第三話 毒が回れど首は回らず

~前回までのあらすじ~


天才魔導技師『ソリュード・エルディオス』の、含みを残した言動。

彼の喚ぶゴーレムを撃破したフランとラルダであったが、休んでいる場合ではない。


――それにしても、大きな犠牲が出た。

『闇薙の緋焔』アークは此処、カルナスに散ったのだ――




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「ぬおぉぉ――――っ!!!」


 カルナスの空に、素っ頓狂な雄叫びが木霊する。

 あれは鳥か? 浮遊する魔法生物か? そのどちらでもない。

赤のバンダナを頭に巻いた『それ』が、空中をトップスピードで横切っていく。


(こいつぁよくねえ! 思いの外ブッ飛び過ぎた――)


 …撤回。残念ながらアーカルド・S・ハイムは辛くも生きていた。この状況では、最早死に体とも言えるが。ダメージこそ身のこなしによって減殺したが、岩の巨人ロックゴーレム蹴り飛ばしフリーキックの勢いそのままに慣性飛行を続けている。

 アークは首をよじってチラリと後ろを一瞥する。

 着弾予測地点は――二階建ての家屋だ!言うにや及ぶ、このままでは天才剣士は壁を彩る赤いシミ一つへと姿を変えるだろう。

 まあ、この程度は世界にとって些末な事かもしれないが…


(なれば、イチバチだ)


 一か八かの意を決し、ショートになったロングソードを速やかに宙へと放り捨てる。そして身体を丸め集中――アークの身体の中心に、魔力とも異なるエネルギーが集まっていく。

 それは『』と呼ばれる、生命力を根源とする力であるが――今は急を要する。何かとゴチャついた説明をしている暇は無い。


 さあ、建造物との衝突まで幾ばくも無い!

 新鮮なトマト・ピューレの出来上がりまでのカウントダウン! 5…4…3…


 ――激突の瞬間一拍手前、アークは裂帛の気と共に、吼えた。


硬気功こうきこうッ!!」

 

――ボッギャアァァ……!!


 凄まじい衝撃と、木材の圧し折れる音が響き渡った。

やはり『闇薙の緋焔』アークは此処、カルナスに散ったのだ――




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「ふんふ~ん…♪」


 他に人気の無い、何処かの一室を彼はガサゴソ物色していた。

使い込まれたフライパン等の調理器具が壁に掛かっているのを見るに、此処は厨房キッチンなのだろう。

 あれでもない、これでもないと食料を探しては、薄緑の長い髪が尻尾めいて揺れている。生の根菜程度には見向きもしない。干し肉のひとつでも見付かれば――


「わっ! あったあった」


 床の切れ目を見付けたその少年は、それを蓋のように開いてみた。

そこには、生食には適さないイモ…と一緒に、熟未熟を問わずに木箱に詰められたリンゴの姿があった。

 真っ赤に熟したそれをひとつ手に取ると、小さな口を出来るだけ大きく開けて齧りついた。水すら十分に摂れずに涎も乾いてきた口内に、果実の水分と仄かな甘みが染み渡る。

 シャクシャクと咀嚼し、また齧り、そのルーチンを何口分かを繰り返すと、少年は座り込んで一息をついた。


「ふー。もう草はしばらく食べたくないなぁ…」


 暫くぶりのマトモな食料を口にし、綻ばせた顔から切実な感想が漏れる。字面通り受け取るならば、その辺の雑草で飢えを凌いでいたという事だ。実際、少年の財布は風ひとつ吹けば飛んでいってしまうくらいには軽かった。


――ドグッシャアァ!!


 そこに天井をブチ抜いて、轟音を伴う『何か』が飛来した。部屋全体に、衝撃!


「ぴゃっ!?」


 素っ頓狂な悲鳴を上げて少年が小さく飛び上がる。飛来物は一寸置いた床に不時着――掃除の行き届いたキッチンの僅かな埃と、粉々になった木片を巻き上げた。


 食事を邪魔された憤りと突然降臨した未知の何かへの畏怖、

幼さ故の好奇心が綯交ないまぜのまま、少年はその『邪魔者』の正体を目に捉える。

 木片が幾つも突き立ったボロのジャケットを羽織ったそれは、間違いなくヒトの形をしていた。

 しかし空腹には逆らえず、リンゴをもう一齧りしながらも恐る恐る近付いてみる。まだ落下物…いや落下人は動かない。


「外にいたでっかいゴーレムにやられたのかな…かわいそ」


 少しだけ憐みの表情を浮かべ、それはそれとして金目のものを持っていないかを探ろうとする。

 ――死者にはほんの僅かに、死出の渡し賃があればいい。それ以上は余らせて勿体無いだろうから。困窮故に生まれる、幼い顔に見合わないドライな考えを浮かべながら彼は死体に近付いていく。


