リアルな中学生像を描けているところに、まず惹かれました。
また、夏休みの宿題の裏側に諸々の「大人の事情」が絡んでいるところを描けているのも、リアルでよいと思います。
特に「読み飛ばしたら内容が入ってこない」と感じさせる、情報量の詰め具合は一話2,000文字程度の分量でありながら見事だったと思います。
ただ、折角「夏休み」という短期的な、ギラギラしたスパンを題材に書かれているのに、夏らしい場面風景が薄いところは気にかかりました。
夏の暑さや室内の冷房の効き具合、空調設備の種類、窓から差し込む太陽の光など、室内にいる中でも「夏」を描写することは出来ると思います。
また、鍵かっこで括られた会話文が連続して会話の応酬を表現するのはいいのですが、誰がどの順番で言葉を発しているのかが不明瞭でした。
同じ人物が発した言葉が鍵かっこで括られた状態で連続している部分も散見され、発言者がごちゃごちゃしたところもあります。
現状、玉野先生が下手を踏みまくっているので、どこかで挽回できることに期待しています。
ゲームは面白いもんです。
けど、それを文章にするのは難しい。
それが義務になったら、なおさらでしょう。
ここでは、義務というのを人生の「テンプレ」と置き換えてみましょうか。
本作を読んでみて感じたことは、いわば新しい教育に対する「挑戦状を叩きつける行為」だと置き換えられる気がするんですよ。
ゲームは基本、与えられたミッションをクリアし、目的を達成するという目的があるが、それを人に感想文として伝える義務はない。ゲームはあくまで趣味だからです。まあ、その面白さを人に伝える人もいますが、それはまた違う話になるのでここではひとまず置いときます。
さて。ちょっと視点を変えてみましょう。
人生における「義務」とは何か?
社会で生きていくためにそれなりのステータスを得、幸せを得ること。そう思う人は決して少ないくはないハズです。誰だって安定を求めるものだし、誰だって安心して暮らしたいって思うのが人情ってもんです。
いやいや、そこでちょっと待てって声を上げる人もいたりします。自分の人生にステータスなんかを求めていない人もいるじゃないか。そもそも、自分はそんなものは求めていないし、リスキーだからこそ生きがいがある…そういう人だいるのも事実だったりするんですね。安定を求めることを義務だとするなら、この生き方は義務とは遠い位置にある生き方と言えるでしょう。
何がいいたいかと言うと、人生を「義務」で生きるにはあまりにも窮屈過ぎる行為だって言っている訳ですよ。趣味だけで人間は生きていけないけど、それを続けるには働く必要がある。その中で生活をする必要がある。そのために、どーしてもお金を稼ぐ必要がある。
少なくとも、人生を見てると、生きるためにはそういう「義務」が課せられるってのがテンプレだと考えていいわけですね。個人的な考え方で恐縮ですけど。
そうなると、娯楽を楽しむ余裕がなくなっちゃうんですよ。これって、味気ないと思いませんか?
ここで、本筋に戻しましょうか。
中学生に置いて、遊びを義務化するというのは遊びを修行に変えろって言ってるの同じなんですよ。なんだったら、苦行僧にでもなれって言っても良いかも知れませんね。
要は、物の捉え方のテンプレを取り外し方というものをこの作品は書いているように思えるんですね。
テーマは間違いなく面白い。
それを伝えるだけの文章力がある。
ドラクエという国民的なわかりやすいテーマを持ってきている点は秀逸とも言える。
その結果、自分の感想文も、あ~ら不思議。なんとこの小説のように連想ゲームで書かれているではあーりませんか。
作者様はそこまで考えていないかも知れません。
しかし、そういう想像をさせるだけの要素を持っていると感じた自分が確実にここにいるわけですよ。だって、少なくとも自分は一気に読んでしまって続きが楽しみで仕方がありませんからね。
かなりイレギュラーな視点からのレビューになっちゃいましたけど、面白いと断言できます。
長々と失礼しました。
まる。
今の中学生と言うのはどう言う物かは正直分かりませんが、面白い作品を書くに当たって必要である「こう言う作品を真剣に作って見たい」のを実行し、そして中学生と言う年頃やその家庭環境をリアルかつ丁寧に描いている。
この作品の中学生はまんまと国語の教師の課題のトラップに引っかかり、さも困難な課題に取り組んでいるように見えますが実際のところはどうなんですかね?
私の中学時代は2002~2005年頃で、夏休みに成績の悪い生徒が図書室に呼び出しくらって結構な人数集められてましたがそう言う子達はなくなってないんでしょうかね・・・・・・
この宿題の恐ろしさを知った少年達――そして読書感想文と言う難題に果敢に挑み、ようやく「ドラクエと言う物語」に目を向け始めます。
この作品のテーマは最新話でも語られている「ゲームは毒にも薬にもなる」、と言う言葉通り「どんな物も見方や取り扱い方を変えれば本来とは違うものになる」のだと思います。
これは想像ですがこの奇天烈な課題を出した先生は「実はゲームは大好き」だけど「ゲームから何かを学ぼうとしない教え子達に不快感を持っている」からこんなゲームに対して厳しい態度をとっているのかなと想像ししていますが真相はいかに?
長文コメすみません。
続き期待しています。