく足音。

 その音の主はただ真っ直ぐ前を向きながら歩を進めていたが、次第にそのリズムは不均等に刻まれながら遅くなっていく。


「 こーちゃん?」


 目の前にかつての想い人が現れ、亜弥華は足をとめた。


「 亜弥華……」


 そんな亜弥華をただじっと見つめる孝太郎。


「 あの、え、えっとね。知らない人がこーちゃんがここにいるって。それでね……」


 亜弥華としてはここに来るまで孝太郎がほんとにいるのか半信半疑だったのだが、いざ孝太郎を目の当たりにし二人きりとなると戸惑って言葉に詰まってしまう。


「亜弥華」


 戸惑う亜弥華を制するように孝太郎が声をかけた。


「 亜弥華、話があるんだ」


 立ち尽くす亜弥華に近づこうと一歩踏み出した孝太郎だったが、亜弥華は手を前に出し孝太郎を静止させる。


「 待って、こーちゃん。私がどんな気持ちでここに来たかわかる?」


 少し息を荒らげながらじっと孝太郎を見つめる亜弥華。

 その視線の意味を察しながらも、孝太郎は口を開かない。


「こーちゃんのいじわる」


「亜弥華……」


 二人の間に独特の沈黙が漂い始めたが、それより先に亜弥華は大きく息を吸い静かに話し始めた。


「私はこーちゃんに出会えて嬉しかった」


 亜弥華の言葉に息を飲む孝太郎。


「初めて出会った時のこと覚えてる?あの時は私も精神的に不安定だったから、誰かにすがりたくて変な男にばっかり捕まってた。でもね、自分でもちゃんとわかってたの。このままじゃいけないって」


 微かに目を潤ませながら亜弥華は話を続ける。


「そんな時にこーちゃんが現れた。こーちゃんはそれまでの男とは全然違うくて、私のことを理解しようといつでも側にいてくれた。いつしか私はこーちゃんなしじゃ生きられなくなってた」


 肯定もせず否定もせず、ただじっと亜弥華の話を聞く孝太郎。


「でも、今ならわかる。私がこーちゃんにぞっこんだったんじゃなくて、こーちゃんが私をぞっこんにさせたんでしょ?」


 それまで平静を保っていた孝太郎だったが、その意味深な発言に頬を歪ませた。


「言葉のあやとかじゃなくて、催眠術とかメンタリスト的なことを私にかけてたんでしょ?じゃなきゃ私があんたなんかに惚れるわけないもん」


「亜弥華。実は俺は」


「いいの、こーちゃん。言わなくていい。全部知ってるから」


「えっ」


 亜弥華の話に割って入ろうとした孝太郎だったが、亜弥華の圧に負け押し黙ってしまう。


「私、こんなに幸せなのはおかしいって毎日思ってた。醒めない長い夢なんじゃないかって、詐欺かなんかに騙されてるんじゃないかって」


 詐欺という言葉に孝太郎は目を見開き、それを感じ取った亜弥華はニヤリと微笑んだ。


「で、ある時、こーちゃんのことを尾行したの。全然気づかなかったでしょ。尾行ってプロ相手に中途半端にやるとバレちゃうでしょ?ほんと我ながら完璧な演技だったわ」


 さっきまでの大人しい雰囲気から徐々に気が大きくなっていく亜弥華。


「亜弥華……お前……」


「尾行して後をつけるたびにこーちゃんは別の女と楽しそうに話してて。それから何度も何度も尾行して。で、私、こーちゃんの正体知ってしまったの」


「亜弥華……」


 亜弥華の目を見つめる孝太郎の頬を気持ち悪い汗が流れ落ちる。


「そう。私は騙されてたんじゃない。騙されてあげてたの」


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誰かを愛するは己が自由と知れ! 桝屋千夏 @anakawakana

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