 …しかし。その目論見はすぐに打ち砕かれる事になる。


「いっ、でで…」


 もぞ、と身を捩らせ、それが上体を起こした。残念ながら死体ではなかったのだ。

首を左右にブンブン振ってバンダナの木片を飛ばすと、それ――アークはそばに立つ少年を見やった。自分より身のタッパはひと回りほど低い。


「あ? なんだお前。もしかしてこの家の住人だったりする?」

「違うけど…なあんだ。ピンピンしてるじゃん」


 アークとしては最悪の場合――家主への弁償事案を危惧していたのだが、その懸念は一つ晴れた事になる。それはそれとして「目の前の奴はなんだ、俺が死んでた方が都合が良かったのか」と新たな怒りも生まれたが。


「ハッ、さてはてめェも《深淵の爪》か!」


 確かにそれなら辻褄は合わなくもない。同時に強引極まりなくもある。徒手のまま構えを取ったアークを前に、少年は慌ててその言い掛かりを否定する。


「えーっ、ちがうちがう! 僕がそんな事してるように見える!?」

「じゃあ仮にそうでないとして話を進めるが、なんで家のモンじゃねーのにリンゴ食ってんだ。そうでないならコソ泥かよ」


 痛い所を突かれたのか、ウッと言葉に詰まった。そうである、少年は騒ぎでこの家の元々の住人が避難した所をしっかと見て侵入したのだ。

 アークは服に刺さった木の棘を抜き、仙人掌サボテンめいた姿を脱却しながら続ける。


「火事場泥棒とは見下げ果てたガキンチョだ」

「これでも13だよ! そっちこそまだ子供じゃん!」

「俺は16なんだよなあ」


 三歳程度のアドバンテージで得意になりながら、子供じみた口喧嘩が展開される。

そうして二言三言語彙力を投げ捨てた悪口のラリーを続けたが、しかしそれはすぐ打ち止めになった。


「…そうだ。外がめんどくせー事になってたんだった」


 その通り。鉱山の街ことカルナスは、先からゴーレムの襲撃に遭っているのだ。

 アークは不覚にも早々に吹き飛ばされて戦闘中断を余儀なくされたが、フラン達は対処に追われているだろう。こんな不毛な事をしている場合ではない。


 一旦コソ泥疑惑の少年は放っておいて、キッチンを出た先の廊下から二階に駆け上がる。外に飛び出すより、多少なり小高い所から街の様子を望んだ方が幾分手っ取り早い。

 見れば手頃な窓がそこにあった。アークは身を乗り出し、街の状況を目の当たりにした。


「――なんてこった」


 一瞬ばかり目を疑ったが、すぐにそれを現実の光景と受け止める。

 先に見たゴーレムと酷似したものが、まず目に映る――が、それだけでは、ない。それが二、三体と建物の陰から頭を出しているのだ。岩の巨人は、最初にアークが対峙した一体だけではなかった。


「うわぁ。すごい事になってるね」


 後ろから、状況には不釣り合いに暢気な声が聞こえてくる。

 それは先程の少年だ。見れば尚もリンゴを齧っているし、もう片手に熟れたもの数個を抱えている。一個ばかりでなく、あわよくば持てるだけといった所か。


「恥ってのを知らんのかお前は」

「だってお腹すいてたし…」


 逞しいものである。しかしながら、確かに表の大暴れは大変に目立つ。これらを陽動、ないしデコイに見立て、裏で悪事を働くというのは実に理に適っている事なのだ。道徳的には兎も角。


「…陽動、か?」

「ヨードー?」

「目眩ましだ」


 アークは思索する。これは本当に、ゴーレムによる単純な破壊活動なのだろうか?

大体、視覚情報でなく魔力によって感知を行うゴーレムならば、夜間を狙った方が効率的だ。ならば何を狙うのか? 確たる根拠は何処にも無いが、此処はカルナス。『鉱山の街』である――


「俺の勘が当たってりゃ、本当マジの狙いは鉱山にある」

「え? 鉱山に? なんで?」

「そんなもん、俺が知るかよ」


 答え合わせに行かなければ、当たりかハズレかは分かりはしない。第一アークは現状決定打を持たないのだ。素手でゴーレムに挑んだ所で結果は見えているし、装備を調達しようにも今は緊急事態だ。日曜道具では歯が立たないが、武器屋もこれでは臨時休業だろう。先程コソ泥となじった手前、一時的な武器の拝借も憚られた。


「おい、雑草頭。名前は?」

「なにその呼び方。ファンタだよ、雑草頭じゃなくて」

「アークでいい。お前も多少覚えがあるんだろ? 俺についてこい」


 少年の腰を見やると、二本ばかりの剣が携えられている。

一振りは使い古してくたびれた剣だが、もう一振りは何やら業物のようだ。実際の腕の程は一目では推し量れないが、少なくとも戦力がマイナスになる事は無い。


「やだ」


 ――当然ながら即答だ。だがまだ自称天才剣士にも手はある。


「…俺は冒険者ライセンス《三等級サード》だ。お前の名前も顔も覚えた。言ってる意味、分かるか?」

「うぐっ…確か、指名手配の権限があるやつ…」


 さて、この『冒険者ライセンス』については手隙の時に説明させて貰う事にするが、つまりアークはこの少年――ファンタを空き巣として通報し、あわよくば賞金首バウンティとする事も可能なのだ。


 権限によって、今の安全とこれからの安心を両天秤に掛けられるファンタ。これを引き受ければ恐らく面倒事に付き合わされるが、断れば夜も眠れぬお尋ね者として生きる事になる。自由を人質としてとられたという事だ。

 悔しそうにふくれっ面を浮かべ、やがてファンタは回答する。


「わかったよ。ついていけばいいんでしょ」


 善意の協力を取り付けると、アークはニヤリと笑んだ。


「よしきた。ついでに剣の一振りでも貸してくれ。ボロい方でいいんだ」

「ダメダメ! 大事な一本カタにしちゃって、これがもう全財産なんだから!」


 ファンタが首をぶんぶん振って拒否する。様子からして嘘でもないようだ。


「大事なモン質入れするほど金無ぇのかよ、しゃあねえな」


 流石に全財産まで取り上げるとなると、アークの塩粒程度の良心でも気が引ける。愛剣は打ち直しに出しているし、繋ぎの剣は先程折れてしまったが――まあ、幾らでもやりようはあるだろう。盗みを働けない手前、手段は随分限られているのだが。




「風通しが良くなったと思って許してくれ」

「リンゴごちそうさまー」


 家の持ち主に形だけ詫びを入れた後、二人は鉱山が構える北へと一路、走った――












 ――鉱山の街カルナス。元は、鉱脈を持つ山の為に開拓された名無しの拠点であった。それを中心として人の往来が増え、次第に大きくなって今に至っている。鉄や銅を始めとして豊富な天然資源を含む鉱床が大きく拡がっており、現地で良質の素材を利用できる事から鍛冶職人達からの人気も高い。


 しかし、それ以外にも大きな特色がある。淡く発光する半透明の鉱石『エーテリウム』が多量に産出されるのだ。これは『魔素』と呼ばれる魔力エーテルの根源が集まり、結晶化したもので、謂わば魔力の塊。

 古くは魔術師達の魔力補助剤として扱われてきたが、後にとある分野に於いて注目される。先に触れた魔導科学がそれである。様々な機器の原動力として重用され、密接な関係とも言えるだろう。


 さて、話が逸れたが此処はカルナスの市街地から北に位置する鉱山の第二採掘場。

エーテリウムを多く含有する鉱床に向かって線路が敷設され、普段は輸送用トロッコが行き交う。平時ならば作業に従事する鉱夫マイナー達が軽口を叩きながら採掘場を動き回り、汗水を垂らしている筈だ。


「アッハッハッハ。いやあ、皆様方の大事な仕事を奪ってしまったかなァ?」


 ――確かに愉快な笑いが響いている。だがそれは鉱夫のものではない。

両の手に一対の刃を握った男が、ニヤニヤと人好きのしない笑みを浮かべていた。

あらゆる色素の抜け落ちたようなざんばらな白髪の合間に、血のような赤い瞳がギラついている。


「ま、ちょっとした休暇だと思ってほしいな。長い長ァ~い、際限の無い長期休暇にもなるだろうか? いや? 際限が無くなったらそれはもう引退だ。失礼失礼」


 アハハと小笑いしながら鋸めいた刃を曲芸めいてクルクル回す男の周囲には、地に伏した鉱夫と思しき体格の良い男達。一見して外傷は軽いものだが、皆が皆、苦悶の表情を浮かべて息を荒げ、顔色を青くして言葉にならない呻き声をあげている。


 だが、奇怪な男の他にまだ立っている者も居た。一振りの長剣を構える男と、彼に隠れて怯えている三つ編みの子供だ。


「そこのキミ達も運が良いねえ、人生なかなかこんなハプニングには出会えないよ。

いや、一般世間的にはこういうのは不幸な事故アクシデントと言うのかなァ? それじゃあ良いラッキーどころか悪いアンラッキーか。ハッハ!」

「…こいつ、相当やるぞ。ミレット、俺が食い止めてる内に逃げろ」


 二刀の者を睨め付けたまま、男は後ろの子供にだけ聞こえるよう語り掛ける。見れば男の顔は険しく、こめかみを伝ってじっとりと脂汗が浮かんでいる。衣服の端々に掠れた跡があり、既に交戦でダメージを被っていたようだ。


「そんな、ナナドだけ置いていけないよぅ…」


 ミレットと呼ばれた、どちらの性別ともつかない華奢な容姿の子供が、首を小さく振って答える。木製の杖を握り締めているが、肩は震え、碧の目にはうっすら涙が浮かんでいる。自分を庇う男――ナナドから離れるのを躊躇っているようだ。

 そのやり取りを愉快そうに眺め、更に白髪の男は笑い声をあげる。


「おお、おお! 愛かな。ヒトの互いの身を案じる姿というのは美しいものだよね! いやでも、しかしだ。心配はしなくていいのさ。僕は後ろのキミにも用があるから」


 両腕を上に、しかして刃を下に。奇妙な交差の構えを取りながら男は嗤った。


「平等に、公平に。二人仲良く甚振いたぶって差し上げよう――」


 ナナドと呼ばれた手負いの剣士は、両脚を踏ん張って剣を中段に構えた。

眼前の男を相手に、優勢に立つ事は難しいだろう。ならばせめて、相討ちを狙う――


 そんな時だ。何か大きなものが、二人の男の間を縫うように吹き飛んでいった。


「…はて? 何かと思えば――」


 それは顔面に殴り付けられたような痣を浮かべ、泡を吹いて気絶している人相の悪い男だった。白髪の男はそれに覚えがある。《深淵の爪》の中でも下の下、取るに足らないチンピラ崩れだ。鬱憤晴らしの為だけに、集まる寄せ集めの屑も存在する。

 質は兎も角、数で暴れさせておけば、守衛の足止めか、鉱夫達を脅し付ける程度にはなるだろうと踏み放っておいた筈だが――


「――ドンピシャだ! 《深淵の爪》、狙いはやっぱこっちだったみてーだな」

「うわっ、ホントにいた! バカっぽいけどちゃんと考えてたんだ」


 チンピラが飛んで来た方向に立っていたのは、オンボロの手槍を携えたアークだった。一言余計だとばかりに放った握り拳の鉄槌を、ファンタにスイと躱されている。

 赤いバンダナの剣士。つい先日に聞いた情報が脳裏を廻り――


「――そうか! キミがあのベオル君が愚痴を零してた『闇薙の緋焔』!」


 新たに現れたアーク達へと向け、白髪の男が不快な笑みを新たに貼り付ける。X字の構えをゆったりと解き、刃を手にしたまま大仰に両手を広げて、御挨拶。


「弊社のお間抜け君がお世話になっております。自己紹介をさせて頂くならば、僕はケイオス=バーロイン。いやァ一度御目に掛かりたいと思ってたところだったんだ。しかし、二度目テイク・ツーはあるかな? 一期一会は残念だよねェ」

「ぬ・か・せッ!!」


 稲妻のように飛び出し、一瞬で間合いを詰めたアークが槍を一文字に振り下ろす!構えの無い今こそが絶好のチャンス。不意打ちだの、卑怯だのとは弱者の弁。言ってみれば、これは正道の一手なのだ。


――キィン…!


 だが、その太刀打ちがケイオスの貌を打ち据えるよりも疾く。ゆらりと添えた片手の刃のみで槍が弾かれる。しかしアークも一瞬たりとも手を緩めない。僅かに距離を離し、反撃を許さぬままに突き三連!

 一突き! 紙一重で躱される!

 二突き! ケイオス先まで居た空間を突き抜ける!

 そして三の突きは――


「涼しいなァ」


 ――白髪を風が撫でるのみだ。怒涛の三打は体捌きのみで避けられ、武器での受けさえ誘い出せない! 雑魚構成員から頂戴した槍が馴染まないのもあるだろうが、それを差し引いてもケイオスは相当の手練れだ。

 しかし、アークも全てを出し切っていない。そしてそれは、自分自身のもの――


「!」


 アークは直感的に、素早く身を低く屈めた。ケイオスはその唐突で、妙な動きをほんの数瞬だけ目で追い――


―バシュバシュッ! バシュゥ!


 ――その身を鋭利な旋風で切り刻まれる事になる。風圧の余波で、血風が舞った。

 身体を落としたアークの向こう側に立つのは、短剣を一本抜き放ったファンタの姿がある。翠色エメラルドに光る刀身がすらりと伸び、ナマクラとは縁遠い毀れ一つ無いそれは確かに業物だ。

 バンダナからはみ出た黒髪を真空波で幾らか削ぎ取られ、アークが背を向けたまま冷や汗ひとつと共に抗議の声をぶつける。同士討ちフレンドリーファイアなどたまったものではない。


「バッカ野郎、お前! 俺を殺す気か!?」

「避けたんだからいいでしょ! それにさ…」


 ファンタはもう一本の古びた剣を抜刀し、そして唾を飲み込んだ。

 視線の先に構えるのは、自らの血で衣装を薄く染めて尚嗤う、ケイオスの姿。


「アハハ。とても良いね…風の魔道具アーティファクトかい? 久方ぶりに刺激的な風を感じた気がするよ。これは楽しい、楽しいなァ――」

「…勘弁してよ。今の結構切り札だったのに」


 人の身なれば容易く切り裂く筈の風の刃を受けたというのに、狂気の双剣士は余裕の面持ちだ。回避に長け、オマケに頑強ともなれば厄介極まりない。更にケイオスはまだ手の内を明かしていない。攻撃能力は二人にとって未知数だ。


「おっさん! アンタも動けるんなら手ェ貸せ!」


 アークが叫ぶ。おっさんと呼ばれた者――ナナドは呼応し、前に歩み出た。先程よりも心なしか顔に血色が戻り、呼吸が落ち着いている。


「――そんなに草臥くたびれていたか、俺は」

「な、ナナド…」

「ミレット! お前は周りの奴らを看てやってくれ!」


 彼が再び立ち向かうのを制止しようとしたが、それは叶わない。

 ミレットはナナドの指示に従い、彼らとはやや離れた鉱夫の元へと向かった。


 アークが槍、ファンタが短剣を二本、ナナドが長剣を構え、ケイオスへと狙いを定める。数こそ圧倒的な優位であるが、対してケイオスは変わらずの余裕を見せる。


「おやァ、おやおやおやおや。一対三と決めたのかい、それはきっと賢明クレバーな選択だよ。あ、いや違うな…そう、こういう時は『三対一』が正解だ。挑戦者チャレンジャーを先に立ててあげなきゃいけないんだ」

「奴の刃に気を付けろ。掠っただけでも毒が回るぞ」

「えっ!? それ最初に言ってくれない? 心の準備があるんだからさぁ!」


 ナナドの忠告に面食らったファンタだが、ケイオスの双刃をつぶさに観察して気付く。刃にはうっすらと、紫色の魔の瘴気が漂っている。これがあの凶刃に、毒の効力を与えているのか。

 迂闊に攻めれば毒を貰い、生半可な攻勢では往なされるが――


「どぅりゃッ!!」


 ――その攻め気を削ぐ事こそ一つの狙い。そう踏んだアークが一番槍、腕を軸とし穂先にて撫で斬りを放つ! だがケイオスは後ろへのステップ一つで一閃を柳の如く躱し、着地と同時に前へ踏み込んで右の刃を繰り出した!


――ギャリィ! ガギィ!


 金属の摩擦音。鋸刃はアークに届く寸前、割り入った剛剣に阻まれる。ナナドの斬り払いだ。間髪入れず長剣を袈裟懸けに斬り返すが、残る左の刃による防御がそれを受け、ケイオスへのダメージを許さない。

 そこに一瞬影が差す。長身のナナドを飛び越えて、死角からのファンタの強襲!


「もーらいっ!」


 相手は右の一本のみ、対する此方は二刀! 完全な防御は難しい筈――

 だがケイオスは刃を持った右手首を、あらぬ速度で高速回転させたのだ! 筋肉の可動域を無視した、およそ尋常の人体には不能な挙動! 風車じみた旋風剣ウィンドミルがファンタを襲う!


「アハッハッハッハ!」

「うわっ!?」


―ギャリリリッ!!


 逆に二振りを防御に使わされる事になったが、すんでの所で攻撃を免れた。しかし空中攻撃には隙がある。その着地の隙を見逃してくれるような相手では無い。

 ケイオスのブーツの爪先トゥには、血湧き肉抉るような刃がギラつく! 鞠を蹴飛ばすような、柔肉を切り裂く足蹴りが風を割る!


――ドズッ!


 刃が肉に突き立つ音が生々しく聞こえた。ファンタの瑞々しい脚は無惨にも――


 ――いや。ダメージを受けたのはケイオスだった。アークの、文字通り横槍!

 地面と垂直に槍の一本が足へ突き立ち、その動きを僅かな間縫い止める!


「おおっ?」

「つぇいッ!!」


 この間隙に、左手の剣を支えたままナナドが握り固めた右拳を――!


――ボグッシャァ!!


 不愉快な顔面にクリーンヒットさせた。衝撃で鋸刃が手から落ち、金属音と共に砂利に転がる!漸く叩き込んだ渾身の一発で、ケイオスの身体がズズ、と大きく後ずさった。三人掛かりの斬り込みで漸くまともなダメージが入った――筈だろう。


 踏み止まったケイオスが、ゆらりと顔を上げる。鼻が曲がり口端からは血が滴っているが、貌には薄ら笑いを浮かべたままだ。それが尚更に気色悪い。


「うん、うん――」


 指を鼻孔に捩じ込み、曲がった鼻を強引に直しながら何かに納得している。

 アークやファンタから見ても、あの右ストレートは――少なくとも並の相手ならば――一発昏倒モノの威力だった。それを受けても、まだ大きなダメージが見えない。ましてや、対峙直後と寸分違い無いとさえ言える――


「痛みを与えるのも楽しいけど、与えるだけじゃそれは不公平アンフェアだ。与え、与えられるものじゃなきゃいけないよね。アハハハ、良い一発を貰ったなぁ」

「ねぇアーク、気味悪いし僕帰っていい?」

「安心しろ。俺もちょっと帰りてえわ」


 アークもこれだけ埒が明かない相手は苦手である。僅かな接触だけで致命足り得る毒刃の存在も、殊更に神経を遣わせる。

 とは言え今のケイオスは得物を失い、無防備だ。形勢は此方に傾いている――


「――と、思うよね」


 三人の思惑を見透かしたようにケイオスが呟く。そして、自らの両手を己が胸部へと――ズブリと突き立てた! アーク達がその行動に驚くのを余所目に、赤黒い血潮で染まる手を、再び緩慢な動きで引き抜いていく――


 その血染めの両手にあるのは、先に見たものと酷似したギザついた刃! 二丁!

 腕を突き入れた胸の大傷も、流れた血と裂けた肉が生物のようにウゾウゾと蠢き、瞬く間に塞がっていく! 数秒も経たぬ内にダメージは快復し――


「ほらこの通り! 手ぶらの相手を袋叩きリンチにしてもキミ達もつまらないだろう? これは敬意を表しての僕なりのサ・ア・ビ・スなんだ。仲間内じゃよく過剰だって言われちゃうけど。ハハハ!」

「再生能力まできたか。最早何でもアリだな――」


 更なるバイタリティの底を見せる敵に、「怪物め」とナナドはごちる。


「…お兄さんもさ、そっちの子連れて一緒に逃げない?」

「良案だな。確実に逃げおおせられるなら」


 朱に染まった鋸刃を手に、一歩、また一歩とケイオスがアーク達へと歩み寄っていく。そして三人は、死地の緊張とはまた違う『何か』を感じた。身体をじわりと蝕む――毒の気配。ケイオスの纏う瘴気が俄かに色濃く、拡がっている――最早、近付くだけでさえリスクを伴う程に。

 ナナドは心の内でミレットや倒れ伏す鉱夫達の心配をするが、庇い立てる余裕などあったものでは、無い。


「それでは楽しく、第二回戦ラウンド・ツーといってみようか――あははははははははは!!」


 鮮血を映したようなケイオスの両眼が妖しく輝く。

 先はダメージを受ける事も無かったが、ここからは手傷程度では済むまい――



「――そこまでにしておくんだな。ケイオス」


 何処からか、この場の者ではない誰かの――男の低い――声が響いた。

アーク達は新たな敵を警戒し、そしてケイオスは――その歩を止める。


「おやおや? この大盛り上がりに水を差すのは――『爆炎』の」


 坑道の向こうより、ガシャリと物々しい音を立てながら、それはやってくる。

後ろに撫で付けた赤髪と、同様に燃えるような赤に染められた重鎧を纏った大男の姿。籠手ガントレットを填めた右手には、アークの扱っていた大剣さえ更に上回る刀身を持つ直剣が握られている。


「困っちゃうなあ。爆炎なら火をくべるものでは? それを冷や水だなんて看板違いも良い所じゃないだろうか? 折角ちゃんとしている冒険者諸兄と出会ったのに殺生だと思わないんでしょ・う・か?」

「――ソリュード先生が『例のもの』を掘り当てた。此処での目的は果たした、という事だ」

「あ、ハイ。そうですかそうですか」


 。アークが先刻耳にした魔導技師の名だ。やはり他に手が及んでいたのか。『例のもの』が何なのかは皆目見当も付かないが、この手間の掛けようだ。そんじょそこらのガラクタではなかろう――

 鎧の男は三人に敵意さえ向けず、ケイオスを制止する。瘴気も収縮し、毒による気怠さも収まった。


「奴らは捨て置け。十や二十の人を殺めた所で、『糧』とするには程遠い。貴様の自己満足に付き合う時間は無駄と言う他に無い…往ぬるぞ」

「やれやれ、分かりましたよ。堅物はこれだから困りものなんだ」


 即ち、撤退するという事だ。一触即発の状況が、一先ずの決着。

 ファンタは内心安堵する。ナナドも現状ではそれ以上を望むべくもない。


「おいおい、ちょい待てや!」

「ちょっとアーク!?」


 だがアークは違った。やるだけやって帰っていく《深淵の爪》に納得がいかないのだ。これは所業が許せないだとか高尚なものではない。所謂「一発殴らせろ」的な、個人的鬱憤から来るみみっちいソレである。

 もうこれ以上は勘弁して欲しいと思っていたファンタからしたら、大変な迷惑行為といえる。


「闇薙君はバカだなあ。引き分けチャンスな・の・に」

「――小僧。邪魔立てしてくれるな、蛮勇は唯の愚かさだ」

「そうはいかねえ、俺の旅にちょっかいだけ出されて無罪放免ってなぁ、筋が通らねえんだよ」


 立ちはだかり、槍を構え直す。本業の武器でなく。そして相手の技量も未知数だ。

しかし此処で一矢を報いておく事は、決して悪手ではない。再起不能のリスクを支払わなければだが…


「ならば、僅かばかり付き合おう」


 アークの臨戦に応じるように、鎧の男も大剣を構える。体躯だけでも威圧感が、違う。心なしか、周囲の空気が熱を帯びてきたように感じた。ケイオスが呼ぶ『爆炎』の所以か――


「我が名は『爆炎』のヴァルヴァン。尋常にて――来るがいい」

「そうこなくっちゃ、なぁぁ――ッ!!」


 気の篭った雄叫びと共に空気が揺らめき、槍が煌、と燃え上がった。屍竜との闘いで見せた、焔の剣の技。この槍ならば焔の槍といったところか。

 ほう、と感嘆の息を漏らし、ヴァルヴァンはそれを真っ向にて迎え撃たんとする。


(これって、火炎付与の魔法エンチャント・ファイア…?)

(魔法剣…いや、違う。こいつは――)


 ――魔法剣に映るこの技法の正体に、ナナドは勘付いた。


「いぃぃっくぞぉぉぉッッ!!」


 正面に対峙するヴァルヴァンを目掛け、火炎を纏った槍の連撃を繰り出す! 緋色の軌道で弧を、線を、点を描く瞬速の猛撃が、瞬き一つの間に幾度と無く迫る!


―キィン! カンカンカンカン! ガキィン!


 ヴァルヴァンはそれを大剣で捌き、往なし、弾く! 動きの速度はケイオスには及ばない。しかし、限りなく正確――刀身と鎧に髪の毛程度の傷を刻んでいくだけで、ダメージはゼロに等しい!

 ならばと、アークは一歩踏み込んだ手を選んだ。最短距離の、一閃突きを放つ!


「ずあぁッ!!」


――ビシュッ…!


 ――それは、ほんの僅かな動きで躱された。リターンを掴むべく撃った捨て身の一撃が、そのままリスクに転じる。ヴァルヴァンが剣の柄から片手を離し、左の拳にて近間合いのアークを――打ち上げる!


――ボグゥッ!


「うごっ…えぇっ!」

「愚か者めが――」


 ボディへの強打にたまらずアークは呻いた。その身体が軽々と宙に吹き飛ぶ――

 振り上げた左手を再び柄に添えると、ヴァルヴァンは大剣を上段に構えた。空気が爆ぜ、灼け付くような熱気が吹き起こる。大剣のシルエットに、陽炎が揺らめいた。遠巻きのファンタ達にさえその熱波が及び、括った長い髪が熱風に躍る。


「受けよ――『爆渦業炎砲ボルテックス・ボンバー』!!」


 大剣が、円弧を描いてブゥンと振り下ろされた。アークはまだ空中で、その一打は空振りにも見える。目算を誤りでもしたか――


 ――そうではない。剣の軌跡を追って灼熱が生じ、廻り、うねって螺旋を描く! 剣の振りの一つで、鎧と同じく赤く、轟々と燃え盛る暴威の火炎の渦ファイアーストームが紡ぎ出されたのだ――!

 炎の渦は空中に未だ留まっているアークを襲い、吹き上げ、そして焼き焦がす!


「あ゛っづあ゛ぁぁぁっぁ!!」


 炎の風が身を焼き、槍を黒化させ、ジャケットを更にボロボロにしてしまう。

更に強烈な風圧が伴って、アークを木の葉のように錐揉みに吹き飛ばしていった。


「――引き揚げるぞ。ケリは付けた」

「ああ、あんなワンコンボで死なせちゃうなんて勿体ないなァ~!

 僕ならもっとじっくり弱らせていって、こう、ねェ? 分かります?」


 踵を返したヴァルヴァンの後ろで、ゴシャッと何かの激突音が聞こえた。未熟な挑戦者ものへ童が駆け寄っていくが、最早彼らにはどうでもいい。事を終えた今、それは取るに足らない事だ。


 ケイオスが手を目の前に翳すと、闇と形容するに相応しい空間が口を開いた。ヴァルヴァンがその虚空へ進んでいき、ケイオスもまた追従するように侵入していく。


「それじゃあ、名残惜しいけど一先ずサ・ヨ・ウ・ナ・ラ。キミ達の魔道具アーティファクトを貰うのはまた今度にしてあげるから、大事に手入れしてね。アハハハハ!」


 空間の裂け目ワーム・ホールから手だけを振ってねちっこく別れの挨拶を済ませ、《深淵の爪》は姿を消した。

 ファンタが市街地の方角を見やると、あの背高ノッポのゴーレム達もまた忽然と消えていた――破壊されたのか、転移したのかは分からないが…とりあえず、街を脅かす脅威は去ったのだ。





 やっと敵が去った事を認識し、ファンタはその場に力なくへたり込む。


「はぁー…もうつかれた。死ぬかと思った」


 見れば、先程アークが殴り倒した《深淵の爪》の下っ端構成員はそこにノビたままだ。きっと、道すがら叩きのめした他のチンピラ崩れの連中もそのままだと推測する。彼らにとってそういう質の悪い連中は使い捨てなのだろう。組織に乗じる者もどうかしているが。


「アークもまあ悪い奴じゃなかったけど…ふぅ。これでまた自由の身かな」

「…ミレットが治療に向かった。恐らく息があると思うぞ」

「ちぇっ、そううまくはいかないか」


 ファンタはアークを勝手に殺したかったが、傍らに立つナナドが即座に否定した。

まあ、二階建てをブチ抜いてくる奴があんなんで死なないか、とも思い、諦める。

 そこかしこに倒れていた鉱夫達も、ミレットと呼ばれていた子供の介抱を受けたからか、それとも毒の主であるケイオス・バーロインが場を去ったからか。幾分か復調しているようだ。


「…とりあえず、ちゃんとしたご飯が食べたいな」


 街は襲撃を受けてガタガタだけど、そこらの人に謝礼のひとつくらい貰えるんじゃないかな。そんな場違いに暢気な事をふと考えながら、ファンタは腹の虫をきゅうと鳴かせていた。





◆◆◆



-あとがき-

リンゴってそういえば蜜が入ってると甘くておいしいんじゃなくて、完熟して甘さの限界に達すると余ったぶんの甘味成分ソルビトールで蜜が出来るらしい。

まあそのまま食べるなら個人的には和梨の方が好きなんだけども。


☆キャラクター提供

ファンタ・グレロック(駄目星氏)

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